「誤解と偏見に満ちたマスコミ報道」

勉強不足をただすべき時期が来た

  岩田めい達  医事放談
       月刊「メディカル・クォール」 NO33 1997より


 先日、日本経済新聞の三面に「医療機蘭の58%が薬価基準の廃止に賛成」の見出しが躍った。中身を読むと全国約1万病院のうちわずか175病院からの回答をもとに書かれた記事で、「制度改革に追い風」というような解説がついている。全日病が実施した調査では回答してきた病院のなかの50%、500病院が「薬価基準の廃止は困る」と答えているのを知るだけに、いかにも意図的な記事という印象が残った。
 行政が医療費の負担を患者に押しつけ、財政のつじつまを合わせるような医療保険改革を行っている時に、本未なら体制のそういう部分を批判するべき一般ジヤーナリズムが、なにゆえこのような報道をするのか理解することはできない。思えば、彼らが医療を報道の対象とする時は、医者は儲けすぎとか、薬漬け医療とか、脱税が多いとか、とかく医療のダーティな部分に焦点を当てて取り上げる傾向がある。行政を批判し、返す刀で医療改革に正義のペンをふるっているつもりなのかもしれないが、医療界が抱えている構造的な問題を勉強もせず、理解しないで書くからバランスの悪い報道になる。
 たとえば、若い医者の鼻つまみ的な行動を正すために正義のペンをふるうのはいいが、そのために自分の青春も忘れ、昼夜の別なく患者のためにと頑張っている若い医者や看護婦に至るまで、同じ論調で語るということになると、これは弊害のほうが大きい。また、弊害を生む最たるものに「医療不信」「患者不在」といったマスコミ造語があろ。こんな言葉は死語であって、今の病院や診療所は金太郎飴のごとく「患者本位の医療」を口にしているのが実情だ。ただし、その方法には問題がないわけではなく、職員に「患者様」といわせている病院もあると聞く。そんなものは言葉の遊びであって医療サービスの本質というものは結果評価の積み重ねによって患者の信頼を得ていくものなのだが、マスコミの論調に影響されておかしな過剰サービスが行われている。
 さらにいえば、薬漬け医療などという言葉にしても、今だに20年も前の古典的な薬と薬価差の関係を語るだけで今日的な根拠は何もない。病院の医師のほどんどは大学から来たサラリーマン・ドクターであって、彼らには薬価差のために薬漬け医療を行う理由はどこにもない。処方する薬が多いのは、現代の薬学的情報をもとに副作用と安全性に配慮しているからであって、マスコミが思っているような理由によるものではないのだが、マスコミは勉強不足で知らないから、「多剤投与は差益のためだ」と金科玉条のごとく書き続ける。その記事を読んだ患者が必要な薬を飲まなくなったらどうなるかなど、考えてもいないに違いない。
 もっとひどいのは「三時間待ちの三分間診療」という言葉だ。これは病院の診療を指してのものだが、現代の病院では三分間で診療を終わらせようと思っていてもできるわけがない。検査をしたり、他科の医師と情報を交換したりしなければならず、複合的な医療を展開するには半日かかることもある。それをすべて待ち時間とするのがまず認識の誤りだが、百歩譲って待ち時間が長いことを認めるにしても、街中に三時間も入れないレストランがあれば「行列のできるレストラン」と報じられるはずで、決してネガティブな評価はされないはずだ。なぜ、努カして患者の評価を待たドクターだけがたたかれなければならないのか、私には理解できない。
 医師会も病院会も、ましてや個々の医療機関がマスコミとはケンカしたくない気持ちはわかるが、悪意のすぎる報道は医者と患者との信頼関係を損ないかねないところまできている。そろそろマスコミの勉強不足を正すべき時期ではなかろうか。


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