勇崎・黒崎
41.観音寺(かんのんじ)=庚申様(こうしんさま)
 宝亀山観音寺は古くから庚申様と呼ばれていましたが、勇崎の庄屋中藤伝吉が、延宝年間(1673〜1680)に屋守の観正坊(現蓮華院)より、十一面観音を貰い受け、供養したのが基とされています。又、元禄2年に玉島を領有した水谷勝宗公(………人物紀行参照)が没するや、村民集まり位牌厨子を造ってお堂に安置したと伝えられています。庚申様は母乳の出がよくなる神様として慕われていました。

42.旧羽口港(きゅうはぐちこう)の常夜灯(じょうやとう)
 現在の宝亀堤防に位置する所には旧羽口港があり、勇崎塩田で採れた塩や農産魚介類等の交易で賑わった歴史を持っています。現在も珍味加工業者の事務所前に往時の面影を伝える常夜灯が移設保存されています。

43.中津貝塚(なかつかいづか)
 縄文時代後期遺跡として知られています。また磨消縄文土器は、瀬戸内地方の代表的様式として中津式土器と呼ばれています。今もここを訪れると、畑などに白い貝殻が見つかるそうです。

44.法福寺(ほうふくじ)・日樹の墓(にちじゅのはか)
 法福寺は、日蓮宗で、元禄年間(1688〜1703)仏乗寺16世日仙が、法議に異論を唱え、自らこの寺を建てました。このとき仏乗寺の本堂も宝物もこの寺に移し、後の歴代貫主は仏乗寺が兼任しました。この寺の境内には、日仙の師であり、「不受不施」の宗旨を貫き、幕府の迫害を受けた(信州伊那に流罪)日樹聖人(1573〜1631)の墓があります。………人物紀行参照

45.妙立寺(みょうりゅうじ) 華道容真流家元
 妙立寺は、真言宗の寺で、もとは屋守にあったのですが、延文元年(1359)大覚大僧正巡錫のとき日蓮宗に改宗し、11世日重のとき現在の地に移しました。本尊は釈迦牟尼仏。明治25年、31世日延は生花容真流西国の家元になりました。………玉島の華道・茶道参照

46.黒瀬神社(くろせじんじゃ)
 黒崎は「古事記」の下巻仁徳天皇のところに登場する「黒媛」(くろひめ)の出生地であると伝えられ、「黒崎」の地名もここから生まれたとか。黒瀬神社は、都から傷心で帰郷した黒媛が、その後、この地を訪れた仁徳天皇と愛の巣を構えた屋敷跡であり、「屋守」という地名も黒媛の屋敷を守るという意味からついたものといわれています。………歴史・伝説・民話参照

47.恵池(めぐみいけ)
 江戸時代の儒学者で、鴨方に住んでいた西山拙斎が天明6年(1786)、沙美に遊んだとき、里の人たちの純朴をほめたたえた詩を作りました。その詩を、時の倉敷代官が幕府に上申したところ、幕府から白銀20枚が贈られました。これを喜んだ地元の人たちは、そのお金で池を掘り、その恩恵を受けたので、「恵池」と名付け、西山拙斎の碑を建てました。

48.本性院(ほんじょういん)・雨笠松(あまがさまつ) 倉敷市天然記念物
 本性院は、観音霊場で開山は慈覚大師と伝えられています。沙美海水浴場の東端にあたり、内海の景観が楽しめる景勝地で、境内の「雨笠松」は四方に約16mにも及ぶ枝を張りめぐらした黒松で、市の天然記念物に指定されています。樹齢は推定300年。「雨笠松」の命名は、1848年にここを訪れた備前の儒学者=雲岳といわれています。

49.沙美海水浴場(さみかいすいよくじょう)
 沙美…美しい浜という名前をもつ沙美海水浴場は、日本で最初にできた海水浴場です。玉島の開業医坂田待園と黒崎村長・吉田親之が協力して、明治13年、海水浴客のための仮小屋を諏訪山の下に建て、同15年には番所山付近に沙美海浜院という宿泊施設を建てました。県による海岸整備事業により平成元年、沙美西浜は日本有数の規模を誇る「人工海浜」として生まれ変わり、椰子や桜・黒松などの海浜植物が植えられ、海の家などの設備も充実。また、東浜でも改良されました。従来は神奈川県大磯海水浴場が日本最古の海水浴場と言われていましたが、玉島商工会議所の調査で平成元年に沙美が日本最古であることが判明し、岡山県と倉敷市の観光案内書でもそのように紹介されるようになりました。なお、沙美海岸は日本の渚百選にも選ばれています。

50.岩谷展望台(いわやてんぼうだい)〜南浦海岸(なんぽかいがん)
 沿美から岩谷・南浦にかけては、長汀曲浦と呼ばれる美しい海岸線が続きます。海に突き出した岬(矢崎山・諏訪山・幌崎など)には、松林が残り、文字通り白砂青松の景勝が楽しめます。昭和63年には黒崎地区の住民運動がもとで、倉敷地方振興局によって岩谷展望台が海岸線に建設されました。また南浦は、備中杜氏発祥の地といわれ、醸造工場が立ち並び、古い酒造も多く残っており、ワインやリキュールの工場もあります。南浦海岸では岡山県により「ふるさと海岸モデル事業」による整備が予定されています。

51.海蔵寺(かいぞうじ)・毘沙門岩(びしゃもんいわ)

 海蔵寺は、天台宗の寺で、本尊は釈迦牟尼仏。慈覚大師の開山と伝えられています。この海蔵寺の東方山腹にある毘沙門岩は、巾約6m、長さ8m、厚さ約4mの箱形の洞窟です。東側に口があり毘沙門天が祀られていますが、いつごろ出来たのか不明です。

52.七神社(しちじんじゃ)
 南浦の氏神で、大己貫命・菅原神土祖神等の七神が祀られています。金光神田家から奉還したものといわれ、本殿・拝殿などがあります。また、社の北の畑の中に「七神社古墳」があります。

53.不動寺(ふどうじ)
 総本山不動寺といわれ、管長藤沢正教師により昭和15年5月、浅口郡金光町占見新田において創立され、昭和35年に現在地に移転、現在に至っています。大日大聖不動明王を祀り、毎年2月3日に開催される節分大法要は、多くの信者でこの境内が埋まる有名な行事です。

※地名のいわれ※
勇崎(ゆうざき)
 「勇崎」の地名については記すものはないようですが、この地方には木綿畑が多く、木綿(ゆう)崎が勇崎に転じたのではないかと言われています。ちなみに隣村の金光教本山の山も木綿山(ゆうざきやま)と呼ばれています。
沙美(さみ)
 「沙美」は、美しい浜という意味。そのものズバリの地名で、かつて白砂青松の砂浜が広がっていました。また、黒媛伝説の黒日売が屋守に住んでいたとき、左に見えることから「佐見」と名付けられたとも伝えられています。