エマージェンシー・コール

1

一人暮らしのワンルームマンションの一室。

綺麗に整頓されているわけでもなく、特に混沌ともしていない部屋。部屋の明かりは消えていたが、ネットワーク端末の電源とテレビからの光りが暗い部屋を照らす。ベッドにはその明かりの中で寝苦しそうに疲れを癒す男の姿があった。

男の名前は如月恭二。

職業はSE(システムエンジニア)。働かなくても生きていける世界で生真面目に働く如月は、それこそ働かない人々に比べれば充実した生活が送れているだろうと想像されるだろうが、そういうわけでもない。

突然暗闇の中をやかましく音が鳴り響く。ネットワーク端末から、呼び出し音が鳴り響けばそれは飛び込み仕事の依頼なのだ。俗に言う「呼び出し」と呼ばれるものだ。深夜にグッスリ眠っている中で、そんな音を立てられてしまうような仕事、それが充実した生活を与えてくれるものなのかは疑問だ。金は貰っていても、安らぎを奪われる。それを充実と判断するかは個人の価値観の問題だった。

如月は面倒臭そうに布団から顔を覗かせるとネットワーク端末を睨んだ。

『なんです?』と電脳通信を行う。

電脳通信に接続した相手は彼の上司だろう。上司も面倒臭そうに言う。

『すまないな。こんな深夜に。実はまだ状況はつかめてないんだが、先ほど会社に連絡があって、EAIから如月君はいるかと問い合わせがあったんだ』

『EAI?エレクトロニック・アーツ・インダストリー社ですよね?…あの、俺、そこはもう契約切れてるんですが…』

『詳しい事が知らんが、業務命令だ。今の仕事の事は別の人間が担当する事になっとる。すまんが、EAIへ向かってくれんか。状況は後で連絡してくれ』

『わかりました…』

それから電脳通信はEAIの回線へと繋がった。先ほどの如月の上司ではなく、別の人へと変わった。一瞬、如月は『あっ』と言いこぼしてしまう。見た顔だった。

『久しぶりだな。如月』

『青井さん、お久しぶりですね。EAIの人っていうから誰かと思ってたんですが、青井さんもEAIとは契約切れてませんでしたっけ?また戻られてんですか?』

『いや違うよ。今のお前と同じ状況だよ。突然夜中に呼び出し食らってさ、聞けば契約既に切れてるEAIから緊急呼び出しだよ』

『やはり上司から行けと言われてるんですか?』

『あぁ…。色々とマズイ事になってるらしくってな。今のメンバーじゃ対処出来ないんだそうだ…で、以前、LOSの開発チームの一員だった俺とお前が呼び出されたワケ。すまんな。EAI本社で会おう』

『…はい』

2

深夜というより早朝の4時。

眠りに入る前は寝苦しかった気温も、早朝には肌寒さを覚えるほどに冷え込んでいた。車道には殆ど車の行き交いはない。スムーズにEAI本社へと辿り着く如月。普段であればそんな時間は行き交う車どころか、どの建物も消灯しているはずだった。だが一つだけ、明かりがともっている建物。それがEAI本社だった。

(残業の日々を思い出すな…)

などと考えながら駐車場から明かりが灯るEAI本社窓を見る。

ロビーには誰も居ない。そして肌寒さは外と同じだった。人の気配が無い廊下を進むと、違和感を覚えるのは一箇所だけ明かりが灯って、そして騒がしい会議室だ。外から見えたのはその会議室の窓だった。

「よ、お疲れ」

どこかで聞いた事がある台詞だった。如月がLOSのシステムを開発していた過渡期の時期には、そうやって何度か早朝から呼び出されたりもすれば、深夜まで残業することも、そして一晩中会社にいる事もあった。そんな時に青井の挨拶は決まって「お疲れ」なのだ。こんばんはでもなく、こんにちはでもなければおはようでもない。

「お久しぶりだな、如月君」

その声も聞くのは随分と久しぶりだった。声の主は山本だった。

「お久しぶりです。社長」

そして会議室の中を見渡す如月。HGDには様々な資料が表示されていた。それらの資料について論議しているようでもあった。

「一体何が起きたんです?」と如月が質問する。

「ログオンサーバがハングアップした状態のままになっている。落とすことも検討されたんだが、電脳をハンドリングした状態のままらしい…。この状態で落とせば接続しているユーザは全員、脳死する。で、いまテクニカの連中がきて調べた結果、どうやらログオンサーバは正確にはハングアップの状態ではないらしい」

「外部からの接続を拒否してるんですか?」

「あぁ。仕組みはわからんが、LOSのシステムからはアクセスできる。それでバックドドアを使ってLOSのシステムに侵入して、そこからアクセスする手段が妥当だという事になった。開発チームならそのバックドドアの事についても知ってるだろうからって、俺等が呼び出されたわけだ」

「開発チームって言ったって…自分と青井さんだけじゃないですか」

先ほど如月が会議室を見渡したのは、自分以外の開発メンバーが着ているかどうかの確認でもあったのだ。だが、知った顔は社長と青井だけだった。

「あ〜…。俺とお前だけ、連絡がついたんだよ。他の連中は…多分、システム屋じゃないんじゃないのかな。そういう人間には連絡飛ばせないのよ」

「…この緊急時に連絡飛ばせないって、どうなんですか…」

「まぁ…契約切れた時点で本来は責任なんてないからな」

青井のその言葉の後、山本が突然頭を下げた。

「すまない…」

突然の社長のその行動に驚く如月と青井。

「いえ、いいんですよ。人命が係わってるんで、契約とかそんな話は"無し"で」

3

中央のHGDにはバックドドアに関する資料が広げられていた。それを見ながら説明するのはその仕組みを開発した青井だった。

「通常、ユーザはもちろん、管理者権限を持ったGM*1もログインサーバにアカウントが存在し、それらの情報を介してゲーム内のアバターへと接続しています。バックドドアは要約するとログインサーバを介していないアカウントの事です。開発時にログインサーバが無くてもゲームの動作確認が出来るようにと、LOSのシステムに直接接続する事が出来るようになっています。ただ、色々と制約があります。バックドドアはゲームのテスト用のアカウントである為、管理者権限がありません。つまり、ごく一般のユーザと同じ扱いです。まぁ、性能検証用にと色々なコマンドは使えますが、今回の問題を解決に導く決定的な事は出来ないでしょう」

それに対してテクニカの金田が質問する。

「ログインサーバをシャットダウンさせる事は出来ない、という事なのですか?」

「先ほども金田さんが言われてますが、今の状況が金田さんが想定されていたハングアップとことなるいじょう、何が起きているのかを確認する必要があります。それが出来るだけでも大きな進展ではないですか?」

「確かに…それはそうですが…問題が発覚してもユーザ権限では、指をくわえてみている事になりかねないのではないですか」

「原因がある程度わかれば対処も出来ます。まだ何も出来ないと決まったわけではないですよ。それと、一つ言っておかなければならない重要な事がありまして…これが非常に厄介な事なのですが。バックドドアのアカウントは他のユーザと同様に、外部への通信が出来ない。これは不正にバックドドアを利用して様々な悪さが出来ないようにする工夫の一つです。通信回線は直接、LOSのターミナルに繋がってるので…。ゲーム内に存在する様々な場所に、外部へと通信可能なアバターがあります」

それを聞いて後、海江田がゆっくりと手を上げて質問する。

「その、さっきから言われてる"アバター"というのはなんですか?ゲーム内に入るプレーヤーを指すものだと思ってたのですが」

「LOSの仮想空間内には様々なプログラム、AI、そしてプレーヤーがいます。そしてそれらは仮想空間内に何らかの形で存在しています。ゲームのプレーヤーは勿論ですが、例えば、AIは"モンスター"というアバターとして、仮想空間内に"存在"します。外部への通信回線もゲーム内に何らかの形として存在しています。神殿にある宝箱だと記憶しています。他のプレーヤーから見ればそれらはただの宝箱ですが、バックドドアから見ると通信回線となるのです」

「ふむ。なるほど。では、バックドドアを介してLOSへとログインするメンバーを選出して、さっそく原因の調査に向かうべきですな。社長」

と海江田は太く這うような声で社長の山本に話を振る。

「それに関してなんだが…」

と山本は少し話すのを躊躇いながら、会議室のメンバーのうち数名を見る。

如月と青井は会議に参加するメンバーの顔は殆ど知らない人間ばかりだった。EAI社から離れて何年か経っていたうちにメンバーは入れ替わり立ち代りしたのだから、しょうがないことではある。だが、明らかにEAI社の人間ではないと思われるメンバーが会議に加わっている事は確かだった。社長の山本が見たのはそのEAI社外の人間である。

そのうちの一人はスーツを着た50代ぐらいの男性、もう一人の同じぐらいの年代の男性は警察官の制服を着用している。つまり、会議に警察が参加していた。おそらく、一番役職的に上の人間であろうスーツのほうが、山本に話を振られて、経緯を話し始めた。

「サイバーポリスより派遣されてまいりました、兼安です。以後お見知りおきを。先日より、数十件通報がありまして『ゲームに接続したまま意識が戻らない』という事例でした。調べてみたところ、どれも御社のネットワークゲームに関してでした。勿論、ゲームのシステムトラブルという見解もありましたが、事情を聞けば接続中の全ユーザの電脳が解放されていない、という事で…。規模的に言えば世界でも始めてのケース。サイバーポリスとしてのもう一つの見解は、近年、頻繁に起きている情報テロの一つであるとしています。今の所はどこのテログループからも声明などは発表されていませんが、これだけ大規模に"人質"を取るケースは世界でも稀です。私たちが派遣されてきた目的は、テロという視点から調査を行う事です。地元の警察とも連携を取りながら…と言っても今はまだ来られていませんが、刑事が一人参加する予定です」

それから再び山本が言う。

「そういうわけで、調査チームにサイバーポリスのメンバーを入れてほしい」

そして、スーツではないほうの警察官が軽く頭を下げる。その50代の男性は、一言で言えば"色々と疲れた感じ"であった。隣に座っている兼安との印象を比較しているからそう見えてしまうのかも知れない。

「豊川です」

豊川は誰もが想像していた、少し疲れた声で言った。サイバーポリスと言えば、ネットに携わる人間なら学生でもその存在をいやがおうに知らなければならない、ネット取締り集団である。そこへ勤める人間は同じく若くコンピュータやネットワークに関する知識が多い人間であると、誰もが思っているから、豊川のような人間が今この会議室に居る事に、周囲の人間は違和感を覚えざる得ない。そして、事実こそ無いものの、脳の中で出した結論は、他の部署で使えない人間をサイバーポリスへと飛ばしてきた、であった。

再び社長の山本が続ける。

「それで、バックドドアのアカウントはいくつあるんだ?それによってメンバーの選出も考えないとな」

その質問に青井が答える。

「サービス開始時にバグ取りのメンテナンス用に2アカウントだけ残しています」

「ではEAIから1名と、それから豊川さんか…誰が行くのかは決まっているのか?」

「いちおう…自分が」と青井。

「開発主任だからか?」

「えぇ」

「では、他の方々は異論はないかな?」

と社長の山本が周囲を見渡したとき、一人だけそれに反論した。如月である。

「自分が行きます」

すかさず青井がそれに返す。

「いや、お前はいかなくていい。お前よりも俺のほうが深く携わっているんだから」

「だからですよ。ゲームの中からは開発時の資料にアクセス出来ないんです。サポートしてくれる人はターミナルの前に居てくれないと」

「しかし…」と少し声を小さくして青井が言う。「(お前はまだ若いんだから残れ。戻れないかも知れないんだぞ?)」

だが如月の決心は固いようだった。

「ゲームをプレイしたことはあるんですか?中の世界で動くって事は少しでもゲームをかじってる人間のほうがいいでしょう」

「…」

それ以上、青井は反論しなくなった。

「では、バックドドアを介してログインするメンバーは如月と豊川さんでいいですか?」

再び山本が言う。

そして誰からも反論はなく、2名に決定した。

「では、一旦解散します。準備が整いましたら連絡します。安全を尽くしますが、現時点ではユーザは電脳がハンドリングしたまま解放されていない。それを考えると、一旦ログインすれば、同じ状態になる可能性もあります。それを踏まえての調査と考えてください」

社長は念を押すようにサイバーポリスの兼安に言った。だが兼安は「そんなことは想定している」とでも言わないばかりの平然とした表情で「わかりました」と言った。

*1
GM…ゲームマスター。ゲームのメンテナンスや、ゲーム内で発生した様々な問題の問い合わせ窓口でもある。 LOSのシステムでは管理者(Administrator)とゲームマスターはほぼ同じ権限。

4

EAI本社の開発ルーム近くにある休憩所は、如月や青井が開発に携わっていた頃からそこにあり、今も部屋のレイアウトだけではなく、自販機の位置まで同じだった。

「よく深夜まで残って、ここで話てましたね」と如月。

コーヒーとタバコを交互に味わいながら青井がそれに答える。

「なぁ。まだ今なら訂正できるぞ。本当に侵入するのか?」

如月は飲みかけのコーヒーを見つめながら言う。

「決心は変わりません」

「それは…責任からか?」

「自分の作ったゲームを沢山の人に楽しんでもらいたい、それが、EAI社で働いていた頃の目的でしたから。今、そのゲームが誰かを苦しめているのなら、再び僕は本来の目的を果たすまでです」

「お前は一本筋の通ったシステム屋だよ。まったく。誰かさんに似たのかな」

「江田さんですか?」

「そうだな、江田のじっちゃまだな。いやな、俺が自分が行くって山本さんに言ったら、絶対お前が何か言ってくるんじゃないかと思ってたんだよ」

「…」

如月はコーヒーを見つめる体勢はずっと変えていなかった。その姿がまるで待っているように感じたのか、念押しで青井が言う。

「こんな事を今言ったらいけないかも知れないが。いいか、目的は果たせなくてもいい。"絶対に"戻って来いよ」

それから如月は少し笑って言う。

「青井さんがサポートしてくれるんだから、大丈夫ですよ」

5

翌朝、その日は出発に相応しくないどんよりとした天気だった。

ただ障害物の無い本社ビルの近辺に熱波が強く吹き付けるのに比べるのなら、そのどんよりとした雲に覆われたその日が過ごし易い日である事は確かだ。

これから、ひょっとしたら長い旅に出る事になる事も想定されたが、如月は普段と同じ様にスーツ姿で、特にバッグなども持ち歩かずにEAI社ビルへと入った。最初にその日は出発前の式典なぞもするのではと考えてはいたが、状況が状況だけに、そんな式典はなく、コンピュータ機器のある部屋の奥に作られたベッドルームへと案内される。そこには既に青井やサイバーポリスの豊川、そしてEAI社社長の山本も出社しており、白衣姿の二人の男と話をしている最中だった。

「おはよう、如月。今日初めて顔合わせになると思う、こちらが医療スタッフの千葉さん。それから助手の立川さんだ」と社長が紹介するのは、どこかの病院から来たのだろうか、EAI社には不似合いな格好の二人の男性。千葉と紹介された男は60歳ぐらい、立川と紹介された男は40歳かそこらだ。

「如月です。宜しくお願いします」

「宜しく。実は如月君と会うのは今日が始めてではないんだが…私の事はご存知ではないようだね?」

千葉と名乗る男にそう振られて、少しだけ焦る如月。

「申し訳御座いません…」

「いやいや、いいんだよ。LOSシステムの開発時に少しだけ会った事があるだけなんだ」

千葉がそうフォローする。そして青井は千葉という男についての詳しい紹介をする。

「LOSのシステムの一番根幹になっている、電脳と仮想空間を繋げる技術を提供してくださったのが、千葉教授だ。ほら、本が有名だろ?」

「あぁ…!ニューラルリンケージ理論の千葉幸太郎教授ですね。本は幾つか読んだ事があります。こんな有名な方がLOSのシステムの根幹に係わっていらっしゃったなんて、知りませんでした」

普段から仏頂面の如月が珍しく目を輝かせて青井は満足したようだった。如月のような電脳関係の仕事に携わっている人間からすれば、千葉は人間国宝のような存在であった。もちろん、千葉が考え出した理論は更に強化されて、現在の日本の電子機器の大半に適用されているのだから、理論は一昔前のものではあるが、それでも起源となっているのだから、彼に会う事は誇るべき事なのだ。

山本が言う。

「今回は医療スタッフとして、如月と豊川さんのLOSに進入中の身体の管理をしてもらう。どれぐらいの期間侵入するか解っていないから、一番長い間身体の機能を停止させるようにスケジュールを練ってある」

その紹介の後に千葉が続ける。

「今LOSのシステムに接続している全ユーザには生命維持装置を付けるよう通告がされた。如月君と豊川さんに侵入前に付けてもらうのはそれとほぼ同じものです。このマイクロマシンは内臓や筋肉などの機能を90%凍結させ、最低限度の栄養で身体を維持してくれる。ただしそれでも、完全な凍結ではないので長くても1年。それ以上となると、意識が戻った際に身体に深刻なダメージがあると思っています」

「まぁ、このトラブルが1年も続くとは考えにくい。早期解決を願っているよ」

と山本が言う。

それから如月と豊川の二人はベッドに横になる。

点滴、それからLOSへと侵入する為のヘッドギアを装着したのを見送ると、青井はターミナルの前でキーを叩く。

「では、お二人さん。準備はいいかな?」

「はい」と如月。

続けて豊川も「はい」とそれに同意する。

「バックドドアの関係上、侵入してから最初に現れる場所はこちらで決められない。邪馬国のどこかになる。で、キャラクター名は何にする?」と青井の質問に、

「風雅、でお願いします」

と如月が答えた。

「豊川さんは?」と青井。

「私は…豊川なので、豊吉にでも」

「豊吉ね」

二人の名前をキーから打ち込んでいる青井。そしてそれから、

「ある程度までならパラメータは変える事ができるが、"風雅"はどうする?」

「邪馬国なら、忍者なのが無難だと思います。忍者でお願いします」と答える如月。

「"豊吉"さんはどうしますか?」

「すいません、あまりゲームには詳しくないもので…私のパラメータはそちらで決めてもらって構いません」

「えと、じゃあ、戦闘向けか後方支援か、どっちがいいです?」

「それじゃあ…後方支援で」

「じゃあ、僧侶でパラメータを作っておきます」

しばらくパラメータを打ち込んでいるキー音が聞こえた後に、如月も豊川も、身体に走る感覚が鈍感になっていくのを感じていた。

「そろそろログインします。豊川さん、最初、少し違和感があるかも知れませんが、痛みはないので安心してください」

青井のその言葉の後に、ゆっくりとした眠気が如月を襲っていった。ログインが始まっている。その眠気にあわせるように、力強い声が聞こえる。

「如月。戻って来いよ」

1.00