| 重ね重ね申し上げます (2月28日付) 先週に引き続き、学校の先生方との問答です。 問 今の子どもたちに一番必要な教育の柱は何だと思いますか。 答 行動規範をしっかりと伝えることだと思います。日本人が古くから美徳とする行動規範について、親や先生が毎日のように語り続けるのです。「人は世のため人のために働くのです」「お金のことばかり気にするのは卑しいことです」「自分の幸せは他人の幸せと共にあるものです」「堪え忍ぶことは美しいことです」などは、今や大人が反省すべき行動規範ですが絶やすことなく伝えていかなければなりません。 躾と同じで、こういうことは子どもが理屈をこねる前に身につけさせたい。勉強一つをとっても、自分は自らの能力を最大限に発揮して、社会のために学びつづけるのだという姿勢をもたせてはいかがでしょう。 そんなきれい事を言ってたら上手いこと人に利用されて損をするだけだ、という声が聞こえてきそうです。でも大丈夫です。「損得で行動を決めることは恥ずべきことである」という規範を持って生きていけば気にはなりません。 たとえ塾の講師であろうとも先生方と同様、子どもたちの教育に携わる者です。時にはやせ我慢をしてでも行動規範を体現する見本でありたいですね。 |
| 恐れながら申します (2月21日付) 恐れ多くも私のような者が学校の先生を前にお話しする機会があります。天罰だと思ってお引き受けしています。 問 学校はどのように変わっていかなければならないと思いますか? 答 学校が変わっていく必要は全くないと思います。というよりも学校が変わっていくことに問題がある。 本来、学校は不条理がゴロゴロ転がっている場所です。子どもにとって自分の思い通りにならないことや、図らずも辛く悲しい思いをしなければならないことがあってあたりまえ。あえて不条理に直面させ耐性の強い命に育てていくことが学校の不易の存在価値です。これ以上子どもを鍛える不条理を取り除いていったら学校は要らなくなってしまいます。 不条理を一緒に乗りこえていくのが親の努めなのに、我が子可愛さに文句をいう親には困ったものです。子育ての本を2,3冊読んだくらいの親が、子どもに不条理を課さなければならない先生方の辛さなどわかってたまりますか。深い愛情とプロとしての指導技術をもって教育にあたっていれば何ら動ずることはありません。でも、万が一先生方自身に、その辛さから逃れ、ようとする風潮があるとしたら、学校を変えるのではなく先生方の意識改革が先決ではないでしょうか。 |
| お手伝い算数のススメ (2月14日付) 小学校低学年の母親学級で、お母さんのための算数教室をしたときの問答です。 問.なかなか忙しくて子どもの勉強につきあえないのですが。 答. そこなんですよ。お母さん達には、勉強を教えているときよりも、そうでないときに気を配って欲しいのです。 私が提唱したいのは、名付けて「お手伝い算数」。 家事には算数数学の概念形成に役立つことがたくさんあります。食卓に箸を置かせるとします。まず偶数を意識しますよ。きちんとした向きにならべようとすれば、食卓の向こうとこちらで対象な位置に目が向きます。お茶碗を下げるときはどんな重ね方をすればいいか立体的な認識が深まるでしょう。他にも、床のふき掃除をすれば広さについても体感でき、作業時間とふいた面積の関係も意識できる。「3分でこれだけ拭けたからあと5分くらいかな」とか言葉にできなくてもそういう感覚はきちんと身につくはずです。 作業には手順があります。試行錯誤をしながら最も効率的な方法を考え始めたらしめたもの。賢いお母さんは、「子どもは失敗をして育つ」ことを知っていますから、たとえうまくいかなくても何も心配しません。勉強を見ている方がよっぽどイライラしますからどんどん手伝いをさせましょう |
| 男の子に配慮を (2月7日付) 地元小学生のお父さん達が、おやじの会というのを作っています。その会合に参加させていただきました。 問 小中学生をみて一番気にかかることは何ですか。 答 結論から言うと、男の子に元気がないことです。 低学年はそれほど感じませんが、特に高学年から中学生の男の子に感じています。 また、うちだけかも知れませんが、塾に来る子どもは男子よりも女子の方が圧倒的に元気がいい。女子はすぐに他校の子となかよくなって歓声を上げるのに、男子は席も立たずに自分のしたいことをしている。自分の内面を外に向かって開こうとしないのです。ひょっとしたら孤独な精神的環境から抜け出せず、自信さえ失っているのではないかと心配になります。 男らしさへこだわる子育ての環境があればその子はもう少し変わるはずです。らしさというと批判されかねない世の中ですが、男の子への特別な配慮がすべて女性蔑視につながるわけではありません。互いの「らしさ」があるからこそ、男女はお互いに尊重しあえると思いませんか。テレビとゲームに子守をしてもらって、汚れる遊びは取り上げられ、分不相応な期待を一身に受け、いつも競争にさらされて、そのかわり食べ物や着るものはたくさん与えられて、それで男が育つか!と言いたい。 |
| 理系離れは勉強離れ (1月31日付け) 数学教育が専門でしたから、昔の研究仲間からいまでも研究会に声をかけていただくことがあります。 問.理系離れが深刻ですが、どのように思いますか? 答. 「要因の一つに、我慢強く学習する子が減っていることがあげられる」といったら変ですか? たとえば、理系教科ではしばしば面倒な計算や考えが出てきます。こういう内容を理解するには、我慢してねばり強く「ときほぐす」ように勉強しなければなりません。また、一度できても単なる記憶ではないのでしばらくすれば忘れてしまいます。ですから、何度も何度もくり返す必要があるのです。この学習に立ち向かうことを面倒だと思う学生が増えてきたというわけです。「数学を大学入試に課さないという経営努力」「活字離れの文系学生にあふれた自由なキャンパス」はもはや現実です。 私の塾では入塾の際、できなくても叱りませんが、やらなかったら叱りますと了解を得ます。「できる」前に、まず「やる・やれる」子どもを育てたいからです。得点には優劣がありますが、学習を通して自ら妥協のない修行すること自体に他人との優劣は存在しません。そういう修行を望む親、支援する教師、その指導に応える子どもが少なくなっているという意味で理系離れは深刻な問題なのではないでしょうか。 |
| 個性ゆとり生きる力 (1月24日付) 今回は子どもの個性について話が及んだときによくする受け答えです。 問.子どもの個性についてどのようにお考えですか? 答. かつて学校は、画一化された教育は画一化された子どもを生むから、これからは個性を大事にしなければならない、という聞こえのいい考えに押し切られてしまいました。そもそも画一化された教育も子ども存在しなかったのにです。 いつの間にか教室から教壇がとりはらわれ先生は子どもの友達のようになりました。太陽を緑に塗る子どもに注意などできません。どう見ても子どもが好き勝手なことをしている授業を「積極的によく活動してました」と評しあう授業研究会ばかりです。すぐに学校は荒れ始めそれまでなかった問題行動が顕著になってきました。そのころの子どもがどんどん親になっています。そして今の子どもはどうか。およそ学生らしい身なりではなく、勉強嫌いでわがままという子はもはや個性的とは言えずどこにでもいる普通の子。ややもすると、どんな時でも一生懸命掃除をする子どもが個性的な子だと言われるのです。つまり、あたりまえのことがあたりまえにできるよう子が個性的だというパラドックスが存在するのです。変な話でしょう?「個性」なんて言葉に振りまわされたらダメですよ。 |
| 勉強だけしなさい? (1月17日付) 今回は小学校のPTA母親学級での問答からです。 問.勉強しなさいと言ってもちっともしません。どうしたものでしょう。 答. ほかの言いつけはよく守るけれど勉強だけはしないのなら、きっと子どもさんは勉強が嫌いです。時が来るのを待つしかないのでは?(一同笑)そうでないのなら、勉強云々ではなくて、はじめから親の言いつけを守る子どもではないということ。気合いを入れ直して、せめて親のいうことぐらいきく子にしないと。 また、生活習慣がきちんとしていますか?勉強するということは生活のたくさんの習慣のほんの一つ。ほかの習慣をいい加減にしておいて勉強だけさせようというのは無謀です。しつけとも関わりが大きいでしょう。理屈云々を言い出してからではしつけはできません。きちんと生活する美徳を伝えることのできる親になりたいですね。そういう親に育てられた子どもはかなりの確率で勉強すると思います。 学校に勤めていた頃、「先生、親がいってもちっともいうことを聞かないので先生からビシッと言ってやって下さい」とお願いされていました。皆さんも言ったことありません?親がいって聞かないのに、他人の私が言っていうことを聞くはずが無いじゃない…と心の中で思ったものでした。 |
| 学力低下に思うこと (1月10日付) 今回は、子どもの学力についての問答です。 問.学力は本当に低下しているのでしょうか? 答. いろいろな学力調査がありますが、ほとんどが平均点などの測定値を過去と比較して考察しています。その結果から子どもたちの学力は下がっていると判断しているようです。 問.やはり授業時数や学習内容を元に戻した方がいいのでしょうか。 答. そういう考え方もあります。しかし、それが本質的な解決策かは疑問です。得点のような認知的学力よりも、根気強く学んだり困難でもやり通そうとする力のような、いわゆる情意的学力の低下の方が深刻だという実感からです。実際そう考えている学校の先生も多いと思います。 勉強の仕方がわからないと努力不足の言い訳をする子どもには「勉強のうまいやり方をはじめから求めるな。ひたすら時間をかけてわかるまでやる。そういうやり方をくり返せ。それこそが勉強なのだ」と毅然として大人は言うべきです。 市場原理の介入によって、教育は商品になりました。我々は子どもを無責任に市場に放りだしていないでしょうか。情意的学力を軽視していないでしょうか。そういう無責任が、子どもの学力の低下をまねいている気がしてしかたないのです。 |
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学校の教師はすごい!(1月3日付け) 機会に恵まれましたので、お招き頂いた講演会や対談での本音の問答を何回かにわたって紹介します。 問.塾と学校では教えていて何が違いますか? 答. 公立中学校であれば、子どもや親は学校と教師を選ぶことはできませんが塾は選ぶことが可能です。ですから「創新塾を選んででくれてありがとう。期待に応えられるよう頑張ります」という感謝の気持ちが根底にあることが一番の違いです。 次に、学校の先生をしていたときは、授業の善し悪しで処遇に差が出たことはありませんでした。しかし、塾業界では講義の下手な講師は淘汰されます。「あの先生の授業は全然わからない」という一人の塾生の一言で終わってしまう可能性もあるわけです。自分の授業を子どもに認めてもらわねばという緊張感は今の方が強いです。 しかしこう考えると、学校の教師は尊敬に値します。自分を選んでくれたという感謝の気持ちが根底になくても、生徒のために奔走できる。授業の善し悪しが処遇に左右されないという、ややもすれば甘えがちな環境の中でも、日々授業を磨き続けています。 これが 教師が教師たるゆえんなのでしょう。 |