『 犬 』                            ミズモリ ショウ                             準 星   「さて、昼飯にするか・・・・」   うだつの上がらない営業社員の高野は、海水浴場の無料駐車場に車を停めて弁当  をひろげた。   彼はこちら方面に営業に来ると必ずここで昼食をとることにしていた。   季節が夏ならここでのんびり昼食などとれないほど車が混みあう。しかし、今は  冬だ。竹竿に干したイカが空っ風に揺れている。彼の他には誰も姿を見る事は出来  ない。それもそうだろう。ここは、国道から外れて狭い道−−−車がすれ違う事が  出来ないくらい狭い場所もある−−−を5分も走らないとここには着かない。よほ  ど物好きでもないかぎり、冬のこの時期に来ようとは思わないだろう。   弁当のふたを開けて一口二口食べただろうか、高野は何かの気配に気がついて、  ふと、窓の外を見た。   そこには物欲しげな顔をした犬がじっと高野の顔を見上げていた。茶色の毛が妙  な感じにくっつきあい、見るからに野良犬とわかった。   目が異様にとろんとしていて、かわいげも何もなかった。   高野は「ふん」と鼻で笑うと反対側を向いた。   再び気配を感じて目を上げる。じっと見ている犬の目があった。   「なんだ、こいつ。俺の弁当が欲しいっていうのか?冗談じゃないぜ、欲しけり  ゃ自分で買いな」   そういうと、再び反対方向に体を向けた。   しかし、犬はしつこく彼の向いている方向に移動して、とろんとした目で高野を  見上げている。   彼はいい加減いらいらしてきた。せっかくの昼休みだというのに、こんな野良犬  のために気分の悪いものに変わろうとしている。   高野は餌をやるふりをして犬がドアのそばに来るのを待った。   思惑通り、のそのそと、こびるような目をして近づいて来る。   窓のすぐ側まで来た瞬間、高野はすばやくドアを開けた。ゴンッという鈍い音と、  ギャウンという、鳴き声が聞こえた。鼻先を直撃したのだろう、慌てたように逃げ  て行ってしまった。   それを見送ったあと、  「ふん・・・・・」  と、鼻で笑うと残りの弁当を片付けにかかった。   腹が一杯になると当然のことながら眠くなる。食後の一眠りをするのもいつもの  ことだった。   さっきの犬のことが気にならないではなかったが、そんなにひどくぶつけたわけ  ではないし・・・と、考えないことにした。野良犬になって日は浅くないだろうか  ら、そんなに弱くもないだろう。そう思いながらシートを倒した。   腕時計のアラームが小さく鳴っていた。   「う、うーん。あぁ、もう1時か・・・・・。さて、夕方までもう一回りするか」   高野は駐車場から車を出して、狭い道へと車を出した。   少し行くと道の真中に犬がいた。さっきの犬だった。車が近づいても動こうとも  しなかった。相変わらずとろんとした目でこちらを見上げている。   「ええい、うっとうしい!!」   高野はサイドブレーキを引き、犬を追い払うために車から降りた。   車から離れて2、3歩歩いたところで、後ろに異様な気配を感じて振り返った。   そこにはあの犬と同じ様にとろんとした目をした犬たちが、道いっぱいに群れて  いた。吠えるでもなく唸るでもなく、ただ、そこにいて高野を見ていた。   彼らの目は異様に無機質だった。くすんだガラス玉のように、なんの感情もうか  がい知ることも出来なかった。   さっきの犬がゆるゆると一歩前に出た。それにあわせてほかの犬も前に出た。   高野を取り巻く犬の輪は小さくなった。高野は慌ててあたりを見回したが、横に  それる道はもとより、逃げられそうなところはまったく見当たらなかった。   さっきより犬の輪が小さくなった。   一瞬、犬たちが舌舐めずりをしたような気がした。彼らは、飛びかかる合図を待  っているのに違いなかった。   また輪が狭まった。   高野は、犬たちのこのとろんとした目が、血に飢えた狂人の目であることを今、  初めて確信したのだった。