1
その日はシハーの建国記念日だった。主要な都市では夜は花火があがり、お祭りが開催される。ゴモラもその街の一つだった。
学校の授業は午前中で終り、いつもよりも早く親が迎えに来ていた。普段なら誰も迎えに来ないフェイも、その日は彼の母親を演じているバベルが迎えに来るとあって、朝からそわそわとしていたのだ。
だが祭りの前日には、学校にバベルが迎えに来る事を聞いて校長は反対していた。
「あなたがここに居ることが知れたら、女王が来て大騒ぎになるでしょう?祭りに行くのは賛成なのですが、学校に迎えに来るのは…」
「フェイがそれを望んだのだ」
「しかし…」
「私はフェイの母親になる事を承諾した。彼が望み続ける限り母親を演じ続ける」
「ですが、もし女王の目にとまれば、あなたは首都へ連れ戻されてしまうのですよ?それはフェイが一番望んでいない事ではないのですか?」
「なぁに、ばれる事はないさ」
フェイがそわそわと待ち遠しく感じているのを見るたびに、校長の心の中にある不安の雲はもくもくと空へと立ち上っていくのであった。
だがその不安を他所に、何事もなく子供達の親は学校へと迎えに来ていた。その中にバベルが混じっていても、誰一人として気付く事はなかった。彼女は普段の研究者の服装ではなく、シハーの一般市民が着る市民服を着用していたのも理由の一つかもしれない。
「さぁ、いくぞ」
そう言ってフェイの手をとるバベル。他の親が当たり前のように自分の子供にする行為でも、フェイは嬉しくてたまらなかった。そして軽く飛び跳ねた後に、「父さんの所にいこ!」そう笑顔で言う。それから校長室へ向かった後、フェイの母親を演じるバベルと父親を演じる校長とフェイの3人は祭りのなかに消えた。
2
ゴモラ市内にある普段から混んでいるレストランはその日は祭りである事も重なって一層客がいたが、バベルが手配したのか3人分のテーブル席は予約されていた。周りには家族連れの客。その店はどちらかといえば家族で訪れる店なのだろう。
フェイの記憶からはそのレストランで家族が楽しそうに会話する様子を街路から覗いていた事は消えている。だが無意識に自分が望んでいた「家族で来るレストラン」を楽しんでいた。叶うはずのなかった家族3人で過ごす日々。
「そんなに気に入っている店だったのか?フェイ」とバベルが言う。
「フェイは3人でいられる事が楽しくてしょうがないのですよ」と校長。
「ほほぅ、それは集団欲の証明という事か」
バベルはいつもの調子で小難しいことを言う。そんな話は軽く流してフェイは今の瞬間一つ一つを楽しむ。ふと、周りにいる家族達の会話が飛び込んでくる。内容はよく解らないが、とても楽しそうな話し声だ。
(あんなに楽しそうに話してる)
ふとフェイの脳裏にはそんな台詞が浮かんだ。いつのまにかフェイは周りの家族と自分の家族を比較していた。楽しそうに話す回りの家族と比べると、どことなく静かだ。時折学校での仕事の話などを校長が少しするのをバベルが相槌をうつ程度。笑顔の耐えない周りの家族との違いは明白だった。
「どうして…父さんと母さんはあんまり話さないの?」
気付けば思っていた事がそのまま口に出てしまったフェイ。しばらく沈黙が3人を包む。校長にもバベルにも「どうして?」と聞かれても家族でもない二人が楽しそうに話す理由など無いのだ。
「うむ…何の話をしようか?シハーの教育と福祉制度の話でもしようか?」と答えたのはバベルだ。だがそんな話は家族でするようなものではないと、校長は目で合図する。
「そ、そうだ。フェイはどこにいきたい?今度家族でどこか出掛けよう。フェイの好きなところへ。父さん、普段学校の仕事が忙しいから、家族サービスしたいんだ」
と話題を変えて誤魔化す校長。
一方でバベルはただ静かにグラスに注がれたワインを口にする。
しばらくの沈黙の後、フェイは言う。
「ただ…3人でいたい。どこにも行かないで3人でいたいよ」
3
食事を終えたバベルと校長、そしてフェイの3人は小高い丘の上に上がっていた。そこには同じ様に家族連れの人々が花火が上がるのを待っている。花火はゴモラのお祭りのメインイベントだった。
ひんやりとした風が見下ろす街のほうから丘を撫でるように這い上がってきてフェイ達の身体を冷す。それを合図に街の中心部から花火があがった。花火が上がるたびに歓声があがった。周りの家族達の視線は花火に集中している。あの普段なら本ばかり読んでいるバベルさえも、花火を見ていた。もちろん校長も。
フェイは気付けばバベルと校長の手を握っていた。
4
祭りの日から数日が過ぎた。
その日も夕食はバベルとフェイの二人きりだった。
食器がたてる音だけが食卓に広がっていく。数日前、3人で楽しく過ごした祭りの夜のレストランと比べると、フェイは今が酷く寂しく感じてしまうのは仕方ないことだった。
「あの…母さん」
「ん?なんだ?」
「…どうして父さんと母さんはいつも離れ離れなのかな…?」
バベルはいましがたすくおうとしていたスープからスプーンを離して、それをテーブルに静かに置き、深く溜息をついた。
「…その質問、今回で何回目か数えていたか?数えてはいないのだろうな。数えていればもう質問しようとは思わないだろうからな」
「…父さんの仕事が忙しいからだよね」
「そうだ」
「でも祭りの日に、あのレストランに来ていたみんな、…楽しそうにしてた。だけれど、どうして父さんも母さんも、他の人みたいに楽しく話せないの?喧嘩してるの?」
「喧嘩?父さんとは喧嘩はしたことはないが…まぁ私が本気で喧嘩すれば相手はこの世にはいないだろうがな。だがどうしてそんな事を聞く?今が幸せなら、他と比較する必要などないだろう?」
「…だって…なんか変なんだもん。父さんと母さん」
「変か…この世に同じ人間が一人もいないように、同じ家族もない。変だと言うのなら、この世に存在する人間誰しもが変で、どの家族も"変"だ」
それ以後は、フェイは何も質問しなくなった。
5
いつもと同じ様に午後の運動の時間が終わって、校長は校舎へと戻っていった。
フェイは少し気持ちが沈んでいた。彼が学校に来たときに比べれば、それほど沈んではいないように見えた。だから校長はフェイの変化には気付かなかったが、クラスメート達はフェイが少し元気が無い事が解ったのだ。
数人のクラスメート達がフェイの側に近付いて言う。
「フェイ、最近元気ないね。何かあったの?」
何かあったのと聞くのは少し意地悪だとは聞いた本人も意識していた。校長とフェイの知り合いであるバベルがフェイの両親の役を演じていることは校長から聞かされていた。だからそれに関して、何かあったのか?と聞くべきだった。
だが校長に口止めされていたのだった。
「…父さんと母さんがあまり仲良くないんだ」
クラスメート達は顔をお互い見合わせた。その反応はフェイにとっては意外だったのだ。クラスメート達は何故かフェイの両親の事について知っている素振りを見せたのだから。
「…あのさ、フェイ。校長先生からは言うなって言われてたんだけど、でも知っておかないとフェイがなんだか可哀相で…」
「え?」
「校長先生はフェイのお父さんじゃないよ。お父さんの代わりをしてるだけで…」
「え?どうして?なんで?」
「フェイだって、この学校に来たときは校長先生の事をお父さんだなんていってなかったでしょ?お父さんもお母さんも戦争で死んだって言ってたじゃない?」
「え?どうして、なんで?僕そんなこと、言ってない…言ってないよ」
明らかにおかしな言動をするフェイにクラスメート達は触れてはならないものに触れてしまったかのように、再び顔を見合わせた後にその場を立ち去った。誰も居なくなった校庭でフェイは一人俯いて木陰にいた。
そうするしか出来なかった。
6
フェイの家には明かりは付いておらず、外が薄暗くなるのにあわせて家も同じ色になる。大量の本を抱えていつものように帰宅するバベルは誰も居ないと思っていた家の中に気配を感じた。それがフェイであるとすぐにわかった。
「どうした?明かりもつけないで」
バベルが炎の魔法を唱えて暖炉やランプに明かりを灯した。一瞬で部屋は明るくなり、いつもの夕暮れの時を向かえたのだが、フェイだけは、彼のまわりだけはそのまま夕暮れの色を残したままとなっているようだった。
「どうして…どうして嘘をついたんだよ…」
「嘘?」
「父さんと母さんは仲が悪かった。僕は喧嘩をしてると思ってたんだけど、でも父さんと母さんはそれを演じてるだけで本当の父さんと母さんじゃないんだ」
「フェイ…」
「どうして…どうしてこんなこと?」
「お前が望んだからだろう?」
「望んでいないよ!こんな偽りの家族いらない!」
「フェイ…」
「気安く僕の名前を呼ぶな!お前なんか母さんじゃない!」
7
カーテンの隙間からは昼間の暑い陽が差し込んでいた。
部屋の温度は上昇していて、暑さか、それとも悪夢を見たからかフェイは目を覚ました。気だるいいつもの身体をベッドから這い上がらせる。今まで見ていたのが夢ではなかったことは解っている。彼は単に思い出していただけなのだ。
自分が今どうして一人でその家にいるのか。
そして、最近いつものようにドアの隙間から差し込まれている手紙に目をやる。また新しい手紙だった。何度も何度もフェイは断っていたのだが、ようやく本当にその手紙を見る事に決めたのだ。
差出人ははつみと名乗る女の子だった。
遥々アルザタールの地からシハーへと旅をしている。この世界の真実を知るために、シハーの首都に聳え立つバベルの塔へと昇る事を決心しているという事。その為にはフェイの力が必要である事。などがかかれていた。それらにはフェイは全く持って関心がなかったが、最後の一文には彼の視線が注がれた。
『バベルと一緒に暮らしていて、彼女との間で何かあったのでしょう?何があったのかは知らないです。でも、そのまま家に閉じ篭って、ケリをつけないままでいるのは、あなたが一番望んでいない事じゃないの?旅に同行してくれとは言わない…。でも、あなたの望んでいる事をしてください』
ゴモラの街の遥か遠くに聳え立つバベルの塔。それがどんなに高くてもそこからは見る事ができない。だがフェイはその方角を見つめて、彼の親しい者と同じ名前のその塔に彼が望むものがあることを感じ取っていた。
「運命は…必然」
彼の一番親しい者が口癖のように言っていた言葉だった。運命を突き動かすのは人の強い意思だと。だから彼は今の自分の状況は、彼自身がそう願ったからだと思ったのだ。だからその気だるい身体を動かして玄関へと足を運び、扉を開けたのなら彼の運命を動かせるのだと思ったのだ。
(バベルに会って謝ろう…あの日の事を)
普段から開ける事のない家の扉を開けると、隙間に挟まっていた手紙達が地面にばら撒かれた。それに驚いたのが玄関に立つ訪問者は後ずさった。
玄関には手紙を持ったはつみの姿があった。
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