憂国

1

そもそもそこに太陽など無かったのか、それともその存在を忘れてしまうほど目先の事を追い求めたのか。荒野の砂埃は大地を照らそうとする太陽の光を遮っていた。その砂埃も、そもそもはその場所には無かった。

何も無い荒野に沢山の兵の足跡が鳴り響き、そして荒野は砂埃に覆われたのだ。だが今はその埃も次第に地面へと戻ろうとしている。ようやく姿を現した地面には無数の死体が転がっていた。

一人の男が叫んでいた。名前を叫んでいた。幾人もの名前。彼の友達か、彼の部下か、それとも家族か。ただその名前に反応する声もなく、空しく名前を呼ぶ声だけが荒野に響き渡った。彼はその状況を理解しようとしなかったのだ。自分を除いて知るものが皆死んでいるという事実を受け止めたくなかったのだ。だが、そんな彼の望みは叶うわけでもなく、無理にでも彼の心の中に現実が突き刺さっていく。

その男は持っていた軍刀を抜くと、自らの喉に突き刺そうとした。

そうすれば彼が叫んでいた仲間のもとへとゆけるのだと思ったのだ。あと数ミリで喉に突き刺さるその時、彼が自分以外の何者かが腕を握ってそれを止めているかのように、ピクリとも動かなくなる感覚を覚えた。

それが死ぬ事への恐れなのか、それとも誰かが本当に死にゆく自分を止めてくれているのか、混乱した彼の頭ではうまく考える事が出来なかった。汗とも涙とも思えるものが彼の頬を伝って、それまで止めていた息を吐き出して深く呼吸をする。

(たのむ…お前達のもとへ、私を連れて行ってくれ)

声にならなかった。

2

「将軍!」…「スルト将軍!」

誰かが自分を呼ぶ。スルトと呼ばれた男は目を開けると、手に型がつくほどに強く握られた勲章があった。我に返って彼を将軍と呼ぶ、部下に返事をする。

「なんだ?」

「敵が前方に見えます。双方戦闘準備は整ったと思われます…将軍?」

彼の部下はスルトの手の平に滴る赤い血を見ていたのだ。それほど勲章を強く握り続けていたようだった。それを震える手で放す。

「あの時、…あの時、俺は死ぬべきだったと数え切れぬほど思ってきた。キュベレの闘いで、俺の部下は全員死んだ。この勲章は、あの時生き残った俺へ与えられたものだった。安っぽい勲章だ。こんなものの為に部下が死んだと考えたら気が狂いそうになる」

「将軍…」

「大戦が終わって、何度も部下達が死んだ意味を考えた。何度も何度も…今の平和の代償として死んだのか?アルザタールとの戦争に敗れて属国に成り下がった、あつらえられた平和の代償に死んだのか?」

再び傷ついた手で勲章を握るスルト。血が地面へ滴り落ちる。

「将軍!あなたの戦友方は、今あなたがここに居るために亡くなったのだと思います!」

「…そうだな。全ての出来事が今、そしてこれから起きる事の為にあるのだ」

スルトの部隊はバベルの前面から正面攻撃をする任務にあった。戦時では首都に防衛軍が大量にいたが、今は僅かな防衛部隊と女王直属の部隊しかいない。だがゴモラに駐屯している部隊が首都へと戻れば、勝利の可能性をそぎ落としてしまう。それまでに首都を落とさなければならない。

そんな状況だがスルトは身体の奥から湧き上がる力に身震いしていた。なにより、彼が最も憎んでいたシハー女王、レッカと戦を交えることが出来るのだ。

(この国にもう独裁者は要らない。終わりにさせてやる…この俺の手で)

3

スルトのニラマが前衛を掻き分けて進み出た。遠くに陣するのはシハー防衛部隊だ。その中を目を凝らして一人の女性を探すスルト。

「女王は、レッカ女王はどこだ!」

「防衛部隊はバベル前門にて"門の陣営"をとっています。もし女王が指揮をとっているとすれば、門の中にいると思われます!」

「俺は門へと突撃する。もし門を突破できれば、そのまま門の外の兵をバベル内へ戻せなくなる」

「しかしそれは…」

スルトは手に持っていた血まみれの勲章を彼の部下へと手渡した。

「俺はあの時、魂が死んだ。そして身体は死に場所を求めてここへと辿り着いた。あの時なすべきことをする為に、今ここに居る。そう言ったな?」

「…」

「この魂の抜けた身体を動かしているのは、あの時散った俺の部下達だ」

スルトは彼と共に行く仲間を"望んだ者だけ"連れて行った。彼らは家族もなく、恋人もない。失うものが無いその身体を動かしているのは憂国を思う執念だけだった。

4

「女王!ネヘ・ベカウの部隊が進軍を始めました!」

門の監視を行っていた兵からの入電だった。

「攻城兵器は?」

「グラントが左翼に1、右翼に2です。中央に騎兵が突出してきます!」

「中央は囮だ。左右に兵を集めろ!」

入電を聞き終えたレッカはテントから出て門へと上がる。そこから指揮をとるのだろう。階段を上がる途中、次第に荒野へと視界が開け、そこにネヘ・ベカウの軍隊が姿を現していく。レッカの視線がそこへと注がれ、彼女は目をまるくして驚いた。

「スルト…」

その位置からはスルトの顔は見えないが、部隊が持つ旗だけが見えた。そこにはネヘ・ベカウの旗ではなく、シハー軍の旗があった。

「どんなに国を思う気持ちがあっても、現実に押し潰される…事実の前に人の心は無力か…。バベル…貴様は最初から予見していたのか?」とレッカは下唇を噛んだ。

門の上からはバベルの周囲の景色が一望できた。街並みと、その外にある荒野と、それらの違いがまるで今の状況を物語っているかのようだ。

「スルト…貴様が守ろうとしていたものを壊すというのか。貴様の心はこの荒野のように荒れ果てて、どんなに水が落ちても潤うことがないのだな」

周りの兵達にはレッカの声は聞こえなかった。ただ、彼女は荒野が見渡せる位置にくるとすぐさま詠唱を開始した。周囲のマナが集まり、地面に魔方陣が現れる。それが高位な魔法であることを意味していた。周囲の兵達は「レッカ女王!」と呼びかけるが彼女の耳にはその声は届かなかった。巻き込まれまいと兵達は門の下へと逃げ出す。

次第に魔方陣がマナを吸収していく。と同時に周囲が暗くなる。急激に周囲のマナがなくなることで日の光さえも魔方陣の中へと吸い込まれていくのだ。

門下へと逃げ出した兵達は門の外で防衛に当たる兵に叫ぶ。

「レッカ女王が例の奴をやるぞ!そこをどけ!死ぬぞ!」

門を守っていた部隊は蜘蛛の子を散らすように左翼、右翼へと逃げ出した。

対してその動きを目で追っていたスルトは門の上に目をやる。と、そこには詠唱を行っているレッカ女王の姿があった。

「ハハッ!ハハハハ!レッカ!見つけたぞ!」

後ろを振り返り叫ぶ。

「魔法障壁を!」

「はっ!」とスルトと共に突進んでいるニラマ騎兵が返すと、彼は詠唱を始めた。すぐさま周囲に魔方陣が現れる。それはバリアのようにスルト将軍の率いる部隊の周囲を包んで、ニラマの動きに合わせて移動していく。魔法バリアを展開したまま、ニラマ騎兵部隊が門へと突進んだ。

一方でレッカは詠唱を終えた。レッカの周囲に現れた魔方陣は次第に光り輝き、詠唱を終えた瞬間には真っ赤に光り輝いた。その赤が地面から上昇していくと、赤は顔の形に変わりスルトの部隊へとまるで彼らを飲み込むように口を開けて進む。スルトの手前まで来たとき、赤の光は一瞬で炎へと変わり、巨大な炎の顔がスルトの部隊を飲み込む。

「ウォォォォォォォォォォォォォォ!!!」

真っ赤な炎は魔法障壁の力で防いでいるように見えた。

だが障壁は所々が崩れ始め、その箇所から炎の粒子が雪崩れ込んでいく。その炎がスルトの身体にも移り、彼の身体は炎の包まれた。だが最後の力を振り絞って弓を引く。

5

「スルト…」

スルト将軍の戦績を祝っての表彰の式、レッカはスルトの表情をうかがいながら、勲章を手渡す。その顔がまるで哀れんでいるようにも見えたのだろう。スルトは、

「そのような顔をなさらないでください。私の部下達は国の為に死んだのです」

と、彼女をフォローする。

「このような形でしか、国を守る事が出来なかったのだろうか…もしバベルが陥落するのなら、国の為に死んでいった彼らに顔合わせする事が出来ない」

「女王、あなたが国を愛するのなら、私はいつまでもあなたの味方です。きっと死んでいった彼らも…はるか星の彼方で我々の事を見守っています。我々が国を思う限り」

王宮には再び砲撃が始まったことを知らせる轟音が響く。

バベル陥落までの数日間、それが続いた。

6

スルトの放った矢が魔法障壁の間を潜り抜けてレッカへ向かい一直線に飛び立つ。

そしてレッカの右腕を貫いた。その勢いで彼女の身体ごと壁まで押し戻し、壁に突き刺さってからようやく止まった。

スルトの部隊が居た場所には真っ黒に焼け爛れた人とニラマの死体が残り、穴の空いた魔法障壁だけは、術者が燃え尽きていなくなっても残っていた。

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