ヒロシマを知ろう!(被爆80年企画として ちょっと更新)


    80年前の 市職員の体験 いまの平和行政へつながるもの 

 かつて広島市役所には、自ら被爆体験した方が働いており、労働組合が被爆職員の健康診断の充実を要求にしていた時代もあります。被爆から80年が経過し、いま在籍している職員は、自らが被爆したという先輩職員から話を聞く経験もない世代に代替わりしています。
 
 実は、当組合機関紙「しぶき」に、1999年6月〜8月の間「市役所と原爆被害」として、8回の連載記事にしたものをずっと、このページに掲載していました。

 被爆80年の広島市職労の平和の取り組みとして、この連載に注目し、当時の広島市役所、市職員がどんな体験をしたのか・・・、世代交代が進むなかで当時の体験を受け継ぐために、とても適した素材だと思い、再度スポットを当てることとしました。

 広島市役所を襲った惨禍が、職員の体験をもとにつづられており、多くの人々の命が奪われ、住む場所も食料もなく、放射能障害でさらに命を蝕まれる、当時の地獄のような状況の一端がうかがえます。いま読み直しても、市職員として心に刻んでおくべき貴重な記録・記憶であり、この記事を読むだけで、理屈抜きで核兵器は絶対に廃絶しないといけないなと感じるものです。

 当時、自らも同僚や家族、住処を失いながら、被爆した多くの市民の生活再建や都市の復興・再生のために力を尽くされてきた市職員が、私たちの何代も前の先輩としていることに、80年後のいま思いをはせてみましょう。

 下記のリンクから、連載記事につながります。ぜひ、お読みください。

 広島市役所の被爆史(機関紙「しぶき」連載 No.621号(1999.6.17)〜629号(8.12)

    1.原爆投下前夜
    2.原爆炸裂のその時
    3.市庁舎の炎上
    4.公会堂の池に避難
    5.翌7日 救援活動の開始
    6.救護活動の開始
    7.疎開学童・原爆孤児
    8.復興の始まり 職員の生活

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