今、民間病院を救わなければ
21世紀の医療供給は危機を迎える

           メディカル・クオール NO36 1997.11


 今、日本の民間病院は行政がまきちらした〃縮小菌〃というウイルスに冒されている。今回の保険医療改革を待たずして病院が病気になってしまっている。全日本病院協会の脱会者の60%は廃院が脱会の理由と聞くが、ある意味でこれは当然の帰結だ。
 なにせ行政は、一方で公的病院に対しては国民の税金を投じて年間3000億円から4000億円もの赤字を埋めるだけではなく、9000億円近い費用を施設整備のために使いながら、民間病院には経営努力をして保険外収入を増やせというのだ。それも、バブルがはじけて、企業が福利厚生費をカットしはじめ、人間ドックや検診事業でさえ厳しい状態が続いているなかで、公的医療費の一部負担金を引き上げるだけでも大騒ぎするほど国民皆保険に憤れてしまっている地域住民に、さらに負担をさせろというのである。
 また、病診連携にしても、本米、民間病院や診療所の活力と効率性を巨大病院の不効率と交えろことによって、患者の安心と納得を得られるよう機能分担していくものであったはず。だが、現実をみるとこれまで地域のコモンディジーズを支えてきた民間病院が後方病院のようにされて、特定機能病院や巨大病院から在宅へ戻す前の中間施設のようになってしまっている。この10年間、民間病院は人を減らしたり、ベッド数を減じて助成金を受けて医療機能を上げたり、慢性疾患に対応して標榜科目を変えたり、懸命に経営努力を続けてきたが、その結果がこれだ。それも、患者にとつて好ましい医療が行われているならまだしも、事実は逆で、民間病院なら1週間で出せる検査結果を出すのに、巨大病院は管理システムのまずさから3-4週間もかけ、患者に不必要な不安な日々与えているという。
 なぜ、このようなことがまかり通るのかといえば、答えは明白だ。厚生省にある8つの審議会を経て、国会の決議を得た政策は「命令」であり、命令の前には誰もが屈服せざるを得ないからだ。しかも、命令をする官僚たちは自らが国民の気持ちを代弁しているという錯覚のもと、「老人は不必要な医療を受けている、病院は不必要な医療を堤供している」という前堤に立っているのだから始末に終えない。
 今回の患者負担金の増額にしても、被保険者が保険科を納付している限り、受給権は当然の権利であるのに、それを損ねたばかりか、堂々と活字に「受診抑制のため」と書いている。政府が国民に義務ばかりを果たさせて、権利を保膵しないというのでは、これはもう恐怖政治以外の何物でもない。
 まさにこれは世紀末の出来事で、このまま事態が進めば国民すべての共通的財産である、年金と医療は亡失してしまうに違いない。憲法第25条に保障された国民の権利が、政府の命令によって崩壊してしまうかもしれない。
 少なくとも、来年になったら民間病院の倒産は急遠に増加し、今世紀を超えて生き残るのは6割に満たないと思われるが、その時残された医療供給体制は、民間病院が支えてきた地域医療を補えるのであろうか。答えはノーだ。大病院はあふれる患者に対処し切れず、開業医が面倒をみるにもすぐ限界は来る。医療を受けられず、売薬ですませる高齢者が増え、結果的に国民の平均寿命は大幅に下がるに違いない。そして、医療費も厚生省の思惑通り大幅に低くなるのであろうが、それで政策は成功したといえるのだろうか。
 繰り返すが、民間病院を潰したら大変なことになる。今、行政が行うべきことは保険改革などでは断じてない。まず、瀕死の民間病院を治療することで、そうしなければ医療の供給を誰も保障し得なくなる。


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