記憶の残滓

1

「ィナ…ティナ!」

自分の名前を呼ばれて飛び起きたはつみ。

はつみとテトが住む小さな小屋の様子がはつみの目に飛び込んでくる。テトはその小さな手ではつみを揺らして起こそうとしてくれていたようだ。何か夢にうなされていたようだった。額の汗を拭うはつみ。

「こ、ここは…?」

「ここはオイラの小屋だよ」

はつみは頭を抱えた。先程まで夢の中にいたのだろう。次第に夢から現実の世界へと頭が切り替わっていくのだ。起きた最初だけはまだ夢の世界と認識していたようだ。

「すごくうなされてたみたいだったけど、悪い夢でも見たの?」

「夢…」

はつみは夢の内容を思い出そうとする。起きてから僅かな間にも凄まじいスピードで夢の内容は彼女の脳裏から消し去られそうとしていた。それを必死に食い止めようとする。悪い夢でも見ていたのか、というテトの質問に答える為に夢を思い出そうとしているのだ。

「水の中に…凄い息苦しくて…血が」

「うん」

「私、水の中にいたの。凄く息苦しくて…そしたら水面に私の血が広がってて、私、もう死んじゃうのかなって思って…それで」

「うん」

「やっと…やっと楽になれるって思ったの…」

「?」

2

テトは小屋の外で木の実を拾っていた。ふと小屋の中を見ると、そこにはまだはつみが居て何やら袖をめくり自らの両腕を熱心に見回していた。

「どうしたのティナ?」

気になったテトははつみの見つめている両腕を同じ様に見てみる。だが特に何か変わったものがあるわけでもない。はつみは、まるで何かを探しているように腕を見回していた。

「えとね…無いの、傷が」

「傷?」

「うん…腕に傷があるはずなんだけど」

「あ、傷なら」

そういってテトははつみの胸を指差した。彼女がクロイツのボルト矢を受けた場所を指していた。言われてはつみは自らの胸を見ると、そこには大分直りかけた傷がある。だがはつみはその傷が自分が探しているものじゃないと感じたのか、また袖を捲って両腕を見つめている。

「傷って両腕にあったの?」

「うん」

「胸に矢が刺さったような傷があったけど、それを負ったときに一緒に傷ついてたのかな?だとしたら、もう直って傷跡も無くなってるのかもね。ティナ、誰かに追われてたの?」

「ううん…わかんない」

「腕にあったかもしれない傷も、その誰かに傷付けられたものなの?」

「え、違うよ。この傷は私が付けたの」

「え?自分で自分の腕に傷を付けたの?」

「う、うん…なんでだろう?」

「う〜ん…」

はつみが自ら言って自ら疑問に思って問い掛けられその返答に困るテト。だが記憶喪失という言葉を思い出し、はつみの記憶が蘇ろうとしているのだとテトは思った。

3

その日も変わらず夕暮れが訪れ、ブラウニーの集落も夕闇に包まれた。

いつもと同じ様に小さなベッドに入るはつみ。テトも同じ様に毛皮の布団に潜り込んだ。だがはつみは天井を見つめたまま目を瞑ろうとはしなかった。

「ティナ、どうしたの?眠れないの?」

「また、夢を見るの…」

「怖い夢?」

「ううん。寂しい夢。一人ぼっちになって、どこにも逃げ場がなくなる夢なの」

「…大丈夫だよ。ただの夢さ。ここにオイラがいるから、安心して、ね?」

そういってテトは小さな手ではつみの頭を撫でた。それに安心したのかはつみは目を瞑り、静かに眠り始めた。

4

はつみはその小さな身体で冷たく重い扉を開いた。

その扉は小高い丘の上にある教会の扉だ。外は冷たい風が吹いていたが、それでも太陽の光が差し込まない薄暗い教会の中よりかはましだった。だがはつみにとっては外よりもその場所のほうが暖かく感じていた。

外を吹き荒れていた風がまるで罵声を浴びせるかのように教会のステンドグラスを揺らした。それでもその静けさには打ち勝つことは出来ない。フロアははつみの革靴の音が響き、静けさを打ち破ったその音が頭に跳ね返る。だがそれでも構わなかった。外の雑音よりも自らの足音のほうが心地よかった。何よりその空間が自分だけしかいないという証明になるのだ。

冷たい床にも構わずスカートから伸びた両膝をそこへ揃えて神へと祈りを捧げる。

「どうか私をここからお救いください」

その言葉を呪文の様に言い放つ。

はつみには解っていた。その教会の空間から1歩外へ歩み出せば、そこには自分が存在出来ないと思えるほどの息苦しい世界が広がっている事を。はつみが発したその言葉には何の効果も無い事も。

袖を捲るとそこには痛々しい包帯が巻かれていた。傷跡は見えないが痛みが常に脳へと伝わる。それは生きている事を証明していた。そして痛みと共に脳裏に記憶の残滓が次から次へと蘇る。湯船に浸かる自分、ナイフの様なもので手首に深く傷をつける自分、そして深い水の中へと沈む自分。

息苦しさはいつか感じたあの水中に似ている。だが違うのはどんなに息苦しくても死ぬ事は無いという事。生きている限り、永遠に続く苦しさなのだ。

5

「テト」

その声にテトが目覚める。声の主ははつみだった。

「どうしたのティナ…また夢を見たの?」

はつみは泣いていた。

「私…私、死のうとしてた…一人ぼっちで、みんなが私の事を嫌ってて…どんなに神様にお願いしても、どんなにお願いしても、私を救ってくださらなくて…だから」

「ティナ…大丈夫だよ。オイラがいるから。オイラがずっとティナの側にいるよ」

そう言ってテトははつみの頬を伝う涙を小さな手で拭った。

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