1
幾つかの山が並び、その間に不自然意ぽっかりと空いた空間があり、そしてそこには以前は多くの住宅地が並んでいた。過疎化が進んで市による結局大規模な区画整理の後に、そこには広大な工業地域が設けられた。だが港からも遠く、多くの建物が並ぶが医療施設か、システム産業関連の建物ばかりとなった。
その中で一際目立つ広さを有する建物がある。
「エレクトロニック・アーツ・インダストリー社(EAI)」
世界的に名の知れた企業でもなければ、古くからの伝統を持つ企業でもない。ごく最近、ほんの30年ほど前に設立された若く、そして規模の小さな企業だ。
だが設立後から、業績は右肩上がりだった。事業を展開していけば、大企業になれるであろう、そんな可能性は囁かれていたが、設立当初からその企業が行ってきた事業は一つだけ、「ロード・オブ・シャングリラ」と呼ばれるネットワークゲームの運営だ。
たったそれだけの事業で、今では世界中に支社を置く多国籍企業となったその理由は、世界で最初に電脳*1と仮想空間を繋げる事に成功した事が大きい。社長である山本太一は、元々、とある中小企業で医療系の電脳デバイスを開発していた。とある本に影響され、同僚、そしてゲーム会社から知り合いを数名を引き抜いて起業した。
多くの他企業との連携をとりながら大規模な開発を行った後は、目的が果たされたかのようにその後、事業は縮小され、仮想空間のメンテナンスのみを行っていた。
- *1
- 体内のマイクロマシンを経由する事によって脳とコンピュータ間の情報伝達を行う技術
2
例え猛暑で病院へ担ぎ込まれる人々がいたとしても、寒波で道路が凍りつくような日が訪れたとしても、サーバルームの前でその社員の男は、分厚い上着を来て入室した。コンピュータが熱を発するので常に部屋を冷まさなければならないからだ。
その日はTシャツで歩いても10分も歩けば汗まみれになるほどの猛暑だったが、部屋の中は一転して極寒だった。常にその温度を保っていた。温度が上がったとしても下がったとしても警報が鳴り響き、すぐさま管制員が飛び込んでくるのだ。
その男の名は池岡則之。3ヶ月前にEAIに入社した新人だ。
池岡はゲームの開発に興味があるわけでもなく、かといって電脳技術に興味もなかった。募集要項にあった「定期的なメンテナンス作業」という作業内容と、給料の欄だけを見て応募してきた学生だ。楽して金を手に入れる、というまさにその言葉通りの思考回路に基づく行動だった。*1
その池田がサーバルームに入ってきて、最初に耳に飛び込んできたのがサーバから発せられる警告音だった。
「なんだぁ?」
とマヌケな声を出す池田。前にもそんな事があった。
今年は例年通りの猛暑。空調は例年通り頑張って働くが時折くたびれるのか、調子が悪くなる事があった。そして部屋の温度が跳ね上がり、温度異常の警告音が鳴り響くのだ。それは昼夜問わず訪れると池田は先輩達に聞かされていた。
すぐさま池田は管制室のコンピュータにアクセスする。*2
「温度は異常なし…ってと、なんだぁ?」
池田は首にEBI*3を巻きつけた後、ビルの様に積み上げられた黒光りするサーバ群の間にあるインターフェイス・スロットにEBIから伸びるコードを差し込んだ。
すぐさま、何故警告が発せられているのかがわかった。
『接続エラー:ログオンサーバ』
他のサーバは現在の状態を返しているのに対して、ログオンサーバ*4だけは真っ赤な文字で接続エラーとだけ表示されている。その詳細についても不明のままだ。
「おいおいおい…マジか」
池田は顔を真っ青にした。と同時に額の汗を拭って、その後、羽織っていた上着を脱ぐ。普段なら寒くて手かじかんでしまうほどのサーバルームの寒気が心地よいほどに身体が高揚している。悪い意味でだ。それだけでも十分パニックな状態なのに、すぐさま緊急連絡回線から池田の電脳へとアクセスしてくる者がいる。
『お問い合わせセンター窓口:千原』
お問い合わせセンター、そしてログオンサーバ。この二つの単語だけで、今から千原が話すであろう内容が予測できた。
『池田さん、おはようございます。早速なのですが、先ほどからユーザからお問い合わせを頂いておりまして。サーバに接続できないと苦情の嵐でして…』
『…今出社したところなんですが、ログオンサーバが固まってる*5みたいで…ちょっといま原因を調べています』
『了解致しました。案内を出しておきますね』
『お願いします』
それから池田は電脳からではなく、サーバに接続されたキーボードとディスプレイからも同様に何らかの確認を試みようとした。だが画面は凍りついたように何も動かない。先ほどまでアクセス状況を確認していたと思われる表示が残っているが、池田が出社した時間を最後に表示は更新されていない。
「くっそ〜…」と悔しそうな声を漏らす。それには、原因は何かさっぱり解らないという意味も、今日は家に帰れないかもしれないという意味も、どうして貧乏クジは俺ばかりなんだという意味も、それ以外にも様々な意味合いが含まれていた。
ログオンサーバの状態を調べる事すら出来ない、となれば、池田が出来る事は一つだけだった。上司への連絡だ。
『滝口さん。おはようございます。トラぶりました』
すぐさま電脳通信で彼の上司へと連絡する。その向こうからは落胆にも怒りにもにたような溜息が少し聞こえた。その後、
『はぁ?なんで?』
と返す上司の滝口。
『原因はわかんないっす…ログオンサーバが固まってるっぽいんですが…』
『お前何したの?』
『いえ、何も…会社来たらもうこんな状態で』
『いつから?』
『自分が会社きてからみたいです』
『あ?お前何したのよ?』
『いえ…何もしてないっすよ』
『…他のサーバがキチンと動いてるのを確認しとけ、もうそろそろ会社着くから』
『はい』
- *1
- 生きていく権利と義務が保障されているため、子を持たない場合は働かなくても最低限度の生活はできる。池田が働く理由は、いまよりいい生活を求めているから。
- *2
- 電脳化していればキーボード等のコンピュータ用のインターフェイスを使用しなくとも電波の届く限り、館内のコンピュータと無線接続し、脳と直接やりとりできる。
- *3
- 電脳と有線接続する為のインターフェイス。首に巻きつけて使う。
- *4
- EAI社が管理しているネットワークゲームのサーバは複数台で構成されており、ログオンサーバはゲームのプレーヤーがネットワーク経由で接続するのを管理する。
- *5
- サーバから反応がない状態を表す業界用語
3
池田が再び防寒具で身体を包んでサーバルーム内を動物園の白熊のようにウロウロし始めた頃、セキュリティドアを開く音が遠くで聞こえた。そのまま足音がサーバルームへと近付いている。そしてその足音からも焦りや不安が感じ取れていた。滝口だ。
「あ、おはよう御座います」
「見せてみろ」
滝口は電波の届く範囲で既にサーバの状況は把握していたのだろう。すぐさま自分の目でログインサーバの状態を確認しようとした。
「やっぱ再起動*1ですかね…」
と池田は滝口の判断を仰ぐ。
「どうだろうな。ログインサーバがこんな状態になることは今まで無かったからな。とりあえず上に確認とるか…」
"上に"というのは滝口や池田のようなシステムの維持管理を行うメンバーではなく、会社そのものの運営を行う部門への連絡である。そもそも、ある程度の小さなトラブルが維持管理部門によって対処されている事については、既に認証済みで、今回の様にシステムがダウンするような事態の場合のみ連絡が入るようになっている。そういう意味では維持管理部門はフィルターの役割といっても過言ではない。
そして滝口はしばらくログオンサーバの画面を見つめていた。この間に電脳通信で"上"との連絡を取っているのであろう。
池田はひとまず安堵した。彼が想像するストーリーは、再起動の指示がおり、無事再起動が終了して、そして再び普段の業務が出来るという事だ。残業に含まれる時間なぞ、せいぜいトラブル報告書を書くぐらいのみだ。
「テクニカに連絡いれろとさ…」
滝口が溜息混じりに言う。テクニカというのは益田テクニカと言う小さな会社で、ロード・オブ・シャングリラの開発時の関連会社の一つだ。
「ログオンサーバのシステムを造った会社ですね」
「ぶっ壊れそうな時の対処マニュアルでも残しとけって感じだよな…」
滝口は渋々電脳通信を行っている。その間も池田の描いたストーリーに幾分の違いもなかった。テクニカから再起動で問題無いとの回答が貰えるはずなのだ。だが通信中の滝口の顔色の微妙な変化がその予想を変えつつあった。
「担当者に連絡する…ってなんだ?」
と滝口。
「たかだかサーバの再起動ぐらいで担当者に連絡しないといけないんですかね」
などと池田が焦りの感情を表に出し始める。
「さっさとやらせろよ…こちとら他にも仕事溜まってんのによ」
滝口は池田に勝るとも劣らぬ悪態をついてみせる。これが池田の仕事に対する認識をいつも変えているのだ。上司がこれで、池田が真面目に仕事をするはずもない。
「担当者がこっちに来るってさ」
「えーッ…」
さっさと再起動して終り、という池田の描いたストーリーが音を立てて壊れていく事となった。そして同時に腹立だしさが池田と滝口の間の空気に広がっていく。
「ちょっと一服してくるわ」と滝口は部屋を抜けた。
上司がいなくなった部屋で、池田は一人イライラの出す場所無く頭を掻いた。
「ッったくどうなってんだよ…カンベンしてくれよ、マジで」
その小さな台詞はサーバのファンの音にかき消された。
- *1
- コンピュータからの応答がなくなった場合の最終手段。一旦電源を落とす事を言う。(または全ての処理を中断させて電源投入時と同じ状態にする) これでうまくいく場合もあれば、そのまま壊れてしまう場合もある。
4
益田テクニカから作業員が到着したのは昼過ぎだ。
滝口と池田の二人はその間に昼食もとり、まだ解決していないトラブルの報告書を形だけでも書き上げたりして、なんとか出来る仕事は終わらせようとしていた。もちろん、普段から行っている業務も手をつけていたが、今起きているトラブルが常に頭の中を過ぎり手がつかない状態だった。
テクニカの作業員はスーツ姿の40台ぐらいの白髪が出始めた男。普段ならそれぐらいの年齢で会社へ訪れたのなら落ち着きでも見せるものだが、彼に限っては、またはその時に限っては、新入社員でも見ているような落ち着きの無さが垣間見えた。
勝手を知っていてか、早足の滝口や池田に何の疑問も持たずについていき、あっというまにサーバルームへと辿り着いた。着くやいなや、すぐさま脇に抱えていたケースを広げ、コードをネットワークへと繋げた。
「あとは、サーバを再起動するだけなんでしょ?」
などと滝口が言う。
「ハンドリングされているかどうかをチェックしているんです」
とテクニカの作業員は言う。額に汗が見えた。
「ハンドリング?」
「ログオンサーバはユーザの電脳をROSのシステムに紐付けているんですが、通常はサーバで何らかの異常があった場合はその紐付けが解除されているんです。解除された状態でなければ再起動することは出来ない…もしハンドリングされた状態で再起動してしまえば、ユーザの電脳がロストする」
「いや…普通、ハングアップしてる状態のサーバからは接続は切れてるでしょ」
と滝口が問いただすと、作業員の額からさらに汗が吹き出た。そしてハンカチでそれを拭う。これをみた滝口は、今のシステムの状態がどれだけ異常な事かを察知した。
「その…OSがまだバージョンアップされていないということが解りまして…」
一瞬、滝口も池田も時が止まったように声を失った。テクニカの作業員も、「一番言いたくなかった事を無理に言わせられた」という渋い顔付きで同じように声を失う。
「いや、だって、それは10年以上も前にバージョンアップされたでしょ?」
と反論したのは滝口ではなく、彼よりも若い池田だった。正論を、正論として自らの口から放つ。それが普通に出来るのは池田のような入社したての社員だけの特権でもある。10年以上も前にバージョンアップされているはずのOSが未だに古い状態で動作中である。しかもそれが何らかの危険性がはらんでいるから、という理由でのバージョンアップだったにも係わらずだった。
滝口が喉まででかかったその台詞をこらえて、池田に譲ったのは、他人を強く指摘できるほど、普段から真っ当な仕事をしていないという負い目からだった。滝口が頭には、他のものについても、いくつも古いバージョンのものが存在し、そしてそれらの所業が滝口などの維持管理担当者の責任となりうる事が想定されていたのだ。
「で、どうなんですか?」
次に続けたのは滝口だ。
再びテクニカの作業員は額の汗を拭いた。滝口と池田に残された希望は、その作業員の額の汗が冷や汗ではなく、安堵の汗である事だけだった。だが、残念な事に、次の彼の台詞を聞いて同じ種類の汗を掻くこととなってしまった。
「ハンドリングされています。…全員。つまり…ログインサーバをシャットダウンすることは出来ない。これをしてしまえば、接続しているユーザの電脳はロストします」
「電脳…が、ロスト」と小声で池田が言う。
それに続けて、深く息を吐きおそらく呼吸を整えながらテクニカの作業員が言う。
「…脳死です」
5
EAI本社の1Fの会議室には人が入りきらず、扉は開けっぱなし、そして廊下にまで立ち聞きするほどに溢れかえる。滝口や池田が何度かみた"トラブル時の光景"だった。
普段は本社には部長クラスの重役は殆ど顔は見せない。東京の事務所内で全ての業務が行われるからだ。だが今回は東京の"出張所"定義の事務所で会議をするわけにはいかなかった。そして、それはEAI社が現時点では外部に漏れてはならない情報を扱う会議を行っている事を意味している。
会議室にいるのは滝口、そして池田。それから文字通り東京事務所から"飛んできた"社長の山本、そして副社長であり、山本の妻である和子、そして部長クラスの重役達と、今回のトラブルの元凶である益田テクニカの部長クラスの人間と先ほどの作業員だ。
「なぜ10年も前のバージョンでOSが動いているんです!?サーバがハングアップした際の緊急解除のプログラムっていうのは政府の命令で変える必要があるはずなのに!知らないとは言わせない。通達は着ているはずだ!」
山本は怒りも含めて脅しかけるように声を少し荒げ、テクニカの重役を叱り付けた。その時に彼が叱るときのクセという、ペンで机をコンコンと叩くのをやってみせている。
「は、はい…それにつきましては、弊社にて安全を確認致しまして、バージョンアップを行わなくても問題ないという結論が出まして…」
EAIの重役の一人がその回答に間髪入れず問いただす。
「その安全確認とやらの結果も弊社には存在しない」
「え…えぇ…」
「金田さん。腹を割って話しませんか。どんな安全確認なのかわかりませんが、既にいまユーザは安全ではない状態に置かれている。もしここで地震でも起きてログオンサーバの電源供給がストップしたら、世界中から接続中の全ユーザが脳死する事になる。もうおたくの会社だとかEAIだけの話にはならないんですよ」
テクニカから派遣されてきた重役、金田はバッグの中から幾枚かのディスクを取り出して、それを備え付けの読み取り装置へセットした。それから、会議室のHGD*1に資料と思わしき幾つかのデータが映された。それは作業見積もり詳細だった。
「政府からの"指示"でOSをバージョンアップしなければならないと、届いたのは開発がほぼ終了していた時期でした。この時点で見積もりは大幅にオーバーしており、テクニカの上層部の出した結論は、バージョンアップは別の機会に見送る、でした。この見積もりの大幅なオーバーも、今後のテクニカと御社との関係に亀裂を生む原因になりかねないとの判断だったのです…ただ…」
「ただ、『ログオンサーバに何らかのメンテナンスを加えるという事態が発生しなかった。つまり、いつかはバージョンアップしようと考えていたが、そのチャンスに恵まれず、10年の月日が経ってしまった』という事ですよね?」
「はい…」
- *1
- ホログラム転写装置(Holographic display)
6
会議室は重い空気に包まれていた。
だがいつもその空気を少しだけ変えてしまうのが社長の山本だった
「過去の事をどうこう問い詰めるのは後の話だ。今はこの事態をどうするべきか考えるところだ。対策案はあるんでしょうな?」
鋭い眼光でテクニカの金田を睨む山本。
「い、いえ…現時点ではまだ調査の段階でして…。ただ、先ほど調査した結果、私どもが想定していた事態と若干異なる様で」
「?」
「ログオンサーバは外部からの新たな接続…これには管理者権限も含まれるのですが、それらを全て拒否しています。ですが、内部のネットワークからは常に接続を受け付けているようなのです」
「内部のネットワーク?えーっと…つまり、LOS*1のシステムからはログオンサーバの制御が可能という事ですか?」
「そこまではまだ解っていませんが、望みがあるとすればそこです」
「管理者もログオンサーバからLOSシステムに接続しにいくのに、どうやってその逆をやるというんです?」
「それが可能であれば…と」
社長は笑っていた。この笑いは心の底からの笑いではない。明らかに中傷するような笑いである。「何を馬鹿な事を言っているのか」とその台詞が今にも出てきそうな、そんな笑いだ。テクニカの金田が言うのは、強盗が家に入り鍵を内部から締めてしまった。そしてその鍵自体も、強盗が持っている。窓ガラスを割って強行突破しなければ入れないような状況で、「家の中から鍵をはずして入ればいい」、と言うほどの陳腐な意見なのだ。
「ログオンサーバが今マトモに動いていないからLOSのシステムに繋ぎに行く事すら出来ない、そんな状況で、LOSのシステムからログオンサーバが見れるのなら最初からログオンサーバなんて要らない」
社長は鼻で笑った後にそう言い放った。
会議室にいたほかの人間もそれに同意見だったのだ。だが笑えるような状況ではない。解決への道が閉ざされたのだから。だが、一人の重役は腕組をして目を瞑って何か考えているようだった。彼は営業部、部長の海江田。海江田はメタボリックが服を着て歩いているような巨漢の男だ。元は開発チームのチーフであった事もあり、LOSのシステムにはある程度の知識があった。
その海江田が口を開く。
「LOSのシステムへ直接接続する事が出来るかも知れません」
一瞬で会議室の一同の視線は海江田に集中した。
「どういう方法だ?」
海江田は深く息を吸い込んだ。彼はいつもそうしているから今でも違和感がない。決して溜めているわけではない。巨漢を維持する為に大量の酸素が必要なだけだった。そして後に言葉を口にする
「バックドドア*2です」
- *1
- ロード・オブ・シャングリラの短縮システム名
- *2
- システム管理者などが管理を行うために通常のログオン手順を踏まずにシステムに接続できるよう手を加えた仕組み。ただ、ハッカーなどに利用される事を懸念して本来はそれは存在してはならない事となっている
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