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退職後も輝いて!岡山県高校・障害児学校退職教職員の会

自然歴史探訪の記録(「会報」掲載記事より)

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◇第50回自然歴史探訪 吉備の残影と「島おこし」を学ぶ小豆島を巡る旅

◇第49回自然歴史探訪 25年目の自然歴史探訪 秋晴れの用瀬宿、佐治谷、恩原湖
 
◇雲辺寺山から豊稔池へ ~第48回自然歴史探訪~
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第50回自然歴史探訪
吉備の残影と「島おこし」を学ぶ小豆島を巡る旅
岡山支部 美甘 晃


5月26日(日)、小豆島を巡る記念すべき第50回の自然歴史探訪が催され、27名の会員と家族が参加しました。
総社駅、岡山駅と集合場所を経由してバスで新岡山港へ。新岡山港集合の会員を加えて、9時半出航の両備フェリーで、遠望が少し霞む瀬戸内海をゆったりと小豆島へと渡りました。

まずは土庄港からバス10分ほどで鹿島神社(旧賀嶋明神)へ。中田先生、そして現地の世話人毛利成一さんから入魂の解説。西大寺の「備前国神明帳」にこの神社が明記されていることから、古来小豆島は吉備の国の一部であったということがわかり、明治の廃藩置県で香川県に属すことになったという意外な経緯を知りました。
その後、遠目に“エンジェルロード”を眺めながら、ギネスにも認定された10メートル足らずの世界一狭い海峡にかかる永代橋を通過して、キリスト教伝来記念碑のある小さなカトリックの聖堂へ。秀吉によるバテレン追放令による受難の歴史の一つとして、キリシタン大名高山右近がこの地に一時期潜伏したことを伝えているということでした。
少し早めの昼食は道の駅“小豆島ふるさと村”の手延べそうめん館で。炭水化物過多もものかは、4人で一つのそうめん桶をつつき、本場のもちもちの冷やしそうめんを文字通り一筋残さず堪能しました。
昼食後は、四国特有の平地から聳え立つといった感の山並みを見つつ、標高200メートルほどの小豆島町中山地区へ。ここには「中山の千枚田」「中山農村歌舞伎舞台」という二大見ものがあり、折しも瀬戸内国際芸術祭の期間中で、その展示物も途中目に入ります。若者や外国の観光客も多く集っていました。
千枚田は絶好の写真スポットと期待されましたが、場所的にベストとは言えず少し残念。かやぶき屋根の歌舞伎舞台とゆるい段々になった桟敷は、その歴史を十分に忍ばせる姿で、周りに立つ巨大な老木がそれを裏付けているようです。上演にもぜひ立ち会いたいものだと思いました。探訪参加者も桟敷にたたずんでそれぞれ感傷にひたっている様子。
さらに旅程をすすめて、次は小豆島随一の景勝地寒霞渓へ。何度か訪れたことはあるものの、頂へは今回が初めてで、遠方に瀬戸の海を望む、上からの雄大な景色を楽しみました。
再び土庄港へ向かう途中、富丘八幡の桟敷を見学。ここは、江戸中期、氏子が祭りや流鏑馬を見るために設けた各家ごとの石造りの見物席ということで、現在も約363面余りが使われているそうです。小山の矩面に多数の石垣づくりの桟敷が並ぶさまは、今まで想像もしたことがないものでした。丁度、桟敷下の中学校が運動会の最中で、往時のような臨場感がいやでも高まります。生真面目な岡山とはまた少し違う地域文化を感じました。
津山藩陣屋跡を過ぎて、いよいよ帰路へ。土庄港では真っ白な何とも美しいフェリーが入港してきました。水戸岡鋭二氏デザイン“オリンピアドリーム号”だということで、嬉々として乗船。モダンなデザインのデッキ、船室、そしてキャラクターを楽しみながら新岡山港へと向かいます。
年2回実施してきた自然歴史探訪も今回で一旦休止、今後継続の方向で内容等を再検討するということになりました。5~6回の参加でしたが、岡山の近くにこんなところやあんな歴史があったのかと、参加するごとに新しい発見をし、学ぶことができました。
特に、毎回深く明快に解説いただいた中田先生には本当に尊敬と感謝の念しかありません。先生の今後のご健勝を願いながら、今後の高退教のとりくみも大いに期待したいものです。おだやかな午後の瀬戸の海を、ゆっくりすべるように進んでいく“オリンピアドリーム”号のデッキで、犬島、牛窓あたりを目に収めながらそんなことを強く思っていました。16時半、まもなく新岡山港へ帰港し、それぞれの集合地へ解散となります。

 


25年目の自然歴史探訪(第49回)
 秋晴れの用瀬宿、佐治谷、恩原湖
岡山支部 山本和弘


「絶好の行楽日和」(車中での藤原事務局長の挨拶)に恵まれた10月28日、恒例の自然歴史探訪が催されました。今回は、「流しびなの用瀬宿から佐治谷七里へそして恩原高原に九条の碑を訪ねる」というバスの旅でした。
 総社駅前を出発したバスは、国道53号線を経由して、県境の黒尾峠を越え、智頭→鳥取市へ向かいます。旅は道連れ、車内マイクで一言ずつ交わされる自己紹介・近況報告に、改めて共感と親しみを覚えます。なかでも「この旅行の素晴らしさは、優れた案内者があること。人生もまた、優れた案内者の有無で大違い。」の言葉に、深くうなずかされました。
 この行事は、毎年2回ずつ実施され、今年で25年目。この5月には50回を迎えるそうです。毎回、企画・立案に携わり、案内役を担ってくださる中田先生は、今回も周到な資料をご用意くださり、また、通りかかる処々にまつわる逸話も臨機応変に紹介してくださいます。
 たとえば、夏の洪水被害の話題から、高梁川・小田川の氾濫の大本は、江戸時代、岡田藩伊東氏が新田開発を狙って流路変更工事を強行したこと、また明治になっても、住民の懸念や要望を反映した治水を行わないできたことなど、「人災」である点を、歴史的経緯から詳しく明らかにしてくださいました(「全退教ニュース」に詳述)。国道53号線を北上して鳥取県境に向かう道々でも、片山潜出身地/誕生寺/津山市福田(佐良山)の殉教五人衆/因美線高野駅(戦前、陸軍演習場に向かう兵士達がこの駅に降り立って、日本原まで列をなして行進。長大なホームと立派な駅舎はその名残)/日本原演習場(この10月、米海兵隊の単独訓練強行)/那岐山、菩提寺などにちなんだお話をふんだんにうかがい、郷土史への興味が、にわかに刺激されたことでした。

 県境を越えると2016年5月に探訪した智頭町にさしかかりますが、今回はそこを通り越して鳥取市用瀬(もちがせ)に向かいます。流しびなの里として知られ、智頭往還(上方往来)の宿場町でした。江戸時代に「お前在所はいずくときけば、父は用瀬お茶師さん」と茶もみ歌にうたわれる茶所だったそうです。ここでの主な見学場所は「もちがせ流しびなの館」とその周辺。まずは、付設の喫茶・お食事の「ぼんぼり」で昼食と歓談を楽しみます。「もちがせ流しびなの館」は、京都・北山の鹿苑寺(金閣)をモチーフにした大型木造建築物で、館内には「雛人形の文化が大きく発展した江戸時代の雛人形を中心に、江戸風、京風の雛飾り、加茂人形、御所人形など約1000体の人形を常時展示」(鳥取市公式WEBサイト)してあります。腹ごなしをかねて、館内2階展示室のとりどりの展示を見学したり、望楼からの展望を楽しんだり、流しびなの伝統行事が行われる千代川(せんだいがわ)の畔を散策したりと、歴史と文化と自然を満喫することができました。

 次に向かったのは鳥取市佐治町。佐治川沿いの、「佐治谷七里」とよばれる東西に細長い山里です。梨・星・むかし話・石・和紙の5つの「し」が名物の「五しの里」をアピールして村おこしをはかっているそうです。佐治町中央公民館と、隣接の佐治村民俗資料館を訪ねました。中央公民館には多彩な佐治石が展示してあります。また、民俗資料館は、暮らしとともにあった懐かしいモノ、懐かしい空気で一杯です。
 帰路は、辰巳峠を越えて岡山県に入ります。標高800~1000mの恩原高原は、冬はスキー場、夏はキャンプ場としても賑わいます。この恩原湖畔に、「九条の碑」があります。戦争法強行に抗議して、元津山市議の秋山幸則さんが私財をなげうって建てられました。

 案内役の中田さんは、1980年代にこの地域で発掘された恩原遺跡の出土品の写真を示しながらこうおっしゃいます。「恩原遺跡は、旧石器時代の遺跡。鋭利な石器は、人殺しや戦争のためには使われなかった。人殺しや戦争がなかった原始共産制時代を現代に伝える恩原遺跡があるこの地に、戦争の放棄を訴える九条の碑を建てられたことは、深い意義がある、と私は思う。」

「行楽の秋」を堪能しつつ、歴史と今に思いを馳せた旅でした。

雲辺寺山から豊稔池へ ~第48回自然歴史探訪~
岡山支部 美甘 晃


5月27日(日),高退教第48回自然歴史探訪の旅に参加した。今回は四国。香川県観音寺市の徳島・高知との県境に近いあたり。四国八十八個所霊場の一つ雲辺寺と,灌漑用貯水池豊稔池(ほうねんいけ)の堰堤を中心とした一帯のバスによる周遊である。

 いつものように午前9時,総社駅前に集合,総勢25名で出発した。天気にも何とか恵まれ,倉敷インターから瀬戸自動車道にのり,おなじみ瀬戸大橋を通過して一路四国へ。

 まず訪れたのが萩原寺、四国別格二十霊場16番札所ということだ。文字通り9月ごろの萩が有名らしいが、あいにく季節外れ。しかし、山門あたりに幾枝か花をつけていた。参道にいくつかおみやげやクッキー販売の出店がならび、日曜を楽しむ人が三々五々訪れている。八十八か所をツアーで全個所巡った身ではあるが、ここはみなさんと同様さらりとお参りし、次の訪問地へ。別格とはいえ、なかなか立派で美しい寺院であった。

 次は雲辺寺が原監的所、戦争遺跡である。日清戦争後、善通寺に陸軍の師団が設立され、観音寺市の雲辺寺が原山麓は山砲射撃訓練所として接収され、終戦まで使用された。細い山道沿いのトーチカは、砲弾の着弾地点を観測するためのもので、昭和初期に設置されたという。内部に入ると分厚い壁に細長いのぞき穴が水平に数メートルほどもあいている。縦幅は十数センチ。ただし、今そこからのぞけるのは木々の緑ばかりだ。異様な姿が、過去の日本の歴史を伝えている。戦争遺跡は日本いたるところにあるのではなかろうか。

昼食は雲辺寺ロープウェイの山麓駅そばの雲海亭で。うどん、そばが中心の食堂で。そば定食を楽しんだ。25名という人数に、男性スタッフ二人が大忙しで対応してくれたが、ほかのお客さんに若干迷惑をおかけしたかも。ここでお詫びをしておきたい。

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