1
はつみが起き上がるとそこは小さな小屋の様な場所だった。
小屋と言えど人間が入って暮らすには小さすぎる造りだ。天井ははつみが立ち上がれば屋根を突き破るかも知れないほど低く、出入り口もしゃがんで通れるのがやっとの大きさだ。そのテントの様な小屋には家具などもきちんと揃っており、人間のものに比べればミニチュアだが使い込まれていることから飾りではないことが解る。
身体に被さっていた動物の毛皮の布団をどける。もちろん、その布団のサイズもミニチュアだ。布団を被せた主は気を利かせてか2枚の布団をはつみの身体と足に掛けてくれていた。それでもまだ彼女の身体を覆い尽くすには足りないが。
「あ、目が覚めたんだね」
小屋の外から声が聞こえた。このミニチュアな小屋、そして人語を話す者、はつみは声の主を小人の様な生き物と思い浮かべた。だが予想は外れた。小屋の入り口から姿を現したのは小さな山リスのような姿の生き物だ。その山リスのような生き物は木の器を大事そうに両手で持ってはつみに手渡し
「薬草煮だよ。元気がつくよ」、そう言って微笑んだ。
手渡された木の器の中には薬草と米と魚を細切れにしたものが煮てあった。匂いは少しきついが元気がつきそうなイメージはある。はつみは黙ってそれを食べた。おなかは思ったより空いていたようだ。
「オイラ、テトって言うんだ。ブラウニーって種族を見るのは始めてかい?ここはブラウニーの集落だよ。君はなんていう名前?人間なんでしょ?」
「え…うん。人間…だよ。名前は…」
「?」
そう言いかけて暫く黙り込むはつみを不思議そうにみつめるテト。はつみは食べるのを止めて頭を押さえた。何かを深く考え込んでいるが、それが続くほど彼女の頭はどんどん痛みを増しているようだ。
「名前…私の名前は…」
「どうしたの?名前が無いの?」
「名前はあるんだけど、思い出せないの…」
はつみは必死に名前に関する何かを思い出そうとするが名前だけではない、つい昨日まで何をしていたのかも全部思い出せないのだ。まるで今この瞬間にこの世に産まれ出たかのように。
「う、う〜うぅ…思い出せないよぅ」
はつみは今度は両手で頭を掻き毟った。その様子を見たテトも焦った。テトは人間の事はあまりよく知らないが、はつみが苦しんでいる事は解った。これ以上思い出させても彼女を苦しめるだけなのだ。
「いいよ、大丈夫。今は思い出せなくてもそのうち思い出すよ。でも…君の事を何て呼ぼうかな。名前がないと呼びにくいなぁ。あ、そうだ。オイラが君の名前を付けてあげるよ」
「私の名前…」
「うん。そうだなぁ…ティナってどう?オイラの知ってる唯一の人間の名前なんだ」
「ティナ…」
「いい名前でしょ?ティナは優しくていい人なんだ」
「ティナ…私の名前、ティナ」
「オイラはテト。よろしくね、ティナ」そういってテトは微笑んで小さな手を握手する為に差し出した。そしてはつみこと、ティナもその手を人差し指と親指で挟んで握手した。
2
はつみとテトが二人で小屋にて食事をしていると外から訪問者が現れた。
その訪問者ははつみと同じく人間で、二人が食事をする小さな小屋をみて「相変わらず小さな所に住んでるなぁ」と言いたそうな表情で見つめた後、その小さな小屋の入り口に顔を覗かせた。
「お、目が覚めたのね?」
はつみを見るなりそう言った女性はショートヘアーにグラマーな体型、そして不釣合いな男モノの格好、武道家の姿をしていた。その装束も使い込まれておりボロボロで一見すると乞食のようにすら見えるほどだ。
「どざえもんさんの身体の具合はどうだい?」
「どざえもんじゃないよ!…身体の方は大分よくなったんだけどね。よく解んないけど自分の名前とか思い出せないみたいなんだ。何か知ってる?」
「ん〜そりゃ、アレだね。記憶喪失って奴だよ」
「きおくそうしつ?病気?」
「あたしも医者じゃないから詳しくは知らないけど。何かの衝撃で記憶が消えるんだ。名前とか、住んでた場所とか、色々。暫くしたら思い出すだろうから大丈夫よ。アンタのその格好を見る限りは…どっかの異国の魔術かなぁ?」
そう言ってそのグラマーな女性は"口寄せ士"の装束をまじまじと見つめた。
「…じゃあさ、ティナ、思い出すまでの間、ここで暮らしなよ」とテト。
突然話を振られて戸惑うはつみ。まだティナという名前が自分自身だとは認識できていないのだろう。暫くしてティナが自分の事だと気付いてはっとして頷いた。その挙動をみて何か面白かったのだろうか、そのグラマーな女性は少し笑ってから手を差し出した。
「あたしはナツメグって言うんだ。この集落より少し離れた所に暮らしてる、っていうか修行の為に篭ってるんだけどね。よろしくね」
「あ、はい。私は、ティナです。よろしくお願いします」
その差し出された手に握手するはつみ。見た目は綺麗な女性の手だが触ってみると傷だらけでごつごつした印象がある。そしてその握力も、手加減をしてくれているのだろうが結構な強さで、握手を終えた後のはつみの小さな手は少し赤くなっていた。
3
ナツメグは「また修行に戻るから」と言ってテトの家を後にした。はつみも身体を動かせるようになってからは大人しくテトの小さな小屋で寝ておく事には出来ず、テトの自給自足な生活を手伝う事にしていた。二人で木の実を集めたり、河で魚を取ったり、また時にはテトの小さな小屋の屋根の修理もしていた。
ある日、テトの小屋に一人森から戻ってきたはつみは近くにテトによく似た姿の生き物がいる事に気付いた。それはテトの言っていたブラウニーと呼ばれる種族だった。テトはブラウニーの集落で暮らしているとは言っていたが、はつみにとって、テト以外のブラウニーに出会うのは初めてだ。何故同じ集落で暮らしているのにテト以外のブラウニーと出会うことがこれほど無かったのか、はつみは少し疑問に思っていた。
「あの、こんにちはぁ〜」
恐る恐るブラウニー達に声を掛けるはつみ。それに対するブラウニー達の反応は意外なものだった。はつみを声を聞くなり驚いて逃げ出したのだ。逃げる最中に持っていた木の実をポロポロとこぼして行った。
「あ、落ちたよ」
はつみはその木の実を拾い上げて渡そうと、少しだけ追うが、逃げ出すブラウニー達は更に逃走スピードを上げて逃げていった。
その日の夜、はつみは昼間の事をテトに話した。
「…オイラ、小さい頃森で拾われて、それから街で人間に飼われて暮らしてた。その時の飼い主の名前がティナだよ。ある日、ティナの家族は他の街に引っ越す事になったんだけど、そこじゃペットは飼えなかったんだ。ティナは必死にオイラを連れて行こうと両親を説得してたけど、両親はティナに黙ってオイラを森に捨てたんだ…『この森にはブラウニー達が住んでいるから、同じ種族同士で暮らすんだ』って言ってね。でもオイラ、人間の言葉が話せるでしょ?そもそもブラウニーは言葉なんてものを持たないからオイラを嫌ったんだ。それで今は集落から少し離れた所で暮らしてる」
「…そうなんだ…」
「ティナ…?」
はつみはテトに言われて初めて、自分が大粒の涙をポロポロと零している事に気付いた。テトの話は確かに悲しい話ではあったが、自分が意識せずに涙が零れるのは彼女自身驚いた。
「あ、ありがとう…オイラの為に泣いてくれたんだね」
「え、わかんない、なんだか涙が溢れてきて…」
悲しいと思ったから泣いたわけではない、何故か涙が溢れてきたのだ。はつみは次から次へと溢れ出る涙を袖で拭いながらきょとんとした顔をしていた。
「でも、オイラ、人間の言葉が話せることを悔やんだ事はないよ。ナツメグとも仲良くなれたし、ティナとも仲良くなれたし」
そう言ってテトも微笑んだ。少しだけ涙を浮かべて。
4
翌日の夜、はつみとテトは二人、森の中を突き進んでいた。
「この奥にあるはずだよ」
テトが指差す先には動物の骨が散らかっていた。まるで猛獣でも住んでいるかのように思える小さな洞窟。だがその奥からは明かりが零れているのをみて安心した。オークがいたとしても、少なくとも猛獣が住んでいるわけではなさそうだ。そして付近には肉を焼く香ばしいいい香がする。洞窟から出てきたのはナツメグだった。
「お、調度いいところに来たね。今焼けたところなんだ」
そう言ってナツメグは何かの動物の骨つき肉を振り回した。
どうやらその洞窟の奥はナツメグの住処となっているようで、洞窟の周辺に散らかっている動物の骨は今まで彼女が仕留めて食したもののようだ。ちょうどはつみ達が訪れた時もナツメグが一発で仕留めたという熊の腸(はらわた)を炙っていた所だ。
はつみが見回す限りにおいてはその熊は弓矢で仕留められたものではなさそうだ。弓矢の傷口はどこにも見当たらず、代わりに額にこぶしの形のくぼみがある。どうやら本当にナツメグは一発"殴って"仕留めたようだ。
そこで3人はナツメグの仕留めた熊を食した。
「テトにこれから何処に行くの、って聞いても教えてくれないんだよ」はつみが言う。
「素敵な場所だよ。1年で今日しか見れないんだけどね」テトが言った。
「あ〜。アレか」自家製のタレが入っているという巨大なツボに肉をつけてからそれを頬張りナツメグが言う。
「ナツメグ、言わないでね。言ったら楽しさが半減するんだ」
「言わないよ。アレでしょ」
「え、アレってなんなの〜?」
「まぁ見れば解るよ。見ても何なのかわかんないかも知れないけどね」
5
食事を終えた3人はテトの言うアレを見るために小高い丘に上がった。
そのアレは遥か彼方のほうの空にキラキラと輝いていた。小さな光が空高くまで上がり、地面から見えなくなるまで上がりきると遥か彼方で分裂して広がり、その1つ1つの光りが地面へと落下する。まるで流れ星が空を埋め尽くすように。
「綺麗〜!」はつみが歓喜の声を上げた。
「今日はアルタザールの建国記念日なんだ。ティリスの街でお祭りをしててね、魔法の花火が空に上がってるのがこんな遠くまで見えるんだよ」
「ティリスって言えば、テトが前に住んでた所でしょ?」とナツメグ。
「あ…うん」それに元気なく答えるテト。ナツメグは無神経にもテトの古傷に触れてしまった事を暫くして気付いたのか、片手で顔を覆ってからしかめ面をした。
「ったく、男の子だろ?そんな過去の事でクヨクヨするんじゃないよ!」
ナツメグはそう言うとテトの背中を軽く叩いた(彼女の精一杯セーブした力で)だがテトは思ったより遠くまで飛んでしまった。「悪い悪い」と言いながら、林の中へと飛ばされたテトを人形でも拾い上げるように尻尾を掴んで戻ってくるナツメグ。そんな間もはつみは空高くから降り注ぐ流れ星のような花火を見上げていた。
「シャングリラに来たときに初めて見た流れ星…」
はつみはポツリと呟いた。
「ん?何?シャングリラって…」それを聞いていたナツメグがはつみに質問した。
「え?…う〜ん、わかんない」
「あはッ、何それ」
それからツボにはまったのかナツメグは暫く笑い続けていた。はつみは何故自分がその奇妙な言葉を知っていたのか解らず首を傾げていた。その光景を見てまた笑い出すナツメグ。そんな二人の雰囲気に押されてテトも可笑しくなって先程の沈んだ気分はどこかに行ってしまい、笑い出してしまった。
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