2025年の国民医療費141兆円と
毎年1兆円の「自然増」というまやかし

メディカル・クオール NO35 1997.10


 現在、26兆円の国民医療費が、2025年には141兆円に膨れ上がるという予測がある。その時には医療費の50%、70兆円が老人医療費で占められるようになるというのだが、どのような計算を行えばこのような数字が弾き出されるのだろうか。ある時点から初診科が5万円にも、10万円にも跳ね上がるというのなら話は別だが、インフレ抑制の経済環境のなかで、現行の医療供拾体制では対応し切れないほどの医療需要が発生するという根拠はどこにあるのだろうか。数字のまやかしにすぎない。
 ところが、今の保険医療改革はこの数字を前堤に、医療保険システムの見直しやムダの排除など抜本約な対策も行わずに、財政負担を一方的に国民に押し付け、薬価も廃止しようとしている。これについて厚生省は「薬価差異存の病院経営体質をなくす」というが、これは言葉を換えれば薬価差依存の厚生省の予算体質をなくすことでもある。これまで厚生省にとって打ち出の小槌であった薬価改定が、薬価差がなくなり小槌の用をなさなくなったため、参照価格制を言い出したにすぎない。そして、それによって不足する財源を国民の負担によって賄おうとしているわけだ。
 ところで、厚生省は2025年の141兆円という数字を使う一方で、医療費の伸びはGNPの伸びの範囲内でなければならないともいう。官房長時代の岡光前事務次官が言い出したもので、学問的根拠も、統計的根拠も何もないものだ。また、医費には毎年4%、1兆円ずつ増える自然増があると言い出した。しかし、実際に自然増といわれる4%の中味を調べてみると、高齢化等の進展によるものが2.5%、医療の高度化によるものが1.5%で必然増だ。自然増などというあやふやなものでは断じてない。
 これらについては日本医師会の坪井会長も〃当然増〃という同意義の表現をされている。ところが、今度の予算では1兆円の必然増のうち5400億円を削減するという。それも病院の不正請求を摘発したり、保険者の支払いコストを削減してというのならまだしも、高齢化に対する医療の奇与や医科学の進歩を否定するような形で削ろうとしている。しかも、公的病院に対して施設整備費と助成金を全わせて1兆2000億円もの予算を付けながらの話だ。
 こんな馬鹿げた事態が発生するようになった原因は、すべて日本の役人の無能ぶりにある。頭が悪いといっているわけではない。元々能力はあるのに、いうことは正しいのに、やっていることが間違っている。なぜ間違うのかといえば、医療の現場に行かず、老人医療の実態を知らず、財政のソロバン合わせだけを論議しているからだ。
 そして、今も9月1日からの健康保険法改正による病院窓口の混乱ぶりも、外総診採用病院での老人のがん患者への対処をめぐっての困惑ぶりも他人事のように、財政の専門家ばかりを集めた審議会で財政のつじつま合わせを行っている。もし、これからも一部の施政者とその代行者の権能によって、国民の既得権や期待権が強制的に奪われるようなことが許されるのであれば、いずれ政府は厚生年金の大幅減額までも、ある日突然、国民に対して通告するに違いない。その手法は民主主義などではない。民意に反した全体主義国家の手法と寸分と変わらないものであって、恐ろしささえ感じる。そして、あえていってしまえば、厚生省は現行の医療保険改革で、国民の平均寿命を引き下げようとしているのではないかとさえ思えてならない。


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