医療保険との組み合わせも難しいで


落語医者の介護保険あまから問答 その八
    北畑英樹氏 メイディカル・クオール NO38 1998

  家族無視の介護認定で大丈夫やろか
「ご隠居さんの話を聞けば聞くほど、介護保険は難しいもんやと思うようになってきました。出発の介護認定から、あんなに問題があるんやから、こりやなかなか大変ですなあ」
「しかし、ここまで話が進んだら、いろいろ矛盾があってもスタートするしかないやろな」
「そうですやろな。いまさらヤメともいえず、大幅な改正しても混乱するだけですからなあ。そしたら、仮にわたしが介護認定されたとして、そのあとはどうなりますか」
「そこで、ケアプランという介護サービス計画を立てるんや」
「認定の範囲の金額で何をするかのメニューを決めるんですね」
「そうや。まず、ケア・マネージヤー、日本語でいえば介護支援専門員という人が家へ来て、再度本人の健康状態やら、その日常生活の能力やら、それに家族の状況なんかを調べるんや」
「なるほど」
「熊さん、この段階ではじめて家族の状況が考えられてるということに気がついたか」
「そういうと、介護認定の時は本人だけが問題で、家族のことは無関係やったんですね」
「介護認定の時点では、あくまで本人の介護度が問題で、家族の介護力は考えられてないんや。これが今までの措置制度との大きな違いや」
「と、いうことは、措置制度やったら家族のことも考えてたんですな」
「そうや。家族の状況やら経済的な状態なんかを含めて、老人を取り巻く全般的なことと、老人本人の状態を考えて措置してたんや」
「でも、介護保険では家族のことを無視して介護度を決めて、その後で家族の状態を考えるんでしょ。そしたら不都合なこと起こりませんか。介護のほとんどは家族がするのに」
「そうや。その点をワシも心配してるんや」
「たとえば息子は朝から晩まで働いてる、嫁は病弱で寝たり起きたりの貧之な生活という家庭のジイさんと、家に人手は十分、経済的に何の問題もないという家庭のジイさんとが同じ介護度やったら、どうなりますか」
「当然、介護度が同じやから、保険でもらえるサービスの金額は同じになるわな。それに、家族に介護力があっても、介護保険を請求する権利は同じようにあるんやから」
「それは公平ですか。なんとなく不公平のような気がしますけど」
「ワシも、なかなか納得できんのやけど。ワシの考えでは、介護力の低い家庭のジイさんの場今は、へルパーさんを派遺して家事をしてもらうことが第一になるやろなあ。もしジイさんの介護認定が低かったら、それだけで全部の権利を使い切る可能性もあるのと違うかなあ」
「ほんなら、金持ちの家のジイさんはどうなります」
「家事や介護やらは、家族でほとんどできる状態なら、デイケア・センタ−に通うとか、訪問リハビリ受けるとかで認定分の費用使うことになるやろなあ」
「そやけど、貧乏なジイさんもリハビリ受けたり、デイケアに通ったりしたほうが本人にはいいのでしょ」
「そうや。そこが医療保険と介護保険の違いなんや」
「といいますと」
親不孝が得する制度に納得できるか
「そもそも医療保険というのは、誰でも病気になった人に乎等に最適な医療を提供しようという思想なんや。たとえば、金持ちには手術するけど、貧乏人には我慢してもらうということはないんや。どの人にも最適な医療を提供しようというのが医療保険なんや。それに反して、介護保険は、何回もいうように認定制度で、個々の生活に応じた、いわば最小限で効率のいいサービスをしようという思想なんや」
「なるほど。最適と最小限ですか。この場合やったら、貧乏なジイさんにもリハビリを受けさせるのが医療保険、我慢してもらうのが介護保険ということですか」
「まあ、そういうことや」
「ほんなら、リハビリは医療保険で、その他は介護保険でということにしたらどうですか」
「介護保険にあるメニューを医療保険でやるのは抵抗が強いやろなあ。それにしても、医療保険と介護保険をどう組み今わせるか、これも大事なポイントやで」
「そやけど、病気になったら医療保険、病気やなかったら介護保険。こんなこと常識ですがな」
「単純にいえばそういうことになるけど。慢性の病気が多い老人では、その区別は本当は難しいことらしいで。現在は、なんとなく症状が重かったら医療、軽いのは介護と分けられてるんや。その区別がなんとなくやから社会的入院ということもあるんや」
「なるほど。それではお金がかかるから、社会的入院を介護サービスの方へ回そうとして介護保険を考えたんですからね」
「まあ、そういうことや。しかし、社会的入院というのは、病院以外に老人の受け皿が不足してたことが最大の原因やで。それに医療保険は、さっきもいうたように最適という公平性があるから、お金がたくさん必要になるという面もあるわな」
「なるほど、病院は費用のかかる受け皿なんや。だけど、年寄りは介護だけでは不十分でっせ。医療もないと」
「そら当然のことやなあ。たとえば、この前インフルエンザが流行した時、特別養護老人ホームの人がたくさん亡くなったやろ。これなんか、介護が中心になりすぎて医療が手薄やったからのことや」
「やっばり、どうしても医療保険も必要ですがな」
「そりゃそうや。今までは医療は保険、介護は税金による措置となってたから、それなりの区別はついてたんや。しかし、介護保険になったら、どちらも保険や。ますますややこしいことになってしまう危険性もあるで。いずれにしても、この基本的に考えの違う保険を同時に使うのは難しいことや」
「なるほど、最適の医療保険と最小限の介護保険とでは、そりや仲良くやれませんわな」
「まだまだ、試行錯誤に時間かかるやろなあ」
「それと、さっきの話では、家で十分面倒みられてる年寄りでも介護保険を請求できる権利があるということですけど、そうなったら今より余計にお金がいるのと違うかと心配してるんですけど」
「その心配はあるなあ。介護度は本人だけの問題やからなあ。そうなると、以前に話をしたモラル・ハザード現象が心配や」
「あの道徳的退廃とかいうやつですな。そやけど、保険科払ってるんですから、利用しない手はないですわな」
「そりや、そう考える人も多いやろ。しかし、その逆の可能性もあるんやで」
「と、いいますと」
「たとえば、家族が協力して、時間を決めて老人をトイレに誘導してたとすれば、介護認定ではオシメ使用なしということになるわな」
「なるほど。そしたら、一生懸命頑張ってオシメにならんように介護してる家族よりも、面倒やからとオシメにした家族のほうが、介護度が上がって、たくさんサービス受けられるということになってしまうんですか。納得しにくいことですなあ。規不孝のほうが得やなんて」
「まあ、介護は損得の問題とは違うと思うけども、こんなことも介護保険の大きな問題点やないかと心配してるんや」



その九にご期待下さい。
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