自由に生きる権利

1

裁判所の前には人だかりが出来ている。

それもそのはずだ、街の権力者のヘラが再び法廷に現れる事となる。数日前に起きたソドム市長のスキャンダルすらも天気予報レベルのニュースにしてしまうほどだ。そもそもはソドム市長のスキャンダルから派生した事件だった。

その人だかりはジッタをますます緊張させる。彼はロイドと二人で街の仕立て屋で法廷に出る為の服を用意までしていたのだ。ロイドの勧めで何故かタキシードに蝶ネクタイ姿のジッタは先ほどから緊張で身体震え、足元には震えからくる小さな砂埃が起きていた。

「あんまり緊張するなよ、毅然とした態度で挑めばいいんだよ」とロイドが言う。

「う、うるせーな、わかってるよ…」

ジッタは返すが一瞬震えが止まったのは話している間だけだった。

「そうだ。今日裁判があるって事を皆にも話しておいたぜ」

「な、なんてことしてくれるんだよ!」

「え?お前の晴れ舞台だろ?」

「余計なお世話だ!」

そういいながらジッタは周りを見渡すが風雅達の姿は無いようだ。裁判所で一般人が入場できる時間が異なるだけだろうか、いくら目を凝らしても集まった野次馬の中に風雅達の姿を見つけることはできなかった。

人混みを掻き分けてシハーの警察官の格好をした数人がジッタの側に来る。そして裁判所を指差して「事前に打ち合わせをしましょう」と言う。人混みの中で聴きづらいので大きな声で叫ぶように。

2

部屋に案内されると既に数人が集まっている。

既に見た顔はジャスミン、それから年配の女性と、ジャスミンよりも若い女性が一人。それが警察の言う複数の証言で陪審員の心を動かす作戦、という事なのだろう。そのテーブルの席に一人ジッタが向かうが一人だけタキシードの彼は明らかに浮いていた。

「えと、まずは紹介をしておきますね」とその場を取り仕切る刑事。そして最初に年配の女性を紹介する。

「こちらの方は事件の容疑者のヘラと同じ職場…つまり踊り子として働いていた方、マーブルさんです。彼女はヘラがこの街での権力を握る以前についてよくご存知で、前市長が何者かに暗殺された事件に関しても捜査に協力していただきました。ただ裁判では身を案じて辞退されていますが、今回はそれを承知の上で参加してくださいました」

紹介された女性はヘラと同期の元踊り子とは似ても似つかない、どっしりとした体格の女性でどちらかといえば商店で働いて居そうな風貌であった。そして"上品ではない"笑顔を造ってかるく挨拶する。

「続きまして、先日不幸にも何者かによって暗殺された市長の娘さんでいらっしゃるライら様です」と紹介された真っ先に「おぉ?」と言ってしまったのはジッタだ。そこにいたのは市長の娘にしては上品さもなく、可憐でもなければ、スマートでもない。小麦色に焼けた肌、くびれなどどこにも見当たらない小太りの体格、そして派手な化粧。

「なに?おぉってなによ?」と威圧的な態度で早速ジッタを威嚇する市長の娘、ライラ。

「いや、別に…」と小さな身体を更に小さくするジッタ。見た目も態度も、二人の身体のサイズそのままであった。

「なによ?なにタキシード着てんのよ?結婚式と間違えてるんじゃないの?」

(お前の厚化粧も全然空気読んでねぇよ…)とジッタは心の中で呟いた。

「まぁまぁ、」と言って二人の間に入る刑事。それからジャスミンの紹介をした。

「そしてこちらが現在踊り子としてヘラの下で働くジャスミンさんです」

「よろしくお願いします」

そう言ってかるく会釈をする。

「裁判では質疑応答を原告側と被告側の弁護人が繰り返して行う形式となります。原告の弁護人は原告の訴えを弁護し、被告側、つまりはヘラの弁護人は彼女を弁護します。原告側の弁護人は以前王室でも裁判を行われていたグスタフ元王室裁判長がされます。被告側の弁護人は…あのアルザタールのジェノバで9割9分の勝訴率をとっていると言われる悪名高きマルコ弁護士です…」

「マルコ…!」そうジッタは叫んだ。そして彼について知っているようで続ける。

「奴は俺様の会社から技術を盗んだユンカース社の弁護士野郎だ!なんで他国の弁護士が来てるんだよ!っていうかなんでそんな金持ってんだ!」

「シハーでは裁判所制度も警察もまだできて間もないから他国から弁護士を呼ぶことは今時点では認められているですよ」そう刑事は説明する。

「ちくしょう!クソ手ごわい相手だ…あらゆる手段を使って裁判に勝とうとする奴だ」

そういってジッタはガタガタと震えた。

「え〜と…何があったのかは聞きませんが、マルコ弁護人は全市長暗殺の際の裁判でもヘラがよこしています。それを踏まえてこちらも対策を練っているので大丈夫ですよ」

そして裁判が始まる開始の合図が聞こえた。

あとは順番に法廷に呼ばれるのを待つだけだった。

3

裁判長が言う。

「まず原告証人、ライラ」

「ウッスッ」と気合いを入れるような仕草の後、証言台へと上がるライラ。彼女独自のかけ声に席にいる一同が少し引いた。

「原告側、グスタフ弁護人」

呼ばれたがしばらく誰も証言台の手前には現れない。傍聴席の一同はその"グスタフ弁護人"なる人物がどこにいるのかを探している。そして見つけて、指差すものもいる。グスタフ弁護人なる人物は欠席しているわけでもなく、コロボックルのように小さな背丈で見えなかったわけでもない。歩くスピードがとても遅かったのだ。

彼は呼ばれてゆっくりとゆっくりと、証言台の前に歩み出ていた。随分と年老いた老人で真っ白い眉毛が目を覆い隠していて目玉があるのかないのかわからない。もしくは、本当に生きているのかどうか解らないほどに血色の悪い肌に、傍聴席の一同はざわめいた。

「爺さん大丈夫かよ?途中で死んだりしないでよ」

と、ライラは心配そうにその年老いたグスタフ弁護人を見る。白熱する法廷で心臓発作でも起こされたら、とおそらく傍聴席の一同も同じ気持ちなのだろう。

震える手で資料を持って、震える声で話し始めるグスタフ弁護人。

「えぇ〜ライラさん、あなたはちょうど1ヶ月前の今日、被告人のヘラさんからお金に困っているなら、良い仕事があると言われ、現在バベルに在住しているラコパ氏を紹介されましたね?」

「は〜い」

「ラコパ氏と1日一緒にいるだけで、お金が貰えると言われましたね?」

「は〜い」

「その1日はラコパ氏と何をしたんですか?」

「ご飯奢ってもらって〜、洋服買ってもらって〜、その後ホテルに連れて行かれました」

「ホテルでは何をしましたか?」

「○○○○○」

「…」

ライラが人前では言えないような事を言ったからなのか、それともそれに驚いて心臓がストップしたのか、年老いたグスタフ弁護人は動きを止めた。先ほどまで薬物中毒者のように震えていた手も止まっていたので、今度こそ本当に死んだのかと誰もが思った。

「爺さん?、お〜い…」とライラが呼びかける。

「んん、ん、おう…んん」

再び手の震えが戻り、動き出すグスタフ弁護人。何やら奇妙なうめき声と共に、口をもしゃもしゃと動かした後、再び話を続ける。

「ヘラさんと最初に話したときに、ホテルに行く事は…知らされていましたか?」

「いいえ〜!」

「ええと、ありがとうございました。警察側では数年前にも市長が暗殺された事件で、ヘラさんを容疑者といたしましたが、関係者が死に、証拠も不十分となりまして、事件は迷宮入りとなりました。その時よりヘラさんの売春斡旋疑惑がありました。そして当時より、ヘラさんの売春斡旋の事実隠蔽のために市長が殺されたのではないかという視点から警察は捜査しておりました。今ここで彼女の売春斡旋の事実が確定いたしました」

「意義有り!」

意義を申し立てたのが被告人の弁護人、マリオだった。彼はスーツ姿に幅の広い縁メガネ姿で真面目な弁護士の雰囲気を出している。意義有り、というかけ声と共に大きく右手を空に伸ばしたが彼もジッタと同じくコロボックルであり、手を伸ばしても注意深く見なければほんとうに手を伸ばしているのか解りづらかった。

「そもそも本件とは関係ない話です。それにヘラ氏が売春斡旋をしていたというのが信じがたい話です。何故なら…みなさん、証人、ライラ氏を見てください。このオークのような醜態でどうやって売春するのでしょう?」

「てめぇ、チビッ!ブッ殺すぞ!コラッ!」

ライラが傍聴席からマリオに掴みかかろうとする。それを周りの警察官数名が抑えようとする。だが押さえきれずに傍聴席と警官3人を引き摺って、ようやくオークのような巨体はその動きを止めた。

「私だったらしません!」と更に煽り立てるマリオ。

「ラコパの奴がデブ専っつんだから私を紹介したんだろうが!てめぇ!ラコパ!そこにいんだろうが!なんでそっちにてめぇがいるんだ!ビビってんじゃねーよ!出てこいコラッ!」と今度はラコパが居るであろう"被告側の証人席"に向かって吠えるライラ。そしてまた警官数名を引き摺る。

見ればラコパと呼ばれたバベルの恐らくは貴族であろうひ弱そうな男が身体をビクつかせながらオーク似のライラの威嚇に脅えている。

「静粛に!静粛に!」裁判長が怒鳴る。そして、

「被告弁護人は証人を刺激するような言動は控えるように。ここは法廷ですよ。では次に原告側証人、ラコパさん」

おどおどとしながらひ弱な男が証言台にあがる。

「ラコパさん。お聞きしますが、あなたはライラさんをご存知ですか?」

「はい…」

「ヘラさんの紹介で?」

「…いえ。ソドム市長の娘さんなので、興味があって少しお付き合いをしただけです」

「ライラさんに興味があったのですか?本当に?」

とのマリオの言葉に

「シツコイんだよ!てめーッ!」と再びライラが飛びかかろうとする。

「ホテルには行かれたのですか?」

「いいえ…」

「ですよね〜」

案の定、再びライラの怒声が聞こえて、それからテーブルを押しのけて警察官数名を引き摺る音が法廷に響く。それを仏頂面で眺めるマリオ。そして続ける。

「お聞きなったとおり、売春が行われていたというのはライラさんの思い込みです。ラコパさんはただ、簡単なお付き合いをしただけ。互いに如何わしい関係などなかったのです。だってそうでしょう?…まぁ何度も同じことを言うのは止めますが」

そう言ってマリオは席に戻った。

怒りが収まり切れないライラは本当にオークではないかと思えるほどの荒い鼻息ですまし顔のマリオを睨みつけている。その巨体の隣では小さく震えているジッタの姿がある。順番では次が彼が証言台に立つ番なのだ。

4

「では次に原告側証人、ジッタさん」

裁判官に呼ばれたジッタは周囲をキョロキョロと見渡す行為を止めて背筋をぴんと伸ばして証言台へと向かった。それまで傍聴席にはつみやロイド達が居ないかを探していたが彼の背丈ではそれらを知る事はできなかったのだ。だが証言台に用意された彼用の椅子に立つと、思わず「ゲッ」っと小さく呻いた。

先ほどまで傍聴席には居ないと踏んでいたが何故か風雅や豊吉までも勢揃いしていた。まるでジッタの保護者かのように裁判の進行を黙って見つめている風雅と豊吉。一方で演劇を観にきたかのようにどこからかお菓子を買ってきてはポリポリと頬張りながら席にいるのははつみとテト、ナジャ、ミーシャ、ナツメグ。被告人はジッタではないのに、まるで犯罪者でも見るような目で睨みつけているのはマハとキサラだ。

緊張による汗と、別の意味での嫌な汗を背中に掻きながら証言台に立つジッタ。そんなジッタの現状なぞ知るわけでもなく、ライラの時と同じ様に震える手で資料を持って、震える声で話し始めるグスタフ弁護人。

「ジッタさん。あなたは先日の深夜、ソドム市長が殺害される現場を見たそうですが、…この写真の中にその人物が居るそうですね。誰でしょうか?指差してください」

グスタフ弁護人は数枚の写真を用意して陪審員に見えるようにした。震える指を隠しきれずにジッタは一枚の写真を指差す。

「え〜…ありがとうございます。ジッタさんが指差した写真の彼は名をポルガと言います。彼を含めこの数枚の写真に写る男達は、被告人であるヘラ氏の屋敷へ頻繁に出入りする事も知られており、そしてよく酒場で共に酒を交わす中でもある事は周知であります。ジッタさんも酒場で彼らとヘラ氏が酒を飲んでいるのを目撃されたのですよね?」

「えぇ、まぁ」

グスタフ弁護人はあいもかわらず棒読みで台本を読むので質問していてもそれが質問なのか自分の中での納得なのか、微妙なニュアンスの部分は瞬時には理解しにくい。

「彼はなぜこの法廷に居ないのかは…え〜…裁判が始まる数日前に彼は留置所で服毒自殺しました。用意した食事の中にわざわざ毒を入れて死んだそうです。え〜…以上」

ここまでは事前に打ち合わせをしたとおりだ。ここからマリオ弁護人がジッタに様々な質問をするであろう。ジッタに与えられた使命はそれらの質問になるべく素直に答えるだけだ。下手に誤魔化したり、感情を揺さぶるような事を言われてライラのように陪審員に悪印象を与えるような言動をしてはならない。

証言台を挟んで二人のコロボックルが対峙する。マリオ弁護人は振り返って陪審員に向かって言う。

「まず最初に言っておく事は、私は彼、ジッタ氏を信用しておりません」

陪審員席の間で、そして傍聴席からもヒソヒソと話し声が聞こえる。

「なっ?」とジッタは小さく声を上げて、そして「いつもの戦法で着たな、そんなのは承知の上なんだよ」とも言いたげな表情で口を閉ざしてマリオを睨む。

マリオは分厚い封筒の中から写真を取り出した。

「この写真をご覧ください」

会場がどよめいた。そこの映っているのは明らかにジッタ本人であったが、彼が被っているのは帽子でも兜でも、ましてマスクでもない。パンツだ。それも女物のパンツである。

「あ!」と傍聴席から叫び声が聞こえた。声の主はマハである。

「あたしのパンツ!」

一瞬法廷の一同がマハに視線を集中させた後に、今度はジッタに視線を戻す。

「なッ!ナニィィィ!!!」と叫んだのはジッタ本人である。額に血管を浮き上がらせて、今の状況ではマハが叫ぶべきところなのに、パンツを盗んだと思われるジッタ本人が逆に叫んでいるのである。法廷の一同は「それはお前が言う台詞じゃないだろ」という醒めた目で彼を見ていた。風雅と豊吉は顔を軽く手で覆って落胆した表情を露骨に見せないようにした。はつみ達は菓子を食べる手を止めてあんぐりと口をあけた。

「これは彼がよく通っている酒場の店主の証言です。彼は仕事が忙しいので法廷には来ていませんが、色々と"有用"な情報を私へ提供してくださいました。え〜まずジッタ氏は女性物の下着のコレクションを嬉しそうに自慢していました。どこで入手したのかと店主が聞いたところ、共に旅をしている女性から頂いたと…え〜それと、下着は洗ったものよりも履いていたものが価値があり…」

「わーッ!わーッ!わーッ!わーッ!」

ジッタは慌ててマリオの口を塞ごうと健闘するが証言台はまるで彼の身体をその場に拘束するようにその行為を遮断させた。軽くジッタの攻撃を交わすとさらにマリオは続ける。

「脱ぎたてのまだ暖かいパンツは神の下着だと。それを入手する為には眠っている女性のパンツを脱がす必要があるらしいのですが、そのテクニックでは自分は世界の10本指に入るであろうと、誇らしげに語っていたそうです」

その話を聞いてはつみは顔を真っ赤にしてうつむいた。どうしたのかとナツメグが聞くと、

「あぅぅ…わたし、朝起きたらパンツ履いてないことがあって、パンツ履き忘れたのかと思ってたんだけど…どこ探しても私の履いてたパンツ見つからなくて…」

それを聞いてナツメグは再びぽかんと口を開けた。

さらにマリオ弁護人は続ける。

「という事から、私はジッタ氏の証言は…いえ、この目の前にいる泥棒の証言…いえ、ここは正直に彼を指す適切な言葉で言いましょう。この目の前にいる"変態"の言う事なぞ信用していないのです」

ジッタは両耳を塞いで証言台に顔をつっぷして全ての声や視線から逃れるように悶えた。きっと今この瞬間彼は何故か自分が被告人として裁判している感覚に陥っているのだろう。その証拠に、

「死刑よ!ソイツを死刑にして!!!」とマハが叫び、

「地獄の業火に焼かれるといいですわ…」とキサラが履き捨てるように言い、

「ぅぅぅ…馬鹿!変態!ロリコン!」とはつみが涙目で言い、

「えと、これはソドム市長が殺害された件の裁判ですよね?」と豊吉が風雅に再度確認すると、「多分…そうなのでしょうが、でも今の状況を垣間見る限りは、もう一人裁いたほうがいい人間がいるのも確かのようですね…」と呆れさせるほどに、

会場は混沌としているのだ。

「静粛に!静粛に!」と裁判官が叫んだ。続いて「早く彼を退場させてください。これ以上ここにいたら暴動が起きてしまう!」そう言ってタキシードに蝶ネクタイのジッタは複数の警官に両脇をひっ捕まえられて退場させられた。

5

裁判は一時休廷となった。それぞれが昼食を撮りに出るなり、そのまま残って持ってきているお菓子をポリポリと摘む者もいる。そんな中でその休廷の時間を精一杯使おうとしている者がいる。

「まいった!まいりましたよ!これはまずいですよ…」

頭を掻き毟りながら待合室をうろつく刑事。予想外の展開なのか、現時点まで出ている証人は全て陪審員へインパクトは与えていない。もし仮に陪審員が法律の専門家であれば、彼等の証言などで既に判決は動いているのかもしれないが、居るのはごく普通の市民である。証人と弁護人のやりとりを見ていても頭を「?」マークで染めるだけだ。

一番決定的だったのが殺しの目撃者であるジッタの信頼度がことごとく崩された事だ。警察側の予測ではこの時点でほぼ判決が出るだろうと踏んでいたからだ。

忙しく部屋を動き回る刑事に反して弁護人のグスタフはお茶を静かにすする。

「グスタフさん、どうすればいいですかね?」

「んぁ?」

「今我々は不利な状況に立たされているんです!」

「…証言だけでは物的証拠が不足しすぎている。マルオ弁護人だったかな、彼がそうしたように写真など決定的な証拠が必要なんだよ」

「ふむ…次に掛けるしかないのかな…」

「うむ」

そうこうしているうちに再び裁判が開始されようとしている。

お茶をゆっくりすすってから、グスタフ弁護人は音を立てずにゆっくりと部屋を出て行く。その彼に残りの二人の証人、マーブルとジャスミンが続いた。

6

裁判が再開されてから最初の原告側の証人はマーブルだった。

ライラに負けずと劣らずの体格の彼女の前では証言台は少し小さく見えた。ただ彼女はライラと違い、ただの巨体というよりも貫禄があった。彼女が踊り子だった時代ではその魅力で観客は身動きが取れなかったであろうが、今では凄まじいまでの威圧感で傍聴席の人々が身動きが取れなくなっている。

グスタフは分厚い革張りの本を証言台に置いた。その瞬間だった。被告であるヘラも彼女の弁護人のマリオも目の色を変えた。ヘラには発言は認められていないのに、お構いなしに彼女は怒鳴り散らす。それほど焦っていた。

「なぜその本がそこにあるの?!それは私の物よ!」

「静粛に!」と裁判官が制す。と同時に、慌ててマリオ弁護人が彼女を止める。二人の顔色はみるみる青ざめ、それから二人でヒソヒソと相談をし始めた。

「え〜…この革張りの本をご存知ですか?」

あいもかわらずグスタフは台本を読むように淡々と言い放った。

「ええ。知っています。それはバベルに住む豪家達のリストです」

「これをどこで手に入れましたか?」

「とある親切な方が私にくれました」

「嘘よ!盗んだのよ!」とすかさず再び叫ぶヘラ。マリオ弁護人は慌ててヘラを止める。

グスタフ弁護人とマーブルはまるでその場所にヘラが居ないかのように彼女の存在はあえて無視して表情ひとつ変えずに淡々と話を続ける。

「この豪家の方々の名前の隣にあるのはなんですか?人の名前のように見えますが」

「調べれば解ると思いますが、豪家に身売りされた踊り子達の名前です」

「身売り…?というと、この隣にある数字は金額でしょうか?」

「そうですね。書物の最後には身売りの成立である証拠のサイン付きの契約書があります。豪家の方々と、ヘラさんのサインです」

「何故あなたはそれをご存知なのですか?」

「私もその身売りされた一人だからです」

再び会場がどよめいた。女性の権利の回復を願っているはずの、その運動の先頭に立っているはずのヘラが先導して身売りを行っていたのである。驚きと蔑むような視線がヘラに集中する。まるで誤解を解こうとでもしているかのように慌てて自己弁護するヘラ。

「それは婚姻の紹介料なのよ!戦争孤児の不憫な踊り子達へ、私が金持ちとの結婚を取り繕ってあげてるんじゃないの!それを…あなたはその行為を仇で返したのよ!私の顔に泥を塗ったわ。あんなチンケな花屋の息子と結婚するなんて」

とヘラが傍聴席を指差す。その先には少なくとも体格だけはチンケではない、マーブルの夫である花屋の主人がいた。彼はヤンへ花を売ったその人である。妻のマーブルにも匹敵する巨漢で腕組をしながらヘラのそんな挑発なぞは少しも効いてはいないという風に、鼻で「フンッ」と一蹴した。

「あなたに言われるとおり金持ちと結婚して私は気付いたのよ。花はいつかは枯れ落ちるものだと。花は枯れて実を宿して、次の命を生む。それからまた春になれば花を咲かせる。私の最初の結婚相手は花しか見ていなかった。それがどれだけ残酷な事なのかを結婚してから気付いたわ。今のダンナはね、花となり枯れて実を宿して再び咲く花の、すべての営みを受け入れてくれたのよ。だから私はこの人についていこうと思った。ヘラ、アンタは昔っから目に見えるものしか信じていなかった。その報いを受ける時が来たのよ!」

ヘラは自身の化粧が乱れることなぞお構い無しにそれに反論する。

「何を知ったかぶりを!あなたは何も解っちゃいないわ。この街の発展は誰のお陰だと思っているの?この私よ!この私がソドムの街を支えているのよ!」

「ウルセーックッソババァ!!」と再びライラが怒鳴り込んでくる。数人の警官を引き摺りながら。「パパを返せ!人殺し!」と再び大声を上げると、再び裁判官の「静粛に!」という叫びがオマケでついてくる。

警官の人数は更に増えて、5、6名の警官によってその暴れ狂うオークのような巨体は退場させられた。ヘラもマリオになにやら注意をされている。だがマリオは既に首を小さく振って、この裁判が不利な状況である事を表現していた。

7

「最後に原告側証人、ジャスミンさん」

静かにジャスミンが証言台に立つ。

「あなたはヘラ氏にバベルの豪家との結婚を"強要"されたというのは事実ですか?」

「はい」

「それを望んでいますか?」

「…望んでいません」

「ヘラ氏はあなたの為を思って結婚を勧めたそうですが、これについてはどう思っていますか?」

ジャスミンは深呼吸してから、それでもなお震える声で話始めた。

「ヘラさんは…戦争孤児だった私を拾ってくれて、今まで育ててくれました。私にとっては親も同然です。何一つ感謝していないと言ったら嘘になります。だけれど、私はふと、どうして自分が生きているのか考えていたんです。いまここにいる事が幸せな事なんだから、わがままなんて言うなって言われてしまいそうだけれど、いつも私は自分がどう考えているのかなんて無視されて、言われるがままに生きてきて、これがずっと続くのなら私は死んでいるのも同然なんじゃないかって、そんな風に考えるようになったんです。バベルへ連れて行かれる時も、私は嫌になって砂漠へ逃げ出しました。その時、私の使用人のアウルが砂嵐で死にました」

そしてジャスミンは再び深く呼吸した後、震えの収まった声で言う。

「私はヤンという方と出会い、彼の事を好きになりました。私は彼の事を愛しています!この大切な気持ちを体裁だとか将来の為だとか、そんな理由で捨てたくないんです!あの時、砂嵐で死んでいたのは私だったのかも知れない…でも私は今、ここに生きています。いつかは人は死にます…自分が死ぬとき、生まれてきたことを後悔したくないんです!」

ジャスミンが一通り話し終わったのを確認してから、グスタフ弁護人は陪審員席に向かって言う。それがおそらく締めの言葉となるのだろう。

「今シハーは大戦後の国の大改革によって新しい国へと生まれ変わろうとしています。国に住む人々が誰しも自由で平等な国へ。ヘラ氏のやろうとしている事はそれに逆行している、と私は思うのです。陪審員の方々はこのソドムの街に住む自由で平等な市民の方々から選ばれたのだと思います。もしそうなら、どうかその心に聞いてください。私の話は以上です」

そんな彼の話を何故か目を反らしながら聞いている陪審員。

そして審議に移る。

8

審議の間、待合室にはグスタフと証人達の姿があった。

あいもかわらず刑事は部屋の中をうろうろと歩き回って審議の行方を気にしているようだ。それをみながらグスタフは優雅にお茶を飲んでいるが少し険しい顔付きでいた。

そんな時、待合室をノックする音が響く。審議が終わったにしては早すぎる、とグスタフ弁護人も刑事も、証人達も一斉にノックの音のほうへと視線を集中させた。

「先生!」

入ってきた男は初老の男性、だから先生と呼んでいるのはグスタフの事だろう。久しぶりの再開を喜んでいる清々しい顔つきでグスタフ弁護人の下へと歩み寄ると握手した。

「ほほぅ、君か。元気でやっておるのか?」

と、グスタフも思わず笑みがこぼれた。

「はい。先生もお変わりないようで!久々に故郷へと戻ってきて、偶然にも先生が法廷に立たれるという話を聞きまして駆けつけました!」

「そうか、そうか」

満足そうに再びお茶を飲むグスタフ。だが再び先ほどの険しい表情へと戻る。それを察したのか同じ様に表情を険しく変える男。

「先生、お気付きになられましたか?」

「ん…、あぁ」

その二人の異変に気付いた刑事は話しに強引に割り込んでいった。

「あの…いったい何が?」

男は二人だけの話題を刑事にもわかるように説明する。

「どうも、陪審員は何者かに買収されているようです」

「えっ?!」と声を上げたのは刑事だけではない。証人も一同、同じ様に驚いた。

「じゃぁ…最初っから出来レースだったって事じゃないか…」

思わず刑事の口からその台詞がこぼれる。だがそれはその場にいる一同全員が思っていることだろう。ふつふつと怒りが込み上げるそんな雰囲気の中でグスタフは先ほどと同じ険しい顔付きでお茶を飲んだ。

「先生、協力させて頂いてもよろしいですか?」

「うむ…助かるよ。私はいい弟子を持ったな」

そういって男とグスタフ弁護人は再び握手した。

9

判決の時がきた。

裁判官は陪審員の出した判決を読み上げる。

「被告人、ヘラに掛けられた市長暗殺の容疑ですが、証拠不十分により、当裁判では判決を出しかねます。よって無罪とします」

どよめく傍聴席。原告側証人達は先ほどのグスタフと彼の弟子の話を聞いていたからか「やはりそうなったか」というのを声に出しそうな程に、陪審員や被告であるヘラを睨みつけた。その視線に気付いたヘラは笑みを浮かべた。勝ち誇った笑みだ。

傍聴席では風雅達がヒソヒソと話をする。

「やはりジッタ社長のパンツ泥棒がネックになったみたいですね」と風雅。

「ジッタ社長が目撃者の時点でこの裁判は難しい展開になったのでしょうね」と豊吉。

どよめく傍聴席から一人の男、先ほどグスタフと会話していた彼の弟子が裁判官の前へと歩み出た。裁判官はその男の事を知っているのだろう。軽く頭を下げる。

法廷内の視線が自らに集まった事を確認してから男は話始めた。

「私は王宮より派遣された警察権の内部監査官、キタンです。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、シハーでは警察権が造られたのは最近の事です。アルザタールへ習い、裁判などにしても正しく行われているのかを暫くの間監視する必要があります。監査官である私の見解では、この判決は不当と判断しました」

再びどよめく法廷。

一番その焦りが解ったのは陪審員、続いてヘラと彼女の弁護人だ。

「もしこの裁判で不正が行われていた事が解った場合、不正を行った側は無条件に罰せられる」とキタンはヘラを睨んだ。

「不正といわれるのは、どのような?」と裁判官。

「陪審員はヘラが選別した人間だという事です。本来なら陪審員は市民からランダムに選ばれます。ソドムには男性と女性市民はほぼ同数の筈なのに20人いる陪審員に一人も男性が居ないのはなぜですか?彼女達一人一人の名前を女性差別反対運動の参加者名簿と付き合わせれば、不自然な選別が判る筈です」

法廷内でキタンは更に声を上げて言う。

そうしなければ聞こえないほどにざわめいていた。

「私はこの事を女王へ報告しなければならない。ヘラさん。私は女王を"私なり"に知っているので今後の参考までに言っておこう。この街で女性差別解放運動が起こった事は女王もご存知だが、これらの動きを快く思っていない。女王はあなたのように金や権力にすがっている人間が嫌いだ。特に自らが"弱者である事"を主張して金や権力を持とうとする人間が一番嫌いだ。同じ女性だから同じ気持ちだとでも思っていたのか?何度かソドム市長を通じて女王や彼女の側近へのコンタクトをとろうとしていたふしがあるが…女王は男も女も、強いものが上にのしあがる事が正しい姿だと言われている。もし自らが無実だと主張するのなら、弁護人抜きで女王の前で身の潔白を証明しなさい。以上です」

判決は不当とみなされ、王宮での裁判へと持ち越された。その様子をヘラは奥歯をギリギリとかみ締めながら睨んでいた。

10

ホテルで魔法による応急処置が終わってからはヤンはソドム市内の病院に搬送されていた。病室では朝の涼しい風がカーテンを揺らすが、廊下側の扉は閉め切っているので部屋の真ん中までは風が入りきらないでいた。

その風の音に混じってパンプスの高い音が響く。もう誰が来ているのか解っていた。その音をヤンは幾度と無く聴いていたからだ。病室のドアが勢いよく開くと今まで部屋に入ろうとしていた朝風が廊下まで流れ込んでいった。

「ジャスミン!」

自分が思っていたとおりの人が現れたので喜んで笑顔になるヤン。

ジャスミンはヤンが最初に彼女にプレゼントした同じ花を持ってきていた。それを病室の過敏に飾ると、周囲には花から放たれる刺激的な香に満たされた。

「裁判に勝てたよ」

ジャスミンは今にも踊りだしそうな気持ちを抑えてヤンにそう告げるとキスをした。

「そうか…今日まで何もなくてよかった…ヘラはどうなるの?」

「バベルに搬送されて、そこで女王の裁きを受けるわ」

「そっか…。これで自由になれたね」

「うん!でもね、わたし、自由になれたのって裁判が終わったからとか、ヘラさんが居なくなったからとか、そういう事だけじゃないと思うの」

「?」

「ずっと前から自由になりたいって思ってた…。ヘラさんが居るから自由になれないんだと決め付けてた。だけれど、ほんとは私自身が今の生活から抜け出そうとしてなかったの。バベルに連れて行かれるとき、私は逃げ出して砂漠へ消えてしまおうとしてた。けれど、それは今嫌だから逃げ出そうとしてただけなの…」

「でも、君は自分の意思で逃げようと決めたんだろ?」

「うん…だけど、逃げてからどうするとか、何も決めてないの。本当に自由になることって、嫌な事から逃げることじゃない…自分の事を自分で決める事だと思う。貴方が選んで私にくれた花…この花は本来なら乾燥させて香料に使うの。だけど、あなたはこの花を"花"として私にプレゼントしてくれた。この花を誰が香料だと決め付けたの?皆がこの花は香料だと言うから香料になってしまった…私は決め付けない。自分がこの街で一生を過ごすなんて、決め付けない。色んなところを旅して、色々みて、…そして死ぬの。いっぱいいっぱい楽しい思い出を作って…」

ジャスミンの瞳は輝いていた。その輝きは一瞬、まるで未来は全て幸せに満ち溢れているようにすら思えてしまうほど輝いていた。けれども、その瞳の中にはどこか寂しい光があるとヤンは感じ取っていた。彼女の「世界中を旅すること」という事が空気を掴むような突拍子も無い空しい事だと知っているからだ。けれども、彼はどうしても彼女を否定することは出来なかった。その消えてしまいそうな寂しい光を守りたいと本気で思うからだ。

(一緒に世界中を回ろう。楽しい思い出を沢山作ろう)

その台詞を言えればどれほど気分が晴れることだろうか。だが喉の奥で溜め込んで、それを口に出すことはなかった。

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