第158号
2019年8月
岡山県高校■障害児学校
退職教職員の会
〒703-8258
岡山市中区西川原255番地
岡山県教育会ビル3F岡山高教組気付
TEL (086)272-2245
Fax (086)272-2242
高退教40回定期総会
午後の学習会I憲法26条(教育権)改訂のねらいを探る
自然歴史探訪 岡山支部美甘晃
9
訃報居郷毅さん
会長挨拶九条の改変は日本の教育問題
今回の定期総会では、昨年と同
じ内容での開会発言となってしま
いました。
情勢が昨年よりも、さらに厳し
さを増していると感じたからです。
憲法九条を改変するという政治の
動きです。
この問題は、九条(戦争放棄)ですので、当然、平和問題に関わる憲法問題で
す。しかし、私たち教職員経験者にとっては、日本の教育の大転換、戦後教育の
全面否定としての側面を強く感じざるを得ません
私たちの先輩諸氏は、戦前、教え子を戦場に送った過去を再び繰り返さないた
めに、憲法九条のもと「教え子を再び戦場に送るな」のもとに、教育実践をすす
め、現在にいたっています。
ところが、今の政権が主張している九条となれば、教師には「教え子を戦場に
送る」教育が求められます。
残念ではありますが、現在のマスコミでは、「九条改変は教育問題」との視点で
の報道は全くありません。
私たちには、この視点での捉え方を世論化することが最も重要な課題ではない
かと思います。
高退教第40回定期総会開かれる
第40回定期総会が、6月30日(日)、京山
公民館で開催されました。例年利用している
岡山生涯学習センターが、予約の関係で借り
られなかったため、初めて利用した会場でし
た。駐車場が少ないこと、作品展会場から距
離があること、などの不便はありましたが、
ゆったりと落ち着いた雰囲気のもと、議事を
進めることができました。
総会の議事は、島田宏恵(岡山)杭田利晃(美作)の両氏を議長に進められま
た。
冒頭挨拶にたった萱栄次会長は、「残念ですが、去年と同じ挨拶になります。安
倍さんが、改憲企図を去年以上に強めています。改憲は、平和の問題でもありま
すが、教育問題でもあります。私たちは、かって、教職に就くとき、憲法と教育基
本法の遵守を誓約しました。47年教育基本法は、第一次安倍内閣で改悪されまし
たが、この上憲法が改悪されて、九条二項が空文化され、集団的自衛権を行使する
自衛隊が憲法に明記されることになれば、教師はその改悪憲法を遵守して教え子
を戦場に送るために働かなければなりません。その意味で、憲法改悪は教育問題
です。『教え子を戦場に送るな』という幅広い合意のもとに、昨年には幼小中高の
退職教職員アピールが可能となりました。さらに運動を広げて、改憲をストップ
させなければなりません」と強調されました。
議事では、美甘晃事務局次長が
「2018年度の活動経過•経過のま
とめ」、河原和子事務局次長が「決
算報告」を提案し、監査の田中博
さんから「会計監査」の報告があ
りました。
これに対し、「『故郷の美しい自然•水資源をまもるため美作市のメガソーラー
建設に反対する運動に高退教会員も加わって活動しています』とあるが、難しい
問題だが、詳しいことが分かれば説明を。」などの質疑が寄せられ、事務局から、
『会報第155号」の編集-取材を踏まえて、「自然に優しいクリーンエネルギー
の開発-普及は大切だが、自然に優しいと言いながら元の山の形が残らないほど
山肌を削り、環境への負荷が懸念されるソーラーパネルを大規模に据え付けるエ
事が、地元住民の不安をよそに、十分な合意のないまま推し進められている状況
があり、ひきつづき注目していきたい」旨の発言がありました。
続いて、「2019年度活動計画」を藤原
斌事務局長が、「予算案」を、河原和子事
務局次長がそれぞれ提案。これを受けて、
質疑-討議がおこなわれました。
「改憲•反動化に反対する視点と共に、
対米従属性を暴く視点、日米地位協定の
問題点に迫る運動が重要ではないか」、
「岡山に公的な夜間中学を作る運動を具体的にどう支援していくか」、「岡山高教
組修学援助会、ゆきとどいた教育をもとめる全国
署名の運動に、高退教の力をもっと発揮すべき」
など、活発な発言がありました。
また、来年の結成40周年記念行事について、
現時点での素案が紹介され、会員の皆さんから
「40周年に寄せて」「高退教と私」などの文章を
積極的に寄稿していただきたいこと、また高退教
の歩みを偲ばせる写真などの提供して頂きたいこと、など事務局からの要望があ
りました。
最後に、新年度役員を提案の通り承認して、総会の議事は終了しました。役員
については、事務局次長だった居郷毅さんが急逝されたこと、旭東支部幹事とし
て、昨年度も総会終了後から実質協力をいただいていた岸本幹雄さんが、今年度
は、正式に承認されこと、会計監査のうち1人、田中博さんから津島宣夫さんに
交代。などの変化がありました。
総会午後の学習会吉岡康祐弁護士を講師に
岡山高退教は、午前中の総会に続き、午
後から学習会を開催した。講師は、吉岡康
祐弁護士で、「憲法26条(教育権)改訂の
ねらい」と題して、約1時間話していただ
いた。
もっとも印象に残ったことを紹介する。
自民党は、改憲四項目のひとつに、「教
育の無償化」をあげているが、この本当の
ねらいはなにか、一般的には「維新」を取り込むためであると言われているが、
なぜ、多くの人権項目の中で、26条を取り上げたのか考えなければならないと語
った。
ほんとうのねらいを知る上で重要なものとして、次の二つを上げた。
一つは、自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)で、26条に3
項(資料1)を新たに付け加えたことである。これは、「教育にたいして、国家の
関与を強力にもとめる」ことを意味し、戦前に戻ることである。
二つ目は、2006年の第一次安部内閣で「教育基本法を改悪したことである。こ
の内閣は、「戦後レジュームからの脱却」と「美しい国」(資料二)をめざして、
「国が教育を管趣旨導し、国家の基本方針に従順に従う国民を作るために、一番
重要な分野である」と考え、おこなった。
弁護士は、安部さんの改憲への思いは、根深く 執念をもってやっていること
を、わたしたちは決して忘れてはならないと強調した。
戦後、日本の教育は、戦前の反省にたって国
の関与を排除し、教師の教育的自由を認めた「教
育基本法」(1947年3月)が出来たと。その前
文を紹介した。
私は、司会をしながら「われらは、さきに、
日本国憲法を確定し-〇この理想の実現は、
根本において 教育の力にまつべきものである。」と心の中で誦じ、「生徒ととも
に」をモットーに理想に燃えていた、20代の若い頃を思い出し、こみ上げるもの
があった。
そのほかで、気に入った弁護士の言葉を
紹介する。
(一) 学生時代に印象に残った長谷川正
安先生(名古屋大学)の「日本は二つの法
体系がある。」(資料三)
(二) 弁護士法第一条の「社会正義の実
現」は、「憲法理念の実現」と読むべきだ。
(三) 私は、自分自身を「憲法を愛する
自由主義者であり続けたい」という信念のもとに、活動を続けている。
最後に、2015年に岡山弁護士会会長に就任したときは、「憲法が安部首相によ
ってずたずたにされている「憲法」(憲法くん)から憲法を守ってくれと命じられ
たような気持ちになった」と語り、その後、「おかやまいっぽん」の共同代表にな
り、市民と野党の共闘で参議院選勝利のために全力でがんばりたいとの決意を述
べた。
(資料一)3.国は、教育が国の未来を切り拓くで欠くことができないものであることに鑑み、
教育環境の整備に努めなければならない。
(資料二)「美しい国」とは、個人主義よりも「全体主義」を美徳とし、「愛国心」が旺盛な国
民が居住する国家で、かつ、「天皇を戴く中央集権的な国家」であると考えていると思います。
これは、自民党の憲法改正草案前文を読めば明確です。
(資料三)日本には、二つの法体系がある。すなわち憲法を頂点とすry国内法体系と、日米
安保条約を頂点とする憲法9条とは矛盾する国内法体系(たとえば日米地位協定に基づく刑法の
特別法である刑事特別法等)です。その二つの法体系は相矛盾しながら存在し、政治の枠組みが
できあがっていると主張するのです。
追記 |
![]() |
参議院選挙の結果、改憲勢力(自民、公明、維新など)
は、改憲発議に必要な三分の二を割った。にもかかわら
ず、安倍首相は、記者会見などで、8回券論議について
は)少なくとも議論すべきだという国民の審判は下った」
と述べ、今年度中の改憲発議に意欲をしめした。
わたしたちは、「全国九条の会」「岡山県九条の会」などと連携し、ひきつづき
「安倍九条改憲NO!3000万人署名」を、地域、街頭でさらにすすめ、かならず
安倍9条改憲を阻止しよう。このことが、4月23日に亡くなった、「まじめで責
任感の強い演劇青年、居郷毅」さんの志を引き継ぐことにもなるだろう。
【総会で選出された2019年度役員】
会長 |
萱栄次 | |||||
虽桧長 |
小林軍治 |
三上 |
雅弘(岡山高教組委員長) | |||
事務局長 |
藤原斌 | |||||
事務局次長 |
小川澄雄 |
河原和子 |
難波 |
欽子 | ||
藤原洋平 |
美甘 |
晃 |
山本 |
和弘 | ||
幹事 | ||||||
岡山支部 |
井上 |
俊清 |
衣笠祥子 |
島田 |
宏恵 | |
和田 |
茂 1 |
中 |
豊子 | |||
偏南支部 |
綾野 |
保晴 |
犬飼 |
繁 | ||
旭東支邨 |
岡田 |
憲朗 |
岸本 |
幹雄 |
(新) | |
備西支部 |
清水 |
親義 |
西井 |
功 | ||
備北支部 |
土井 |
彰 |
逸見 |
健治 | ||
美作文郎 |
山本 |
美佐緒 |
草地 |
浩典 | ||
会計監査 |
杭田 |
利晃 |
津島 |
宣夫 |
(新) | |
顧問 |
鴨川 |
恵美子 |
高垣章- |
— | ||
中田 |
啓司 |
難波娃子 |
岡山支部小川澄雄
岡山高退教の第21回作品展が、6月25
日(火)搬入、26日(水)から30日(日)
までの日程で生涯学習センターを会場に開
催されました。7月が、三年毎の参議院選挙
の時期と重なるため、例年より1週間程度
早い開催となりました。
今年は、30人が出品(第20回は24人)。以前に比べ、出品者や出品数は少なくなっ
たものの、今回も絵画.写真.書•服飾.手芸.工芸
等々内容豊かな作品群が展示されました。
第21回作品展で特筆すべきは、“平和運動-民主運
動のなかで高退教会員が作った豆ポスターやチラシ”
(産賀さん)、“釣り上げた魚の魚拓”(岡田さん)が
出品されたことです。いずれも高退教の作品展には初めてのものです。これらは、高退
教会員が、退職後もそれぞれ心豊かに私生活を送るとともに、社会とのつながりを切ら
![]() |
を寄せてくれました。この作品は、 |
さず、より良い社会をつくっていく活動を続けてい
ることを示すものです。「この出品は作品展に幅を
もたせたな〜」との声も聞こえてきました。
また、水間さんは、ここ数年大河ドラマをヒント
に水彩画を出品されてきましたが、今回も「韋駄天」
その後他の展覧会でも展示され、NHKニュースで
も取り上げられていました。
新たな傾向を示した作品展でしたが、豆ポス
ター •チラシはファイノレ1冊に綴じたままの展示
になってしまい、ファイルのページを繰らない人
には、ポスター.チラシの一枚々々が見えるよう
になっていませんでした。展示の仕方の工夫が求
められるところです。
<出展作品一覧> |
私の一本桜 | ||
[写真] |
美甘晃 |
恩原湖の雲 | |
犬飼繁 |
八女投江烈士 |
水間正雄 |
韋駄天•金栗四三と加納 |
元七三一部隊兵士の悔恨 |
治五郎の足跡を訪ねて | ||
謝罪と不戦兵士の誓い |
出会いの旅•ノートルダ | ||
山羊の放牧 |
ム寺院パリ | ||
荒木敏和 |
Ballroom Dancing |
武田芳紀 |
帯江に特攻機が(組み絵) |
髪飾 |
ヱッシャー風のデザイン | ||
井上俊清 |
旅三つ |
【布絵】 | |
赤座匡 |
陽春 |
難波欽子 |
蘭2点 |
共生 |
【墨彩画】 | ||
躍動 |
板津伊智子* |
: 円空さん | |
中山実典 |
きじ |
海霧 | |
令和の夜明け |
【書】 | ||
孫 |
小川澄雄 |
道者萬物之奥 | |
山本和弘 |
早春の吉備路眺望 |
【魚拓】 | |
庭のアマドコロ |
岡田 憲朗 |
アコウ | |
ブログに載せた小鳥たち |
【押し花】 | ||
岡田憲朗 |
アコウ |
藤原 美代 |
春 |
板津定邦 |
オコジョ |
【チラシ】 | |
ライチョウ |
産賀俊治 |
平和•民主主義的諸行事 | |
コマクサ |
の案内チラシ等 | ||
ヱゾッッジ |
【手芸■服飾】 | ||
三宅茂子* |
野鳥 |
衣笠祥子 |
手まり |
藤原美代 |
ハンガリーの思いで |
パッチワークタペスト | |
ガリバー現わる |
リー | ||
【絵画】 |
田中豊子 |
布製手提げ袋 | |
中村清子 |
ティワナク遺跡(ボリビ |
河原和子 |
パッチワークのタペスト |
ア) |
リー | ||
ウユニ塩湖(ボリビア) |
手織りのパンツとベスト | ||
シャウヱン(モロッコ) |
のアンサンブル^ | ||
島田宏恵 |
木曽妻籠宿 |
花田千春 |
刺し子の布巾 |
木曽馬篭宿 |
【工芸】 | ||
雪の妻籠宿 |
木村徳子 |
漆器 | |
鈴木操子* |
バラ |
土井彰 |
小物掛(柿とモロ松) |
バラ | |||
渡辺暉夫* |
裸婦 |
お名前の後に*がある方は協賛出品し | |
三宅通明 |
ボタン |
てくださった方です。 | |
那岐山 |
第50回自然歴史探訪
岡山支部美甘晃
5月26日(日)、小豆島を巡る記念すべき第50
回の自然歴史探訪が催され、27名の会員と家族が
参力卩しました。
総社駅、岡山駅と集合場所を経由してバスで新
岡山港へ。新岡山港集合の会員を加えて、9時半
出航の両備フェリーで、遠望が少し霞む瀬戸内海
をゆったりと小豆島へと渡りました。
まずは土庄港からバス10分ほどで鹿島神社(旧賀嶋明神)へ。中田先生、そして
現地の世話人毛利成一さんから入魂の解説。西大寺の「備前國申明帳」にこの神
社が明記されていることから、古来小豆島は吉備の国の一部であったということ
がわかり、明治の廃藩置県で香川県に属すことになったという意外な経緯を知り
その後、遠目に“エンジェルロード”を眺めなが
ら、ギネスにも認定された10 メートル足らずの世
界一狭い海峡にかかる永代橋を通過して、キリスト
教伝来言己念碑のある小さなカトリックの聖堂へ。秀
吉によるバテレン追放令による受難の歴史の一つと
して、キリシタン大名高山右近がこの地に一時期潜
伏したことを伝えているということでした。
少し早めの昼食は道の駅“小豆島ふるさと村”の手延べそうめん館で。炭水化
物過多もものかは、4人で一つのそうめん桶をつつ
き、本場のもちもちの冷やしそうめんを文字通り一
筋残さず堪畫旨しました。
昼食後は、四国特有の平地から聳え立つといった
感の山並みを見つつ、標高200 メートルほどの小豆
島町中山地区へ。ここには「中山の千枚田」「中山農村寸歌舞伎舞台」という二大見
ものがあり、折しも瀬戸内国際芸術祭の期間中で、その展示物も途中目に入りま
す。若者や外国の観光客も多く集っていました。
千枚田は絶好の写真スポットと期待されましたが、場所的にベストとは言えず
少し残念。かやぶき屋根の歌舞伎舞台とゆるい段々になった桟敷は、その歴史を
十分に忍ばせる姿で、周りに立つ巨大な老木がそれを裏付けているようです。上
演にもぜひ立ち会いたいものだと思いました。探訪参加者も桟敷にたたずんでそ
れぞれ感傷にひたっている様子。
さらに旅程をすすめて、次は小豆島随一の景
勝地寒霞渓へ。何度か訪れたことはあるものの、
頂へは今回が初めてで、遠方に瀬戸の海を望む、
上からの雄大な景色を楽しみました。
再び土庄港へ向かう途中、富丘八幡の桟敷を
見学。ここは、江戸中期、氏子が祭りや流鏑馬を見るために設けた各家ごとの石
造りの見物席ということで、現在も約363面余りが使われているそうです。小山
の矩面に多数の石垣づくりの桟敷が並ぶさまは、今まで想像もしたことがないも
のでした。丁度、桟敷下の中学校が運動会の最中で、往時のような臨場感がいや
でも高まります。生真面目な岡山とはまた少し違う地域文化を感じました。
津山藩陣屋跡を過ぎて、いよいよ帰路へ。土庄港では真っ白な何とも美しいフ
エリーが入港してきました。水戸岡鋭二氏デザイン“オリンピアドリーム号”だ
ということで、嬉々として乗船。モダンなデザインのデッキ、船室、そしてキヤ
ラクターを楽しみながら新岡山港へと向かいます。
年2回実施してきた自然歴史探訪も今回で一旦休止、今後継続の方向で内容等
を再検討するということになりました。5〜6回の参加でしたが、岡山の近くに
こんなところやあんな歴史があったのかと、参加するごとに新しい発見をし、学
ぶことができました。
特に、毎回深く明快に解説いただいた中田先生に
は本当に尊敬と感謝の念しかありません。先生の今
後のご健勝を願いながら、今後の高退教のとりくみ
も大いに期待したいものです。おだやかな午後の瀬
戸の海を、ゆっくりすべるように進んでいく “オリ
ンピアドリーム”号のデッキで、犬島、牛窓あたり
を目に収めながらそんなことを強く思っていました。16時半、まもなく新岡山港
へ帰港し、それぞれの集合地へ解散となります。
玉島九条の会では、この4月から、玉島
協同病院の2階ラウンジをお借りして、「玉
島平和美術展」を開催してきました。これは、
原水爆禁止国民大行進が玉島の地に入って
くることへの歓迎-連帯の意味をこめ、企画
しました。
そして、4月冒頭から2週間ごとに、作
者を変えて、いろいろなジャンル、様式の作
品を展示してきました。そして、平和大行進
が玉島に入ってくるまでの約4か月、8人の方の作品を展示することができました。
まず、初回は「平和への旅」と題して、私がス
ケッチと版画を出品させていただきました。その
内容は、原水爆禁止世界大会や平和行進が開催さ
れるきっかけともなった「3.1ビキニデー」の
被爆6 5年記念の今年の集会に参加し、その時の
様子をスケッチした作品、さらに、その2日後に、
山口市で開催された「イージス•アショア講演会」
の様子、そして、一昨年の、ギリシャ•ツアー(才
リンピック発祥の地で、仮説実験授業研究会の仲
間と探訪)でスケッチした作品、最後に、2015年の秋、広島の原爆ドームを訪ねて描いたスケッ
チを版画にしたものなど9点でした。また、第2回の展示は、高退教の仲間の水間正雄氏が水
彩画を出品されました(テーマ:平和への想い)。
なお、全8回の展示が終了する間際、いよいよ平和行進が玉島の地にはいってくる際、休憩•
出発式の会場となる玉島支所の展示ホールをお借りすることができ、それまでの出品者の作品を
一堂に会する形で展示して、行進の一行にも見てもらうことができました。
また、会場に「繼己帳」を用意し、鑑賞に来られた方に感想を書いていただきました。そこ
にはそれぞれの回の作品についての興味深いメッセージが寄せられており、全部を紹介したいと
ころですが、紙面の関係もあり、その中から、私の展示作品を見られた方の感想のみ紹介させて
いただくことにします。
<玉島平和美術展>の雑記帳より •今の日本から平和がなくなってしまいそ (4月8日 I.T.) •作品ひとつひとつに込められた思いが感 •短期間に平和に関係する地域や集会に參 •協同病院の中にはじめて入りました。案内 |
戦争のない日本がこれからもずっと続きま 一人でも多くの方が、この平和美術展に足を 写真では伝えられないものが手書きを通し このような機会をいただき、感謝します。あ •ビキニの水爆実験のことも,子供達に伝え •玉島市民交流センターで開かれていた「清 |
連載 無謀な世界一人旅(第6回)
マドリードに来て、ゲルニカに会わずして帰るわけにはいかない。それは、ソ
フィア王妃芸術センターにあるのだが、もし、ゲルニカがプラド美術館にあった
としたら誰もソフィア王妃芸術センターにはいかないと思うくらい、とにかく出
色の絵であった。ゲルニカの絵のそばには、常に二人の監視員がいた。今まで1
枚の絵に二人も監視員がいる絵を見たことはなかった。絵の登場人物はわずか6
人で、うち1人は赤ん坊、もう1人は兵士、他は女性と思われる。あと登場する
のは、馬、牛、それに鳥である。ドイツによる空襲で焼け里f原になったゲルニカ、
悲惨な戦争を告発するために、ピカソは筆を執った。人間の愚かさに対し、馬と
牛が怒りのいななきをあげる。
鳩と思われる鳥の上にナイフが描かれている。死を意味するのだろうか。女性
たちは悲痛な雄叫びをあげている。死んだ兵士の右手の所に一本の花が描かれて
いる。おそらく、ピカソは花を平和の象徴として描いたのだと思う。そして、早
く平和な日々を取り戻し、二度と悲惨な戦争を繰り返してはならぬという自らの
メッセージを込めたのだと思う。小生は、ゲノレニカに午前、午後と2回会い、ピ
カソの平和への熱き思いを肌で感じた次第である。ピカソが亡くなって、40年目
にマドリードに来た甲斐があった。日本のきな臭い政治を思うとき、国民の不断
の努力で平和を希求していきたいと思う。21世紀を生きる我々にとって、武力に
よる威嚇ではなく平和外交の大切さを説く日本国憲法第9条が、ますます輝きを
増しているように思う。
スリに会って以来、自分の気持ちの中に人を警戒するような部分が強くなって
いることに気づく。
「人を見たら泥棒と思え」というのは、いかにも悲しい教訓である。でも、世
界を股にかけて旅する時、これが現実なのである。おそらく誰も好き好んで人の
ものを盗んで生活しようなんてやつはいないと思う。どうすることもできずやむ
なくやってしまったんだと思う。
小生に言わせれば、盗るより盗られた方がましだと思う。自分の良心に従って
生きていくこと、他人の物を泥棒するなんて浅ましい心で、幸せになれるはずが
ないと思う。ただ、自分の気持ちの中に、他人を信ずることのできない部分が強
くなったのは否めない。安心、安全な旅を続けるために、気持ちを引き締めなが
ら、前に前に進んでいきたい。
またまた、地下鉄の自販機に4. 5ユーロ食べられてしまった。自販機は、ゆ
っくり落ち着いて対応せよということか。とにかくヨーロッパの自販機には穴が
多く、使い慣れていないと戸惑ってしまう。コイン、紙幣、それにカード、しか
も駅に日本のような地図による値段表はない。自販機の操作によって、料金を知
り、お金を入れなければならないのだ。本当に厄介だ。切符を買う窓口があれば
よいのだが、無い時や、窓口が開いていない時もある。今朝、マドリードでは紳
士に助けていただいた。感謝感謝すでいっぱいである。
午後、パリのシャルル.ドゴール空港に着いてパリ市内に向かうバスに乗ろう
とした時も、切符の買い方がわから
ない。中国人とベトナム人の混血の
若い女性が愛の手をさしのべてくれ
た。オペラ座前のバス停に着いて、
ホテルまで何とかなると思っていた
が、なかなかたどり着けず、2人の
女性に尋ねて、やっとゴール。ホテ
ノレには、ニューヨークで依頼した痛
風の薬が、妻から届いていた。早速、
ホテルから自宅へ感謝の電話。久し
ぶりに聞く妻の声は、妙に明るかった。「父さん元気で留守がいい」のではと思っ
た。
オペラ座の威厳に満ちた建物は、重量感もあり、ハイソサエティの社交場だと
わかる。街行くパリジェンヌを見るとマドリードの女性と比べると、何故だかわ
からないが、どこかあか抜けて美しいような気がした。これは小生の偏見だろう
か。
ルーブル美術館へ
今ホテルにて時間調整をしている。一
人旅をしているとホテルの中では話し相
手もおらず、することもないので、駄文
にうつつを抜かしている。今まで60有余
年生きてきて、これほど自由な時間を持
ったことがあろうか?人間はイ可のために
働いているのか。当然幸せになるためで
ある。斉藤一人さんは、「幸せになる権利
がある」のでなく、両親の愛の下、自分は生まれてきたのだから「幸せになる義
務がある」というのだ。小生は、ある時は美術館をふらつき、あるときは骨董に
手を出し、またあるときは、こうやって旅をしている。自分で言うのもおかしな
話だが、ラッキーだと思う
時間調整が済んでルーブル美術館へ向かった。ルーブルへは昔一度来たことが
あったが、当時は美術にまったく興味はなく、小便旅行で通過しただけであった。
今回はしっかり見てやろうと意気込んだ。
ルーブル美術館は建物のイメージがつかめないほどでっかい。まず、作品ガイ
ドを借りようとして、カウンターに行ったら、受付の男性が、ウインクをして無
料で貸してくれた。小生には何のことかわからず最初は戸惑ったが、こちらもに
っこり笑って厚意に甘えることにした。本来は、クレジットカードを使って、貸
出券を購入する必要があったのだが、知らないことほど強いことはない。5ユー
ロ得をしてしまった。ミーハー的にミロのビーナスとモナリザとサモトラケの二
ケは、しっかりと拝見、榭こ、モナリザとサモトラケのニケは2回見た。美術館
が、あまりにもでっかいので、何をどこから見ていいのか、全く分からず、午前
中に館内を見てからやっとイメージがつかめた次第。今回来てよかったと思うの
は、スペインの画家ムリーリヨに魅せられたことだ。彼の心は澄み切っているの
か、彼が描くマリア像や女性像が極めて美しい。モナリザも美しいのかもしれな
いが、それ以上に美しいと思えるのだ。
て、今日5点見た。また、ラトウーノレ
の作品も5点見た。中でも少女がロー
ソクを持っている作品は愛らしく、 ロ
'ーソクの光が、彼女の指の隙間から漏
れているのが超絶技法で感動的だ。足
が痛くなるほど、館内を回りに回って
展観した。お宝に次ぐお宝を見たので、
心身ともに疲れ果ててしまった。心地
よい疲れが全身を包んでいた。これを
幸せと言わずになんといおうか• - •〇
ダ•ヴィンチといえば、モナリザを含め |
![]() |
人間は、何年も前から美を探求してきた。ルーブルは、美の集大成ともいうベ
きところである。美は、庶民の生活とはかけ離れて常に支配者のためにあった。
しかし、それが徐々に庶民のものになっていく。支配階級にせよ、被支配階級に
せよ、最終的には、求めるものは同じかもしれない。
ルーブルの天井を見上げると天井画や彫刻で埋め尽くされている。庶民の生活
とは無縁である。でも、庶民の美術(芸術)もあっていいはずである。そう考え
てみるとき、小生が収集した骨董は、庶民のためのものかもしれない。庶民も支
配階級と同じように、立場に応じて、美を追求してしかるべきだと思う。小生の
収集品などは、子どもだましにすぎないが、それでも結構楽しめる。骨董に関心
のない妻は、邪魔だから捨てるとか、処分してとか、好き勝手なことをのたまう
が、小生にとっては、人生を豊かにするツールなのであり、生きてきたあかしで
もあるが、一方、家庭不和の元凶でもある。ただ、ルーブルの作品と小生の持っ
ているものとでは月とスッポンで比較にならないのは言うまでもないが…。
(つづく)
高退教事務局次長で、会報編集者の1人でもあった
居郷毅さんが、4月23日亡くなられました。長年、重
篤な腎臓病を患われ、若い頃に腎移植、近年は日常
的に透析を続けながら、高退教、非常勤講師、演劇
活動、その他民主的■社会的活動に骨身を惜しまず
奮闘してこられました。
写真は、高退教岡山■旭東支部合同の交流会(2017年春)で、健康吹き矢を楽しむ居
郷さん。まぶたを閉じれば、この人懐こい笑顔が今も蘇ります。どうか、安らかにおや
すみ下さい。(編集部)
元同僚で、同窓でもある佐藤静夫さん(岡山支部)から追悼文を寄せていただきまし
たのでご紹介します。
居郷毅さん天空に旅立つ
岡山支部佐藤静雄
今まで、こんなに筆が重い事はない。居郷さんの事を書かなくてはならない。
4月末に突然我々の前から消えた。享年65歳。信じられない思いと悲しみでいっ
ぱいである。藤原斌氏は、高退教の会報の当番であった居郷さんから4月19日に
原稿をmailで受けている。20日の朝倒れ、23日息を引き取った。その日は、居郷
さんの記した編集後記を載せた会報を発送する日、藤原さんたちの発送作業は、
っらい作業であったとの事である。
私の連絡への返信で音楽家の尾崎ツトム氏は、思わず息を飲み込んだと。1986
年のコンサート以来、お互いの公演で会っていたという。昨秋の赤旗祭りでも笑
顔で声をかけてくれたとの事。同じ国語科で演劇部、組合でも関わりの深かった
高見京子氏は、一歳しか違わないのに、私の事をお姉さんと呼んでくれたとの事、
これから話したかったこともいっぱいあったのに残念で悔しくてしかたありませ
んと。
居郷さん、高校時代には医者になりたいと考えていたという。しかし、大学は
文学部で学んだ。卒論は、魯迅であったと聞く。魯迅の医学から文学の道は、居
郷さんの道とダブってしまう。19 81年、琴浦高校で新採用になる。公開授業
で見た彼の授業はすでに何年も経験したような熟成された時間であった。その年
のうちに結婚した。私は、儀式嫌いで、親族以外で参列した唯一の結婚式が彼の
式である。そして、新婦さんも来ていただいて職場で祝賀宴もした。その後、こ
うした宴の経験はない。それほど職場で愛されていたことゆえである。彼には、
どんな人にもうまく関われる才があった。相手に問題があろうにしてもである。
そして、相手を傷つけることなくして、それでも信念を語る事ができる。その事
は藤原氏によれば、彼の人柄は「敬愛」という言葉で表せるとの事である。
1986年に(劇団ひびき)に入団している。同じ年に出演し、その後十年のブラン
クを経て1997年以降精力的に活動している。観劇にそう積極的でない私にもいつ
も観劇パンフを送付してくれた。今の机上に最後の封がある。劇団では、代表を
務めながら監督、俳優を続けた。教師であり若い折には組合の青年部長もつとめ
ている。持病で終生通院の必要あれど、人からの頼み事は断る事がない。そして、
自分の授業、仕事の妥協がない。ゆえ、試験問題つくるにしても朝までかかる事
もあったという。
私は、今年の彼からの賀状をみて久しぶりに会って話したいと思っていた。し
かし、永遠に機会を逸してしまった。私は、彼は教育の構図、システムに対し失
望感が大きかったのではないかと。それでも教壇に立ち続けたのはどうしてかと
聞いてみたかった。私は、勝手に想像する。私は、構図がなんであれ直接生徒た
ちと関わる事に意義を見出していたのではないかと。そうした、国語教師の自負
と授業そのものに楽しみを持っていたのではないかと。それは、劇団の演劇とい
う直接性と重なるような気がしている。授業も演劇も心に響くと信じていたと想
像する。
三村茂氏によれば、彼の書いたインタビューの言葉があるとの事である。それ
には、「私の教育理念として、どの子も伸びる。人生において無駄な経験は何一つ
ない。」そしてどのような生徒を育てたいですかの質問に対して、「豊かな感性と
想像力(思いやり)を持つ生徒。周囲に流されず自分で考えて判断する生徒。よ
く見て、よく聞いて、よく考える生徒〇」とある。
頑張り過ぎと居郷さんに言いたい。でも、頑張りに敬意を示したい。
<岡山支部> 青山一良b 歳を重ね、何ごとにも意欲が無くなりまし 当日は先約があり失礼します。 安東誠 議案に賛成し、みなさんのご健勝と一層の 昨年io月の岡山赤旗まつりでは、出店に 板津跡 7 7才を控え、肉体的にも精神的にもでき 井上俊清 6月は恒例のように北海道-東北地方へ長 植木五郎 昨年は「長寿を祝う会」にご招待いただき 大西淑江 年金法を改悪したときには「百年は大丈 |
岡田忍啓 久しく会っていない人、しばらく会ってい 小川澄雄 年金者組合の岡山北区支部の支部長、町内 6年前に入会した「岡山古文書を読む会」 金田光代 数年前股関節の手術をしました。なのでパ 衣笠祥子 孫たちの成長を見ると、忘れようとしてい 健康で過ごせるのが何よりです。 小林軍治 当面する三つの目標
その他広島カープ、明治大学、岡山南高校 |
島田宏恵 先日高教組女性部の会でミニ講演の機会 鈴木實 いよいよの時になりました。老骨ですが持 曽田康載 教育とは無縁の職種に就き、1ヶ月に14 武井靖 御盛会をお析りします。 田中豊子 定期総会には今回は欠席します。議案にあ 徳方宏治 夫、宏治は5/21日に肺癌の手術をし、そ 中村清子 |
今年は塩野七生にはまっています。『ロー 難波欽子 近くに住む二男とそのパートナーから「お 皆さん共に声をかけあい、身体の手入れを 難波一夫 お世話になります。相変わらず「ネットワ 西村晴江 今年も昨年と同じく、高校と専門学校で非 花田千春 緑が目にしみます。 先日夫をおくり、総会当日に法事予定です。 追伸介護中に作った刺し子布巾出品しま 廣田耕治 再任用教諭として元気に勤めています。今 |
美甘晃 非常勤講師、高退教の役員など日々忙しく 三宅克幸 昨年7月の大雨の対策工事(借地の畑の排 追伸3月に辺野古闘争の支援でグループ 山口京子 いつもお世話になります。歴史探訪にはよ 山本和弘 週一回、専門学校で留学生に日本語の授業。 米山伯治 先日の小豆島探訪お世話になりました。 今後ともよろしくお願いします。 和田知恵子 母親と私の病院通いが一番多い日程となっ |
<備南支部> 綾野鵬 今年5月、高校のクラス同窓会がありまし 石川昌宏 まだ倉商で非常勤講師をしています。 岩佐仁志 会費は当日払います。今年も「求める会」 岡田純爾 週2日(午後のみ)児島の准看護学校に勤 岡本和子 八年前に骨折して車椅子生活になり、週三 鴨川恵美子 週2回のデイケアーに相変わらず通ってい 萱栄次 足腰がやや弱ってきていますが、毎日ボラ |
小山公子 歩くことへの自信がだんだんなくなって 正保宏文 地域で高齢者のための“たんぽぽサロン” 天国に旅立ってしまった居郷さん安らかに 武田昭一 5月3日「憲法集会(東京)」に参加して来 だけど、年寄りが多いなあ。 麵唯利 私は1940年生まれ、もうすぐ80才です。 平松芳子 全ての議案に同意します。私こと老々介護 ご盛会をお析りしています。 藤原斌 相変わらず、専門学校の講師、源氏物語の |
三宅ちはる 4月より仕事のない生活を楽しんでおり 依田清 18年度は修学援助募金額が前年度よりか 作品展の出品者増への取り組みとして、参 <旭鼓部> 荒木敏和 総会直前の一定期間、医療機関で生活指導 池上善久雄 車の免許更新、今度は「認知機能検査」も 井上進夫 数少ない機会、楽しみです。 小野信義 安部政権には困ったもんですね。それでも 金光勉 昨年10月には高退教から長寿祝いの席 |
ざいました。現在(一寸先は闇とか)5月下 40回定期総会の御盛会をお祈りします。 岸本幹雄 再任用フルタイム5年目東岡エに勤務し 鈴木三重子 いつもお世話になります。御盛会をお析り 高垣章二 年寄りの人の交通事故が報道されるたび 三宅通明 議案に全面的に賛成です。 山本明郎 認失口症気味で…。皆様のご健勝を析りつつ。 <麵支部> 井上了 非常勤講師で週4日、休みは畑で野菜づく ご盛会を析ります。 岡本チヱ 退職して10年。専業主婦らしきことを10 |
木寸信行 毎朝、軽い運動を三十分ほどしながら、何 臟岳人 今年は毛虫が非常に多ぐ庭木が骨状態に 盛会をお析りします。 馳英明 毎日リハビリをしたり、パソコンをしたり 清水親義 軽い気持ちで、近くの病院へ行ったら大き 滝澤紀子 今年は参加させていただこうと思いまし 御盛会をお析りします。 武田芳紀 この4月から「玉島平和美術展」を実施し |
西功 元気に合唱、演劇鑑賞、ボランティアなど 水間正雄 いつもうっかりしていて申し訳ありませ 三宅幸良 無職で、のんびりとやっていますし、これ <備北支部> 相木トシ子 いつもありがとうございます。元気にして 生田孝仁 歩行困難ですみません。 大久保緑子 昨年は西日本豪雨のため、鉄道も道路も寸 加百靖典 住所変更になりました。 〒719-1131 総社市中央6-30-30 土井彰 総会当日、柔道の審国体予選(成年)が開 |
難波誠 西村毅 高退教では大変お世話になっています。議 福本光子 この会に加えていただくことも、私の平和 何かとお世話下さる方には感謝しており 逸見働台 農家の仕事や親の介護で多忙な毎日を過 逸見般 百膵藏癌の手術を0乍年9月19日に実施、身体 宮田克己 今は農業法人のオペレーターとして日々 宮田靖子 お世話になります。何をするにも時間がか 山本浩 盛会を祈ります。当日は菩提寺(済渡寺) 今日も、やるべきことを確認し、自分の |
<美作支部> 赤座匡 心身ともに銷が目立ってきましたが、永田 もうしばらくは疲れたなぁなどとは言わな 安東玲子 気がつけば88才になってました。足、腰 杭田利晃 カロ齢他の心身の減退を日々感じています。 雜浩典 高教組組合員から高退教会員に移行する 髙階重和 日本国憲法を教え、前文と、主権在民。戦 垂井一新 4/15籾まき、5/12田植え、只今順調に |
友直久徳 現在週2日(火•木)旭川荘、わかば、み もしよろしかったらご購入下さい。竹炭 中西孝 毎日、あれこれI亡しく動いています。 則本加壽惠 御盛会をお析りいたします。 体の方も年相応にメンテナンスも必要と 山本宣子 喜寿を迎えましたが、元気で平和運動頑張 夏の参院政権選で、安倍自公を終わりにし 米山カロ住女 梅雨のうっとうしい日がつづきます。いつ 和田誠也 傘寿を越えました。 健康維持の為、毎日近所のフィットネスク 他86名の方からの返信がありました。あ |
今号の会報編集に携わりながら、日を追って膨らみを増してくる一つの思いを、もてあまして
います。あまりにも突然に、遠くへ逝ってしまわれた居銀隞さん。言卜報に接してから、はや4
ケ月になろうというのに、追悼の思いを言葉にまとめる心の余裕すら、未だに持てないでいるの
です。
高退教「会報」は、ここ何年か、居郷さんと、備西支部幹事の清水親義さん、そして私の3
人で、号ごとに順まわしで、編集を担当してきました。いみじくも、前号の編集担当が居郷さん
で、苦心の編集作業の末に「編集後記」を執筆されたのが、いわば絶筆となりました。印刷発送
の事務局会議を「体調不良」で欠席され、そのまま、帰らぬ人となられたのでした。
若い頃からの、重篤な病については、常々知悉しているつもりでいながら、様々な分野で、余
りに律儀に、余りに自然体で、なくてはならない役割を120パーセント発揮して奮闘されてい
るものだから、まったく予期も覚悟もできませんでした。地方選挙の最終版の時機、逝去のわず
か缴日前に、数刻をともにした時でさえ体調急転の兆しをうかがい知ることさえできませんでし
た。「一番思いがけなかったのは本人でしよう」と、奥様もおっしゃっておられた由。むベなる
かな。
居郷さんが新人教師であった頃の職場の同僚で、同窓の先輩でもある佐藤静夫さんから追悼文
を、寄せていただき、今号に掲載しました。
今号は、6月30日に開かれた高退教第40回定期総会と、午後の学習会、またこの日程に合
わせて例年通り開催された高退教作品展の報告が、中心記事となります。総会出欠はがきに添え
られた会員諸氏の近況コメントも、例年のとおり掲載しています。また、記念すべき50回目と
なった自然歴史探訪、玉島平和美術展のとりくみ、「連載無謀な世界一人旅」など、高退教らし
い文化の香り高い記事が満載です。
「私と高退教」「高退教40周年に思う」(仮題)原稿募集
さて、高退教は、来年、倉IJ立40周年を迎えます。記念事業の一環として、記念誌の発行を計
画中ですが、それに向けて「私と高退教」「高退教40周年に思う」(仮題)などの文章を会員の
皆様から寄せていただき、記念誌を彩り豊かにできればと考えています。既に、30周年を前に、
少なからぬ方々から寄せられた文章があり、それらも合わせて再録する形で、記念誌に掲載した
いと思います。記念誌発行に先立って、「会報」で順次ご紹介することも考えていますので、取
り急ぎ、高退教事務局または、最寄りの事務局員あてに、お寄せいただければ幸いです。また、
郵送,fax、E メールの場合は、下記担当者宛にお願いします。
【担当•連絡先】山本和弘 〒709 —1203 岡山市南区西紅陽台2 — 58 — 417
FAX 086-362-2688 E メール 山本和弘 くk52a07z@ya2.so_net.ne.jp>
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