月刊サワネ 2000年9月号

a.『捨てる!』技術」 著者 著者:辰巳 渚  宝島社新書  680円+税**** ****円+税

b.「商売を教わる」 

c.知る・思う

d.給与流用に絡む詐欺

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a.「『捨てる!』技術」

著者:辰巳 渚  宝島社新書  680円+税

「捨てる!」と言い切った題名に訴えるものがあります。捨てるための考え方10か条とテクニック10か条、「より気持ちよく捨てるための捨て方」(リサイクルで売る、あげてしまう、など)を述べています。考え方編では、「とりあえずは禁句」「いつか、なんて来ない」などの項目、テクニック編では「見ないで捨てる」「定期的に捨てる」「使い切らなくても捨てる」「誰が捨てるか決める」などの項目が並んでいます。

考え方編の中に、「収納法・整理法で解決しようとしない」という項目もあります。世にある収納法、整理法というのは、収納や整理が好きで得意な人達が作ったもの。(得意だからこそ、システムにまで作り上げられる)そのシステムを性格の違う(つまり、収納、整理が苦手な)人が真似してもうまくいかないんじゃないか、と言っています。また、同じく考え方編の「完璧を目指さない」では誰でも無意識のうちに、自分にラクチンな方法を採っている。完璧を目指さず、無理せず自分に向いているラクチンな方法をとれば時間はかかっても、成功しやすい、と書いています。

そして、この本の「はじめに---」で、著者は「ほんとうは“捨てるための技術”は単純明解なのである。今まで無意識でしていたことを意識化し、モノの持ち方を暮らしの技術として定着させる。」と述べています。自分がやっていること・しようとすることを意識化した上で考える。ビジネスではもちろん、何をする時でも、大切なことだと思います。捨てることを切り口に生活の仕方、自分の暮らしを管理することを考える本です。トップに戻る

b.商売を教わる

まずは、記事をそのまま紹介します。

朝日新聞ニュース速報

「中央アジア・ウズベキスタンで、物売りの少女たちに出会った。

 10歳前後の4、5人の中で年かさの子が、名所見物のわれわれグループに聞こえよがしに、英語でこういった。 「オー・マイ・ゴッド(あーあ)また日本人か。日本人はとんと商売にならないんだから」

 変わったことをいうものだな、と足を止めたら、もう術中にはまったも同然である。 この人はいけると目星をつけた友人を取り囲み、刺しゅうをほどこした帽子を押し付ける。「たったの2ドルよ」

 3,4個売りつけた後がすごい。少女の一人が、つぶらなひとみで悲しそうに「なぜ私だけ買ってくれないの」。 はたしてだれから買ったのか、よくわからない友人は、一つ追加と相成った。

 攻勢はなお続く。両手に帽子を抱えて困っていると、別の子が「これを使って」とビニール袋を差し出した。

 ほろりとさせたところで、例の殺し文句だ。「でも私はまだ売れないの……」

 はい、こちら様、今度はポシェットお買い上げです。 だれかの母親らしき女性が、新しい品物を運んだり、目くばせしたりしている。やはりリーダーがいるようだ。

 それにしても、帽子から始まり、4ドルのポシェット、6ドルの上着と、だんだん高いものを売りつけようとする手口も、なかなかなものである。

客を引きつける言葉、一瞬に相手を選ぶ眼力、泣き落とし、そして積極性……。少女たちはビジネスの基本をしっかり身につけている。」

自分にとってのビジネスの基本とは何かあらためて考えてみたいです。 

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c.知る・思う

何かをするときに、できると知っていてするのと、できると知らないでするのとでは大違いです。

たとえば、狭い道で対向車とすれ違うとき、前に車がいて、その車が先にうまいこと対向した場合と、自分が始めて対向する場合ではやりにくさがぜんぜん違うと思いませんか。できることをあらかじめ知っていれば、知らない時より簡単にできる。

直角三角形でいう三平方の定理も、そういう定理があることを知っていれば、中学生でも証明することができる。でも、知らなければ、とても証明できない。

子供の時のことを考えてみます。友達の誰かが、崖から飛び降りる。飛び降りても大丈夫なんだな、できるんだということを知ると、他の子もどんどん飛び降りる。

でも、子供の中で、人ができるということと自分ができるということは、実は違うんだということに気がつく子がいる。捻挫して、はじめて気がつくわけです。

つまり、うまく飛び降りられた子は、できるんだということを知って飛び降りたのではなくて、できるんだと、ただ思って飛び降りたわけです。

自動車でも同じです。先行車を運転しているのは自分ではなく、もっとうまい人かもしれないわけですから、ただ、できると思ってつっこんでいるだけです。

「思う」という言葉には、なんとなく弱いイメージがありますが、こう考えてみると、案外、力がある。

「何か物を探す時に必要なのは、絶対にそのものがあるのだという信念である。」という話を聞いたことがあります。「ないかもしれない」と思いながら探したら、あるものでも見つからない。あるいは見つかりにくい。なるほど、そういうものかな、と思って、その話を覚えています。

できると知ってすると、それはできると知らないでするよりはずっと簡単にできる。できると思ってするのも同じ。

知っている−知らない、思う−思わない、これはなかなか大切なことなのかもしれない。まず、「できると思う」これが。次に大切なのが「いくら思ってもできないこともあるようだ。」ということを頭のすみにおいておく。これで、「できること」が広がるような気がします。

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d.給与流用にからむ詐欺

衆院議員が、秘書の給与を流用したとして詐欺の疑いで逮捕されました。なぜ、こんなことになったのか。不思議でなりません。ばかばかしいと思うのです。なぜなのかを考えてみます。もちろん想像にすぎませんが。

1.給与を流用して政治資金を作る方法は聞いて知っていて、同じようにしようとしたが、まったく同じと言うわけにはいかなかった。−情報に対する認識不足であった。

2.周囲にこのことがどういう結果をもたらすか知っている人がいなかったか、知っていても言わなかった。言えなかった。−人材不足、言ってくれる人を自分のそばに置けなかった本人の能力不足。

3.情報は漏れるということに対するに認識不足

4.法で罰せられる可能性について、重要視してなかった。−法に対する認識不足

  いろいろあるとは思いますが、要は法をなめていたということだと思います。

  どうも、政治家とか公務員のいろいろな事件というのは、法をなめていて起こることが多いのではないかと思います。今までの習慣通り、お金をもらっていた、接待を受けていた。法の適用は受けまい。みんなそうしてるから。日本は慣習の国だ。ところがどっこい、法は突然、相手かまわず牙をむく。法律は、万人に対して平等であるように作られていますが、執行されるときは、完全に不平等で一本釣りです。スピード違反の取り締まりも、万人に対して平等にすることなど不可能です。慣習を守っていればOKだったのが、突然、法によって慣習が否定される。

  法律ってけっこうみんな、いいかげんに思っている。やぶったりもしている。まあ、いいかなという感じで、他人のはんこをおしたり、人の名前を気軽につかったり、いろいろあると思うのです。ただ、それを違法だと意識してない。

  国際化とかITの重要性が大きく取り上げられています。そういう流れは、理屈が強くなってくる、法律が強くなってくる流れではないか。その流れの中でこれからは、法がもっと生活に影響を与えてくるのではないかと思うのです。法律が突然私たちに牙をむく状況というのは、これからもしかしたら増えてくるのかもしれない。そう思います。

 

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