Chapter 2

 

「アスカ〜、シンジく〜ん。仕度できた〜?」

 

 きょうも元気な葛城、もとい加持ミサトさんは、我が子の手を引きながらご自宅の玄関

で彼らを待っていた。ほどなくやってきたのは、ブラックジーンズにフライトジャケット

を着た碇シンジ君。例によってはにかんだ顔で頭をかいている。

 

「すみません、ミサトさん。アスカがまだちょっと仕度に手間取ってて…。」

 

「まったくもう…。別に今からパーティーに行こうってわけじゃあるまいし、ちゃっちゃ

っとしなさいってのよ。」

 

「はは…」

 

 とりあえずシンジは笑ってごまかすことにした。そうしていると、

 

「ごめんシンジ、待たせちゃった。」

 

 とことことやってきた惣流アスカ・ラングレーさんのきょうの服装は、シンジとおそろ

いのフライトジャケットに、ちょっとゆったりした感じのジーンズだ。ついでに言うと、

髪型もきょうはポニーテールにしている。

 待ってたのはシンちゃんじゃなくて、このわたしなんだけどねぇ…などという事は、心

に納めることにした。

 

「さあ、それじゃあ出かけましょうか。」

 

 

 

 

 

 

 しばらくの後、ミサトの運転する車は郊外の住宅地を抜けて第三新東京市市街地へと向

かっていた。きょうはいつものルノーA310は、加持が乗ってネルフへと出かけている

ため、かわりに加持がいつも乗っているステーションワゴンに一同は乗っている。

 ミサトはきょうは非番で、暮れの買い物に出かけることになっていた。そのミサトにア

スカとシンジは便乗して、市街地まで行くことにしたのである。

 ミサトの目指すデパートは街のちょうど中心にある。シンジたちの目的地もそこからさ

ほど離れてはいなかったのも幸いした。

 

 

 

 

 この子達も、おとなになっちゃったわねぇ………

 

 

 

 

 車を運転しながら、ミサトは後席に並んで座っているアスカとシンジをバックミラーで

見つつ思いをはせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンジ君!アスカっ!!第一種警戒態勢が発令されたわ!すぐに車に乗って!!」

「「はいっ!」」

「日向君!状況は?!」

『使徒は現在、強羅絶対防衛線の30キロ手前まで接近しています!第三新東京市到達は

およそ10分後の予定!まもなく第一種戦闘態勢に移行します!!』

「了解!セカンド及びサードチルドレンはすでに収容、このままケージまで直行するわ。

カートレインの用意をお願い。それとリツコに言って初号機と弐号機の発進準備を!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いまではこの街に兵装ビルがはえてくることも無ければ、アンビリカルケーブルの電源

ソケットが現れることも無い。街のなかを歩く人々の波は、どこにでもある年の瀬の風景

だ。自分の運転する車の後席に座るのは、もはや少年と少女ではなく、おまけに助手席の

チャイルドシートには、自分のおなかを痛めた愛しい我が子が鎮座している。

『高齢出産だったんだけどね(ぼそ…)byアスカ』

 

 

 わたしも歳を取ったってことか………

 

 

 ふう…と漏らしたため息は、なんとも言えない満足感と、ほんの少しのさびしさに包ま

れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンジ君、ほんとうにここでいいの?まだ、だいぶ距離があるわよ。」

 

「ええ。すこし街の中を歩いてみたいんです。」

 

「………そっか……。わかったわ。じゃあ相田君によろしくね、写真展にはわたしも親子

三人で見にいくわ。それとレイにも、たまには顔を見せるようにって。うちの人も会いた

がっていたから。」

 

「わかりました、言っておきます。ミサトさんも歳末バーゲンがんばってくださいね。」

 

「他の女どもに負けんじゃないわよ!!」

 

「まっかせなさい!伊達にネルフの作戦部長をやってたわけじゃないわ!!」

 

 ネルフとバーゲンの間にどんな関係があるんですか?とシンジが突っ込むより早く、ミ

サトはホイールスピンとともにワゴンを発進させていた。

 

 

 

 

 

「じゃあアスカ、行こうか?」

 

「ええ。」

 

 そしてシンジとアスカは、暮れの第三新東京市の喧騒のなかを歩き出した。

 

 いまの街並みは、すべてが終わった後、新たに建設された建物ばかりだ。

 シンジたちはその新しい街並みが建設されていくのをずっと見つめながら成長した。こ

の街は自分達が破壊した街。そして新たに生まれ変わっていくのを見守った街…。

 

 

 この街をこうして歩くのも、ひさしぶりだな……

 

 

 シンジは歩きながら、なんともいえない感慨に包まれていくのを感じていたが、

 そのとき急に一陣の風が吹いた。

 

ひゅぅぅぅぅぅぅ

 

「きゃ……」

 

 思わずアスカは首をすくめて小さく悲鳴を上げた。

 

「どうしたの?」

 

「髪型変えてるからさ、首筋が…」

 

「あ、そうか。………じゃあさ。」

 

 そういうとシンジはアスカのジャケットのボアを立ててやった。

 

「これなら寒くないだろ?」

 

 そして同じように自分のジャケットもボアを立てた。

 

「ふふ、まあね。」

 

 それからふたりは、別段これといった会話をするでもなく、

 そのまま並んで歩きつづけた。

 ときおりアスカがブティックや、しゃれた感じのお店の前で、その歩みを止めることは

あったけれど。

 しばらく歩いて大通りの交差点まで来たとき、たまたま信号が赤になっていたため、ふ

たりの歩みはいったん中断された。

 

カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ…………

 

 視覚障害者用の発信音が鳴り響くなか、なにげなくあたりを見回していたアスカの視野

に、ある光景が飛び込んできた。

 

「シンジっ!あれ、もしかしてさあ…」

 

「え?……あ!」

 

 ふたりは信号が変わると同時にその光景に向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

「こまったなあ…。だ・か・ら・こ・こ・じゃ・な・く・て………」

 

 その交差点のかどにある交番に勤務する某巡査(本人の希望により匿名)は困り果てて

いた。目の前にいる中年女性に対してである。彼女はろうあ者だった。

 先ほどから説明は何度繰り返しただろうか。間の悪いことに、手話のできる相棒の巡査

はいまはパトロールに出ていた。

 

「あの………。もしかして耳の不自由な方じゃありませんか?」

 

 

 

 

 後日、某巡査は『世の中捨てたもんじゃない』と語ったとか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ははははは…しっかしさっきのシンジったらなによ〜。おまわりさんに名前聞かれて『名

乗るほどの者じゃありません』だってさぁ。おかしいったらありゃしない。」

 

「そ、そんなに笑うことないだろっ。(真っ赤)」

 

「あははははははは…」

 

「………だって恥ずかしいじゃないか………(泣)」

 

「…………昔のあたしだったら……聞かれなくても名乗ってたわね…」

 

「アスカ……」

 

「ごめんねシンジ………」

 

「いや、いいよ。」

 

「…………ううん。さっきのことじゃないの。」

 

「え?」

 

「…………あたしね………」

 

「なに?」

 

「…………最近思うんだ…………」

 

「…………これから先、あたしはどんな人生おくるのかな…って。」

 

「……………………………………」

 

「………いま携わっているプロジェクトも、いずれは終わってしまう。その後はどうなる

んだろうって………。」

 

「……………………」

 

「………………いまのね、研究室から、そのまま残ってくれないかって言われてるの。」

 

「……………」

 

「………………でも、……こっちの大学からも帰ってこい…………って。」

 

「………………初めて聞いたな、その話。」

 

「………………ごめん。」

 

「………………」

 

「……………怒った?」

 

「……………いいや。怒ってはいないよ。」

 

「……………うん。」

 

「……………ぼくは…………この第三新東京市が大好きだ。」

 

「え?」

 

「でも、いまのぼくには、この街はいるべき場所じゃない。」

 

「…………向こうの街のこと?」

 

「うん。」

 

「……………そっか…。」

 

「……………それとさ……」

 

「なあに?」

 

「ぼくにとって、なにが一番大切なものかは、もう決めてるんだ。」

 

「………なんなの?」

 

「お、教えないっ!!」

 

「む!あたしに隠し事する気ぃ?!」

 

「あ…アスカだって黙ってたじゃないかっ?!」

 

「うっさいわね!さっさと白状しなさい!!」

 

「い…言えないよっ!」

 

「ばかシンジのくせに生意気よっ!!」

 

「いててててててててて!!」

 

「このこのこのこのこのこのこのこのこの!!!」

 

「か…勘弁してよ………」

 

「はあはあはあ…どう?言う気になった?」

 

「………今はまだ言うべき時じゃない。でも……」

 

「え?」

 

「その時が来たら、必ず言うよ。アスカ。」

 

「……………うん……………」

 

 

 

 

 そうつぶやいたアスカは、そのまま俯いてしまった。シンジはそんなアスカのことを別

段心配しているようには見えない。が、ふたりの後ろ姿は先ほどと比べて、ほんの少しだ

け距離が近づいているように思える。たぶんそれは錯覚ではないはずだ。

 

 それからどのくらい歩いたのだろうか。ふいにアスカは顔をあげて立ち止まり、キッと

した表情で前を見据える。そのまま右手をグッと握り締め、その決心を『宣言』した。

 

 

「あたしね…………自分の人生を人に決められるなんて、絶対にイヤ。だからあたしの人

生は自分で決めることにする。それでいいんだよね、シンジ。」

 

「うん。それが惣流アスカ・ラングレーだろ。」

 

「なかなか分かってんじゃない、碇シンジ君。」

 

「アスカに随分教育されたからねぇ…(遠い目)。」

 

「なによそれぇ。」

 

 

 

 さすがに年の瀬だ。比較的暖かい冬だった今年も、きょうはすこし風が吹いている。こ

れもセカンドインパクトの影響が無くなって来た証拠ではあるのだが…。

 

 

「…………なんか少し寒くなったね…」

 

「平気だよ、あたし。」

 

「また無理して………」

 

「違うってば。えいっ!」

 

「あ……」

 

 言うより早く、アスカはシンジのジャケットの左のポケットに自分の右手を差し入れた。

ちなみに左手はちゃんと自分のポケットに入っている。

 

「………やっぱり寒いや。」

 

 ぽつんとつぶやいたシンジは、なにげなく自分のジャケットのポケットに両手を差し入

れた。

 

 

 

 

Chapter 3

 

 

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