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毎日新聞 朝刊(岡山版) 27面  

岡山県エッセイストクラブ  リレーエッセイ 装う(6) 
「さあ、帰ろうか」  
2017年2月18日(土)掲載

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毎日新聞 リレーエッセイ 装う 「さあ、帰ろうか」

 

 地元岡山から東京へ、新幹線で片道約4時間、都心のビジネスホテルに泊まる機会が、たまにある。
 普段、家事下手な私でも、結構家事をしているんだな、と思う。いつもなら、それなりに献立を考え、
買い物して調理して、皿洗いに残飯の後始末、ゴミ出しまで、台所仕事が結構あるが、これら一連の
家事がゼロになる。

 洗濯もしない。シーツや枕カバー、タオルは、係の人が新品に変えてくれるし、掃除もしてくれる。 
地域のお付き合いはなく、回覧板も回ってこない。空調がほどよく効いて、常に清潔で快適である。
夏なら虫は出ないし、草取りに悩まされることもない。冬なら、すきま風は入らないし、室内ではく息
が白くなることもない。
 私がホテルですることといえば、荷物の整理と身支度くらい。朝、洗顔して、化粧して、つい気負って、
ピアスやネックレスも付けて装い、出かける。

 部屋からドアを開けて一歩外に出たら、すぐ世間で、ホテルから一歩外に出たら、そこは都会の雑踏で
ある。

 田舎では、ほぼ車で移動している。わが家の庭先からそろりと車で出て、家の前の細い道を時速10キロ 以下で走り、少し広い道路に出て、時速40キロしばらくして、幹線道路に合流して、時速60キロとなる。
車の加速と、私の頭の回転の上がり具合が一致する。都会では、いきなり時速60キロの世界に入るようで、
いつも緊張する。

 最初は、家事をしなくて楽でいいと喜ぶが、だんだん妙な感じになる。大体、土の上を歩かないし、高層
の部屋では、窓を開けられないので、戸外が暑いのか寒いのか、雨や風がどのくらいの強さなのか、さっぱり
わからない。

 快適ばかりとはいえない田舎暮らし。衣食住を整える大変さばかりが頭にあったが、地に足のついた、
日々の家事に、私の方が助けられていたなんて。
 町中にあふれる、おしゃれなカフェやレストランから、毎日大量に出る残飯やゴミ、汚れた水、ホテルの
洗面所から私が流す排水は、一体どのように処理されているのだろう。ビルの中の、どの配管を通って、
どこに流れていくのだろう。そんなことも気になる。

 予定の日程を無事終えて、また新幹線に揺られ、岡山に帰り、地元の最寄り駅に着く。「お帰りなさい」と、
改札口で駅員が声をかけてくれる。やれやれ。
 駅から外に出ると、見慣れた風景、人はまばらで、空は高く、広い。 
 きらびやかな都会で過ごした時間を振り返る。時には装いもほしいが、そればかりでは。 

 さあ、帰ろうか。
 

                                    久本 恵子 
    
                                         (原文のまま。)

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