「手話はいいねぇ、リリンの生んだ文化の極みだよ。」

渚カヲルの『さいん・らんげえじ!』

やあ!ぼくが渚カヲルだ。

ここは、この『創さんのほめぱげ』に寄せられるリリンからの質問について、ぼくの答えられる範囲で答えていこうというコーナーさ。ただし、ここで答えられる質問の内容は、原則として手話や聴覚障害に関係したもの、または手話サークルの活動に関するものに限らせてもらうよ。

まあ、もっともその他の質問についても、回答可能なものについては創さんが答えてくれるはずだから、どんどんメールを送ってくれたまえ。ただし、創さんに限らず、個人のパーソナリティに関する質問には答えられないと思うよ。心がガラスのように戦災?繊細らしいから・・・・。

カヲル君への質問はこちらへ!

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上手くジャンプできなかったら、画面をスクロールしてくれたまえないか。


「手話と指文字」「手話はどこで?」「手話と日本語」「手話の数」「おいで、おいで」「字幕入りビデオ「さまよえる手話」「手話の辞典」「♪朝だ、朝だ〜よ♪」「鳴らない電話」


「手話と指文字」
この手話と指文字というのは、よく似ているようで実は性格がかなり違うんだよ。まず、手話というのは基本的に『単語』を表わすものなんだ。そしてそれは、そのモノのカタチや特徴などが語源となっている。「田」「川」「小」などのように、漢字のカタチから作られたものもあれば、「男」「女」「お金」などのように耳の聞こえるリリンが普段何気なくサインとして使っているものも手話として通用しているのさ。

これに対して、指文字というのは『五十音』『数字』『アルファベット』を片手で(一部例外を除くけどね)表わせるように考案されている。だから、指文字だけで会話をすることは不可能なんだ。だって考えてごらん。句読点もない、ひらがなだけの文章を読む気になるかい?
指文字は、例えば名前などの固有名詞や、外来語などを表わす時に使うのさ。手話の補助的なものと考えてもいいだろうね。

実は感想メールに書いてあったのは、ある人がこのお正月に大きなホールで行われたイベントに行った時のこと。そのイベントには手話通訳がついていたらしいんだけど、そこで音楽の演奏会が行なわれて、作曲者の紹介のときに手話通訳の横で、紙にその作曲者の名前を書いて表示していたらしいんだ。これは大きなホールだと後ろの方は指文字が見え難いと判断したんだろうね。ふつうそんなに大きなホールの場合は、要約筆記などのOHPやモニターを併用したりするんだけど、そこまで準備してなかったのかもしれないね。ああ、要約筆記については『エヴァ手話外伝其の弐』で弐号機のパイロットがほざいていたから、よかったら読んでやってくれるかな。

カヲル君へ

「手話はどこで?」
耳の不自由な人たちは、どこで手話を覚えるんだろうね?こう質問すると、多分ほとんどの人が『ろう学校』というふうに答えるんじゃないかな。まあ、これは半分は正解で、もう半分は少し違うんだ。それはね・・・

実は日本のろう教育では、『手話』というものは否定されていたんだよ。つい最近までね。あ、ここでの『最近』というのは、セカンドインパクトよりも前のことだと思ってくれたまえ。なぜ否定されていたのかというと、『手話というのは、一部の人たち=ろうあ者の間でしか通用しない、特殊なコミュニケーションの方法である。ろう学校を卒業すれば、いやでも耳の聞こえる人たちとコミュニケーションをとらなければならない。つまり、手話は聴覚障害者の社会参加を妨げる要因となる。したがって、ろう学校教育では口話法(口のカタチを読み取る方法)を基本として、社会参加を容易ならしめてうんぬんかんぬん・・・』という考え方が席巻していたんだ。
そんなわけで授業中はもちろん、休み時間でも手話を使っているところを先生に見つかったらこっぴどく叱られるという状態だったんだ。

だけど、やはりろうあのリリンにとっては手話は無くてはならないコミュニケーションの方法だったんだね。だって口話法だと同じボイン、じゃなくて母音の言葉だと『たばこ』『たまご』『なまこ』『あなご』のように口のカタチはみんな同じだろ?それにお互いが向き合っている場合はまだしも、すこし角度が変わるととても見にくくなってしまう。これじゃあ本末転倒になってしまうよ。だからみんなは手話を捨てることはなかった。先生の目を盗んで友達同士、または先輩から後輩へと受け継がれていったんだ。そしていまでは手話も立派なコミュニケーションの方法として認知され、ろう学校でも積極的に手話を取り入れるようになってきた。これも先人の苦労があったればこそ・・・ってことだね。

カヲル君へ

「手話と日本語」
少しここで、国語の勉強をしてみようか。といっても、学校で勉強するような『国語』じゃあないんだけどね。普段ぼくたちの使っている「日本語」は、当然日本で生まれ長い時間をかけて変遷を繰り返し、現在の形になってきた。それとおなじように日本で使われている手話もやはり「日本語の手話」なんだ。よく、『手話は世界共通だ』という誤った認識をしているリリンがいるけど、コトバというのはそこで生活しているリリン達の歴史に反映されたものだからね。だからその地域の生活・意識・気候・風土・そういったものに裏付けられている。
日本には日本の手話、アメリカにはアメリカの手話、というふうにあるのさ。

あ、そうそう、これは未確認情報なんだけど、韓国や台湾の手話は日本の手話に非常に近いという話を聞いたことがある。これは、歴史的事実を如実に物語っていると思うんだけど、どうだろう?
え、『歴史的事実ってなに?』だって?ふぅ・・・・こまったね。つまり、過去において日本は大陸への進出を画策し、これらの国々を統治していたのは学校の日本史で勉強しただろう。そのことと大いに関係があるんだ。もっともそのころのろうあのリリンは、今のように社会のなかで認められていたわけではなかった(あえてこう言わせてもらうよ)からね。手話が浸透していくのも本当にゆっくりとしたものだったんだろう。実際第二次世界大戦が終わって、身体障害者福祉法が制定されてからでも、手話というものが世間に認知されるまでは、非常に長い時間を要したわけだからね。このあたりの経緯については、またいずれ何かの形で話すつもりだ。

カヲル君へ

「手話の数」
こんすとらくしょんちう
手話の数については、各方面からいろんな意見をいただきました。現在整理中です。(byカヲル)


カヲル君へ

「おいで、おいで」
さて、今度の質問はなんと!ぼくが好意を寄せているシンジ君からの質問なんだ。と、いってもここのHPで弐号機パイロットと仲良くしているシンジ君とは別の世界にいる、まだエヴァンゲリオン初号機に乗っているシンジ君なんだけど・・・。そのシンジ君は、作戦行動中に通信が不能になって、葛城三佐にボディランゲージで必死に連絡を取ろうとしたんだって。やはり、どこのHPにいても、シンジ君だね。ぼくはうれしいよ。このボディランゲージこそ、手話の原点だね。

このときにシンジ君は葛城三佐に『おいで、おいで』をしたらしいんだが、『人を呼ぶ』ということだけを考えてみても、実にさまざまな『呼び方』があるよね。たとえば、『おいでよ』『来て』『いらっしゃい』『来い!』『こちらへどうぞ』などとさまざまなシチュエイションが考えられる。基本的にはこの『おいで、おいで』が『人を呼ぶ時の手話』と言えるんだけど、さきにいったようなすべてのシチュエイションには当然あてはまらないよね。呼ぶ相手が目上の人だったりしたら、『なんて失礼な奴だ!!』てなことになってしまう。だから、TPOに合わせて身振りを変えなくてはいけない。でも、それがまた手話の世界でもあるんだ。

このあたりを勉強するには、外国の映画が非常に参考になると思うよ。彼らは普段の会話の中に『ボディランゲージ』を潜在的に取り入れているからね。
ところで、自分に向かって『おいで、おいで』をすると、『呼ばれる』という手話になるんだよ。石龍さん。

カヲル君へ

「字幕入りビデオ」
今度のお題は実は創さんがどうしても書いてくれと言って、ぼくのところに泣きついてきたテーマなんだが・・・・こまった管理者だね。まあ、いいか。
耳の聞こえないリリン、または聞こえにくいリリンたちも含めてなんだけど、外からの情報を得るためにはやはり『眼』から入ってくるものに頼らざるを得ないわけだね(実際には触覚、嗅覚などもあるけれど)。そのひとつに『字幕入りビデオ』というものがある。このビデオは聴覚障害者情報提供施設というところで作られ、貸し出されるわけなんだが、これが結構大変な作業なんだ。普通30分程度の番組に字幕をいれるのに約一ヶ月くらいはかかるらしい。またそれ以上に大変なのが『著作権』の問題なんだ。つまり既存の作品に対し『字幕』という『加工』をするわけだからね。著作権者の承認が必要になってくる。聞いたところによると、書籍を『点字の本』にする場合には著作権の問題にはならないんだそうだ。
これはやはり『映像』という作品には、映像の他に『音声』などの様々な要素が複雑に絡み合っているが為に起きてしまうんだろうね。また、字幕や手話を挿入するということは、その部分の映像が隠れてしまうわけだからね。それにいかに情報を正確に伝えたいからといって、リリンの会話だけではなく、例えば犬の泣き声や車の音、そういったものまで字幕にしていたら大変なことになってしまうだろ。情報の選択といった事も大切な作業なんだ。それからこれは創さんから聞いた話なんだが、以前あるところで『TVのなかの手話通訳が邪魔で、番組が面白くなかった』といっていたリリンを見つけたらしいんだ。さすがの創さんもむっときたらしいよ。
しかし、そういうふうに考えるリリンがいることも紛れも無い事実なんだ。

カヲル君へ

「さまよえる手話」
さて、市民手話講習会というものが、各地で開催されていると思う。エヴァ手話の中では綾波レイがこれを受講して手話の世界に入っていったことになってるね。その運営方法については、主催者によっていろいろと違いはあるんだが、だいたい10回から15回くらいに分けて手話の基本を学ぶようになっていると思う。ここで注意をして欲しいのは、この市民手話講習会というのは手話を学ぶのはもちろんなんだが、耳の聞こえないリリンたちのことを学ぶ場所でもあるということなんだ。

最近はいろいろなマスメディアのおかげで、いろんな形で「手話」というものが紹介されるようになってきた。しかし、手話を使って生活しているリリンたちのことを伝えているのは、まだまだ少ないと思う。先日創さんがTVを見ていたら、『手話ダンス』なるものを紹介していたらしい。歌謡曲に合わせて、手話をしながら踊りを踊るという摩訶不思議なものだったそうだ。こういうのを「手話の一人歩き」というのさ。つまり「ろう者不在」の手話なんだね。これはもはや、手話とはいえないだろう。このTV番組では、「これで耳の不自由な人たちの手助けをすることができるようになれます」などど誇らしげにいっていたらしいんだが、まるでアダムと見せかけてリリスをセントラルドグマに隠していた碇ゲンドウみたいなやつだね。不愉快の極みだよ。

だから、ほんとうに手話を勉強したいと思っている人は、ちゃんとした主催者の開催している勉強会に参加してくれ給え。

カヲル君へ

「手話の辞典」
なんとまあ、久しぶりの登場だよ。上の「さまよえる手話」から実に3ヶ月ぶりの更新なんだ。ここの管理者はぼくに怨みでもあるんだろうか?ともあれ、質問を寄せてくれたしもまきさん、ありがとう。好意に値するよ。さあ!久しぶりに仕事仕事と!!

こほん。手話の辞典というのは、今ではたくさんの種類が出ている。ちょっとした本屋さんなんかには、必ず手話のコーナーってのがあって、そこに置いてあったりするね。どの辞典を見てもいろいろなイラストとともにその手話の解説が書いてあったりする。確かに手話の勉強を始めた当初は、こういった書籍が非常に頼もしくおもえることがある。これは、みんなが英語やドイツ語の勉強をすることと同じだね。

じゃあ、英和辞典や独和辞典を読みさえすればペラペラに喋れるようになるかというと、決してそんなことはない。これは手話の場合にも当然言えることなんだ。

なぜか?

それは『単語を覚えること』と『会話の方法を覚える』ということは、まったく別のことだからさ。

我が国では、昭和40年代の終わりごろから手話というものに対する国の諸施策が始まり、手話通訳者の養成や派遣といった事業が実施されるようになった。しかし、これは国が直接音頭を取るわけではなく、実際は地方自治体がその実施主体となっているわけだ。そのなかで、『標準手話の普及』ということがクローズアップされてきたわけなんだな。たしかに、北海道から九州・沖縄まで共通に使える言葉があるということは、便利なことに違いはないだろう。実際、全日本ろうあ連盟もその活動が本格的になるにしたがって、その必要性というのはたぶん実感していたんだと思う。そこで国は全日本ろうあ連盟とともに『標準手話を策定するプロジェクトチーム』を筑波に発足させた。

しかし、標準手話を作っていくのはいいが、それを普及させることは困難を要することになる。と、いうのはそれを普及させる手段の問題なんだね。たとえば、耳の聞こえるリリンの場合は、TVやラヂオ(ラジオと書かないところが奥ゆかしいだろ?)がその媒体となって、瞬く間に標準語というのが日本中に広まっていった。または、学校教育の影響も絶大なものがある。ところが、「手話はどこで」のところでもいったように、日本のろう教育では手話を否定してきたという歴史がある。これについては、まさに二律背反だね。

そこで押っ取り刀ででてきたのが、『手話の辞典』。つまり手話を勉強する耳の聞こえるリリンだけではなく、標準手話を覚えようとする耳の聞こえないリリンにとっても手話の辞典というのは重要なアイテムなのさ。

ただ、辞典はあくまでも辞典でしかない。ほんとうに大切なのは、会話の勉強だ。それに辞典で覚えた単語がそのまま自分の地域で使えるかというと、決してそんなことはない。手話というのは話し言葉以上に地域性(方言)、表現のくせ、等が強いからね。だから、自分の前のろうあのリリンの手話が本と違っているからといって、『おみゃーさん、手話が違うがね』などと言う事の無いようにね。はっ?!なぜ名古屋弁??!!
カヲル君へ
「♪朝だ、朝だ〜よ〜♪」
またまたしもまきさんからの質問だ。実は随分と以前に質問はもらっていたんだが、ちょいとぼくが欲張りをしてしまってね。画像ファイルも一緒にUPしようと思って準備を創さんに頼んでいたんだ。ところが創さんが未だに画像をぼくに渡してくれないんだよ。だから見切り発車で申し訳ないんだが、これ以上しもまきさんを待たせるわけにもいかないからね。取り急ぎテキストのみの回答をしておこうと思う。

質問の内容は『耳の不自由な人の目覚し時計はあるのか?』というものなんだ。

ふつう目覚し時計というのはブザーやベルといったで時間を知らせるわけだが、耳の不自由な人はどうすると思うかい?
それはね、バイブレーターなんだ。ほら、よくケイタイやポケベルに付いているだろう?アレが合図なのさ。正式名称は聴覚障害者用目覚し時計というんだ。
(あんた、ばかぁ?そのマンマじゃない!byアスカ)
ええい弐号機パイロット!ぼくの邪魔をしないでくれ!久しぶりに出番がきたのに!それでなくともぼくのシンジ君とイチャイチャしてるくせに・・・。とまあそれはそれとして(滝汗)、これは目覚し時計からアンビリカルケーブルのようにコードが伸びていて、その先にバイブレーターが付いているんだが、時間をセットしたらこのバイブを自分の腕に巻き付けたり枕の中に入れておく。そして起きる時間になると振動で目覚めるってわけさ。もっとも寝相の悪い人は枕の中に入れておいたら×だね。

この目覚し時計のように体の不自由な人が生活の中で使い易いように工夫された製品のことを『身体障害者福祉法によって定められた日常生活用具』といい、それを使おうとする人の収入(所得税の額)に応じで価格の一部又は全部を負担することによって市町村の福祉事務所から給付を受けることが出来る。

耳の不自由な人を対象とした日常生活用具にはこの他にいろいろとあって、玄関の呼び鈴などとシンクロさせた聴覚障害者屋内信号灯(回転灯やフラッシュライトで知らせる)、ファックスベビーコール(赤ちゃんの枕元に音声センサーを置いて泣き声をバイブの振動や、ライトで知らせる)、またはこれらの機能を一まとめにした通称お知らせ君と呼ばれる機器がある。これに対して補聴器は『補装具』といって、日常生活用具とはまた別のカテゴリーになるんだけど(つまりフォースチルドレンの車椅子や義足と同じカテゴリーさ)、同じように市町村の福祉事務所から給付を受けることが出来るんだよ。余談だけど、補聴器については、お年寄りがよく眼鏡屋さんなどで購入しているが、必ず専門の医師の処方のもとに作らなければならないのは言うまでもない。それとこの福祉事務所から給付を受けることが出来るというのは現物給付だ。自分で買って後からお金が返ってくるわけではないから間違いの無い様にね。創さんのところにもよくそういった問い合わせが多いらしいよ。

カヲル君へ

「鳴らない電話」
ん?これはシンジ君がお父さんに呼ばれて第3新東京市に来たばかりの頃のエピソードじゃないのかい?なんだ・・・。それとは違う話なのかい。

ああ、なるほど。

実は耳の不自由な人と携帯電話の話なんだ。

携帯電話はもはや日常生活の中に完全に密着しているといえるね。なんといっても、あの創さんでさえ持っているくらいなんだから、その普及率というものは押して知るべしと言ったところだ。いまではさまざまな機能がついていて、インターネットにさえ接続できるそうじゃないか。その中のメール機能が、実は耳の不自由な人たちのコミュニケーションに大きな役割を果たしているのを知っているかい?

普通、耳の不自由な人たちのコミュニケーションツールというと、FAXが代表的なものだが、この携帯電話は彼らにしてみれば携帯FAXとして使えるのさ。これは画期的なことだと思うよ。送れる情報量にはもちろん限界があるが、逆にちょっとしたことを送るにはFAXよりもはるかに手軽ともいえる。また将来的にもこれからはどんどん機能も向上していくであろうことは間違い無いといえる。その理由はちょっと皮肉っぽいが、耳の不自由な人以外にも使う人が多いからだ。これは事実だよ・・・。

いまから15年ほど前、携帯電話は肩から吊り下げるくらいの大きさだった。もちろん値段も目が飛び出るほど高かったし、普通の人は誰も持っていなかった。せいぜい業務用が主だね。やがて自動車電話がステイタスになり、そしてバブルの時代には、おにーちゃんやおねーちゃんのナンパの必需品となった。それがいつのまにか、耳の不自由な人たちのコミュニケーションツールになっているんだから、世の中わからないものだ。
創さんもサークルに行った時、若いろう者がみんなケータイを持っているのを見てびっくりしたことがあるそうだ。いまでは若い人たちだけではなく、年配の人達でも持っている人は多いみたいだね。またマナーのために考え出された『バイブ機能』も聴覚障害者にはもってこいだったわけだ。

ここで気がついた人もいるだろうか?この携帯電話には上にあるような『日常生活用具』としての補助はあるのか?ということなんだけど・・・。結論から言うと、補助の対象にはなっていないということだ。これにはいろいろと理由があるようなんだけど、その一つには価格自体があまり高くないということと、この携帯電話そのものは別に特殊なものではなく、改造等のリファインをしないと使えないというわけではないからだそうだ。実際、PHSなんかはタダで配っているところもあるくらいだからね。

その代わりというわけではないが、聴覚障害者の情報取得に関する補助制度としてインターネット接続を目的としてパソコンを購入する際には、その価格の一部を助成する制度があるようだから、詳しく知りたい人は市町村の福祉事務所で聞いてみるといい。え?そんなことよりこのHPでちゃんと紹介しろ?ああ、すまないね。この制度は各都道府県の単県事業だから、それぞれの地域によって細かいところが違うんだ。だから申し訳ないが、そういうことなのさ。

カヲル君へ