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 「メノン」を少しつっこんで読んでみました。けっこうおもしろいです。岩波文庫です。

 

 

プラトン著「メノン」について

要旨

  プラトンの作品「メノン」は、「徳は教えることができるか」というメノン問いに対して、「徳それ自体がそもそも何であるかさえ知らない」という、ソクラテスの答によってはじまる。

  「徳とは何か」というソクラテスの問いに、「男の徳、女の徳、子供の徳、年配の者、自由人、召使、まだまだたくさんの徳がある。」と数多くの徳をメノンはあげるのだが、ソクラテスは、それらに共通する徳の本質を言うようメノンに要求する。しかし、メノンは、なかなか、うまく答えることができない。そして、「知らないものを探求することはできない」との発言をする。

  そこで、ソクラテスが提示したのは、「想起説」であった。人の魂は、何度も生まれ変わっているものだから、およそ、何も知らないものはないのだ。だから、知らないものを探求するという問いは成立しない。知らないものはないのだから。

  メノンは、以上のソクラテスの答に納得したかにみえたのだが、また、徳とは何であるかという問いにもどってしまう。

  仮設をたてることによって、「徳は知である」という結論にいったんはいたる。しかし、そのすぐ後で、徳を教える者も、習う者もいないのだから、徳とは教えられうるものではない。だから、知ではないと、さきほどとはまったく正反対の結論に達してしまう。

  「これまでの推論に従えば、徳というものは、知性とは無関係に、神の恵みによってそなわるものだということになる。しかし、徳それ自体はそもそも何であるかという問いを手がけてこそ、いかにして徳がそなわるようになるかを知ることができるだろう。」

  「メノン」の概略は以上である。「徳は知識とは無関係である」という結論で終わってしまうこの作品で、ソクラテスの言いたかったことは、その結論でもないだろうし、最後のことばから予想することのできる「徳は知識とは無関係であるのではなく、まさに徳は知である」ということでもなかったにちがいない。

  彼が伝えたかったのは、この作品の過程で語られるさまざまのことではなかったのか。

  それは、「知らないことを探求する」喜びとその方法、教えるということ、習うということ、数学の重要性、そして、想起説であろう。

 

 

 

 

 

プラトン著「メノン」について

目次

1読解

1−1  徳とは何であるか(1)−(12)

1−2  想起説  (13)−(22)

1−3  徳は教えられうるかー徳は知である (22)−(25)

1−4  徳は知ではない (26)−(41)

1−5  徳は何かという問いを手がける必要がある。(42)

2  ソクラテスは何を言いたかったのか

2−1  知らないことを探求する

2−2  教える

2−3  数学、あるいは幾何学

2−4  想起法

1読解

  メノンを読みすすめていく。なお、(1)(2)等の章分けは、岩波文庫のもの、すなわち、「18世紀以降フィッシャー(J. F. Fischer)の校本に由来すると見られる一般に慣用のもの」にしたがっている。

1−1  徳とは何であるか(1)−(12)

  「徳は教えることができるか」というメノンの唐突な問いに対して、「徳それ自体がそもそも何であるかさえ知らない」という、これもまた突飛と言ってよいソクラテスの答によってはじまる。

(1)メノン「人間の徳性と言うものは、はたして人に教えることのできるものであるか、それとも、それは教えられることはできずに、訓練によって身につけられるものであるか。それともまた、訓練しても学んでも得られるものではなくて、人間に徳がそなわるのは、生まれつきの素質、ないしはほかのなんらかの仕方によるものなのか.....。」

ソクラテス「徳それ自体がなんなのかさえ知らない。」

(2)ソクラテス「あるひとつのものが何であるかを知らないとしたら、それがどのような性質のものかということを知ることはできないだろう。徳とはなんであるか自分は知らないし、知っている人に出会ったこともないと思っている。徳とは何であるのか、君の考えを聞かせてくれないか?」

(3)メノン「男の徳、女の徳、子供の徳、年配の者、自由人、召使、まだまだたくさんの徳がある。それぞれの働きと年齢に応じて、それぞれが成しとげるべき仕事のために、それぞれに相応した徳がある」

  ここから後、ソクラテスはメノンに帰納法によって、本質を導き出すことを要求する。すなわち、「ソクラテスの帰納法的探求は、ガスリーによれば次の二段階からなる。第一段階―問題になっているもの(『メノン』では「徳」)の具体的事例を集める段階。第二段階―集められた具体的事例の全てに共通している特性―この特性はそれらの(徳の)事例をそれ(徳)たらしめているものでなければならないーを発見するために、それらの事例を比較、検討する段階。そのようにしてある特性が発見されれば、その特性が「本質」であり、定義を構成することになる。」B

  しかし、メノンはなかなかその意味をつかむことができない。ソクラテスは、「蜜蜂にはいろいろ種類があるが、蜜蜂は蜜蜂であるという点で異なってはいないだろう。その点ではすこしも異ならずに全部同じであるところのもの、(4)ひとつの同じ本質的特性を持っているはずだ。徳についていえばそれは何であるのか」

(5)メノンの答は「人々を支配する能力を持つことである」であった。これは、さきほど列挙した子供にはもうあてはまらないものである。この時点でこのメノンの答は破綻している。彼はまだ、本質的特性について理解していないように思える。また、定義自体としても満足なものではなかった。「『支配する能力を持つこと』と君は主張するがそこに『正しく、不正にではなく』とつけ加えるべきではないか? 」しかし、われわれは、メノンを笑うことはできないはずだ。選挙のたびに、なにを基準に政治家を選ぶかという問いに対して、「行動力」とか「決断力」と答える人のなんと多いことか。それらの言葉には、まさに『正しく、不正にではなく』とつけ加えるべきではないか?

ソクラテスは問う「君は正義は徳であると言うが、正義は徳だろうか、それとも徳の一種なのだろうか?」

メノン「正義だけでなく、いろいろ徳がある。勇気、節制、知恵、度量の大きさなど、ほかにもたくさんある」

  ここで、またメノンは自分の求められているものを忘れてしまっている。

(6)(7)(8)(9)何かをつらぬいているひとつの特性という考え方が、なかなかメノンに理解されないため、形、色についてソクラテスは話を進める。メノンが理解できたようなのでふたたびソクラテスは問う。

(10)ソクラテス「全体的に見て徳とは何であるか。」

メノン「徳とは、美しいもの(善きもの)を欲求してこれを獲得する能力があることだ」

  アレクサンドル・コイレはなかなかてきびしい。「この新しい定義は先になされたものよりも、はるかに定義の名に価しない。すなわちまず第一に、これは不要な言葉を含んでいる。『善きものを欲求する』という表現は冗語法である。実際、ひとはだれでも善きものをこそ欲求するのであって、それ以外のものを求めはしない。−むろん、ひとが思い違いをしていて、実際には悪しきものを善きものと思いこんでいる場合は別であるが。また、第二に、この定義は不完全である。「獲得する能力がある」ということ、それだけでは「徳」ではない(泥棒は徳を具えた人物とは言えないからである)。そこで、「正しい仕方で」ということをつけ加えなければならなくなる。A

(11)ソクラテスは言う。「『獲得』に、正しくかつ敬虔にという言葉を付け加えてもいいね。そうでなければ、悪徳になってしまう。してみると、そうするのが正しくない場合には、自分のためであろうと、他人のためであろうと、けっして金銀を獲得しないことーこのような不獲得も徳なのではないか。

  そうすると、正義をともなって行われるものは何でも徳であり、すべてそういったものなしで行われるものは、何でも悪徳だということになりそうだ。」

(12)ソクラテス「われわれは少し前に、それらひとつひとつのものを、正義や節制やそういったすべてのものを、徳の部分であると主張していた。つまり今君は、徳は徳の部分をともないさえすれば徳であると主張する。徳そのものを知らないのに、徳の部分が何であるかわかるはずがない。だから、もう一度、振り出しにもどって、徳とはなんであるかという同じ問いを受ける必要がある。」

1−2  想起説  (13)−(22)

  想起説が語られる。

  想起説の登場するきっかけはおもしろい。それは「探求不可能論」に対する答えとして出てくるのだ。メノンはいう(14)「それが何であるかぜんぜんわかってないとしたら、どうやってそれを探求するつもりなのか。知らないものをどうやって目標に立てたうえで探求しようというのか。あるいは、それを探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのか」

  なるほどもっともな問いであると思われる。コロンブスは、自分の発見した場所をインドであると信じていたのだから。

  これに答えるソクラテスのことばから、このような問いがすでにある程度一般的なものであったことがわかる。

  すなわち「人間は知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。まず、知っているものを探求することはありえない。すでに知っているのだし、(だから)探求の必要がまったくない。また、知らないものを探求するということもありえない。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」

  この話の展開から、ソクラテスがこのような議論が広くなされていることを承知しているということがわかる。しかし、彼は、この議論がよくできているとは思わないと言う。

  その理由として、彼は、神職にある人々、あるいは神的な詩人たちから聞いた話として次のような話をする。「魂は不死であり、時には人間は死んだり、再び生まれたりするが、しかし魂が滅びてしまうことはない。だから、ひとは、神意にかなった生を送らねばならない。なぜならば」として、ある詩を引用する。

  ここで、注目したいのは、この話についての彼の見解である。「どのような話をですか?」というメノンの問いに対して「真実なーとぼくには思えるのだがーそして美しい話だ」これまでの、ソクラテスの議論の進め方にくらべてみれば、なんと自信無げなことばであろう。知らないことについてさえ、高らかに、「徳それ自体が何であるかということさえ、知らないのだよ」と言っていたのに。そして、「真実な」ということばと「美しい」ということばをならべて、使っている。真実であれば、美しいといわんばかりである。

  さて、このように、「人々の話」と「詩」とを根拠にして、ソクラテスは話を進めていく。

(15)「魂は不死であるから、すでに学んでいないようなものは何にもない。だから、徳についてもその他いろいろな事柄についても、いやしくも以前に知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起こすことができるのは、不思議なことではない。事物の本性というものは、すべて互いに親近なつながりをもっていて、しかも、魂はあらゆるものをすでに学んでいるのだから、もし人が勇気をもち、探求に倦むことがなければ、あるひとつのことを想い起こしたことーこのことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが、その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することに他ならない。さっきの論争家ごのみの理論は、われわれを怠惰にするし、惰弱な人間の耳にこそ快く響くが、いまの説は、仕事と探求への意欲を鼓舞するからだ。この説を信じて、徳とは何かを探求するつもりだ。」

  「真実なと思える」「魂の不滅」を根拠として、人はほんとうは何でも知っているのだと理論を展開していく。いわゆる想起説の登場である。「私たちは、それとなく知っていることがらを、明確な知識にまでもたらそうとしているのである。つまり私たちは忘れている知識を思い起こそうとしているのだということになる」A しかし、ここで、重要と思われるのは、「勇気をもち、探求に倦むことがなければ」「発見するということもありうるのだ」ということだろう。つまり、いくら知識を生まれつき魂の中にもっていても、努力がなければうまく使うことはできないし、うまく使えても、発見できないこともある、と言っているようである。そして、しめくくりは、「この説を信じて」である。ソクラテスは、この説をここでは証明しようとはしない。そのかわりに「信じて」ということばを使うのである。この場このとき、彼は、証明するすべをもっていなかったと思える。なぜならば、もし、証明できると彼が考えていたとしたら、このような表現を使うはずがないからである。

そして、「学ぶとわれわれが呼んでいることが、想起にほかならないのだという意味がわからない」と言うメノンに、ソクラテスは、「やってみよう。たくさんの従者の中から、これはと思うのを誰かひとり、呼び出してくれ。その者をつかって君に証明しよう」

  想起による発見が、誰にでもできるものであるのであれば、証明に使われるのは、「これはと思う」召使でなくてもいいはずである。メノンが「これはと思う」召使とは、いったいどんな召使であったのか。また、ここで注目したいのは、「証明する」とソクラテスが言っていることである。つい、さきほど、「信じる」ということばを使ったばかりであるのに。「信じる」ということばと「証明する」ということばとは、同じ考えについては使えないのではないかと思う。たとえば、ある人が、三平方の定理を証明できるのであれば、その人は、「三平方の定理を信じる」とは言わないだろう。「三平方の定理を証明できる」というはずだ。逆に「三平方の定理を信じる」とある人が言ったとすると、この人は、証明できないのだろうと一般に思われるのではないか。では、なぜ、ソクラテスはこのようなことばをつかったのであろうか。

(16)(17)ソクラテスは、召使に質問する形を取りながら、召使にある正方形の2倍の面積の正方形を作らせようとする。

(18)「召使は最初8平方プゥスの正方形の1辺が何cmか知らないにもかかわらず、自分が知っているものと思っていた。それが今は、自分が知らないことを知っている。この子は進歩したのだ。この子はいったんしびれて、行きづまった。だから、自分が無知な者として、よろこんで探求するつもりにもなるだろう。この子は、自分の無知をさとって行きづまりにおちいり、それによって知りたいと思う気持ちになる以前に、知らないのに知っていると思いこんでいた事柄を、探求したり学んだりしようと試みるだろうか? しびれたことがこの子のためになったのだね?」

  ここでは「しびれる」(アポリア)ということの効用が述べられている。それは(13)で「あなたははシビレエイか魔法使いのようだ。人をいきづまらせる。ほかの国に行けばつかまってしまうだろう。」というメノンのことばに対する反論であり、この「しびれ」の効用をメノンに認めさせている。だが、ただ反論である以上に、ソクラテスは「しびれ」の効用を重視し、「想起による発見」のための重要な要素のひとつとみていたに違いない。そして、さらに、「よろこんで探求するつもりにもなるだろう」である。「よろこんで」ということばは、「しびれ」と同じように「想起による発見」のための重要な要素のひとつであるとするのは、考えすぎだろうか?

(19)2倍の面積の正方形が完成する。

(20)「この子が答えたことは、すべてこの子の思わくだった。その思わくはこの子に内在していたのだ。ものを知らない人の中には、何を知らないにせよ、彼が知らないその当の事柄に対する正しい思わくが内在していることになる。もし、誰かが、こうした同じ事柄を何度もいろいろのやり方でたずねるならば、最後には、この子はこうした事柄について、誰にも負けないくらい正確な知識をもつようになるだろう。それは、誰かがこの子に教えたからというわけではなく、ただ質問した結果として、この子は自分で自分の中から知識をふたたび取り出し、それによって知識をもつようになるのではないか。しかるに、自分で自分の中に知識をふたたび把握し直すということは、想起するということにほかならないのではないだろうか? その場合、その知識は、以前にいつか得たものであるか、つねにもちつづけていたものか、どちらかだ。それは、現在のこの生において得たのではない。」

(21)「そう、じつはね、ぼくは自分でもそんな気がするのだよ、メノン。ぼくはほかのいろいろな点については、この説をそれほど確信をもって断言しようとは思わない。しかし、以下の点については、もしぼくにできるなら、言葉のうえでも実際のうえでも、大いに強硬に主張したい。つまり、人が何かを知らない場合に、それを探求しなけれならないと思うほうが、そうでないと思うよりも、われわれはよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、なまけごころがすくなくなるだろうということだ。」

  ここで、ソクラテスの想起説への思い入れが感じられる。召し使いの少年を使って想起説が正しいことを証明したにもかかわらず、あえて、「この説をそれほど確信をもって断言しようとは思えない」と言ってしまうのだ。この彼の発言で、(15)で「この説を信じて」と言いながらすぐそのあとで、「証明してみよう」と言ってしまう、その不可解さがわかるのではないか。彼はすでに、この想起説を自分でなんども証明していながら、その証明に納得のいかないものを感じている、あるいは、欠陥を発見しているのだと考えることができる。その証明が、完全であると信じているのならば、このような、発言にはならないはずだからである。そして、想起説の効用を大いに断言するのだ。想起説は、ただ単に、魂は不滅であるから、知らないことはないのだという主張であるというよりは、精神の積極性、果敢さ、知的な探求心の必要性、重要性を説くものであるかもしれない。そして、ソクラテスは、想起説が好きなのだ。また、想起説は、帰納法を有効なものにする。

  浜崎Bは、「一般に知の研究、獲得に関して経験論的な説明は、帰納法を主要な手段として行われると言えよう。したがって、想起説を主張することは、視野をひろげてみれば、我々の知の探求、獲得に関して経験論的な説明はそれ自体では十分ではないとして、何らかの形で経験によらない、経験に先行する知を我々が持っていることを主張することである。つまり、経験によって直接得られるものは個別的な知であり、それを幾ら集めても本質といった普遍的な知にはなり得ず、また、いわゆる抽象作用をそこに想定しても無駄で、それだけでは、われわれの見てきた探求不可能論のディレンマに陥るだけである。想起説は、普遍的な知は個別的な知に先行しており、それは経験によらない、経験を越えたものだとすることによって個別的な知から普遍的な知への意向を説明して行こうとするわけである。」

  また、この想起説の部分は、「知の思い込み」→「アポリアと無知の自覚」→「探求の再出発」→「発見(想起)」という形がきわめて、明確になっている。これは、ソクラテス的な対話・問答のあり方の典型的な過程であるという。(@解説の部分)

1−3  徳は教えられうるかー徳は知である (22)−(25)

(22)ソクラテスは、以上の通り、メノンの最初の問い「知らないものを探求することができるか」に答えたのであるから、また、そのことについて、メノンも納得したのであるから、この問いを発する(13)のはじめの部分、「それでは、もういちど最初から答えてくれたまえ。徳とはいったい何であると主張するのか?」に戻れると思っていた。だから、「それでは、ひとは自分の知らないものがあれば、それを探求しなければならないということに、われわれの意見が一致しているのだから、われわれは力を合わせて、徳とはそもそも何であるかということを探求することにしようか。」と安心していうのだった。しかし、それに対するメノンの答は充分に衝撃的なものだった。すなわち「ええ、ぜひ、そうしましょう。ただし、ソクラテス、私としては、最初におたずねしていたあの問題について、自分でも考察し、あなたの意見もきかせていただくことができれば、いちばんうれしいのですが。つまり、私たちが徳を心がける場合に、それを教えられうるものと考えたらよいのか、それとも、徳とは、生まれつきによるものと考えるべきか、それとも、いかなる仕方で人間にそなわるようになるものと考えるべきか、という問題です」

  ソクラテスの呼びかけに対するメノンの答は、およそとんでもないものである。ソクラテスが話し、メノンが同意したことの意味がまったくわかっていない。ソクラテスが言い、またメノンが同意したはずのものは、まず、それが何であるかを探求し、それからそのものの性質を探求しよう、という、探求の順序についてではなかったか。その、合意点である順序を、「ただし」ということばでひっくり返してしまう。

  これには、ソクラテスもしびれてしまったに違いない。だからこそ、「このぼくが、君を支配できる立場にあったとしたら、ぼくたちは、まず第一に徳それ自体が何であるかを探求しない前に、それが教えられるかどうかを考察するというようなことは、けっしてしなかっただろう。」ということを言ってしまうのだ。

ソクラテス「何であるかがわかっていないものについて、その性質を考察しなければならないようだ。仮設を立ててしらべることを許してほしい」

(23)「徳がどのような性格のものであれば、それは教えられうるものだということになるか」

「人間が教わるものといえば、それは知識以外のものでないということは、何びとにも明らかなことだろう」

「徳が知識の一種であればそれは教えられうるということになるだろう」

「では、徳は知識であるか、別のものか」

「徳は善であると仮設を立てよう。」

「知識とは別個に切りはなされてもなお善であるものが何かあれば、徳は知識の一種ではないかもしれない。知識が包括しないような善はひとつもないとすれば、徳は知識の一種であると推定できる。」

ところで、

「善き人間であるのは、徳によるのだ」

「善き人間であるならば有益だ。すべて善きものは有益なのだから」

「徳もまた有益であるわけだ。」

(24)「どのようなものが有益であるか。健康、強さ、美しさ、それに富ーこれらのものである。しかし、ときによってこれらのものが、有害であることもある。導くものが正しい使用である場合には有益となり、そうでない場合には有害となるのではないか。魂に属するものについても同様である。これをまとめると、魂のはたらきはすべて、知が導くとき幸福を結果し、無知が導くとき不幸をもたらすのではないか。

  とすると、徳が魂にそなわる資質のひとつであり、また、かならず有益なものでなければならないとするならば、徳とは知でなければならないことになる。なぜなら、すべての魂の資質というものは、それ自体単独では有益でも、有害でもなく、そこに知もしくは無知が加わることによってはじめて、有害なものになったり有益なものになったりするのだから。徳が有益なものである以上、それはひとつの知でなければならないのだ」

(25)「富やそれらに類するものは、魂が正しい仕方で導くときには、有益なものとなり、正しくない仕方でそうするときは有害なものとなるのだ。正しく導くのは知恵のある魂であり、導き方を誤るのは無知な魂のすることだ。とすると『人間にとって、他のいっさいのものは魂に依存し、魂そのものがもつ資質は知に依存する。もしそれらが善いものであるべきならば』有益なものは結局知恵であるということになる。」

「有益なものは結局知恵であるということになる。」明言されてはいないが、このことばは、有益なものは、すべて知恵であり、知恵以外に有益なものはない、という意味であろう。でなければ、「徳は有益なものである。だから、徳は知である」という論理が成立しない。

「徳は知の全体か一部かは問わないとしても。であれば、すぐれた人物というものは、けっして生まれつきによるものではない。ということになる。」

  (22)から(25)までは、わかりにくい展開となっている。まず、ソクラテスが「徳とは何か」という問題にもどろうとするのだが、メノンによって「徳は教えられうるか」という最初の問いに戻ってしまう。ソクラテスは、その問題を仮設をたててしらべようと提案する。その仮設は「どのような性格をもっていれば教えられるか」というものであった。その第一段階は簡単に片づけられる。「教わるものは知識以外にない。」ここで、このことばに驚かざるをえない。教わるものはすべて知識なのか。水泳も、柔道も、スリのテクニックも。とすると、この知識というのは、頭の中のことだけでなく、頭から指令されるく体の動きをも含んだものなのか。で、あれば、たとえば、『魚のおろし方を教わった』ということは『魚をうまくおろせるようになった』と同義であることになる。『正しい論理の進め方を教わった』ということは、『正しく論理を展開することができる』ということになる。そして、この作品には、知識と似たことばとして、知、知恵ということばも出てくる。これらもすべて同じ意味なのだろうか、と。

  さて、「教わるものは知識以外にない。」という発言からは、もうひとつの驚きをあたえられる。「どのような性格をもっていれば教えられるか」という問いであったのに、答は、「それは、何である」という形を取っている。つまり、この問いに対する答としては、「教えられることができるのは、どのような性格をもっていればできるのか」という形をもった答でなければならないはずである。この部分を見る限り、論理が一段飛んでいるのではないかと思われる。メノンに与えられた問題を通り過ぎ、「徳とは何か」という領域にはいっているのではないか。

  つぎに、「徳は知識か」という問題にとりかかるわけだが、ここで次の仮設が出される。「徳は善である」。そして、「善き人間であるのは、徳によるのである。善き人間であれば有益である。徳もまた有益である。有益なものは知識以外にない。だから、徳は知である。もしくは、知の一部である」

  メノンの「徳は教えられうるか」という問いで始まったこの部分は、「徳は知識である」という「徳は何である」という答まですすんでしまったのだ。

1−4  徳は知ではない (26)−(41)

(26)「徳が知であることを自分は疑っている。教えられうるものだとすれば必ず教師と弟子たちがいるはずだ。教えるものも学ぶものもいないのであれば、その事柄は教えられないものだと推測できる。そして、徳の教師を見つけ出すことができないでいるのだ。」

せっかくここまで論を進めて来て、ソクラテスは話をひっくり返してしまう。

(27)(28)(29)(30)(31)(32)(33)(34)

この間、途中で登場したアニュトスも参加して、徳は誰に教わるかという話題になる。しかし、徳を教えてくれる人はどうもいないようだ。であるならば、ソクラテスは言う。「こうしたすぐれた人々の息子が、父親ほどすぐれていないのは、徳は教えることのできないものだというのが、事実なのではないか」

(35)(36)「教師であると自称している人々は、自分が教師であると主張するその事柄に関して、劣悪な人間であるように言われている。他方、立派な人間であると認められている人々は、徳を教えられるものだと言ったり、そうでないと主張したりしている。そのように、意見が混乱しているような人たちを、教師であると肯定することはできないと思うだろう。」

(37)「ソフィストたちも、すぐれた人たちも、どちらも徳についての教師ではないとすれば、それを教えることのできる者は他にはいないことになる。教える人がいないとすれば、習うものもいないことになる。教える人も習う人もいないとすれば、そのような事柄は、もともと教えられる可能性も持っていないのだということは、すでに同意していた。してみると、徳というものは、教えられうるものではないということになる。では、すぐれた人物はいかにして、そのすぐれた徳性をそなえるようになるのか。

さっきの探求を反省すれば、『人間の行為が正しく立派になれるのは、ただ知識によって導かれる場合だけではない』ということに気がつかなかった。いかにしてすぐれた人物ができるかということをわれわれが知りえないでいるのも、おそらくはここに抜け道があったからだ。」

「教える人も習う人もいないとすれば、そのような事柄は、もともと教えられる可能性も持っていないのだ」このことばは、意味を変えないで次のように言いかえることができるだろう。「教える人も習う人もいないとすれば、教える人も習う人もありえない。そのような事柄は、もともと教えられる可能性も持っていないのだ」あるいは、もっと言い換えてみよう。コロンブス以前のヨーロッパを考えてみよう。「中国とヨーロッパのあいだにある大陸(アメリカ大陸)に行った人も、そこから来た人もいないとすれば、その大陸は存在しない。」  この、論理はおかしい。

  ソクラテスともあろう人がこのような理論が正しいと信じていただろうか。これは、皮肉ではないだろうか。ソクラテスその人がしてきたことが、まさにその徳を教えるということではなかったのか。徳を教える人はいる。ソクラテスのほかにもいるかもしれない。しかし、メノンとの対話を通しても、わかるように習う側に、習う用意ができていないといけないのだ。習う用意とは、すなわち、知らないことを探求する勇気、倦むことのない努力である。教える側には、想起をよびさましてやるだけの、導き出してやるだけの能力が必要であることもいうまでもない。

正しく導くのは知だけではない。

(38)「すぐれた人物たちは、有益な人間であり、彼らが有益であるのは、われわれの行為を正しく導くということにある。ここまでは、正しかったのだが、正しく導くといいうのは「知」がなければできないとしたのは正しくなかったようだ。

 もし誰かが、目的地に行く道を知っていて、人々を導いて行くとすれば、その人は正しく、よく導くことになる。しかし、ある人が、その道を通ったことがなく、ちゃんとした知識ももってなくて、ただ見当をつけて、その思わくが正しかったような場合も、やはり、正しく導くのではないだろうか。

 そして、その人は、他方の者が知識のかたちで把握している事柄について正しい思わくをもっているかぎりは、その思わくが真実をついているという状態そのままで、導き手としてはすこしも劣ることがないのだ。

 行為の正しさということに観点をおくなら、正しい行為を導くのはただ「知」だけではなく、正しい思わくもまたそうだったのだ。有益である点において、正しい思わくは知識に劣らないのだ」

メノン「知識をもっている者はつねに成功するが、正しい思わくをもつ者は、うまくいくときと、そうでないときがある。」

(39) ソクラテス「それはちがう。つねに正しい思わくをもっている者は、その正しいあいだは、つねにうまくいくはずだ。 しかし、君のいうように、知識は、正しい思わくよりもずっと高く評価されている。また、区別されている。それは、正しい思わくは、すぐ逃げ出してしまう。人がそうした思わくを原因の思考によって縛りつけることによって、知識となり永続的なものになる。それが、知識が思わくよりも高く評価されるゆえんであり、知識は縛りつけられているという点において、正しい思わくとは異なるのだ。」

(40)ソクラテス「正しい思わくに導かれて成就するひとつひとつの行為の成果は、知識に導かれる場合とくらべて、少しも劣らないのではないか。してみると、行為に関するかぎり、正しい思わくは、知識とくらべてひけをとらないし、このことは、正しい思わくをもっている人と、知識をもっている人とをくらべた場合も同じだろう。

 すぐれた人物たちをそのような人物たらしめているのは、知識だけでなく、正しい思わくもまたそうだということになる。そして、この両者が生まれながらにして身につくものでないとすると、すぐれた人物たちも、生まれつきすぐれているわけではないのだろう。

人間が正しい方向への導き手となる場合には、正しい思わくと知識が導くのだ」

(41)「徳は教えられうるものでない以上、知識ではない。そして、知識は、政治的活動を導く力ではないということになる。してみると、さきほどアニュトスがあげていたすぐれた人々は、彼らの能力のよってきたるところは、知識にあったわけではないのだから、何かある知によって国を導いていたわけではなかたのだ。

彼らは思わくの正しさによって、国を正しく導いているのだ。結局彼らは、知という点にかけては、神託を伝えたりする人たちと、同じだということになる。なぜなら、この人たちも、神がかりになることによって、真実のことをいろいろ言うけれども、その言っていることの意味を何も知ってはいないのだから。そのような人々を神と呼ぶのはまことにふさわしい。」

1−5  徳は何かという問いを手がける必要がある。(42)

(42)ソクラテス「これまでの推論に従えば、徳とは生まれつきのものでもなければ、教えられることのできるものでもなく、知性とは無関係に、神の恵みによってそなわるものだということになる。しかしながら、徳それ自体はそもそも何であるかという問いを手がけてこそ、いかにして徳がそなわるようになるかを知ることができるだろう。」

  最後で話がひっくり返る。いったい今までの議論はいったいなんだったのか。

  「ソクラテスの倫理思想の中心をなすものの一つに、『徳は知である』という有名な主張がある。」(B)というのであるから、この作品の「徳は知ではない」という結論はいったいどんな意味をもつのだろうか。これは、反語にちがいない。反語だからこそ、最後の最後にソクラテスは「徳それ自体はそもそも何であるかという問いを手がけてこそ、いかにして徳がそなわるようになるかを知ることができるだろう。」と言うのである。このことばは、「徳は知性とは無関係である」ということばを、またまた、覆す予感をいだかせはしないか。しかし、ソクラテスは、いったん「徳は知である」と言い、「徳は知識ではない」と言っている。これらのことばは、いずれも、「徳は何何である」と言っていることにはならないか。これは、「徳それ自体はそもそも何であるか」という問いの答にはならないのだろうか。ならないのだとしたら、なぜだろうか。それは、論の進め方によるのだろうか。また、「それ自体が何であるか」という問いの「何に」は何をもって答えれば、その答になるのだろうか。仮に「徳とは知である」とすれば、それは、ことばの置き換えにすぎないのでは、ないか。英英辞典を引いていって、結局どこまでいってもわからない。そんなことになりはしないか。また、「何」に対する答に、その性質でもって答えることは、その本質に答えることになりはしないのか。

2  ソクラテスは何を言いたかったのか

  「徳それ自体はそもそも何であるかという問いを手がけてこそ、いかにして徳がそなわるようになるかを知ることができるだろう。」ということばで余韻を残しはするものの,

「徳は知識とは無関係である」という結論で終わってしまうこの作品で、ソクラテスの言いたかったことは、その結論でもないだろうし、最後のことばから予想することのできる「徳は知識とは無関係である」のではなく、まさに「徳は知である」ということでもなかったにちがいない。

  彼が伝えたかったのは、この作品の過程で語られるさまざまのことではなかったのか。

2−1  知らないことを探求する

「知らないことを探求する」喜びとその方法ではなかったのか。あるいは、その心構えではなかったのか。

  メノンは徳であると思われる多数のものをあげ、ソクラテスはメノンにそれらのものの中から、徳の本質として共通するものを見つけるように言う。しかし、徳それ自体を知っていなければ、徳のもっている性質、本質を知りえようがないのであるから、このソクラテスの要求は無理なものということができる。メノンはそのことに、しびれの中で気づいたのかどうか、(14)「それが何であるかぜんぜんわかってないとしたら、どうやってそれを探求するつもりなのか。知らないものをどうやって目標に立てたうえで探求しようというのか。あるいは、それを探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのか」と反撃するのだ。

  メノンのこの反撃は、帰納法のもっている欠陥をついたものであった。そして、帰納法の持つ欠陥をうめあわせることのできる想起法が登場するのだ。想起法については、すでにいくらか述べたので、簡単に言うと、「知らないと思っていることも実は、魂のどこかで知っているのだ」ということになる。この説について、ソクラテスはそれほど確信があるわけではないのだが、こう考えた方が「仕事と探求への意欲を鼓舞する」し、「われわれはよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、なまけごころが少なくなるだろう」と言うのである。

  しかし、「想起法」は、簡単に使えるものではない。それを使うには、「勇気をもち、探求に倦むことがあってはならない」し、ときには「自分の無知をさとって行きづまりにおちいり、それによって知りたいと思う気持ち」にならないといけない場合もあるだろう。また、「喜んで」探求しなければならないのだ。

2−2  教える

  召し使いの少年に、想起法を使って、ある正方形の2倍の面積の正方形を自らつくらせることに成功する。この過程には、想起法こそが真の教育法ではないかと思わせるものがある。「知の思い込み」→「アポリアと無知の自覚」→「探求の再出発」→「発見(想起)」というすべての工程を通らなくても、教わるものの想起をまたずに、次から次へと、「これはこうである、これはこうである」といういわゆる教えよりは、よほどすぐれているのではないか。自分で考え、自分で解答をだす道を示してやるのがすぐれた教育者であると感じさせるのである。

  一方、メノンに話して聞かせるソクラテスの姿は、倦むことなく、果敢である。想起法を納得させた直後の、「ただし、ソクラテス、私としては、最初におたずねしていたあの問題について......」という、驚くべき発言にも、とまどいはするものの、応じているのである。ソクラテスはメノンに対しても、想起法をもって、話をすすめていたのではないか。しかし、メノンの、かたくなな態度、わかろうとしない姿勢のために、想起法は失敗するのだ。

2−3  数学、あるいは幾何学

ソクラテスは本作品でも、正方形、円形、形などの数学的概念を使う。数学は、理論を進めていく上で、単純なのだ。もちろん、さまざまな、たとえば、「徳とは何か」という問題に比べてだが。このより単純な数学を使って、理論の展開を学び、想起法の癖づけをする。あるいは、通常の話の中でも、仮設の例でも見るようにたとえに使って、話をわかりやすくさせている。数学と哲学との関係がわかったような気にならされる。

2−4  想起法

  現代に生きる人々にとって、魂の不滅を根拠とする想起説は、いくぶんかこっけいなものであるかもしれない。しかし、ソクラテスの言う、「この説が真実であると信じて」生きることによって、より、真実に、あるいは「徳」に近づくことができるのではないかと信じる。

参考文献

@「メノン」プラトン著 藤沢令夫 訳 岩波文庫

A「プラトン」アレクサンドル・コイレ  川田 殖訳  みすず書房

B「プラトンの『メノン』における帰納法、探究不可能論、想起説」浜崎盛康(「琉球大学哲学論集」第12号(琉球大学法文学部紀要)1991年2月)