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毎日新聞 朝刊(岡山版) 25面  

岡山県エッセイストクラブ  リレーエッセイ 気配(19) 
「ルビ」  
2016年11月5日(土)掲載

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毎日新聞 リレーエッセイ 気配 「ルビ」

 

 私の住んでいる地域、岡山県倉敷市南西部、連島町〈つらじまちょう〉の連島。
県外の人はまず正確に読めない。大抵「レンシマかな」と尋ねられる。古くは、
都羅島庄〈つらじましょう〉と呼ばれていたらしい。

 つ・ら・じ・ま、という四つの音の背後に、膨大な情報がある。周辺は江戸時代
にかけて徐々に干拓による新田開発が進んだ歴史があり、陸地が南下していった。
その南の端に、結婚以来三十一年間、住み続けている。

 わが家の子どもたちも通った連島南小学校の前を車で通り、いつものスーパーに
寄った後、大平山〈おおひらやま〉の中腹にある箆取〈へらとり〉神社を仰ぐ。
嘉永〈かえい〉橋を渡り、郵便局で用事を済ませて、家路を急ぐ。
 箆を取るから、箆取か。672年、壬申〈じんしん〉の乱のころ、神官が、神社の
あった場所から南に広がる瀬戸内海を眺めていたとき、海面に「箆」の神紋〈しんもん〉
が現れたことが由来らしい。へらとは、あの細長く先が平らで料理などに使う、へらのこと。
海と近い土地柄ゆえか、伝えられている話だ。

 連島といえば、連島出身の詩人であり随筆家の、薄田泣菫〈すすきだ・きゅうきん〉がいる。
泣く菫〈すみれ〉とは、もちろん本名ではない。彼の名前にちなんだ「キューキンドー」という
和洋菓子店があり、よく利用している。また、境内に彼の詩碑が建てられた厄〈やく〉神社もある。
元々は、病気平癒〈へいゆ〉の「薬〈やく〉神宮」から「疫〈やく〉神宮」、そして、厄神社へと
改称されてきたという。

 特定の土地の地名や名士の人名など、縁のない人には、すぐに読めない。単なる記号であり、
何のイメージも浮かばない。

 そこでルビの登場となる。ルビとは、ふりがなや、異なる読み方のこと。縦書きの場合は、
文字の右側に、横書きの場合は、文字の上側に小さく記される。
 明治期、つまり十九世紀後半のイギリスでは、活字の大きさを宝石の名前を付けて呼んでいた。
日本では、ふりがなに用いた活字の大きさが、イギリスで「ルビー」と呼ばれる欧文活字と同じ大きさ
だったことから、かな用の活字やふりがなのことも、ルビと呼ぶようになったそうだ。

 ルビが付けられて、その土地の地名を正確に読めるようになると、呪文のように効き、霧が晴れて、
突然、目の前の見えなかった堅い扉が少しだけ開くような気がする。自然と共に長年その土地に暮らして
きた、大勢の人たちの息遣いが扉の向こうから、少しずつ立ち昇ってくるような気配がする。

 できるだけ正確に読みたい、人にも正確に読んでもらいたい。
 世代を超えて、繰り返し何十回も何百回も音にされ、耳になじんだ読み方で。 
 

 

                                    久本 恵子 
    
                                 (原文のまま。< >は、ルビ指定です。)

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