週刊サワネ1998年9月第1号 通算第20号

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 社会化

 エアフォースワンとクリントン

 ロシアで7歳の娘と二人でホームステイをしてきました。体験記、ワードで150KBほどです。メール下されば送ります

 sawane96@oka.urban.ne.jp

 

  

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社会化

「見なさい。みんなちゃん××してるでしょ。太郎ちゃんもきちん××しなさい」世の親が自分の子供に良く使う言葉です。親が自分の言うことを子供に聞かせようとして言います。でも、私は言わないようにしています。実際にも言うことはないと思います。なぜ、言わないか?他の人がどうしようと、関係ないじゃないかと思うからです。うちの配偶者も言いません。他のみんながしてるから、あなたもしなさい、という言い方はしないのです。だからかどうか、うちの子供たちも、よその花子さんが××買ってもらったから、私も買って、という言い方はしません。

これが、良いことだと思っていました。でも、ふと、思い付くことがありました。他の人と同じようにしたいというのは、実はとても大切なことではないかと気が付いたのです。私が洋服を着ているのは、別に今着ている服が好きなからでもない。暑さ寒さをしのぐためだけなら、もっと他に手段があるはずです。でも、今着ているような服を着ている。それは、みんなと同じでありたいからです。ネクタイもしていますし、散髪にも行きます。必ずしも必要だとは思われない、それらが必要なわけは、なぜするかと言われれば、他の人と同じでありたい、同じでなければまずいと感じているからです。同じであることによって、同じ社会の一員であることをお互いに確認し、同じルールを守っているということを確認する。そして、安心するのです。

この同じというルールを守らなければ、違和感を持って迎えられる。安心されない。同じ仕事をしていても、価値観が違うのではないかと思われる。

ルールを守っていれば、とりあえず、同じ基盤に立っているのだと安心できる。

同じかどうかという判断もむつかしい。人によって違う。ネクタイをしていれば良いのかというと、この柄は派手だから、この会社こういう商売には向かない。と言われたりする。背広も同じく着ていれば良いというものではない。ソックスでもそうだ。ルーズソックスでないと、仲間に入れてもらえなかったりする。「こんにちは」というかんたんなあいさつでさえ、ある一部の人々は使わない。最初あったときには、それが昼であれ、夜であれ、「こんにちは」ではなく「おはようございます」だ。「おはようございます」を使わない人はよその世界のひとだ。

社会というのは、同じものをなんらか共有する社会です。それが、何なのか。漠然としている。わからないから、なんでもかんでも同じにしないと落ち着かない。そういったこともあるのかもしれない。漠然としているから、違ったことをやってみたい。でも、違ったことをした瞬間から、違ったことをするという新しい区別されたグループの一員になる。

などということを考えてみると、冒頭の「見なさい。みんなちゃん××してるでしょ。太郎ちゃんもきちん××しなさい」というのは、子の社会化を促す親の教育なのだとわかる。

社会化しなければ、人は生きていけない。としても、この方式の社会化教育は、私にはなじまない。何かよい方法はないものかと思うのです。

 

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エアフォースワンとクリントン

エアフォースワンというビデオを借りて来て見ました。アメリカ大統領がハイジャッカーと自ら闘うというお話です。ストーリーは、なかなかすごい選択を大統領に迫ります。家庭か?国か?大統領は家庭を選ぶ。そして、結果としても国も救う。古典的にアメリカ国民は大統領に良き父親を見ると言います。とすると、この映画は、古典的な大統領像を演出しています。

何年か前に作られたこの映画が、現在のクリントンを反対側から予言しているような気がするのです。アメリカの大統領は良き父親ではなくなっている。良き父親たれ。あるいは、アメリカの国民は、大統領に良き父親を求めなくなっている。おかしいのではないかと。

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事務所内研修の内容

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