ト イ レ ミズモリ ショウ                              準 星   「おーい、誰かトイレに入ってるぞぉ」   俺は居間でコタツにもぐりこんで、年末の特番を見ながらセンベイをかじってい  るワイフに叫んだ。   2DKの狭いアパートに住んでいる俺達には子供はいない。もちろん、親と同居  なんてまっぴらごめんだ。となると、このトイレを使うものは他にはいない。   自慢じゃないが、俺のワイフは少し抜けている。そこが可愛らしくて一緒になっ  たのだが、しばらくするといいかげんうっとうしくなってくる。   トイレや部屋の電気はつけっぱなし。すぐものをなくす(どこに置いたか忘れる  のだそうだ)。さすがにガスレンジのつけっぱなしはなかったが、風呂の空炊きは  しそうになったことがある。しかし、「結婚前は目を開け。結婚したら目をつむれ」  とよく言われるように、俺は目をつむることにした。というか、慣れてしまったの  だ。   もともと俺は環境に順応するのが早い。   おかげでトイレの電気の消し忘れくらいではびくともしなくなった。   それで今日も叫んでいるのだ。   「あっ、ごめーん」   これも、いつものことである。   俺は”ああ、わが家は今日も平和だ”と思いながらにやにやしながら、トイレの  ドアを開けた。   そこには、髪を短く刈ったゴマ白髪の職人風のおっさんが尻を向けてしゃがんで  いた。   「あ・・・・と、失礼っ!」   俺は慌ててドアを閉めた。   ん・・・・ 待てよ。誰だ?今のは。うちにはあんなおっさんはいない。   勝手にうちのトイレを使いやがって。俺は、ムカムカしてきた。   いきなりトイレのドアを思いきり開けて怒鳴った。   「おい、おっさん! 人んちのトイレを勝手に・・・・・」   しかし、そこにはいつも見慣れた便器があるだけだった。   「えっ・・・・・!?」   俺はあっけにとられてしまった。なんだったんだ、今のは。   「どうしたの? 大きな声を出して」   ドアの前に仁王立ちになった俺の後ろからワイフが中をのぞいている。   「え?あ、いや・・・・・」   俺はしどろもどろになった。人が本当に入っていたなんて言えるわけがない。ま  して、職人風のおっさんがここにしゃがんでいたなんて・・・・・   「!?」   なんだって!? トイレで“しゃがむ”だと?   うちは洋式便器だ。トイレで用を足す猫でもいないかぎりトイレでしゃがむなん  てことはない。   「ねぇ、一体どうしちゃったの?」   便器をにらみつけて考え込んでる俺の顔を心配そうにワイフがのぞき込む。   「いや、なんでもないんだ。ちょっと、敷居に足をぶつけてね」   俺は笑顔ともつかない笑顔をワイフにかえした。   「そう、大丈夫? 気をつけてね」   そう言うと、さっさと居間に去って行ってしまった。   しばらくすると、居間から笑い声が聞こえてきた。   「ふう・・・・」   俺はため息をついてトイレの中に一歩踏み出した。いつもと変わらない独特の空  間があった。   もう一度、居間の方を伺ってワイフがテレビを見ていることを確認するとトイレ  の検分にかかった。     ドア・・・・・・・異常無し     カベ・・・・・・・異常無し     ユカ・・・・・・・異常無し     天井・・・・・・・異常無し   俺は全てなでるように検分した。最後は便器だ。   さすがに手でさわるには抵抗があったが、気になるものは気になる。   その格好は、まるでゲロを吐くために便器を抱えた酔っぱらいのようだった。     便器・・・・・・・異常無し   便器を前に腕を組んでしゃがみこんでいると、人の気配を感じた。   はっとして横を見ると、しゃがみこんで首を傾げたワイフがじっとこっちを見て  いる。   「ねぇ、そこ寒くない?」   「い、いつからここに・・・・?」   俺は絶句していた。   「あたし、入りたいんだけど、いい?」   醒めた目で俺を見ている。   「いやぁ、ちょっと気分が悪くなってね。ははは・・・・・・」   あの目は絶対疑っている。冷たいものが背筋を流れ落ちた。   「いい?」   「あ、はいはい。どうぞどうぞ。ああ、なんか気分が悪いの治っちゃたぁ  は、ははは・・・・・」   渇いた笑いをしながら俺は立ち上がり、トイレを後にした。   それからしばらくトイレの異常は起きなっかたので、トイレに人がいるなどとい  うバカげたことは妄想としか思えなくなり、すでに忘れかけていた。いや、ほとん  ど忘れていた。   が、ある日、またワイフが電気を消し忘れた。   俺は、いつものように居間にいるワイフに声をかけた。   「おーい、誰かトイレに入ってるぞぉ」   俺はにやにや笑いをしながらドアのノブに手をかけてはっとなった。   前の時もそうだった。ワイフに声をかけてトイレのドアを開けると人がいたんだ。   まさか、今度も人が入ってるんじゃぁ・・・・   そう思ったが、すぐにばかばかしくなって一人でくすくす笑った。この前のこと  は何かの間違い。そんなに何度も俺の家のトイレに人が居てたまるものか。そう思  ったら急におかしくなったのだ。俺はトイレのドアのノブを持ったまま、くすくす  笑っていた。   「なにそんなところで笑ってるの?気持ちの悪い」   いつの間にかワイフが後ろに立って、じろじろと俺をながめまわしている。   「あ、ごめん。入るのか?」   「いいわ。お先にどうぞ。あたし、寝るから」   そう言って大きくひとつため息をつくと、のっしのっしと去って行った。   俺は小さくため息をついてドアをけた。   「いっ!」   そこにはOL風の女の子がスカートをたくしあげ、ショーツをひざまでずり下げ  た格好で座っていた。   「い・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」   俺と目があった女の子は俺がドアを閉めるより早く叫んでいた。   「なんなの今の声は!」   ただならぬ叫び声にワイフが飛んできた。   俺はひきつった顔をして背中でドアを閉めた。   俺は、弁解ともつかぬ弁解を始めた。   「あ、いや、えっと、ゴキブリ、ゴキブリが居てね。ビックリしちゃって、んで、  つい悲鳴をあげちゃって・・・・。すまなっかったねぇ、驚かせて」   「ゴキブリ?あなた、ゴキブリ苦手だったかしら?  それに、あの悲鳴はなに?女の子の声みたいっだったけど?」   まずい。トイレを開けたら本当に人がいたなんて信じるわけがない。俺だって信  じてやしない。   「え、あれは俺の声だよ。ほら、いやぁぁぁ、いやぁぁぁぁぁ、いやぁぁぁぁ」   一声叫ぶ毎に俺の声は甲高く悲壮さを増してくる。   「どうでもいいけど、時間を考えてね。ご近所に迷惑だから」   ワイフは「ふわわわわぁ」と大きなあくびをすると「おやすみ」と言って去って  行った。   俺はもう一度小さくため息をつくと、意を決してドアを小さく開けた。   やはり誰もいない。見慣れた個室がそこにあった。   「変だなぁ・・・・・」   前の時も今回も一度閉めてしまえば中の人はいなくなった。他に共通するといえ  ばワイフが電気を消し忘れていたこと。   「あ、まずい」   俺はまた便器を前に腕組をして考え込んでしまっていた。   こんな格好をワイフにみられたら、また変な目で見られてしまう。俺はさっさと  用を済ませ布団の中で考えることにした。   布団にもぐりこむと、ワイフは隣ですでに寝息をたてていた。   俺は安心して考え事に没頭できる。   さて、なぜ俺の家のトイレに人が現われるのか。これはまったくもって不明であ  る。では、どうすれば人が現われるか。今までの2回の共通点。ワイフの電気の消  し忘れ。そう、これは間違いない。そして、俺がトイレに誰かいるとワイフに叫ん  だこと。どちらが原因なんだろうか?それとも両方か?いや、それともほかにある  のか。どちらにしてもひとつづつつぶしてゆくしかない。   とりあえず、電気の消し忘れをしないように言っておくか・・・・・。   そして、俺は黙ってトイレにはいることにする。   なんとなく解決策らしいものが出たところで、ふと、今日の女の子のことを思い  出してにんまりした。なんとなく、可愛い娘だったような気がする。こんなことだ  ったらもう少しじっくり見ておくんだったな、と、今になってスケベ心がむくむく  と湧きあがってきた。もしかしたら、奥の方まで見られたかもしれない。   「なんだって!?」   俺は叫んで飛び起きた。   ワイフを起こしたんじゃないかと慌てて横を見たが、幸いなことに静かに寝息を  たてて眠っていた。   俺は安心して起き上がったまま考え続けた。   最初の時、おっさんの向こうをむいていた。女の子はこちらを向いていた。しか  も、おっさんの時は和式、女の子は洋式だった。   俺は理解した。俺の家のトイレに人が入ってるんじゃない。トイレが入れ替わっ  ているんだ。しかも、あちらこちらとランダムに。それとも、俺が幻覚を見ている  のだろうか?幻覚や妄想ならおっさんの尻などは見たくない。   何にしても、俺にはどうすることも出来ない以上考えるだけ無駄だった。   俺は寝ることにした。   翌朝、ワイフに電気の消し忘れに気をつけるように注意したが、結局無駄だった。  大体2週間に1、2回の割合でトイレの電気を消し忘れる。その度にどこかのトイ  レをのぞくはめになるのだった。   もちろん、消し忘れていてもワイフに声をかけずに黙って開けてみたりした。   結果は同じだった。必ず誰かが入っていた。   ある時は、きんきらきんのアクセサリーをつけたおばはんだったり、そろそろお  迎えが来るんじゃないかというようなじいさんが、看護婦さんに付き添われて入っ  ていたこともあった。   女子高生が入っていた時などはしばらく見ていようかとも思ったが、ヒステリッ  クに叫ばれて生理用品を投げつけられたんじゃぁ閉めないわけにもいかなかった。   こんなことになるのは電気の消し忘れが原因らしいのだが、口がすっぱくなるほ  どに言っても、電気を消すことに関してワイフは執着していないらしく、いっこう  に直そうとしない。マイペースで消し忘れてくれるのだ。   結婚当初からの俺の教育が悪かったのだろう。注意しても悪びれる様子もない。   まさか、電気を消し忘れるとトイレが入れ替わるなんて口が裂けても言えない。   結局、俺が慣れるしかなかった。   一度開けて閉めれば俺の家のトイレになるのだから、ちょっとだけ開けてすぐ閉  めれば入っている人に気づかれることもないし、大騒ぎしてワイフに変な顔をされ  ることもない。   俺は環境に順応するのが早いのだ。   ところがある日、俺はこらえきれなくなるまでトイレに行くの我慢していた。毎  週見ている番組が最終回だったからだ。スポンサーの好意か、CMとCMの時間が  極端に長かった。一度タイミングを逃すと次のCMまでトイレには行けない。   やっとCMになったところでトイレに行くことが出来た。俺は前を押さえながら  突進した。片手でノブをつかみ、もう一方の手でトイレのスイッチを探った。すで  に電気はついていた。しまったと思ったがもう間に合わない。威勢よくドアを開け  てしまった。叫び声か罵声を浴びせられるものと思っていたが、予想に反して誰も  いなかった。ただ、便器は和式の水洗で中央には太く黒々としたものが鎮座ましま  していた。   俺はこの際どうでもよかった。誰も入っていないことに違和感すら感じず、ただ  ひたすら好運を感謝して飛び込んだ。   ドアを閉めるのももどかしく、自分自身をひっぱりだして2次曲線を描いた。   水を流し終えほっとして出ようとしたが、ドアがない。   右にも左にも後ろにも。当然正面にはあるはずもない。   慌てて天井も床も調べてみた。全て立派な壁だった。   叩いてみたが、安アパートのベニヤのような音とは違い、叩いて叩いてもうつろ  なこだまが返るだけだった。   俺はどうやら閉じこめられてしまったようだった。   こうなったら、誰かがこのトイレのドアを開けてくれるのを便器にしゃがんで待  っているかない。   「ああ、せめて便器が洋式だったら楽だったのに・・・・・」   俺は情けない格好でつぶやいた。   まぁいい、俺は環境の順応は早いんだ・・・・・・。                                 END.....