シャングリラ

1

アルザタールの首都、ティリスにある大学のとあるフロアでは、多くの人が集まっていた。ある者は元老院からであり、ある者は軍から、そしてある者は貴族から。

貴族からの枠にはモンスール卿の姿がある。

そのフロアの人々は殆どが疑心に満ちた目でその講義を聞いていた。そういう眼をすればするほど、講師は必死に解説をする。疑心に満ちた目をするのは別におかしな事ではなかった。その講義の内容が、それだけのものだったからだ。

「この世界は複数ある世界のうちの一つ。シャングリラという名前の世界である」

普段から、他国ほどに固定概念に縛られることはないアルザタールの学会だが、突拍子も無いそんな意見には素直に頷けるほどの器を持つ人間は居なかった。「そんな事などあるはずがない」とまではいかないにしても、皆が首を傾げて怪訝な顔をする。

ただ一人。モンスール卿を除いて。

彼女は真剣な眼差しで講義を聴いていたが、それに気付くほどの余裕は講師にはなかった。彼も少しは予測していただろう、だがほぼ全員が彼の意見には賛成できないようだったのだ。

「アーネスト教授。仮に他に世界があったとしても、それを証明することが出来ないのであれば、それは存在しないのも同じですよ。幽霊だとかと同じで」

アーネスト教授と呼ばれた男、その男が講師であった。

「証明なら出来ているではないですか!召喚獣、口寄せの術で召喚される式神、彼らは一体どこからやってきたのです?この世界以外からやってきたとしか考えられない」

「彼らが『私たちは他の世界からやってきた』と話したのですか?彼らは何も言わない。これは以前から論議されている、召喚魔法の術者が大気に含まれているマナから、獣を作り出しているという説に一致するのです。あれは魔法による産物であって、他の世界から来たのではないと」

「では口寄せ術はどうです?マナという概念の無い東洋の魔術の世界では、印を結ぶだけで魔物を召喚している。大気中のマナを使った形跡はないのです。これは明らかに別の空間から呼び出しているのでしょう」

アーネスト教授は真っ向からその意見に反発していた。質問者はアーネストの熱意に疲れたのか、「やれやれ」というジェスチャーをしたあと、一言、

「私からの質問は以上です。いいですよ、続けてください。アルザタールの学会は寛容です。あなたの意見を権力で押し潰そうとはしないだろう。けれども、証明が出来なければ、ただの妄想でしかないのです」

静まり返った。

それはアーネストが怒りをあらわにしたからだった。

「妄想?この私が?頭のおかしな人間を見るような目で見ないで頂きたい!」

2

講義は終わって、疲れきったアーネストが廊下を歩く。

その後を一人の女性が追いかけてきた。初老の女性で、普段からあまり動かないのだろう、か細い体に見合わない力を足に込めたせいで息を切らしながら、それでも精一杯アーネストに話しかけようとする。その女性がモンスール卿であった。

「あなたの講義、面白かったわ」

「えと、どのあたりがです?最後に教壇の上で道化師のように叫んだあたりですか?」

アーネストは急いで自分の部屋に戻りたかったが、息を切らしながら話しかけてくる女性を連れて早々とは進めないと、ペースを緩くする。

「全部ですわ。最初から最後まで…ただ、信じてもらえなかったのは、貴方が研究している途中結果をもっと惜しまずに発表すればよかったのではなくて?」

「すばらしい意見をありがとう…ただ、私は惜しんだわけじゃなくて、これ以上話しても誰も興味すら示さないと感じたのです。貴女も、道化をもっと見ていたかったから、そうして息を切らしながらピエロの後を追いかけてきたんではないですか?」

「わたくしは、道化を演じているのが解るピエロは好きですが、本気で意見を述べる人を道化と呼ぶのは嫌いですわ」

「…私の意見を本気と感じた、その根拠は?」

「わたくしも貴方と同じ研究をしているからですわ」

アーネストの足はまるで止まったかのように、それでもゆっくりと進むような速度になる。そして軽く頷いた後、「私の研究室にご案内します」と言った。

3

アーネストの研究室は沢山の書物で埋め尽されていた。それらの書物も、特定の分野に絞ったものではなくまるで無造作に図書館から引っ張り出してきたほどの多くの分野にわたる資料だった。

モンスール卿が目を引いたのはテーブルの上に置かれた幾つかのファイルだ。その内の一つを手に取ると、そこには氏名や住所、それに続いて医者が診断に使う際の詳細なメモが残されている。

「お医者様なのね」

「どうみえましたか?」

「どこかの大学で…誰も気にならないような研究に没頭している…科学者」

「でしょうな。教壇の上の私をみて、あぁお医者様なんだ、と考える人を診断してみたい」

「精神科医なのかしら?」

アーネストはいくつかあるファイルから一番底にある、記述されてから時間が経ったであろう古いファイルを一つ取り出して言う。

「えぇ、そうです。私がこの研究に没頭し始めた最初の原因は、ある患者の夢でした」

「夢…」

「患者はその夢を悪夢だと言っていました。ただ、その夢に出てくる世界は…ここで"我々の世界"という言葉を使わせていただきますが…その我々の世界とは随分と異なる世界の話のようで、"患者達"に共通するのは、それらの異なる世界で過ごしていたという事なのです」

「わたくしもその話は聞いた事がありますわ。一人からではありませんの。沢山の方が、似たような経験をされていますわ。そして口々に言うのが…」

「シャングリラ?」

「えぇ…シャングリラという世界の名前」

「この世界にシャングリラという名前が与えられているなら、他の世界はどうそこに在るのか、それが私の研究課題でした。それには患者達の夢を解析する必要があったのです。…つまり夢の世界がどう定義されているのかを知る。まさに狂人の域ですね」

「そこから何かがわかったのです?」

「一つは、その夢の世界では魔法や錬金術などが存在しないという事。その代わりに、このシャングリラという世界にもある機械技術などが発達しているのです。空を飛ぶ飛行機と呼ばれるもの…これは我々の世界にも存在する。病院などもあり、私と同じ様に精神科医もいる。ただ、一つ気になる事として、悪夢を見る患者は全てにおいて、その別の世界での強烈な記憶が残っているという事です」

「強烈な記憶?」

「例えば…平凡に毎日を過ごしていたという記憶は蘇られない。事故にあったとか…そう何かショッキングな事が起きたという事だけは悪夢として蘇るのです」

「その夢を見る前日…いえ、数日前でも近い日に、何かしらの出来事があって、それがきっかけで夢を見るという事例はありません?」

アーネストはファイルを開き、その一つを見せた。

「このアスルという男は馬車で事故にあった。その後、別の世界で事故にあったという夢を見たそうです」

ファイルを受け取りモンスール卿はそれを熱心に見つめた。

「人は、古い記憶の中に悪い出来事を封印すると聞きますわ。そして何かの拍子にその記憶が蘇ると。このシャングリラという世界と、他の世界が繋がっている…というよりも、元々他の世界で暮らしていた人々がこのシャングリラに来たのではないかと思うのです」

「…それは大胆な発想ですな」

アーネストは少し興奮気味に、まるで自らの宝物を他人に見せるように誇らしげに、数冊の分厚い本を卿の前へと置いた。それをまたモンスール卿が手に取り、熱心に見てくれるという事を楽しみにしている素振りを見せる。

「私の『他に世界があるかも知れない』という研究について、人々が見る夢に関してはまだ研究途中です。それよりも別の様々な情報に、『他の世界』についての興味深い関連性が無いかを探していたのです。そちらのほうが近道だと思ったからです」

「これは…新聞記事ですわね」

「ほんの少し前にロメナスという小さな村がオークの大群に襲われた。私は最初、オーク達の目的はロメナスという地理的に優位な場所に要塞を作ることだと考えていたのですがそうではなかった。後で村人から聞いた話では、村にある小さな教会に保管されていた、宝物を奪いにきたのだと。元老院についてもここで怪しい動きをしています」

「その話は知っていますわ。確か、派遣された軍は村人を守ることよりも、教会に保管してある宝物を奪われない事を優先事項としていたと」

「えぇ。そうです。そしてもう一つ。オーク達は何故か宝物を奪うのではなく、破壊していた…ここで重要になってくるのは、この"宝物"の正体です」

「教会に保管されていたのでしたら、やはり…信仰的なものなのでしょう?」

「私の友人が、世界の随所に存在するその宝物についての調査をしたことがありまして、それについて幾つかは見解があります。一つは確かに、信仰する対象です。ですが、教会…神殿…それらに保管されている宝物は、そこに存在する事すら誰も知らなかった場合もある。専門家の幾人かは、それらを過去の文明の産物だとか、異世界のものであるとか、人が作りしものではないとか。その中で私自身が目を引いたのが、シハーの考古学の分野で名を残した"バベル"という人物が残した宝物にたいする見解です。彼女は宝物を異世界との通信機としている」

「それは的を得ていますわね…。教会は神殿は人々が集う場所。戦時には避難場所にもなっていましたわ。他の世界との通信を行う場所としても不思議ではありませんわ」

「そして、つい先日。私のその古い友人から手紙が届きました。手紙には仕事の都合でアルザタールを離れるという事。それから、例の宝物を追っている人々と行動を同じくしている…そう書かれていました。宝物を追う人々、彼らは自分達を異世界から来たと言っています。そして、シハーにある太古の文明が築き上げたバベルの塔へと上るチャンスが得られているという事も。そして驚くべき事に、彼らはその宝物を通信する為のものだと、そう言っているのです!」

モンスール卿はアーネストの話を聞きながらファイルを1ページづつめくった。そこには教授が集めていた様々な文献のコピーや新聞の切り抜き、メモが散りばめられていた。だが無造作にではなく、一つ一つの関連性を求めようとしていたようにも映った。

「点と線…」

ふとモンスール卿の口から声がもれた。関連性を求めるアーネストの様を、そのまま表現したような台詞だった。

「点と線ですな…この出会いも、その点と線の一つなのかも知れません。…もし、ご迷惑でなければ、今後も情報交換を行いませんか?」

「もちろんですわ。わたくしも、この世界の真理を知りたい一人ですから」

4

風雅とナジャ、ミーシャはシハーの首都、バベルの中央広場の屋台にいた。明日、バベルの塔のエレベーターのキー解除を試みて、そのままゼノグラシアへと旅立つ為の準備である。女王によればフェイの身体の中に錬金術で封印された印が眠っており、それをカギとしてエレベーターのキー解除が行えるとの事だった。

首都へと侵入を試みていた反乱軍は撤退し、風雅達が戻る頃には小規模な戦闘しか発生していなかった。あまりにもすんなりと首都へと戻る事ができたので、本当に大規模な侵攻があったのか疑いたくもなるほどだ。

「ミーシャ!」

ナジャは先ほどまでほうばっていたサンドイッチを口から取り外して、サラダやら肉やらを地面にポロポロと零しながらミーシャを呼んだ。

「ん?なに?」

だがそれにナジャが返す言葉はない。それでも何を言いたかったのかは解っていた。彼女等は耳や鼻がよく聞くのだ。つまり、耳や鼻で感知できる何かを見つけた事を知らせたのだった。そして、風雅も既に気配を察知していた。

風雅達の遥か後方、一人の女性と、その従者のように見える男二人が彼らの後を尾行しているようだった。屋台の間に流れる人混みを掻き分けるように進む風雅達は、突然進行方向を90度ずらして、そちらへとそそくさと移動を始める。その女性も動きに気づき、同じ様に風雅達の後に続いた。彼女等がその先に見たのは小さな路地だった。

その女性が薄暗い路地を少し進むと、突然目の前が真っ暗になった。それもその筈だ。身体を思いっきり壁へと叩きつけられて動けなくされたからだ。

「街の人間の目は誤魔化せるだろうが、俺の目は誤魔化せないぞ。随分と危険な事をしてるじゃないか。ズーク」

「わかったから、放せ」

同時に、従者の男二人にもナジャとミーシャが弓の狙いを定めていたところだった。ズークと呼ばれた女性も、その従者も、オークが魔法で人間に化けた姿だった。

「何も今から戦闘をおっ始めようってわけじゃないんだ」

風雅から解放されて、服を調えるズーク。

「で、化けてまで尾行したのはどういう理由からだ?」

「貴様等があの塔を上り、ゼノグラシアへ行くという情報を掴んだからだ」

「まさか、そのまま尾行していくつもりだったのか?」

「まさかな。同行してもいいか、許可を貰いに来ただけだ」

風雅は少し溜息をついた後、

「ダメだ。俺達はシハー女王と一緒に塔のエレベーターまで行くんだぞ。そこで術で化けている事がバレるだろう。それにゼノグラシアでお前達が宝を奪おうとするのを黙って了承するはずもないしな」

「まぁ、そうなるだろうとは思っていたさ。だが俺は、任務でここに着たんじゃあない。ただ興味があったのさ。貴様等がゼノグラシアで宝を見つけた時、今まで貴様等が黙っていた事を言ってくれるのではないかと思ってな」と、ズークはその化けている風貌など気にする事もなく、"俺"などの一人称を使いながら言った。

「わかった…いずれ、時が着たら話すよ」

「すまんな。楽しみにしてるよ」

「でも何故、その事に興味があるんだ?」

「…ただの好奇心さ」

そう言って、ズークは、そのまま従者のオークとともに、街の人混みに消えていった。

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