2025年も残すところあとわずか。

 第三新東京市の市街も暮れの喧騒ににぎわっている。

 正月用品をしこたま買い込んだ家族

 肩を寄せ合って歩いていくカップル

 予備校の年末特訓講座に参加する受験生

 

 人の歴史はきょうも積み重ねられてゆく

 

 

 かつてこの街、いや、全世界の人類はその存在を危うくするところだった。

 しかし、今のこの街の様子を見る限り、あの時のことは決して無駄になっていなかった

ことを思わずにはいられなくなる。

 

 それほどまでに、きょうの第三新東京市は賑やかだった。

 

 

 

 

「このパネルはどこに置いておけばいい?」

 

「ん〜っと…。とりあえずそこに置いておいてくれ。後でまた考えるよ。」

 

「OK。あ、わりい。そろそろ時間だわ。おれ、配達の途中なんだ。」

 

「いいよ。こっちこそ無理いってすまなかったな。」

 

「ほんとにすまん。その替わりといっちゃあ何だが、おれの店でせいぜい宣伝させてもら

うぜ。」

 

「ああ、よろしく頼むよ。」

 

「じゃあな。」

 

「おう。またな。」

 

 

 

 市内の小さな画廊。そこの入り口のコーナーには、厳重に包装されたパネルが幾つも置

いてある。その中身は写真のパネルだ。傍らにいた青年は、もういちどそのパネルの山を

ざっと見渡すとロビーに出て、くすんで鈍く光るジッポライターで煙草に火を点けた。

 

じぽっ…

 

 

ふーっ…

 

 紫煙がゆっくりとひろがってゆく

 もちろんパネルの包装を解く前だからこそ、それができるのではあるが…

 まもなくここは禁煙にすることになるはずだ。

 

 彼は、つづいてそのパネルの一番手前に置いてある看板に目をやると、しばしそれを見

つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WHEEL BURNING

Side Story

Chapter 1

 

 

 

 

「さて…。そろそろ取り掛かるとしますかね。」

 

 ケンスケは一言つぶやくと,煙草を灰皿で揉み消しおもむろに立ち上がった。

 

 ギャラリーの中には彼の他には誰もいない。パネルの数は結構ある。

 ケンスケにしてみれば今回が初めての個展だ。学生時代も含めて、いままで2,3人での

写真展は何度か経験したことがある。しかしもともと報道写真やライターとしての道を目

指していたため、個展を開こうという機会そのものがなかったのも事実だ。

 それがトウジが車椅子バスケットを始めたため、その写真を撮っているうちに車椅子バ

スケットのファンになっている自分がいた。たまたまそのことを写真仲間に話したところ、

『もしその作品の個展をやるのなら、うちのギャラリーを使ってもいいよ』と言ってくれ

る人が現われ、にわかに話が進み始めた。

 そのうちトウジの所属する第三新東京タイガーシャークスの写真だけではなく、本来の

仕事で各地に出かけるたびに、時間があればさまざまな車椅子バスケットボールチームを

訪れては写真を撮りつづけた。

 

 気がつけば写真展を開くには充分すぎるほどの作品が出来上がっていた。

 

 

 

 

 

 

「まずは会場のレイアウトだよな。」

 

 ギャラリー自体それほど広いとは言えないが、できれば作品はひとつでも多く展示した

い。かと言ってあれもこれもと欲張ると、逆効果になってしまう。

 

 会場の空間と作品との調和

 

 それにもう一つ大切なことは、テーマがテーマだけに車椅子を使う人たちも訪れるだろ

う。通路のスペースが重要なポイントとなってくる。このことはケンスケがたくさんの車

椅子使用者と出会うなかで痛感したことだった。幸いなことに、このギャラリーの入り口

にはスロープが付いていて段差も無く、入り口自体の広さも車椅子には充分と思われた。

建物の前にある駐車場も問題はない。体の不自由な人専用の駐車スペースを確保すること

も可能だ。

 

 奥にある倉庫の中からパーテーションを引っ張り出してくる。キャスターが下について

いるので移動は一人でも楽勝だ。事前に作ってきた会場のレイアウト図と照らし合わせな

がら会場の中を仕切っていく。こういった仕事はケンスケのもっとも得意とするところだ。

瞬く間にほとんど狂い無く会場が出来上がった。念のためにもう一度メジャーを取り出し

て通路の幅を確認し、再びロビーに出てきた。そのとき、

 

 

こんこん…

 

 表のガラスをノックする音。

 ふと顔を上げたケンスケの目に入ってきたのは、曇ったガラスの向こうに霞んで見える

蒼銀の影。たぶんガラスに顔を近づけているのだろう。規則正しく吐息がかかっているの

が分かる。セキュリティのため、自動ドアをOFFにしていたから中に入れないのだ。あ

わててケンスケは自動ドアのスイッチを入れに走った。

 

しゅぅぅぅぅぅん

 

「綾波ごめん!!寒かっただろ?!」

 

 レイはドアが開くのとほとんど同時にギャラリーの中に入ってきた。後ろでドアが閉ま

るよりも速くケンスケが謝りながら飛んできた。

 しかし、

 

「ううん、だいじょうぶ。今来たばかりだから。」

 

「うそつけ。おれの顔が見えるまで待ってたんだろ。よくないぜ、綾波のそういうとこ

ろ。」

 

「うん、ごめんなさい。」

 

 レイはぺこりと頭を下げたが、

 

「…いまの…謝る場面だったのかしら…?」

 

 視線は斜め45度上方。人差し指をあごに当ててちょっと思案中。

 ケンスケは慌てて話題を変える必要に迫られた。

 

「えーっと、シンジたちも帰ってきてるんだろ?まだ顔見てないけどさ。」

 

「うん。きのうの夕方3人で帰ってきたの。もうすぐ来ると思うわ。」

 

「そうか…。あ、上着脱いだら?中は暖かいだろ。」

 

「そうね。」

 

 こくんと肯いてレイはスカイブルーのダウンジャケットを脱ぎ始めた。彼女のきょうの

いでたちは、白いタートルネックのセーターに、インディゴブルーのオーバーオールだ。

 

「へぇ〜。」

 

「なに?」

 

 ケンスケの反応にレイが思わず聞き返す。

 

「あ、いや、綾波のオーバーオールって、初めて見たような気がする。」

 

「そう?」

 

「うん。なんかさ……。」

 

「?」

 

「………子供っぽいってゆーか…」

 

「え?」

 

 

 

「……ぷ」

 

「!」

 

「く…はは…あははは…」

 

「相田君(怒)!!」

 

「あ、すまんすまん。…くくく…」

 

「……あいだくん…(泣)」

 

「え?」

 

「…わたし……やっぱり……へんなかっこう?(落涙)」

 

「あ…」

 

「…リツコさんがきょうはうごきやすいかっこうでいきなさいっていったから…このふく

にしたの……わたし、あすかみたいにふくのこと、よくわからないし……」

 

「えーと…」

 

 

 すると、レイは急に俯いた。

 

「…………ひっく……(コレハナミダ?ワタシナイテルノ?)」

 

 (驚)や…やばいぃぃぃぃぃぃ!!!(緊急事態!)

 

「ちちちちちちちち違うよっっっっっ!!!!あああ、あのさ、なんつーか、そんなんじ

ゃないんだ!!」

 

「……ナニガチガウノ?……」

 

「服装のことを笑ったんじゃないんだ!頼むから信じてくれよ!!」

 

「……ジャアナゼ?……」

 

「……うん。あのさ、前に綾波、良い女になったな…って言っただろ。でも、きょうの綾

波は前の綾波とぜんぜん雰囲気が違うんだ。なんか、子供っぽいんだけど、すごく自然な

感じでさ、…ぜんぜん悪くないよ。…つーか、すごくいい感じだと思う。」

 

「…ホント?」

 

「うん。」

 

「ゼッタイ?」

 

「もちろん!」

 

…………

 

「じゃあ、いいわ。」

 

 あっさりと顔を上げたレイは、ぺろっと舌を出している。

 

「ああ!なんだ!嘘泣きかぁ?!」

 

「ふふ…。ごめんね相田君。」

 

「なんだよもう…。勘弁してくれよぉ…」

 

 嗚呼、相田ケンスケ。きみにはいま少し女性の扱いについて修行が必要なようだね…。

 

 さすがにレイも少し気の毒に思ったのか、しばし視線をさまよわせていたら、ロビーの

一画にコーヒーの自販機を発見した。

 

「おわびにコーヒーおごるわ。ブラックでよかったかしら?」

 

「あー!うんと濃いやつな!」

 

「ふふ、はいはい。」

 

 

 やがてレイはブラックのコーヒーと、ミルクたっぷり砂糖無しの自分のコーヒーをもっ

て帰ってきた。

 

「熱いから気をつけてね。」

 

「ん。サンキュー。」

 

 

 ふたりは暫し嗜好の時間を楽しんだ。もっともそれは、自販機のものではあったけど。

 外は部屋の中のことには関係なく、師走の時間が過ぎていく。

 

「…………あのさ、綾波とこうしてふたりきりってのもめずらしいよな。」

 

「………そういえば、そうね。」

 

「………………」

「………………」

 

 部屋の中には静けさのみがあった。

 

 中学生のころ、ケンスケはレイのことが苦手だった。

 クラスの誰とも口をきかず、また、授業も欠席することが多かったレイ。

 たまに学校に出てきたと思えば、体中包帯だらけだったり、なにやら難しそうな本ばか

り読んでいる。

 もともと性格にすこし冷めすぎていたきらいのあるケンスケは、そんな少女には興味も

湧かず、追っかけていたのは、ただ見た目のハデな俗に言う『美少女』だけだった。

 ところが「チルドレン」という呼称が過去のものとなり、呪縛から解き放たれたレイと

会ったとき(そのころはケンスケ自身も自分の過去に決着をつけていたのだけれど)、あ

あ、この少女は不器用な女の子なんだ、と解った。それからのケンスケは、そこに恋愛感

情は無かったけれど、なにかにつけ、レイの面倒をよくみた。それはシンジ以上だったの

は間違いない。もっともシンジ自身、そのころは家族であるアスカやミサトとの絆を取り

戻すために必死に自分と戦っている最中でもあった。

 そんなケンスケだったが、彼自身それまで異性との接触といえば、カメラのレンズを通

してでしか経験が無かったのだから、ある意味ケンスケの成長に影響を与えていたのは実

はレイ本人だった、と言えなくも無い。ただ、幸か不幸かレイもケンスケも、あるいはま

わりの人間もそのことには全く気がついていなかった。そしてそれは今でも続いている。

 

閑話休題

 

 そんな不思議なカップル(と呼べるかどうかは別にして)だけに、このなにも無いギャ

ラリーの中でも、別にどちらから不満が出るわけでもなく、時間の流れに身を任せること

ができた。が…、

 

「………相田君……」

 

「ん?」

 

「………相田君は、……付き合っている人、いる?」

 

「………いや。」

 

「…………そうなの?」

 

「………ま、こんな仕事してるとさ、休日も不規則だしゆっくりデートの時間とか取れな

いじゃん。取材でこの街に居ないことも多いしな。」

 

「…………………」

 

「……………周防さんって言ったっけか?綾波の付き合っている人。」

 

「………うん。」

 

「…………はは……名前、間違えなくてよかった……」

 

「でも…………恋人ってわけじゃないの。」

 

「え?」

 

「…………アスカたちや、洞木さんたちとは違うと思う。」

 

「…………でも、付き合ってることに違いはないんだろ?」

 

「…………よく、わからないの。」

 

「…………なんだよそれ。」

 

「…………そういうこと、周防さんに言われたこと無いもの…。」

 

「…………言ってほしいのか?」

 

「…………」

 

 

 ケンスケの問いにレイは答えなかった。そのかわり、コーヒーを冷ますように、『ふー

…』っと口元の紙コップに息を吹きかける

 

 あいかわらず、不器用な娘だな…………

 それとも…………

 

「ねえ、相田君。」

 

「へ?」

 

「………相田君にもすてきな人が現れるといいわね。」

 

「綾波………」

 

「碇君や鈴原君がうらやましがるくらい………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾波もさ…………」

 

「え?」

 

「幸せになれるよ。惣流や委員長が裸足で逃げ出すくらいにさ………」

 

「………そうね……そうなるといいわね。」

 

「なれるさ、絶対。」

 

「…………ありがとう」

 

 

 

 2,025年もあとわずかとなった12月のある日。

 ちょっと不器用で、ちょっとヘンテコなカップル?の一こま

 

 

next chapter 2

 

 

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