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9月30日(日)今年度も半分終了(ふぅ)

今月はなんだか騒々しい月だったなあ。

アメリカでの同時多発テロもびっくりだが、先日職場の近くで起きた野犬捕獲騒動もスケールは違うが、いろいろと考えさせられる事件だった。

昨日は親父の三回忌で、久しぶりに実家に帰っていたのだが、お袋が親父の遺品だといって文庫本やら雑誌やらわらわらと出してきた。

出てきたのは、ほとんどが戦争ものの小説や手記だ。昔からそういった本は好きな奴だったが、どうやら入院中にもかなりため込んだらしい。

親父は昭和8年生まれなので、いわゆる学童疎開世代だ。実際、疎開先で終戦を迎えた。

兵隊としての経験はないが、わしの祖父も広島の呉海軍工廠に務めていて、親父自身も呉海洋少年団のなかで、海軍式の教育を受けていた関係で小説も「戦艦武蔵のなんとかかんとか」とか「どこそこ海戦始末記」とか「日本海軍のどやらこやら」といった本が多かった。

わしも小さい頃から戦争中の話は、それこそ耳にたこが出来るくらい聞かされてきた。

わしなりに戦争の悲惨さは認識しているつもりだ。

今回のテロに対し、政府は自衛隊の派遣をするという。

そのことに関しては、わし自身未だ考えが固まっていないので、いまここでは語らない。

ただ、これだけは言えると思っている。

喧嘩にせよ、戦争にせよ、始めるのは簡単だが、終わらせるのが誠に難しい。

大東亜戦争(太平洋戦争)にしても、日本の軍人の中には開戦に対し否定的な考えの人もいた。

かの山本五十六連合艦隊司令長官もその一人だ。山本長官といえば、真珠湾攻撃を思い出す人も多いと思う。

その山本長官は開戦に際し、時の総理大臣近衛文麿に「日本はアメリカに勝てると思うか」と聞かれ「最初の半年、一年は随分と暴れてご覧に入れることも可能でしょう。しかし戦いが長引けば、工業力に勝るアメリカは猛然と反撃してきます。そうなったら我が国は太刀打ちできません。ですからそうなる前に、ぜひとも外交交渉で日本が有利なうちに戦争を終結していただきたい。」と返答している。

しかし結果はみなさんご存知のとおりだ。

そして太平洋戦争の傷痕は未だに残っている。

ブッシュ米大統領は、「この『戦争』は、10年以上かかるかもしれない」と明言している。

うちらの政府は、この『戦争』の終わらせ方をどのようにシミュレーションしているのだろう?




9月23日(日)一気に秋か?

ここ数日で急に秋らしくなってきたような気がする。まだまだ昼間は暑いけど、朝夕は気温がぐんと下がってきた。

さすがに夜は掛け布団が欠かせない。もうタオルケットじゃ心もとなくなってしまった。

今日はお彼岸ということと、もうすぐ親父の三回忌なのでお墓参りな一日だった。親父の三回忌ということは、親友のハマチャの三回忌も12月にはやってくる。

最近はなかなかこの日記のネタが見つからない。いや、結構身の回りではネタになりそうなことは頻繁に起きていて、「あ、早速今日の日記に書いちゃおーっと」とその時は思うのだが、ばたばたしているうちにネタは忘却の彼方へと消え去り、気が付けばもう次の日に変わっているという状態だ。結果、ま、いっかーとなってしまうのである。

では、今日記に書いているということは、さぞかし今日は良いネタがあったのかというと、全くそんな事はない(笑)。

一種の強迫観念かも知れん(爆)。




9月17日(月)もう何がなんだかわかりません!

いったい世の中はどうしちまったんだい?ってなほど、先週からずっとおおごとだ。

二つの台風で日本は大変だったのに、ニューヨークの事件は台風(のニュース)をふっ飛ばしてしまった。

遅まきながら、事件に巻き込まれてしまった人達に対し、悲しみの涙を禁じ得ない。

一日も早く行方不明の方達の消息が分かることを切に願う。


リンク1件追加だ。しまさんの「川風の窓辺」。




9月4日(火)少しは涼しくなったか?

ま、昼間は相変わらず暑いけどな。

ちょいと調べごとがあってWeb検索をしている最中にこんなHPを見つけた。

そこに「言葉の誤用の小ネタ」というコーナがある。

日頃自分達の使っている言葉。しかしそれは実は「全く意味が違って」いたり「言葉そのものを誤って」覚えたまま知らずに使っているかもしれないのだ!!

いや、だれでも一つや二つそういう経験があるに違いない。

わしもそうだ。

これを契機にもう一度自分の言葉づかいをチェックしてみよう。




8月16日(木)やまぐちが暑(熱?)い

もーいかげんにしてくれー!と叫びたくなるくらい暑い日が続いている。

おかげで日記の更新も随分と滞ってしまった(それは関係ありません)。

ところでいま、山口県では『きらら博』なるものが開催されている

この博覧会、始まるまではなんだかんだと言われてきたが、実際始まってみると(7月14日から)連日多くの人が入場し、同時期開催の北九州博覧祭やうつくしま博などよりも入場者数が多いらしい。

いや、それを自慢する訳ではないんだよ。

目標では200万人の入場者を目指すらしいのだが、現在までに約50万人が来場している。開期は9月末までだが、この夏休み中にどれだけの人がやってくるかがポイントだ。

始まるまでは、博覧会の中身が見えてこなくて、多くの人たちが批判がましいことを言っていた。

確かにそれはわしも感じていたことで、テーマが『やまぐちに元気を!』とかいわれてもピンとこなかった。

しかし開催日が段々近づいて、内容が少しずつ見えてくるに従って人々も徐々に興味を持ち始めたようだ。

実際、うちのセンターでも前売券を扱っていたのだが、6月の終わりくらいから前売券の購入者が増え始め、7月に入ると連日のように前売券が出ていった。

この博覧会、いまのところ盛況と言える。その要因はひとつに「参加型」の博覧会ということが挙げられるだろう。

山本カンサイのプロデュースした「やまぐち元気伝説」というステージショーには、フツーの人たちがボランティアダンサーとして参加している。

このフツーの人たちと言うのは、普段はダンスとかステージとかそういった物とはほとんど無縁のその辺にごろごろいるようなにいさん、ねえさん、おっさん、おばさん達だ。ま、中にはカンサイの作品に出られると聞いて毎週飛行機で関東から練習に参加した人もいるらしい。

また県内56市町村が日ごとに「今日は●●市の日」「明日は●●町と●●村の日」と言うふうに、毎日何らかの形で参加している。

その他、会場内でトライアスロンの世界大会を開催したり、コンサートがあったりと、なんでもありだ。

日替わり定食のような出し物である。

正直ここまで入場者があるとはわしもびっくりしている。しかし、始まった途端、閑古鳥というのもいくら阿知須だからと言って洒落にならない。※(会場の阿知須浜というのは、戦後の食料政策で大規模農場として干拓されたが、その後減反政策でそのまま農場にならずに放置されていた。そのうち野鳥が集まり出し、バードウォッチングのメッカとして有名になった)

まあこのままの勢いで突っ走って欲しいものだ。

問題は、博覧会が終わった後、このきらら博が何をもたらすかだ。






7月23日(月)蝋燭

昨日の夜、テレビのスポーツニュースを見ていた時。(某日テレ系)>どこが某だ(笑)

オールスター戦のニュースだ。

「さあ!ここで登場したのは、ろうそくのマクガイヤー、近鉄バッファローズの中村選手です!」

ん?蝋燭のマクガイヤー































その時、テレビ画面のテロップは・・・



























浪速のマクガイヤー















をい・・・








7月10日(火)NHKの受信料

毎週火曜日の夜は、NHKの「プロジェクトX(エックス)」がマイブームとなってる。

この番組を楽しみにしている人も多いと思う。当初は、場繋ぎ的な番組として始まったらしいのだが、回を重ねる毎に人気が高まり、いまではNHKの代表的なドキュメント番組の一つとなっている。

わしも過去にこの日記の中で、マツダのロータリーエンジンの回の時の感想を書いたこともある。

基本的には戦後日本の、技術革新や産業の発展を形作ってきたプロジェクト、それも大規模なプロジェクトではなく、少数の集団が生み出した大きなパワーがこの番組の売りだ。従ってその舞台となるのは企業であることが多かった。

そんな中で今夜の放送は、いままでと毛色が違った。

舞台となったのは、秋田県と青森県にまたがる『白神山地』。その神の森を護った男達が主人公だ。

昭和52年、秋田と青森を結ぶ大規模林道建設という巨大プロジェクトが国と県の主導で始まった。計画では白神山地をぶち抜いて、全長30kにも及ぶという壮大な事業だ。これにより、過疎の村や町が豊かになるというものだ。

ところがこの計画に反対する人達が現れた。それは白神山地の豊かさ、自然の尊さに魅せられた秋田のカメラ店主、鎌田孝一氏を初めとする数人の男達である。鎌田氏は病弱な妻の故郷である秋田に移り、そこで白神の自然にであった。マタギ達の生活に触れ、白神の自然の神秘を知った。

それを大規模林道が破壊しようとしているのだ。鎌田氏は仲間と一緒に白神山地を護る運動を始めた。しかし、それは地元の住民にとっては村が豊かになるのを邪魔をする『破壊活動』と映った。当然のごとく様々な苦難が鎌田氏に降りかかった。

そのうち工事が開始され、開発の手は徐々に森へと近づいてきた。万策尽きたと思われた矢先、鎌田氏の前にマタギの頭領吉川隆氏がやってきた。「森を殺しちゃなんねえ。森が死んだら、人も獣も駄目になる」と。

そして開発の主体である県庁の職員の中にも「白神にはクマゲラがいた。この森はただの森と違う!」。そう言って仲間に加わる人も出てきた。(クマゲラは国の特別天然記念物で、当時本州での目撃例は1件だけだったそうだ)

そしてついに彼らは1万人以上の署名を集め、森まであと数メートルというところまできていた巨大プロジェクトは、ついに中止となった。

その後、白神山地は世界遺産として登録されたのは、周知のことだ。そのわずか2ヶ月前、鎌田さんの奥さんは亡くなった。


ま、あらすじはざっとこんなものだ。

面白いと思ったのは、いままで企業の中の1プロジェクトが主人公だったこの番組が、今回は企業とは全く関係なく、だいたい「プロジェクト」という呼称すらどうか、というような集団が主人公であったということだ。今までの番組の中では異色の作品と言えるだろう。

しかし内容的には、やはりプロジェクトXだった。病弱な妻の愛した白神の森を、必死で護りとおした男。そこにはこの番組の命題である「家族とその愛(注:これはわしが、勝手につけたものだ)が確かにあった。

そしてもうひとつ衝撃を受けたのは、マタギの頭領、吉川隆さんの言葉だった。

「わたしはもともと人と喋るのは苦手な人間です。でも、『この森はまもらにゃなんね、なんでもかんでもまもらにゃなんね!』とだけ言って署名を集めました。元来、マタギの世界では、自然保護という言葉はありません。自然という言葉すらありません。それらは『もともとそこにある』ものだからです。森はマタギにとって全てです。」


後頭部をバットで殴られたくらいの衝撃だった。






7月1日(日)30周年

いまから30年前の1971年2月、宇部手話奉仕団が結成された。

当初は20名足らずの会員だったが、耳の不自由な人のコミニュケーション保障を旗印に精力的な活動を始めた。

その後「宇部手話会」と名称を変え、いまでは会員数は200人を超えた。聴覚障害者問題の啓発、手話奉仕員の派遣、および養成の他、聴覚障害者福祉協会との交流を行っている。

今日はその宇部手話会の結成30周年記念式典が、市内の某所で行われた。

現会員やOB、聴障会をはじめ、近隣の手話サークル代表者や県情報センター関係、行政機関や各種団体の来賓など総勢160名ほどの出席となった。

この30年間で、2名の専任手話通訳者の設置、宇部市手話奉仕員派遣協会の設立の他、宇部手話会と宇部市聴覚障害者福祉協会がともに歩んできた足跡はこの先も続いて行く。

でだ。ここのところ数年間、サークルの例会サボリまくりのわしも、首に縄を掛けられて今日の記念式典への半強制参加となった(笑)。

まー、さんざっぱら言いたい放題好きなことを言われて、『ゆるしてくだせー、おでーかんさまー。心を入れ替えて精進しますだよー(その内な(にやり))』なわしだったのだ。

や、良い一日でした(マジ)。

ただロードスターさえ故障しなけりゃな・・・。