私の好きな言葉 ( 選 者 掲載年月号 ) 防府医師会報より
昭和編 1
尾生(びせい)の信(しん) | 神徳 通也 | 59年 5月号 |
智に働けば角が立つ 情に棹さしゃ流される 意地を通すと窮屈だ 兎角此の世は住み難い | 佐伯 恭一 | 59年 6月号 |
人間は考える葦である | 大野 市郎 | 59年 7月号 |
念仏(者)は無碍(む げ)の一道なり | 大西 力 | 59年 8月号 |
寛 容 | 和田 立美 | 59年 9月号 |
一 誠 感 兆 人 | 井上 英正 | 59年10月号 |
高原の陸地に蓮華を生ぜず卑湿の淤泥に、乃ち蓮華を生ず | 脇 質 | 60年 2月号 |
君 は 出 来 る よ | 高橋 徹郎 | 60年 3月号 |
利害得失を論ずるは易しといえども 軽重是非を明にするは甚だ難し 福沢諭吉 | 市川 敢一 | 60年 5月号 |
惻隠の心は仁の端なり | 内田 道生 | 60年 6月号 |
足 る を 知 る | 田辺 稔 | 60年 7月号 |
河海は細流を択(えら)ばず | 三浦 明 | 60年 8月号 |
学問はこれを身に体し、これを事に措いて、始めて用 をなすものである。しからざるものは死学問である。これは世間普通の見解である。しかし、学芸を研鑚して造詣の深きを致さんとするものは、必ずしも直ちにこれを身に体せようとはしない。必ずしも径ちにこれを事に措かうとはしない。 そのコツコツ(*1)として年を閲する間には、心頭姑(しばら)く用と無用とを度外に置いている。大いなる功績は、此の如くして始めてかち得らるるものである。 森 鴎外「渋江抽齋」 | 長嶋 宏武 | 60年 9月号 |
戦争というものは人間の心の中で始まるものであるから平和の防衛が組織されなければならぬのも人間の心の中においてである」 ユネスコ憲章 | 水津和夫 | 60年10月号 |
「負けてたまるか」 「明日は明日の風が吹く」 | 各務 正 | 60年11月号 |
理にかなうも悟りにあらず | 周防 友弥 | 61年 2月号 |
名医となるよりも良医となれ | 末兼 保史 | 61年 3月号 |
一 期 一 会 | 水津 和夫 | 61年 5月号 |
寒蝉枯木を抱く | 光山 幸助 | 61年 6月号 |
医道無為 唯従自然 尽無不為 唯命俟天 | 南園 義一 | 61年 7月号 |
君 看よ 双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり | 斉藤 重道 | 61年 8月号 |
病者のためにさわやかな法を説くがよい | 岡村 辰典 | 61年 9月号 |
識(し)り易( やす)し 浮生(ふせい)の理 (り) 一物(いちぶつ)をして違( たが)わしめ難( がた)し 杜甫 |
福谷 啓也 | 61年10月号 |
愛語能く回天の力あり | 大西 力 | 61年11月号 |
盧山煙雨淅江潮 | 黒川 簡 | 62年 2月号 |
煩 悩 即 菩 提(ぼん のう そく ぼ だい) | 三浦 敏男 | 62年 3月号 |
秋菊有佳色 (*褒)露(*綴) 其英 汎此忘憂物 遠我遺世情 一觴雖独進 杯尽壺自傾 日入群動息 帰鳥趨林鳴 嘯傲東軒下 聊復得此生 陶淵明 飲酒二十首 其の七 |
松本 允正 | 62年 4月号 |
(*)コンピューターに漢字無し