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関係者の思い


人として最後の素晴らしい贈り物

  @ 角膜提供者家族の思い    夫はいきている。    
  A 角膜移植をうけて        
白衣の白が目にしみた朝
  B 角膜移植をうけて        
一緒に二人分がんばっていく。
  C 提供家族思い          
妻の腎臓を提供して
  D 献腎移植をうけて        
心からありがとう
  E 献腎移植をうけて        
腎臓の提供に感謝して。




@ 夫は生きている −角膜提供者家族の思い−
 
 昭和○○年○月○○日に夫は突然の胸痛で、急きょ市内の眼科内科病院の内科へ入院させていただきました。大動脈瘤でした。
 昭和○○年に永眠するまでニ、三回入退院を繰り返しました。看病で付き添いをしている時、眼科の廊下の壁にアイバンクの事が大きく提示してあり、初めて角膜移植のことを知りました。
 入院中の夫の目が澄んで奇麗だったので、もしもの時には献眼をと心に秘めておりました。一人息子と相談の上、生命が終わった時迷うことなく私の方から献眼をお願い致しました。 
 葬式を出すべく家に帰り、色々準備をして居る所へ、夫は棺に入って帰って参りました。まぶたも普通に閉じたままになって、外見は眠っているのと何の変わりもなく、安らかな表情でした。厚生大臣初め、ライオンズクラブ、読売光と愛の事業団等々、感謝状も頂き、予期せぬ事にびっくりしました。暫くたってから、執刀してもらった先生から若い男性二名への角膜移植が成功し、大層喜んで居られると聞き、夫は生き続けていると心から喜び、よかったよかったと感謝感激しました。

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A 白衣の白さが目にしみた朝
 ―角膜移植を受けてー

 小学三年の秋、角膜炎を患い、一時は昼夜の区別もつかない程でした。幸い軽い角膜混濁と高度近視が後遺症として残ったものの、十ヶ月程で学校も続けられるようになり、成人して就職もしました。
 ところが、二十三才の時、また緑内障になり以来三十余年ずっと眼科の先生のお世話になっています。次第次第に衰えていく視力に、心細い思いの毎日でしたが、先生が「角膜移植の申し込みをしましょう」と言って下さった時は、暗い未来に光がさしたようで、胸がふるえる思いでした。
 それからも視力の減退は進む一方で、一年位前からは、自分の書いている字も見えない、道を歩けば信号の色も定かでないといった状態にまでなっていました。
 この春、待ちに待った念願の移植手術を受けることができました。
 眼帯のとれた日、朝の光の中で見た看護婦さんの白衣が、何と鮮やかに白かったこと!!目にしみるようでした。昼食に出たうどんが一筋一筋鮮明で、かまぼこのピンクが、ねぎの緑が、眼に飛び込んで来る程美しく、涙と一緒においしく味わいました。
 ここ数年、私の眼は全ての物を灰色のカーテン超しに見ていたような状態だったのだと思います。花の色も、食器の柄も、自分の着ている服さえも、こんな物があったかしらと驚いて、家族をあきれさせたり、喜んでもらったりしています。
 この喜びは、献眼下さった故人の方と、御遺族の善意のおかげと、ただただ感謝の毎日を送っています。本当に有難うございました。
 機会が来たら左眼も移植して下さるとの先生のお言葉に、一層勇年が湧いて来ます。
 一人でも多くの方に、私のように光がもどり物が見える幸せな日が来ますように、祈っています。

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B 一緒に二人分がんばっていく
 −角膜移植を受けて−  

 私が角膜移植をうけたのは、今から一年前のことです。
 「角膜移植なんて、TVの中の話だ。」と、思っていましたが、自分が同じ立場に立たされた時初めて、手術をうける側の不安な気持ちがわかりました。
 手術をうけたのは、○○病院でした。手術後、初めて左目で見た景色は、ぼんやりとしてはいましたが、今までとは明らかにちがっていました。明るいか暗いか、それだけしか分からなかった世界に、色、文字、そして、心配そうに私の顔をのぞきこむ、家族の顔も見えました。今まで見えなかった物が見えた時は、嬉しさと感動のあまり放心状態で、先生が、「どう、よく見える?」といわれた時、「うわぁ。」という言葉しか出てきませんでした。
 そして、中学三年の冬、私は福祉の専門学校を受験しました。昔は絵を書く仕事がしたいと思っていましたが、今社会福祉士になりたいと思っています。手術が決まったあたりから考えていたことです。角膜を献眼していただいた方の分も、一生懸命頑張り、人の役に立てることがしたい。そう思ったからです。
 私に献頑して下さった方は、私の人生を大きく変えてしまいました。夢は終わってしまったけど、もっと大きい夢を手に入れました。今はその第一歩で、これからたくさん勉強をしなければなりません。実現するにはなみなみならぬ努力がいると思います。その分、かなった時は、それだけのよろこびがあると思います。その夢を現実するため、私は手術をした左目と、一緒に二人分がんばってゆこうと思っています。

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C 腎臓を提供して
 −提供家族の思い−

 妻が亡くなって一周忌を迎えようとしています。自分も妻が亡くなってまだ、うそのような気がしています。今は、育児におわれて悲しむ間もありません。まさか、自分が体験するとは思いませんでした。
 臓器提供にあたって、話があった時は、かなづちで頭を叩かれたような気持ちでした。テレビなどで見て思うところはあっても、実際体験すると戸惑うだけで、どう考えていったらよいかわかりません。
 ちまたでは、脳死と心臓死とでもめておりますが、自分もやはりわかりません。自分の場合は、心臓死を選びたいと思います。脳死の場合はひょっとして意識が戻るのではという感じがあります。
 臓器提供にあたっては、本人が生前に承諾をしとけば一番良いことかもしれませんが、これも病院で死なないと臓器提供も難しいことのように思えました。脳死と宣告され、もう奇跡は無理なのかと思いつつ、残りのパーセントに奇跡をと思う心もありました。ベッドで寝ているのを見ていると、もしかすると目をあけて何か言ってくれるのでは…。
自分も人を助けるという気持ちがなければ臓器提供には踏み切らなかったと思います。また、○○○教会の信者と籍をおいていないと提供する気持ちになれなかったと思います。
 臓器提供にあたって、妻が心臓停止と診断され、臓器を取り出す手術室へ行く間の慌ただしさが良くないと思いました。また、手術室までが遠く感じたことです。臓器を摘出する際の手術を身内の人が立ち会えるようにすればよいのではとも思いました。
 自分も臓器提供の申請をしたいと思います。妻の臓器が役に立って本当に良かったと思います。

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D 心からありがとう −献腎移植を受けて− 
 
 お腹の腎臓に支えられて元気で過ごしています。ドナーの方、ご家族の方に心から感謝申し上げます。
 私が透析に入ったのは平成○年でした。透析を宣告された時は目の前が真っ暗で、腎臓病の恐さと苛酷さを思い知り、不安と絶望感で、ひたすら涙が頬を流れました。
 透析はどんな事情の中でも必ず一日おきに通院せねばならず、リン、カリウム、塩分等のきびしい食事制限もあり調理にも大変手間がかかりました。又、私は無尿状態でしたので水分がとれず、夏の暑い日をしのぐのも一苦労で、生きぬくためとは言え大変でした。
 私が移植を希望したのは透析に入りすぐでした。やはり一人の女性として子供を産みたいという夢があったからです。私の願いに父が腎提供を考えてくれ、○○病院で検査をしました。しかし、残念ながら移植には結びつかず、本当に現実はきびしいものだと再び強いショックを受けました。このとき、父の検査をして下さった○○先生が、ドナーの方の尊いお気持ちに支えられた「献腎移植」の事を説明して下さり、ぜひ登録をと勇気づけて下さいました。
 そして、平成○年○月の暑い夜。あわてふためき、うろたえている私の周りで、ドナーの方の尊いご好意を私に届けて下さるために、多くの移植に関わる分野の方が全力で動いて下さり、その贈り物は私に届きました。
 手術は○○病院でした。術後、まだボーッとしている私の耳に「すごいよ、おしっこ出てるよ!一つで二つ分働こうとがんばってくれているよ。」という先生の力強い言葉が入ってきました。本当に嬉しかったです。ドナーの方のお気持ちが伝わってくるようで、ありがたくてありがたくて深い感動と感謝で胸がいっぱいになりました。
 現在、おっちょこちょいの私は時々トラブルを起こしますが、地域の各病院であたたかくフォローして頂いております。夢は今変わりましたが、体を大切に、腎臓と仲よく、明るく前向きに心豊かに過ごしてゆければと思っています。

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E 腎臓の提供に感謝して
 −献腎移植を受けて− 

担当の先生から「あなたの腎臓は投薬だけではもう良くなることは望めません。」と言われたのが丁度○年前のことでした。『透析』の話は聞いたことがありましたが、まさか自分が受けるようになるとは夢にも思いませんでした。自宅で出来る透析ということで腹膜透析を選択しました。この四年間時間に縛られ、ちょっとの気も抜けない毎日でした。日増しに貧血は進み、体中がかゆくなり血がでるほど掻きむしり、顔、足はむくみ、本当に人生に終止符を打ちたい気分に陥っておりました。
 腎臓移植については担当の先生や主人とも色々と話し合い決心しましたが、こんなに早く提供して下さる方がおられるとは思いませんでした。約七時間に及ぶ手術もこの四年間の苦しみを取り除いて戴けるのならと頑張りました。移植手術後は、不眠も痒みもむくみの症状も無くなり、食事も待ちどうしく美味しくいただけるようになり、とても幸せな気持ちを味わっております。
 この手術で健常者と同じような生活が出来るようになるとは思いませんが、健常者に一歩も二歩も近づいたことは戴いた腎臓が私の為に一生懸命働いてくれていることを証明しています。提供して下さった方をはじめ移植手術して戴いたスタッフの皆様、励まして戴いた方々に感謝をしながらこれからの人生を戴いた腎臓と共に、精一杯大切に有意義に送るよう努めてまいりたいと思います。
 本当にありがとうございました。
 末筆になりましたが、提供して戴いた御家族の方々に感謝するとともに、御本人様の御冥福を心からお祈り致します。

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