指を折って数えてみれば実に19年。
私が高退教事務局に入ってからの年月です。後半の9年間は,会長の任にあたらせていただきました。
自分では,そんなに長い時間だったとは感じていません。それは,高退教の行事や会議に出席することが,楽しく心が安らぐ時間であったからだと思います。ここには,教育の話題を気軽に口にすることができる,他の団体にはない雰囲気があります。
この間,いつも皆さんからお力添えをいただき,何とか役を務めさせていただきました。心より感謝し,これからも,高退教活性化のため,力を尽くすことを申し上げ,退任の言葉と致します
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定年退職してすぐ誘われて事務局に入って,まる17年が経ちました。高垣事務局長の後を受けて事務局長になってからも10年以上になりました。多くの先輩,仲間に支えられて過ごしてきました。
萱会長も長く勤めてきたのでもう交代したいということで,小林軍治さんに会長をお願いしようと思っていました。ところが,6月初め病気が判明し,役職はできないと言われ,私が会長をお受けする決心をしました。小林さんには副会長として残ってもらい,いろいろと指導をしてもらうつ
もりでいたのですが,突然の御逝去で,残念でなりません。
自然歴史探訪,総会,作品展,支部別の交流集会などに参加して下さった会員には,これらの行事は好評だったと思っています。ただ,なかなか参加できない会員のみなさんと,どのようにつながればいいのか,「楽しみ7分に,運動3分」という高退教のスローガンや,「一人ぼっちの会員にしない」ということを具体化するためには何をすればいいのかをいつも考えてきました。
これからも,高退教の進むべき方向を探していきたいと思っています。幸い有能な事務局員,幹事のみなさんがいるので心強く思っています。
多くの会員の皆様の知恵と力をいただきながら,勤めていきたいと思っていますので,よろしくお願いいたします。
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私が小林軍治さんと知り合ったのは,もう50年以上も前のことです。
彼が高教組の青年部長,私が定通部長の時でした。なんとなく,発言内容に共通点を感じ,以来,親しく交流を重ねてきました。当時は,青年部有志と定通部有志で麻雀大会を開催したことも思い出されます。
その軍ちゃんが、突然,あまりにも急に姿を消してしまわれたのです。いつも高退教の事務局会議では隣の席でした。彼の発言には常に「なるほど」と感じさせるものが多くありました。「民主主義」や「平和」の問題では,とりわけ熱い思いが伝わってきたものです。
あわせて,発言が常に笑顔で結ばれる話しぶりは忘れることができません。今まで高退教活動を大きく支えてくださったことに,厚く感謝申し上げ,心からのご冥福をお祈りし,お別れの言葉といたします。
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7月3日,岡山高退教第43回定期総会が岡山市岡西公民館で開かれました。猛暑の中ではありましたが39名の会員が参加,3年ぶりの開催をよろこびあいました。今年度は,コロナ禍ということもあり残念ながら午前中のみの日程となりました。(司会進行は旭東支部・岡田憲朗さん,備南支部・犬飼繁さん)
萱栄次会長のあいさつでは,ロシアによるウクライナ侵攻という情勢のもと,国の争いは軍事ではなく外交で解決すべきということに加え,核兵器はもちろん一般兵器であっても、持つこと使用することは犯罪だと訴えられ,すべての兵器の廃絶が必要ではないかと問題提起されました。
来賓あいさつを、高教組を代表して豊田書記長からいただきました。若い教員の間に「組合いらない」という声もある厳しい状況の中,高退教の先生方は希望の光だ。理屈抜きに戦争はダメ,人類がどんな苦労をして民主的な世界をつくりあげてきたかということを組合の先輩たちから学んだ。これからも共同,支援をよろしくとあいさつを結ばれました。
つづいて,事務局から昨年度の活動の総括,決算の報告,情勢の報告,今年度の活動計画などが提起されました。
昨年度の経過報告では,コロナ禍のもとでほとんどのとりくみが実施できない中,事務局会議は積極的に10回開催,会報もむしろ今の状況を生かしてさらに内容豊かに4号を発行できたことが報告され,会計もとりくみが実施できないため繰り越しや残金が多いこと,修学奨励金カンパが19万7千円あまりに上ったことなどが報告されました。
情勢報告では,ロシアのウクライナ侵攻という許しがたい状況をうけ,軍事による解決でなく国連憲章にもとづいた外交努力が何よりも求められていること,ウクライナ情勢に乗じて政府が大軍拡をすすめようとしていること,憲法改悪の動きが懸念される中で「憲法を語れば自分史」ともいわれる退職教職員の役割がいっそう強く求められていることが強調されました。
新年度方針では,なかなか実施できない親睦・交流の催しを高退教全体および各支部で積極的にとりくむこと,岸田政権による軍拡や憲法改悪の動きに反対するとりくみや核兵器廃絶のとりくみをさらにすすめることなどが提起されました。
協議ではまず,田中博さん(旭東支部),菅木一成さん(備西支部)から,教育文化センターのとりくみの報告がありました。「2022教育のつどい」実行委員会では,父母からだされた「子どもが異星人のようだ」という声をもとに,ゲーム・スマホアンケートにとりくみ,377名から回答があり,結果を分析して,「つどい」で発表し,回答をもらった父母にも返信で報告したということです。実態が深刻な割に,各界の対策はいまだ不十分であり,今後の重要な課題となっています。
つづいて,18歳選挙権実施後の参議院選挙を間近に控え,日本の若者の投票率の低さ,政治参加の現状が話題となりました。武田芳紀さん(備西支部),高教組豊田書記長,犬飼さんから発言があり,5年後・10年後を見据え,個人主義や利益優先主義を乗り越えて主権者教育を充実させていく必要性が訴えられました。
正保宏文さん(備南支部)からは,玉野や高梁につづき倉敷で市立図書館を民営化する動きがあり,税金の無駄遣いとなったチボリの二の舞にならぬよう,こうした動きに反対する署名の協力を求める発言がありました。
岸本幹雄さん(旭東支部)からは,平和のとりくみにかかわって,被爆者であったお父様が亡くなられた本年,平和行進にはぜひ参加し岡山市の東山慰霊塔まで歩きたいという気持ちが述べられました。
最後に,再び武田さんから,自身もかかわっている玉島地域でのロシアのウクライナ侵攻後の平和のとりくみが紹介されました。平和問題に関する座談会,ロシアの侵攻に抗議するスタンディング(2月),新倉敷駅前での集会(3月)など。これまで政治に関心を持ってこなかった若者たちも変わっているという,まさに新しい波を実感する出来事と言っていいでしょう 。“どこに行ってもシニアばかり”という状況をどう変えていくか,今後ともさまざまなとりくみで探っていきたいと決意を述べられました。
以上の提案・協議を拍手で承認ののち,休憩をはさんで,事務局担当から新年度予算の提案がありました。通信費とともに支部活動や親睦交流の活動を援助・充実させる予算が提起され,拍手で承認されました。(なお,今年度85歳の長寿祝いの対象会員は9名となっています。)
つづいて,長く副会長を務められた小林軍治さんをはじめ前回総会以降逝去された会員の方々を偲んで,全員で1分間の黙祷をささげました。
最後に,新年度役員案が提案され,これも拍手で承認されました。今回勇退される萱会長から退任あいさつ,新たに事務局役員となった方々からそれぞれあいさつをいただいたのち,議長解任し今年度総会を閉会としました。
なお,各支部の幹事・会計監査・顧問は従来と変わりませんが,新事務局体制は以下のとおりとなっています。
会 長 藤原 斌(新)
副会長 難波 欽子
村田 秀石(高教組委員長)
事務局長 山本 和弘(新)
事務局次長 田中 豊子(新) 小川 澄雄 藤原 洋平
花田 千春(新) 美甘 晃 川原 和子
幹 事 井上 俊清(岡山) 衣笠 祥子(岡山) 島田 宏恵(岡山)
和田 茂(岡山) 綾野 保晴(備南) 犬飼 繁(備南)
岡田 憲朗(旭東) 岸本 幹雄(旭東) 清水 親義(備西)
西 功(備西) 土井 彰(備北) 逸見 健治(備北)
草地 浩典(美作) 山本 美佐緒(美作)
会計監査 杭田 利晃(美作) 津嶋 宣夫(岡山)
顧 問 鴨川 恵美子(備南) 高垣 章二(旭東)
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岡山高退教第22回作品展が,岡山県生涯学習センターを会場に,6月28日(火)搬入,6月29日〜7月3日展示の日程で行われました。
高退教作品展は,新型コロナウィルスの蔓延により,この間中止せざるを得ませんでしたが,2022年は3年ぶりの開催となり,第22回作品展には会員諸氏の意欲的な作品群が寄せられました。これは,コロナのため家にこもっていた期間も,作品づくりを続けていたことを表しているのでしょうか。
開催決定を会員のみなさんにお知らせした当初は,「また中止になるのではないか?」と開催を危ぶむ思いもあってか,出品申込みがほとんど無く,作品展担当者は困惑していました。ところが,5月26日の幹事会で実情を知り,危機意識をもった地区幹事たちが様々な方面に声掛けしたのが功を奏し,出品申込みが一気に増加し前回を上回る申込となりました。出品したのは会員24人,協賛5人でした。
今回の作品展では,絵画や写真,手芸,木工,工芸などで毎回出品されている方々がその腕前を披露しただけでなく,日頃描きためていた絵手紙12点を出品した人,旅行先でのスケッチを100点余り出した人,自費出版の詩集を展示した人,手塩にかけた盆栽を出品した人,前回にひき続き釣った魚の魚拓を出した人などが注目されます。また,玉島地域の人脈繋がりで,絵画や書を協賛出品していただいたことも新しい取り組みでした。さらに,2日目から展示に加わった(作品目録にはない),おもちゃの指ハブが来場者の関心を集めていたことも特筆すべきことでしょう。

6月30日午後から,武田芳紀氏によるワークショップ「楽々スタンプづくり」が行われましたが,受講者は当日受付当番の2人のみでした。子ども達に参加を呼び掛ける宣伝の工夫が求められるところです。
以前から指摘されてきたことですが,来場者が身内に限られ非常に少ない状態は,今回も克服できませんでした。案内はがきを制作しなかったことも原因の一つかもしれません。次回の課題です。
「出品申込みをメールでも可能に」の声も出ています。これも来期の課題でしょう。
<展示作品一覧>
絵画 花田千春 絵てがみ
絵画 萱栄次 旅行先でのスケッチ
絵画 三宅通明 水彩画
絵画 中村清子 花 1
絵画 中村清子 花 2
絵画 中村清子 花 3
水彩画 水間正雄 日本の100名城の旅T
水彩画 水間正雄 日本の100名城の旅U
水彩画 水間正雄 日本の100名城の旅V
水彩画 水間正雄 日本の100名城の旅W
水彩画 武田芳紀 シュバルツバルトの時計売り
墨彩画 滝本洋三 毒だみ
墨彩画 滝本洋三 ひまわり
油絵 島田宏恵 蕎麦の花咲く村
油絵 島田宏恵 窓辺の静物
油絵 島田宏恵 ベンガラの町吹屋
油絵 鈴木操子 舞妓
油絵 鈴木操子 向日葵
油彩 武田芳紀 ミャンマーの民族衣装をまとう女
アクリル画 武田芳紀 青いカーディガンの女
絵画クレパス 美甘晃 牛窓にて
パステル画 武田芳紀 ヴィトンのバッグを持つ女
魚拓 岡田憲朗 ハネ
工芸 木村徳子 漆器のペン皿
工芸 木村徳子 備前焼の器(金継ぎ)
工芸 木村徳子 漆器の皿
詩集 曽田康載 花になろう
写真 井上俊清 再び熊野古道へ
写真 井上俊清 孫と遊ぶ
写真 犬飼繁 西安市長安区教育委員会表敬訪問
写真 犬飼繁 兵馬俑坑スケールの大きさに驚愕
写真 犬飼繁 関羽の墓 墓にもランクあり
写真 犬飼繁 西安市吉備真備記念公園に献花
写真 荒木敏和 街角
写真 荒木敏和 彩
写真 山本和弘 セイタカシギ
写真 山本和弘 タカブシギ
写真 山本和弘 トラツグミ
写真 赤座匡 湖畔の春
写真 赤座匡 ファンタ―ジョン
写真 中山実典 春の風景
写真 中山実典 護摩供養
写真 中山実典 アオバズクのひな
手芸 衣笠祥子 御殿まり
手芸 衣笠祥子 パッチワーク
手芸 河原和子 〃
手芸 河原和子 手染・手織りのストール
手芸 河原和子 パッチワークのタペストリー
手芸 田中豊子 帆布を使った手提げ袋
手芸 内田恵子 刺子のクロス
手芸 内田恵子 サークルフラワー
ブランケット
書 小川澄雄 杏花飛簾散餘春
書 小川澄雄 千里猶對面語
書 小川澄雄 何處春江無月明
書 西野恵子 山僧對
書 西野恵子 忍耐
書 赤野博子 わかのうらに
盆栽 田中博 皐月の盆栽三点
木工 島田保弘 欅拭漆一文字
木工 島田保弘 小箱
木工 島田保弘 楓拭漆椅子
クラフト 難波欽子 自然物で遊ぶ 小作品
トールペイント 西野恵子 月と兎
手づくりおもちゃ 高橋京子 「指ハブ」

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コロナ生活になり,韓流ドラマを見始めたら,おもしろくてはまってしまった。いくつか見た中で一番心に残ったのは,朝鮮王朝時代の史実をヒントに創作された「王になった男」。王と瓜二つの道化の男が,乱心した王の身代わりとなり,ついには民と国を思う本物の聖君となっていく話である。
息もつかせぬストーリー展開にひきこまれたが,自然の風景やセットもまことにいい。王と王妃が心ふれあうのは,落ち葉ふりつもる大きな木の下や蛍の舞う池のある庭。王妃が身を投げようと立つ断崖絶壁はすばらしい風景で,まっ赤なショールが舞い落ちるシーンはドローンからの鳥瞰撮影。本物の宮中セットに王が座し,韓服に身を固めた官僚たちが居並ぶ朝参(宮中会議)は壮観である。権力と富を握ろうとする官僚や大王妃たちの暗躍が繰り返され,金品での買収や密告に人の心が動く。暗殺のために,毒が盛られ刺客が送られる。道化から王となった男は,民と国のためによりよい政治を行おうとする。王としての孤独と不安に耐えながら,側近や王妃に支えられて,しだいに本物の聖君へと成長していく。
悪官僚と闘い民のための政を行おうとするのだが,今の政治に重なる。飢えた民への支援米を工面しろと命じる王に,私腹を肥やすことにしか目がない官僚は「支援米のためには増税しかない」という。王が「民をだますのか,とんでもない」と怒る。福祉に使うと国民をだまして導入したのが消費税だった。大地主から税をとる制度「大同法」をすすめようと苦心するが,富裕層や大企業への税負担を求めたい今の政治に通じるところがあり,興味深い。大国である明に従属し兵と金を提供しようとする悪官僚の姿は,米国言いなりの今の政府の姿を彷彿とさせる。戦を避けるため,王はあくまでも外交努力を続ける。外交に見向きもせず,軍拡をいいだす現政権に見習わせたい。政は,何のために行うのか,誰のための政治なのか。国民の声を全く聴こうともしない今の政権に問いたい。
王の身代わりを演じ,ついに真の王となる道化の男ハソン。心優しく楽天的で行動力もあり,側近の家臣や王妃ともしだいに心を通い合わせ,強い信頼関係を築く。ユーモラスなやりとりやじっと見つめ合い抱き合うシーンも丁寧に描かれている。感情表現はストレートで,全身で跳び上がって喜び,悲しみに滂沱の涙を流す。怒りの言葉は,たたきつけるような朝鮮語で迫力がある。机をひっくり返し,茶碗を投げつけ,床を打ち叩く。思いを率直に言葉にし行動で示す王の姿が,周りの人々をも変えてゆく。悪官僚の率いる反乱軍を制圧した王は,民のための政をつぎつぎと行う。何年かの後,同じ思いを引き継ぐ者に王座を譲り,再び民に戻って王宮を後にする場面は実にさわやかである。
主人公の王と道化の身代わり王の二役を演じる俳優(ヨ・ジング)は演技も声もすばらしい。暗殺の恐怖に怯えアヘンにおぼれる暴君のイ・ホン王と,楽天的で優しく素朴な道化のハソン王の二役を見事に演じている。胸と肩に金糸でびっしりと竜の刺繍がある真っ赤な韓服姿には,ほれぼれしてしまう。しだいに登場人物に没入し,涙を流しながら見ていることもある。ドラマを見ることは心の浄化になるのかもしれない。見終わるとすっきりとして何かあたたかい気持ちになる。韓流ドラマ,みなさんもぜひどうぞ。
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1993年 定年退職
解放感がありました。時間たっぷり,ピアノも大っぴらに練習できると。夫は音楽通で,オーディオに凝り,「FMファン」という雑誌を片手に,赤線を引いてはカセットに録音して,職場を往復する車中で聞いていました。私は,退職後,非常勤で3年間青陵高校に勤務したのですが,当時は高校合格者の氏名が新聞に掲載されていました。夫は,「松本和将」の名前を見つけ,大変喜んでいました。彼が倉敷北中学校時代「全国中学校ピアノコンクール」で優勝した時の演奏を録音していて,松本さんが青陵に入学したら,学年主任や担任にこのテープを聴いてもらい,「彼の才能を伸ばし,受 験勉強,受験勉強と言って,彼の才能の邪魔をするなと忠告しろ」と執拗に私に迫りました。私は非常勤の身で,そんな差し出がましいことは,と躊躇しましたが,余りの熱心さに根負けしました。松本さんは見事東京芸術大学に進学,その後ピアニストとして活躍。倉敷音楽祭にも出演,松本さんのリサイタルを,病床から抜け出して聴いたのが,夫が聴いた最後の音楽会になってしまいました。
1998年,その夫は70歳で大腸がん,転移した肝臓がんで病死。禁酒・禁煙・主治医の転勤の度に病院を変わり,闘病していました。今は,70歳までよく生きてくれたと思っています。夫の旅立ちの一年後,前述の浅原先生からも,玉島の自宅へレッスンに来ませんかとお誘いがあり,ピアノレッスン再開。一年一度のピアノ発表会にも出演するようになりました。記録を見ると,浅原先生が創設された「梨の木会」へは,11回出場,2009年脳梗塞発症後,右半身に麻痺が残りましたが,やや軽度だったのか,懸命にリハビリに励み,ケアマネさんから「ピアノでリハビリする人は初めてです」と励まされました。
グランドピアノ購入
発表会は,会場のグランドピアノだったので,今度は退職金をあてに,ピアノをグランドに買い替えました。アップライトとは音色,ペダルが全然違いました。納品の日,夫はなぜか大層うれしかったらしく,カメラでパチリ,パチリと何度も撮っていました。あげく,自分もピアノを習いたいと言い出したのです。私もその気になって,教則本を考えましたが,「こどものバイエル」ではプライドを傷つけるのではないかと思案して,私の使ったバイエル本を使うことにしました。それが間違いだったようです。3日目で断念。「三日坊主,三日坊主」と揶揄。以後,夫はピアノに触れようとはしませんでした。夫を傷つけてしまったと,反省しました。
浅原茂子先生 木下美佐子先生
浅原先生のレッスンは10年間続き,隔週の火曜日の午後,おしゃべり一時間,レッスン一時間の充実した楽しい時間でした。
先生は長年の功績が認められて,2000年には,主催の「ペリマベラ・コンチェルト」に倉敷文化連盟から「奨励賞」,2007年には,「倉敷文化連盟賞」を受賞され,お祝いの気持ちでいっぱいでした。先生は亡くなられたのですが,岡山保険医新聞には2008年7月25日号で,次のように報じられています。「……毎年夏休みに,お弟子さん達による自前のコンサートを開いておられた。今年はそれを目前に逝去された。しかし現在指導中の子供たちの発表会はどうしても聞きたいと,死の数日前,最後の力を振り絞って,入院先の主治医付き添いのもと,見事な会を開かれたそうだ。鬼気迫るものがあったという。さもありなむ」。私はこの発表会に出演,先生から言伝をいただいています。曲目は,「ショパンワルツ変イ長調op69‐1」だったのですが,まちがいだらけ,まともに顔が上げられず退場したのですが,先生は「まちがえても,ゴマかして中断しなかったのは,進歩ですよ」の優しい言葉でした。ピアノの指導は,生前から木下美佐子先生への引継ぎがきちんとなされていました。用意周到というか,頭が下がりました。
木下先生には,初めは先生のお宅へレッスンに伺っていましたが,私の骨折以後は通えなくなり,私の家への出張レッスンとなりました。木下コンサートへも,11回出場。87歳の11回目を最後の舞台にしようと決心していました。いず れの発表会も,出場者の最高齢,杖をついての舞台への登場はそろそろ限界でした。若い頃は「ショパンの幻想即興曲が弾けたら死んでもいい」と大げさなことを言っていたこともありましたが,それは無理なこともわかり,途中から,やはりショパンの遺作「ノクターン嬰ハ短調」(映画「戦場のピアニスト」の主題曲)を最後に弾こうと決めていました。最後の発表会は,有終の美は飾れませんでしたが,中断もなく私なりにまあまあでした。木下先生から過分の花束をいただいて退場しました。翌年からはコロナ禍のため,発表会そのものが休場となってしまいました。
ピアノは 生き抜く支え
現在も,レッスンは続けています。私は脳トレと割り切って,ブルグミューラーの,まだやり残している曲と,先生との連弾曲「?アルルの女”よりメヌエット」,発表会に弾いた曲を練習しています。先生は「この齢で楽譜が読める人は,そういませんよ」と,上手に励ましてくれ,私も甘えています。数年前,本屋大賞を受賞した宮下奈津「羊と鋼の森」ピアノ調律師の話,直木賞・本屋大賞のダブル受賞の恩田陸「蜜蜂と遠雷」ピアノ国際コンクールを舞台とした天才少女少年の物語に魅了されました。特に後者は,骨折入院中,病室で老眼鏡にルーペを重ね,少しずつ読み進め,読了までに9日間もかかりました。両書は,「音・音楽」を言葉で表現していることに新鮮さを感じました。
ピアノは,「憧れ」から「怨念」……。そして今では「生き抜く支え」となったのです。
「ふたりの完結」 自著 参照
「続・ふたりの完結」 自著 参照
あとがき
高退教会報には「場ちがい,場ちがい,ひとりよがり」と,心で葛藤しながら,自分から言い出したこと,とにかくまとめなければと,老婆はがんばりました。ご精読ありがとうございました。
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イタリア側から見たモンブラン
ヨーロッパ最高峰,4809mのモンブランに行くにはいくつかのルートがある。
ユースホステルで同室だったドイツ青年の車で,スイスからフランス側の村シャモニーに入った。彼は「ユーロになってから検問はなくなった」と言った。
モンブランをスケッチするために,近郊の山にゴンドラで登っては歩いて降りることを繰り返している中で,同室になった著名な登山家を囲む内輪のパーティーの仲間に入れてもらえたりもした。
その後モンブラントンネルをバスで抜けてイタリア側からもゴンドラを使って南側からのモンブランを見た。北から見た山頂の「雪をかぶった丸い山」に対して「雪から突き出て尖った山々」のまさに針峰群で,初めての外国旅行の飛行機で,上空から見た針峰群が近くに望めて感慨無量になった。
サレルノのユースホステル
ナポリからソレントを廻り,風光明媚なアマルフィ海岸を通ってサレルノのユースホステルに宿泊したときに,近くの城に向かってキャスター付きのバッグを引いて歩いて登っている私に,大きなトラックが止まり,「乗れよ!」との合図。
リスクのパーセントを考えて躊躇していたら,笑顔で招いてくれるので,「旅に危険はつきもの」と心を決めて乗り込んだ。
ところが,運転手・助手ともに愉快な人物で,すぐに女性ヌードの少し汚れた大きなカレンダーを出し,月ごとにめくりながら,「アメリカ人は胸が大きいのを好むが,イタリア人の俺たちは尻のでかいのがいい,日本人はどうなんだ?」と問いかけられる始末。
降りる時に,「記念に」とそのカレンダーをくれた。それがその旅の唯一の土産なので時々出して旅の思い出にしている。
ベニス
ベニスのユースホテルは水上バスの便の良いサンマルコ寺院前のジュデッカ島にあり,過去にも何度か訪れている。
ベニスの楽しみ方の一つは,自動車が通らないところなので,玄関前の波止場の石畳で,夕食に帰る日本の若者を誘い込んで,食べ物・飲み物を持ち寄って車座になり,宴会を開くことだ。そのうちに外国の旅人も加わってますます楽しくなる。
宴会の後は,サンマルコ広場を囲むように幾つもあるカフェテラスを目指し,水上バスに乗る。各カフェテラスではそれぞれ楽団がセミクラシック・スクリーンミュージック・タンゴ・イタリア民謡など,あらゆるジャンルの耳慣れた曲を聞かせてくれる。
椅子に座れるのは客のみで,多くの観光客は立ったままぐるりと囲んで聞き惚れる。そして,楽団の休憩時間には他のカフェテラスへと集団移動する。そして,名残惜しく,後ろ髪を引かれるように,音楽を背中に聴きながら,門限ぎりぎりの船に乗る。
シチリアの古代ギリシャ劇場とエトナ山
フォーレの名曲シチリアーナの哀愁を帯びたフルートの音色にほのかな憧れを抱いていた。また,旅先で出会った母娘・従兄との再会を果たしたい思いもあって,シチリアを訪れた。
空港でミラノ行きのアリタリア航空を待っていると,「イタリアは大雪なので飛行機は出発しない。」と知らされた。「待たせることになるからパレルモ空港に来ないで」と言いたくてシチリアの従兄に電話するが,彼は留守で,電話に出てくれた親は英語が全く通じない。
大遅れながらも,ようやく出発した飛行機は,乗り継ぎのミラノ空港で除雪の間を縫って運よく着陸できたのは良かったのだが,幸運もそこまでで,パレルモへの乗り換え便は結局出発できなかった。そのため乗り換えの待合室の椅子で一夜を過ごすことになった。
そして翌日,やっと着いたパレルモ空港から彼に電話して,迎えに来てもらった。自宅へ招かれ,初めてお会いした彼の両親は私より若かった。
大晦日の夜は,母娘の家で大変なご馳走を楽しませてもらった後,皆でカウントダウンの広場に行くことになった。ここでは,「Happy NewYear」と誰彼となくキスをするという場面はなかったものの,「新しい人を紹介されたら男同士でも左右の頬を合わせて,自分の口でチュッと舌を鳴らす」というのには,さすがに照れてしまった。
首都バレッタ
ポールモーリアの「マルタ島の砂」で有名になったシチリアの南,アフリカに近い小さな共和国。シラク―サの港から150キロほど南下する高速水中翼船の中で,とても大柄な青年と知り合った。彼は首都バレッタのユースホステル近くに住むと言い,連れて行ってくれる約束をした。
夜中に着岸して,下船する乗客の最後尾で降りて,タクシーを呼ぼうと彼がスマホを出すと,不運にも電池切れ。私の携帯を出してタクシーを呼び,ユースホステルに送ってもらった。その後お礼に夕食に招待したが,大きな身体の彼が少食で,ワインもビールも飲まなかった。減量中だったのだろうか。
海食洞と言えば,カプリ島の「青の洞窟」が有名だが,マルタ島にも同様の洞窟があり,手漕ぎの小舟で入ると透き通って深い底の岩まで見える海のブルーが美しい。同船したのは奇遇にも「日本人の学生がいないので,ここの英語学校に入った」という就実高校卒の学生2人組だった。
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪※4年前の岡山工業高校をお借りしての総会は,西日本豪雨の日でした。3年前は,伊島の公民館でした。その後は新型コロナの感染拡大で40周年の記念式典も行うことができず,2年間の空白の後,今回やっと岡西公民館での開催することができました。午前中だけの総会でしたが,39名の方に参加していただけました。作品展も行うことができました。総会直前に,小林副会長の逝去という悲しい出来事もありました。萱会長の退任に伴って新しい人事も発表されました。※返信ハガキを読ませていただいて,会報を楽しみにしているという声がたくさんありました。責任を感じながらも,うれしい限りです。今回も,鴨川先生と水間先生の連載に加えて,花田先生も記事を寄せてくださいました。ありがとうございます。※自然歴史探訪が実施されていないのが残念ですが,なんとか今秋にと水面下で話が進んでいるとのことで,期待します。※投票日前に安倍元総理の襲撃・殺害という衝撃的な事件があり,選挙は,非常に残念な結果になってしましましたが,このまま憲法改悪,9条改悪を許すわけにはいきません。ロシアによる理不尽な戦争も終わりが見えません。先日は,立て続きに同級生の訃報が入りました。ショックでした。空梅雨が明けた後の長い戻り梅雨が続いています。なかなかすっきりと心が晴れることの少ないこの頃ですが,会員の皆様はくれぐれもご自愛くださり,どしどし原稿をお寄せください。お待ちしています。 , (岡田)
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