168 2022年4月(抄) 

目  次

 
 特集 #ウクライナに平和を
ロシアのウクライナ侵攻と核共有の危険性  備南支部 犬飼 繁
「玉島の怒れる市民の会」が駅頭抗議行動  備西支部 武田 芳紀
「灘崎九条の会」緊急スタンディングアピール  岡山支部  山本 和弘
年一度だけの高退教・健康体操の報告  岡山支部 難波 欽子
A君への便り  旭東支部  井上進夫
「あたらしい憲法のはなし」  美作支部  赤 座 匡
憲法の新たな危機 総選挙との関わりで   岡山支部 安東 誠       
連載 憲法と共に歩む人生 岡山高教組専従役員時代―その3― 岡山支部 小林軍治
連載 私のピアノものがたり(2)  備南支部 鴨川恵美子
連載 出会いとスケッチの旅イタリア編(1) 備西支部 水間正雄
「高退教 岡山」前号(第167号)の感想   備西支部 武田芳紀
編集後記
                   
 

特集 #ウクライナに平和を

 

ロシアのウクライナ侵攻と核共有の危険性 備南支部 犬飼 繁

第二次世界大戦後,国際連合による集団安全保障の仕組みが生まれた。これは,例えばA国がB国を侵略した場合,条約に加盟した残りのすべての国への攻撃とみなし,侵略国Aを制裁する仕組みである(図参照)。
1991年の湾岸戦争ではクウェートを侵略したイラクに対し,国際社会は結束して多国籍軍を編成,イラクを攻撃してクウェートを解放した。これは,集団安全保障が見事に機能した成果であり,イラクのように侵略を意図すれば国際社会から制裁を受けるので,侵略行為を抑止する力にもなった。日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という一節がある。自民党の改憲派の議員などは「自国の安全と生存を他国にゆだねるなどありえない。自国は自国の力で守らなければ・・・。」などと言うが,これは勉強不足である。これは,ただ漠然と「諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しよう」ということではなくて,国際連合による集団安全保障の仕組みのなかで「われらの安全と生存を保持しようと決意した」ということであって,だから「日本は軍隊を持たない。戦争を放棄する」という9条を制定したのである。
今回のロシアのウクライナ侵攻は世界に大きな衝撃を与えたが,私にとって最も大きな衝撃はロシアがこの集団安全保障体制を破壊したことだ。ロシアのような軍事大国が戦術核や生物・化学兵器の使用をちらつかせながら侵略した場合,国際社会も軍事的な対抗策は取るべくもなく,経済制裁しかできない。そうした状況が続く中で,多くの女性や子供が犠牲になったり,難民として命からがら他国へ避難している。このような状況がもう一カ月以上続いている。このままではロシアの侵略の前にウクライナが屈服するのが早いか,国際社会の経済制裁が効果を表しロシアをギブアップさせるのが早いか,という状況になってしまっている。
しかし,この間にも犠牲者は増え続けている。21世紀の今日,これほどあからさまな侵略行為が目前に展開されていることに大きな衝撃を受ける。と同時にやはり国際社会の結束によってしか,この事態は打開できないことを肝に銘じるべきだろう。
そして,この事態に乗じるように「核共有」や「敵基地攻撃能力」を声高に叫ぶ安倍晋三や日本維新の会などの政治家には要注意である。安倍晋三のコアな支持者は「日本会議」などの極右勢力である。彼らは中国や北朝鮮の武力に武力で対抗することを主張する。安倍晋三の「核共有」はまさにこうした連中に迎合した政策である。維新のやり方は常に「敵を作り,敵を攻撃し,大衆に迎合する」である。「公務員攻撃」,「組合」攻撃,「中国,北朝鮮攻撃」を繰り返し,大衆受けを狙う,まさにポピュリズムである。「勇ましいことを言えば,大衆に受ける」そんな言説に扇動されてはならない。また「敵基地攻撃能力」は一歩間違えれば「先制攻撃」ともなりかねない。憲法9条を持つ日本が先制攻撃することは許されない。何より日本は絶対に戦争できない国なのだ。
今回のロシアのウクライナ侵攻で,世界に衝撃を与えたことの一つに稼働中の原発への攻撃がある。現在日本には54基の原発があり,うち9基の原発が稼働中だ(2021年3月現在)。しかし,稼働中の原発だけが問題なのではない。稼働していない原発の敷地にも放射性廃棄物が山積みされている。これは政府が放射性廃棄物の最終処分を先送りし,原発を推進してきたツケである。その中には当然高レベル放射性廃棄物も含まれている。つまり,日本を滅ぼすには核兵器はいらない。通常のミサイルで原発を攻撃すればよいのである。原発をミサイル攻撃し,その敷地内にある高レベル放射性廃棄物が大気中に大量放出されれば,日本は終わりである。日本が絶対に戦争できない国とはそういう意味である。
国会で野党議員から政府に「原発へのミサイル攻撃からどうやって原発を守るのか?」という質問が相次いでいる。また,全国知事会も原発への武力攻撃への対策を政府に要望している。令和新選組の山本太郎代表は,安保法制が審議されていた2015年にも,2022年の3月にもこれについて質問している。「テロへの備えは強化していくが,武力攻撃はそもそも想定していない。」というのが政府や原子力規制庁の答えだ。山本太郎代表は「対策できないことは考えないというスタンス」と批判している。
原発への攻撃を阻止できない以上,日本は断じて戦争はできない。それを無視しておいて,「核共有」だの「敵基地攻撃能力」だの「武力に対して武力で対抗する」などあまりに無責任だ。威勢のいいことを言えば,支持率が上がるなどと政府・与党が考えているとすれば,あまりに愚かだ。これまでのことを深く考えれば,外交しか解決策はないというのは自明の理だ。私たちは威勢のいい言説に決して騙されてはいけない。

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「玉島の怒れる市民の会」が駅頭抗議行動  備西支部  武田 芳紀


2月24日に開始されたロシアによるウクライナ侵略に抗議する行動が全国で展開されています。
私の住む玉島でも3月7日の朝と翌日の夕方,新倉敷駅の駅頭で「玉島の怒れる市民の会」がスタンディング,宣伝を行いました。これは,私の妻とその友人が発起人となり,それぞれの友人・知人などに声をかけて,市民の有志が立ち上げたものとなりました。
今のウクライナの状況への思いを何らかの形で表現したいということで,プラカードも思い思いのものを作成して集まろうということでした。そして参加者のスピーチ,さらにプロテストソング(平和の「歌声」)をみんなで大きな声を出してひびかせました。
そのプラカードは創意溢れるものでとても良かったです。私の妻は(もと小学校の教員)これまで,集会などに一緒に参加しても,前に出てしゃべったりしたことはなかったのですが,今回は「それぞれが自分の言葉でしゃべることが大切!」と,原稿も作成して話していました。
また,集会に参加された方々にも,全員発言してもらい,自分の思いをアピールしてもらいました。今回は,機敏なタイミングで集会を行ったこと,また,参加者それぞれが自分の創意を生かしてとりくんだことで,駅の利用者(市民)の方々の反応も普段の駅頭での宣伝に比べてより手応えがあったと思います。用意したカンパ箱に,自分から駆け寄ってお金を入れて下さった方もありました。参加者が怒りを表現するとともに,楽しんで参加しておられたことが印象的でした。なお,参加者の作成された創意あふれるプラカードを紹介しておきます。



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「灘崎九条の会」緊急スタンディングアピール 岡山支部 山本 和弘


「灘崎九条の会」は,毎月九日午前九時から,「九の日行動」を続けており,これには地元在住の高退教会員も参加しています。長崎原爆記念日の八月九日には,平和を祈念して地元寺院の鐘を撞いたり,折に触れて憲法学習会を開いたりしていますが,通例は,国道30号沿いの交差点前でスタンディングアピールを続けています。
いつもは,「九条改憲許すな!」などの訴えが中心ですが,3月・4月は,ロシアによるウクライナ侵略という事態を受けて,緊急のスタンディングアピール行動となりました。
「Stop Putin」「ウクライナに平和を」「No War」,そして「9条壊すな」・・・参加者は,手書きで,あるいはパソコンで,それぞれに新たに準備したプラカードを掲げ,買い物客や通行中のドライバーに訴えました。
3月9日の行動では,久々にハンドマイクも登場。参加者が次々にマイクを握り,プーチン政権の蛮行を強く批判するとともに,この事態を口実に「核共有」や「敵基地攻撃能力」など,新たな改憲策動を強める日本の右派勢力の動きにも警鐘を鳴らしました。また,ロシア・プーチン政権に対して,緊急に抗議を集中するよう呼びかけました。急遽作成して運用した抗議ハガキの文面は次の通りです。
 

【抗議ハガキ文面】
ロシア連邦大統領  ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン閣下
貴国によるウクライナへの武力侵攻の報道に接し、私たちは、ヒロシマの被爆詩人峠三吉の詩を改めて想起せずにはいられません。
ちちをかえせ/ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしをかえせ/わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの/にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ
全人類に向けたこの痛切な伝言を胸に刻む者の一人として、取り急ぎ、謹んで緊急のお願いを申し上げます。
1)直ちに武力侵攻を中止され、平和を回復してください。
2)ウクライナの子どもたち、女性、高齢者を含む大勢の市民、及び祖国愛に燃えるロシアの勇敢な若い兵士たちに、これ以上の無益な流血を強いないでください。
3)核の使用はもとより、核兵器で世界を威嚇することをやめ、核なき世界、理性と愛が支配する平和な21世紀の実現にむけて、賢明なリーダーシップを発揮してください。
どうか、それにより、閣下とロシア国民の栄誉が、後世に長く記憶されるよう祈念するものです。

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年一度だけの高退教・健康体操の報告 岡山支部 難波 欽子

本当に年一度だけの体操だけれど,中務友芳氏が始められて十数年,昨年(コロナ禍の為)以外は続けています。しかし,参加者の少ないことが自慢できる「継続は力なり」を信じた人だけの教室です。入院してもベッドの上で体操をして早く退院するとおっしゃった先輩達のなかには,残念ながらピンピン,コロリ,ヒラリと天寿を全うされた方があります。尊敬できる生き方をされました。
岡北学園を半世紀にわたるお付き合いのお陰で無料で贅沢に使用させてもらっています。午後,車を置いたまま,半田山植物園に遊びに行けるのが特典です!
メンバーははるばるマットを背負って井原線,伯備線を乗り継いだ石井さん,この数年間無欠席の河原さん,初めて参加の衣笠さん,小合さん(会員になって初めての行事参加),多忙な中を付き合ってくださった井上氏,近所の女性二人でした。
一時間程の準備体操で音を挙げかけた人もありましたが腰をおろした姿勢でゆっくりした大きな呼吸をするだけなので,難なく気持ち良く終了しました。童心,童体,童顔が取り戻せた感じが指導者にはしました。
弁当を持ってサクラの咲き乱れた半田山植物園に這い上がりました。さまざまな華やかな花が咲き誇り,温室では沢山の食虫植物のウツボカズラの不思議な生態に驚きました。(岡山真向法体操会顧問)

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A君への便り  旭東支部 井上 進夫 

久しぶりです。その後如何お過ごしですか。新型コロナウイルスの感染拡大 による自粛生活もずいぶん長くなりました。以前はマスクをすることに抵抗を覚えていましたが,最近は外出するときには着用する習慣が身に着きました。先行きは不透明ですがもう少し我慢しましょう。最近の私の身辺の様子をお知らせします。

会費免除

先日町内会の役員さんが老人会の会費を集めに来られました。私が例年通り2千円(二人分)を出すと,ニッコリ笑って「一人分でいいです。今年から井上さんは会費免除です。」と言われました。80歳以上は会費免除という会則は知っていましたが,まさかその適用年齢に達したとは。と自分の超高齢期に入ったことを実感した一日でした。私の老人会でも入会者(60歳以上)は減少傾向にあり免除会員の割合が増えていっています。

あっ晴れ!もも太郎体操

老人会と言えば岡山市では,地域包括支援センターの支援の下「あっ晴れ!もも太郎体操」という体操が推奨され,希望するそれぞれの老人会で行われています。私の町内会でも有志の者が集まって月2回開いていて私も参加しています。体操そのものは舌を前後左右に動かして口腔内の筋肉を鍛えたり,足腰のバランスを取りながら屈伸させたりと,軽めの運動を約40分間ビデオ映像を観ながら行います。
その後近くの参加者の家に移動して茶話会を開きます。各自が自慢の手作り菓子(時には漬物など)や珍しいお菓子を持ち寄っておしゃべりに花を咲かせます。
現代版井戸端会議でしょうか。私にとってその時間は町内のゴシップを含めていろいろな情報を得る貴重な場になっています。特に町内の訃報を初めて聞く場合が増えました。昨今は町内全体に知らせることなく家族葬で葬儀を済ませることが多くなり,お付き合いが有った方でもずいぶん後から知ることが少なくありません。

真向法

健康保持の自己管理と言えば「真向法」が有ります。これは高退教が主催して行っている行事にかつて参加したことがあり,それ以来,我流のやり方ですが続けています。
真向法とはどんな宗教なのかと問われたこともありますが宗教とは全く関係なく,簡単な四つの動作からなる体操です。簡潔に説明すると,@赤ちゃん座りをして両足の裏を合わせて脚の外側を伸ばす。A背筋を伸ばした姿勢で座り両足を前に伸ばす。その時足首を鋭角に立てて前傾し脚の筋を伸ばす。B足首を鋭角に立て出来るだけ広く開脚し,その姿勢のまま身体を前に倒す。C座っている足を尻の幅だけ開き,尻をその間に入れてそのまま背面を床に着けるように倒す。
単純な動作ですが,これを毎晩寝る前の習慣にして約15分かけて行っています。効果のほどは良く分かりませんが,ほとんど肩こりが無くなり,腰痛に悩まされることが少なくなった実感があります。

喪中葉書

もう一つ年を感じたことを書きます。年末になると新年の賀状を遠慮しますという喪中を知らせる葉書が来ます。我々の年になると両親や兄姉が亡くなったという知らせが多くなります。その中に教え子から配偶者が亡くなったというものがあり驚きました。彼女はまだ60歳代のはずですから心からご愁傷さまと言う気持ちで喪中見舞いを出しました。寿命に順番はないとは言いますが痛烈に年を感じました。
とりとめもない便りになりましたが近況報告です。また近い内に温泉に入りながら美味しいものでも食べましょう。

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「あたらしい憲法のはなし」美作支部 赤座 匡

まもなく誕生日が来る。新しい憲法がその存在を主張した記念日である。日本国憲法は私よりキッチリ12年と6ヶ月遅れて生まれた。
あれからはや70年余,月日の経つのは早い。烏兎怱々である。
何かの資料で,1888年代末期,日本国民「天子様が絹布の法被を下さる」と喜んだが,天子様のプレゼントは上等の絹織物で作った法被ではなく,やたらと犠牲を強要する難しい法律だったのでがっかりした,と書いたものを読んだが,12歳半の私が出会ったのは法被ではなく,あたらしい憲法だった。
それを私が知ったのは,憲法が公布されて1年あまり後,敗戦からおよそ3年後,新制中学校に入学したての時,日本がやぶれて年が経っていた。
私たちは70ページほどの薄い冊子をもらった。教科書よりはすこしばかり上等な用紙で出来ていて,表紙には「あたらしい憲法のはなし」と印刷してあった。片隅に「文部省」と書いてあった。当時,戦争が終わったとはいえ,あらゆる物資が不足しインフレーションがすすみ,おおかたの日本国民がヤミで手に入れた食物と衣服,代用品やしょっちゅうおこる停電など,堪え難い状況を堪えて暮らしていた。
私には,この冊子の代金を支払った記憶がない。母にも父にも「代金を払うからゼニをおくれ」と言ったおぼえもない。?義務教育″の教科書が無償になるのはまだずっと後のことである。とするとこの冊子は国家が全国の子供に無償で配布したものだったのだろうか。
絶対主義的天皇制の反省にたって,国民主権・平和主義・基本的人権といった原則を明確にした憲法の解説書を全国の子供に無償で配布したということは,これからの日本の歩む道を子供たちに示そうという日本国政府の意気込みの表れだったのか,それとも何ものかに強要されて泣く泣く大金をはたいたのかのどちらかにちがいない,と思う。
ともあれ……!
冊子には,ノッケから「みなさん,あたらしい憲法ができました」と書いてあった。あまり難しい漢字がなく,やさしい言葉遣いで絵や図表,ポスター,標語もあって子供向けのものだったが,目次を見ると「民主主義とは」,「国際平和主義」,「主権在民主義」と国民学校ではあまりお目にかからなかった言葉が並んでいた。本を読むことは好きでも勉強が人一倍嫌いな私にとっては,いささか手強いものだった。
この冊子は教材として使われたのだろうか。回数は忘れたが,指名された生徒が朗読し,そのあと先生の解説があった(と記憶している)。
子供にも分かりやすいものとはいえ,「ニホンヨイクニ キヨイクニ セカイデヒトツノ カミノクニ」と10年近く叩き込まれ,少国民魂がなかなか消えない私は,一枚の絵が気になった。
大きな釜に飛行機や戦車,爆弾が投げ込まれ,その釜の下から戦闘機ではない客船か商船,ビルディング,電車などが出てくる絵だった。戦争が終わって3年も過ぎていたのに,軍国少年だった私には,世界に誇る強い戦闘機や無敵艦隊へのあこがれが頭の中のどこかにこびりついていた。陸軍演習場に隣接し,敗戦直前には近くに急造の飛行場が作られた…私も滑走路造成のための土運びに動員された…という所で育った私には,武器のない日本というものは簡単に受け入れられなかった。何しろ物心ついた時からいつも目の前に兵隊がいたし,我が家からほんの数十メートルの所に「軍道」というものがあって,益荒男の行軍を毎日のように見ていたのである。
天皇は国民の象徴…「ショウチョウ」とは何かよく分からなかったが…と書いてある。天皇は先にも書いたとおり「神」だった。何しろ,白い手袋も校長が「チンオモフニ……!」と唱え始めると子供たちは直立不動の姿勢をとらされ,たとえ寒風が吹きつける真冬でも,容赦なく出てくる鼻水をすすり上げることも許されない「チン」である。神のミスエで,その写真にむかう時も,腰を90度に折り曲げて最敬礼をしないと先生には叱られ,上級生からどやされた。先生が「?神様″は神様ではない」と解説したが特別な感慨もなく聞き流した。人間宣言のことは忘れてしまっていた。
平和主義だとか民主主義とか言われても……!
戦争中にも先生の話の中に「平和」という言葉はあったが,それには必ず「東洋の」というまくら言葉がついていた。
1945年の2学期のはじめだった。全国の少国民が校庭に集まって校長先生…余談だが,後日,校長先生という職名はない,とある学校の「校長先生」にたしなめられた…から「これからの日本は平和と民主主義の道を歩む」という(ような)主旨の話を聞いた。「平和」という言葉は知っていたが,はじめて聞く民主主義という手に掴むことも,食べることも出来ない面妖なものが全く理解できなかった。
基本的人権だって……!
子どものころ,近所のオジチャンやオバチャンとの話の中でも「権利」という言葉を使った記憶がない。権利というものを知らずに私たちは育った。
「あたらしい憲法のはなし」に基本的人権には自由権と請求権と参政権がある,と書いてあった。キホンテキジンケンというのはなんとなく分かるが,請求権は初めて聞く言葉だった。私たちは逮捕も裁判も警察が行うものと思い込んでいた。「あそこのオジチャンはヤミ商売をして巡査にくくられ(逮捕され)牢屋に入っとる」というようなことを話していたし,学校に行くのが権利だなどと考えたことはなかった。
参政権にしてもそうである。中学校ではクラスや生徒会の役員選挙が行われた…国民学校ではどうしていたか記憶がない…が,それと憲法の参政権は別のことだった。
婦人参政権……!
男女同権になったのでバアチャンもカアチャンもオバチャンもネエチャンも投票に行くことになった。
投票に行ったがよいが,当時は候補者の氏名をひらがなで書いたりしなかったので折角のポスターが読めず,「だれに投票した?」とトウチャンから聞かれたどこかのカアチャンが「誰がエエか分からんケン,アンタ(夫)の名前を書いといた,と答えたそうだ」と母が笑いながら話してくれた。村人全部が知人といえる小さな村のことである。開票作業にあたった村役場の職員も驚いたに違いない。噂話か事実かは分からないが,日本憲法がヨチヨチ歩きだったころには,そういうことがあったかもしれない。
それでもそのころ,世の中はたしかに変わりつつあった。
青年男女が公民館や農家の庭でフォークダンスに熱中し,農閑期には村人が鎮守様の境内に設けた舞台で地下芝居を楽しむようになった。楽しく踊っている最中にも容赦なく停電が起きたが,村のアンチャンやネエチャンはそれを想定していたらしく,あらかじめ用意していたアセチレンガスのランプの薄暗い光の中でダンスを楽しんでいたし,軍隊時代の思い出話や自慢ばかりしていた小父さんが意外な名優ぶりを発揮して村人を沸かせた。ともあれ,大人も子供も女性も男性も新しい時代を肌で感じ取り,平和の到来を歓迎していた。新しい憲法が人々の心の中に住みつき始めていた。
やがて朝鮮半島から一時帰休の米国兵が旧日本軍の演習場に来るようになると,那岐山や滝山の麓の原野の使用についての論争が燃え上がり,ついには「日本原演習場の外国軍使用に反対する6ヶ村村民6000人集会」を企画するまでに発展した。
いくつかの戸惑いや混乱はあったが,誕生したとき,総じて国民は憲法を歓迎していた。その憲法の周辺がキナ臭くなったのはいつのころからだろうか。
復刊された「あたらしい憲法のはなし」を読み返しながらフト思う。「この憲法は外国から押し付けられた」のではなく,日本国民が自らの意志で大切に守ろうとした筋道なのだと……

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憲法の新たな危機 総選挙との関わりで 岡山支部 安東 誠

はじめに

戦前・戦中,完全に洗脳されて軍国主義の時代を生きてきた者の一人にとって, 平和で個人の尊厳が保障され,明るい未来への展望が開かれた憲法は,かけがえのない「宝」です。
この平和・民主の憲法は,今年の5月で施行75年を迎えます。その間,幾度も改憲の危機に直面しましたが,護憲勢力の戦いによって守られてきました。しかし,戦後49回目の総選挙での,政権を中心とする支配勢力とその補完勢力の,野党共闘(護憲勢力の要),特に共産党に対するなりふりかまわぬファッショ的な攻撃の様相などから,新たな 改憲の動きを痛感します。
コロナ禍による国民的不安のもとで,困難の生じている野党共闘(護憲勢力の要)を強化し,市民連合との連携・連帯を広め強める事によって,未来への明るい展望を切り開くにはどうすれば良いのか。論議を深めなければならないのではないでしょうか。

1.野党共闘に対する異常な攻撃

政権党中心の支配勢力の野党共闘(護憲勢力の要)に対する謀略的な攻撃は,公示前から行われていました。当時の政権党幹事長・甘利利明氏は, NHK のインタビュー番組で次のように発言しています。「自由・民主主義の思想のもとに運営されている 政権と, 共産主義が初めて入ってくる政権のどちらを選ぶかの政権選択だ」(10月17日)
この発言は,他党派の綱領や政策・公約などを全く無視した虚構の「体制選択」を提起するもので,総選挙の理念をないがしろにする暴言です。また,公明党の代表・山口那津男氏は「日本共産党は,『天皇制は憲法違反で,廃止すべき』だと主張している」と街頭演説で攻撃しました。(10月14日)この発言は,有権者を前に政党の綱領を無視し, 根拠のないでたらめな宣伝(デマ宣伝)です。さらに,このような異常な攻撃にマスメディアが加担するという許されない事態です。
TBS「ひるおび」(9月10日) の常連出演者の弁護士が,次のような発言をしました。「共産党はまだ暴力革命を党の綱領として廃止していない。」これは妄言としか言いようのない発言で,弁護士としての知性すら疑わせるものではありませんか。国会で野党議員から「野党共闘を混乱させ,破壊する意図がある」と追及され, 市民からの批判も広がったので,番組と出演弁護士は謝罪せざるを得ませんでした。
公示後,マスメディアが与野党接戦を報じると,政権党は「情勢緊迫」という緊急指令(急告)を出しました。「一票一票の獲得に全力を!!」「全国各地で多くのわが党の候補者が当落を争う極めて緊迫した状況」と,総決起を訴える指令です。
なぜ緊急指令を出したのでしょうか。権力を失いかねないという危機感(体制的危機感)からだと考えます。この危機感は,平和・民主勢力(護憲勢力)の 総選挙戦略に怯えた結果です。
安保法制に対し,九条破壊を許さず,立憲主義の回復を共通の要求として画期的な戦いを進めました(資料1参照)。その一つの到達点が本格的な野党共闘です。戦後の平和・民主運動の歴史の中で初めてという本格的な野党共闘と市民連合の連帯の輝かしい成果である「共通政策」(資料7参照)を 掲げ,政権交代を要求する総選挙戦に臨みました。この戦略が,先に述べた,政権党の体制的危機感を生む要因になったわけです。
さて,緊急指令なるものの内容です。まず「『情勢緊迫一票一票の獲得に全力を!!」とし次のように基本戦略を示しています。「与野党一騎打ちの構図によって,かえってこの選挙が自由民主主義政権か共産主義が参加する政権かの体制選択選挙であることが有権者の目に鮮明となっています」これは,共産党に攻撃を集中することで,野党共闘を攻撃し分断しようとする謀略的な意図であることは明らかではないでしょうか。
以後,この基本戦略にもとづき,「野党共通政策」(資料7参照)を無視,「立憲共産党」だとか「野合」などと,反共・共闘分断のなりふりかまわぬ攻撃は,野党共闘への恐怖のあらわれです。
市民連合の中野晃一氏は,「与党や補完勢力からの事実とかけ離れたナチスまがい(資料4参照)の共産党攻撃が野党共闘を怖れたものであったことは明らかだ」と発言しています。
改憲勢力の尖兵と言われる維新の会は,代表・副代表・幹事長が先頭に立って市民と野党の共闘に対する「野合」攻撃を展開しました。札幌では宣伝カーが連日(野合)攻撃を連呼するなど,全国的に補完勢力ぶりを発揮しました。

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2. 関連する資料をもとに

九条の会は,2021年11月12日,「総選挙後の改憲問題の新たな局面を迎えて」(資料8)を発表しました。これら,上述の論考に関連する資料をもとに話を進めたいと思います。(編集者注 以下省略,資料のみ掲載します。)

【資料1】元最高裁判事濱田邦夫氏の安倍法制反対の「闘争宣言]

安保法制反対のたたかいを反知性主義のたたかいと性格づけて護憲勢力の中で重要な役割を果たしました。
「闘争宣言」
自由で平和な美しい日本を守ろう!抵抗勢力は知的なものに反発しこれを圧迫し,人の尊厳を冒す言動をし,また幻想を追って自らのそして世界の現実を冷静に見つめることを拒否する人々だ。第二次世界大戦終戦後70年で,日本が築き上げてきた自由で豊かな社会,ユニークな国際的信用を大きく傷つけてはならない。この抵抗勢力がたどっている戦前の暗黒の日本への逆コースを阻止しよう!そのため言論の自由,学問の自由そして憲法と法の支配 をあくまでも守るために,みんなで立ち上がろう!(2015年10月2日)弁護士濱田邦夫

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【資料2】インターネット上での誹謗や中傷にたいする濱田邦夫弁護士のコメント

公聴会での私の発言に対してもインターネット上で,「極左」「無国籍者」という誹謗中傷が行われました。私が「極左」になると,私より「左」だった人はどこに行ってしまったのか。「無国籍者」という非難は,つきつめれば,国を愛するなら安倍政権を支持しなさい,そうでないと日本人ではないという考えです。戦前の「あいつは『赤』だ」「あいつは『非国民』だ」という言い方と同じです。

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【資料3】 反知性主義の典型例

憲法前文国権縛らない 大阪維新参議院 立憲主義理解せず
大阪維新の会の江口克彦議員は14日の参院予算委員会で,現行憲法に対して「何を言っているのかわからない」などと批判し,一刻も早く明文改憲をと要求しました。
江口氏は,現行憲法について「日本語の使い方からしても欠陥憲法」だと断言。「第9条も何を言っているのか分からない。日本は自衛権を認めており,支離滅裂である」「醜悪な文章・信じられないほどの理想的,非現実的,夢想的な言葉は多くの国民がとまどう」などとなじりました。
さらに「憲法は国権をしばるもの」という言葉もよく言われるが,根拠のあるものではなく,言わばことわざの類。この前文は国民の誓いの言葉であり,国権をしばる内容ではない」と述べ,立憲主義を全く理解しない姿をさらしました。( 2016. 3.16 )

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【資料4】 ドイツルター派教会牧師ニーメラーの警告 「私は共産主義者でなかったから」


「ナチスが最初に共産主義を攻撃した時, 私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったからである。社会民主主義者が牢獄に入れられた時,私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃した時,私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして,彼らが私を攻撃した時,私のために声をあげるものは,誰一人残っていなかった」

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【資料 5】「憲法を守る政治に 引き戻せ 」 元文部科学省 事務次官 前川喜平氏】

――総選挙では自民党,公明党が「体制選択選挙だ」とか,「立憲共産党」などと野党共闘を攻撃しました

野党共闘に対するネガティブキャンペーンはひどかった。日本人の底流に,まだ残滓としてあるような反共主義とか共産党アレルギーのようなものを呼び起こすやり方です。偏見に寄りかかる,「嫌中」や「嫌韓」と同じ匂いがします。 連合の芳野友子会長が「共産の閣外協力はあり得ない」と発言したのも利敵行為にあたります。
日本共産党の活動を見ていれば,議会政党であることは誰でも分かります。一党独裁をつくるなんて考えられない話です。旧ソ連や中国の共産党と一緒くたにするという悪質なイメージ戦略と言えます。(中略)
日本共産党が本気で政権交代をさせようという気持ちになったのは大きな変化です。共産党との連合政権を嫌がる人たちは野党にもいるのですが,それでは駄目です。共産党は,耐え難きを耐え忍び難きを忍んで,共闘体制を作っています。共産党に対する色眼鏡を外しましょうよ。そして立憲野党は協力し,政権交代を果たして欲しい。

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【資料6】メディアの野党共闘攻撃


1「毎日」コラム「風知草」山田孝男特別編集委員
日本共産党綱領は「現実離れも,私から見れば度を超している。」「政権参加をねらうのなら, 現綱領の絶対視は改めるべき」だ。(12月6日)
2.「政策軽視の共闘が惨敗招いた」読売社説(11月3日)
3.「衆院選でお灸を据えられたのは,与党ではなく,共闘した野党だったのかもしれない」朝日「天声人語」 (11月13日)
◆「赤旗」日曜版の取材に,自民党本部関係者は「野党共闘の脅威」を表立って口にしないことについて,「そりゃそうでしょう。『野党共闘が効果があった』とか『恐ろしかった』とか公に言うと,野党『それなら野党共闘どんどんやろう』ということになりかねない。だからメディアが『野党共闘が効果なかった』『失敗した』 とキャンペーンを張っていることに,私達は感謝していますよ」と語っています。(『しんぶん赤旗日曜版』11月28日号)

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【資料7】野党共通政策
衆議院総選挙における野党共通政策の提言
--命を守るために政治の転換を--

新型コロナウイルスの感染の急拡大の中で,自公政権の統治能力の喪失は明らかとなっている。政策の破綻は,安倍,菅政権の9年間で,情報を隠蔽し,理性的な対話を拒絶してきたことの帰結である。この秋に行われる衆議院総選挙で野党協力を広げ,自公政権を倒し,新しい政治を実現することは, 日本の世の中に道理と正義を回復するとともに,市民の命を守るために不可欠である。
市民連合は,野党各党に次の諸政策を共有して戦い,下記の政策を実行する政権の実現をめざすことを求める。
1 憲法に基づく政治の回復
安保法制,特定秘密保護法,共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し,コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。
平和憲法の精神に基づき,総合的な安全保障の手段を追求し,アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う。
核兵器禁止条約の批准をめざし,まずは締約国会議へのオブザーバ一参加に向け努力する。
地元合意もなく,環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する。
2 科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
従来の医療費削減政策を転換し, 医療・公衆衛生の整備を迅速に進める。
医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーの待遇改善を急ぐ。
コロナ禍による倒産,失業などの打撃を受けた人や企業を救うため,万全の財政支援を行う。
3 格差と貧困を是正する
最低賃金の引き上げや非正規雇用。フリーランスの処遇改善により,ワーキングプアをなくす 。誰もが人間らしい生活を送れるよう,住宅,教育,医療,保育,介護について公的支援を拡充し,子育て世代や若者への社会的投資の充実を図る。
所得,法人,資産の税制,および社会保険料負担を見直し,消費税減税を行い,富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し,また低所得層や中間層への再分配を強化する。
4 地球環境を守るエネルギ一転換と地域分散型経済システムへの移行
再生可能工ネルギーの拡充により,石炭火力から脱却し, 原発のない脱炭素社会を追求する。エネルギ一転換を軸としたイノベーションと地域における新たな産業を育成する。
自然災害から命とくらしを守る政治の実現。
農林水産業への支援を強め,食料安全保障を確保する。
5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
ジェンダー,人種,年齢,障がいなどによる差別を許さないために選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立させるとともに,女性に対する性暴力根絶に向けた法整備を進める。
ジェンダー平等をめざす視点から家族制度,雇用制度などに関する法律を見直すとともに,保育,教育,介護などの対人サービスへの公的支援を拡充する。
政治をはじめとした意思決定の場における女性の過少代表を解消するため, 議員間男女同数化 (パリテ)を推進する。
6 権力の私物化を許さず,公平で透明な行政を実現する
森友・加計問題,桜を見る会疑惑など,安倍,菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について,真相究明を行う。
日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。
内閣人事局のあり方を見直し,公正な公務員人事を確立する。 2021年9月8日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
上記政策を共有し,その実現に全力を尽くします。

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【資料8】九条の会声明

総選挙後の改憲問題の新たな局面を迎えて   2021.11.12 九条の会
10月31日に衆議院議員選挙が行われ,自民党は議席を減らしたものの単独過半数を維持し自公政権の存続が決まりました。維新の会の大幅議席増により自公と維新を合わせた改憲勢力は334議席となり,衆議院の3分の2を超える議席を獲得した結果,改憲問題は,新たな局面を迎えました。
岸田文雄首相は,自民党総裁選の最中から「任期中の改憲実行」,「敵基地攻撃能力」保有の検討を繰り返し表明しました。それを受けて総選挙に向けての自民党公約も,「敵基地攻撃能力」保有,防衛力の大幅強化と並んで,「早期の憲法改正」の実現を明記していましたが,総選挙の結果を踏まえて,岸田政権は,安倍政権以来の改憲策動の強化に踏み切る構えです。
岸田政権がまず手をつけようとしているのは,安倍・菅政権が推進した9条破壊の加速化です。対中国の軍事同盟強化を目指した「国家安全保障戦略」と「防衛計画の大綱」の改定を来年末までに強行し,中国を念頭においた「敵基地攻撃能力」の保有,日米共同演習の強化,そして辺野古基地建設強行などを推し進めようとしています。
同時に,岸田自民党は,憲法9条明文の改憲にも踏み込むべく,臨時国会における憲法審査会での改憲案討議入りを狙っています。維新の会松井一郎代表の「来年参院選と同日に改憲国民投票を」という発言や国民民主党との憲法審査会毎週開催合意は,こうした自民党の明文改憲への策動を応援するものです。
しかし,日米軍事同盟強化と改憲という途は,米中の軍事対決・挑発を激化させ,日本と東北アジアの平和の実現に寄与するどころか,それを遠ざけるものです。明文改憲,9条破壊の策動を阻止しなければなりません。
9条の会をはじめとした市民の草の根からの運動は,自民党などによる改憲の企図を阻み続けてきました。とりわけ,安倍政権の下,衆参両院で改憲勢力が3分の2を占めて以降も,市民と野党の共闘の頑張り,幾次にもわたる全国統一署名運動,それに鼓舞された立憲野党の奮闘により憲法審査会での改憲案審議を行わせず,19年参院選では改憲勢力3分の2を打ち破って安倍改憲を挫折に追い込みました。来年の参院選に向けた新たな改憲の動きに待ったをかけるのも,この市民と野党の共闘の力以外にはありません。
この力に確信を持って,市民の皆さんが,改憲と9条破壊の阻止のため,決意を新たに立ち上がられることを訴えます。

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連載 憲法と共に歩む人生

岡山高教組専従役員時代―その3―  岡山支部 小林 軍治

第32回定期大会(1976年5月)―歴史的な大会となった―

妹尾先生の現場復帰に伴い,竹内・三木の両先生が入局した。高垣先生が書記長に,私が書記次長になった。専従役員が5人から6人に増えた。
今大会は,大会スローガンの第一に,「教育荒廃を克服し,憲法・教育基本法に基づく民主主義教育を実現しよう」を掲げた初めての大会となった。第3号議案では,「岡山高教組民主(同和)教育基本方針に関する件」も提案された。
佐藤委員長の「教育荒廃を克服するために力を合わせて取り組もう!」の挨拶で始まった。大会直前に,前述の「備前高校入学辞退勧奨事件」が明らかになっただけに,この問題をめぐって活発な論議が交わされた。
第一は,教育荒廃克服の課題として
第二は,県解連との共闘のあり方について
第一については,定時制や職業高校及び一部の普通科高校から「6ワル3が分からない」「ABCは書けてもDは書けない」など,低学力の深刻な実態や暴力事件・喫煙などの非行問題が出され,指導に苦労しているとの発言があった。
これに対して,岡山養護分会から,「障害児は,生きるために教育が必要だ。適切な教育を行うことによって,どんな子供も必ず発達する。要は一人一人の子どもをしっかり見つめ,この子を発達させるためにはどんな教育が必要かを全教職員でつかみ,実践することだ。障害のある子供も発達する。まして県立高校に入学できる生徒に教育できないはずがない。我々は教育の専門家である」との厳しい意見が出された。
笠商分会からは,学年団を中心とした教師集団の一致した指導で暴力や喫煙を失くした,次のような報告があった。
校内の喫煙に学年団として取り組み,少なくとも校内では絶滅できた。担任教師で校内巡視をするとともに,全生徒に訴えとアンケートを実施し,教師の断固とした態度を示すとともに,圧倒的多数の生徒の良心に訴えかけ,生徒の世論を作り上げた。その後,暴力事件が多発したが,同じような取り組みでこれもなくすことができている。生徒も,「楽しい学校づくりが大切だ。暴力を振るう人たちもそうした中では暴力の必要がなくなるのでは」という意見を出している。この学年団のリーダーが八木原先生であった。先生はこの実践の内容を6月の第45回日高教大会で,「民主的な主任の下での教育実践」として紹介している。さらに1977年1月の全国教研(埼玉)の「職場の民主化」分科会で,「学年集団づくりをどう進めたか」と題して報告を行っている。
岡山養護分会並びに笠商分会の取り組みは,多くの代議員に,取り組みの方向を示唆するものとして感銘を与えた。
第二については,備前分会より,「この事件で県解連と高教組の対等・平等の共闘が成り立ったことは,東岡工事件当時より大きな前進である」との発言があった。詳細は前項で述べているので省略する。
「教育を語る会」に関しては,邑久分会から,「備前・邑久学区復元の闘いで,父母の力が運動の場を広げている。教育を語る会を地道に積み上げ,地域に教育問題についての理解と力をつけることが重要だ 」との指摘があった。
児島分会からは,高校生の自主活動について,「校内の自主活動を保障する意味からも『高校生集会』の意義は大きい。他校生徒との交流の中で,改めて自分の学校を見直すだけでなく,会議の仕方や集団遊びの仕方を覚えるなど,自主活動を育てていくための技術を習得することもできる。高教組としてももっと支援すべきである」という「高教組への要望」が出された。この高校生集会については1977年1月の全国教研(埼玉)で,「生活指導と学校行事・クラブ活動」分科会で報告されている。報告者は岡山高生研に所属する茂見・萱・清水・田中の各先生である。(続く)

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連載 私のピアノものがたり(2)備南支部 鴨川恵美子

「われら苫高」

ある日,校長が私に折り入っての頼みだと,これに曲をつけてくれないかと,地元奥津温泉の老舗「河鹿園」の当主吉永大祐さん作詞の「われら苫高」の3番までを書いた紙を渡されました。曲作りなど勉強したこともありませんでしたが,校長の言われることは,受けざるを得ず,何となく口ずさむうちに出来上がったのが,「われら苫高」でした。採譜しようにも楽器はなく,校長に「県立高校なのに,ピアノがないの?」と訴えました。募金活動を提唱してピアノを購入,その後は,「ピアノのおひろ目会」をしなければならず,新米教師は天手古舞でした。津山から楽団を招いたり,私は,三年生の水田和稔さんの「モーツアルトの子守歌」の独唱のピアノ伴奏をしました。会場のステージで弾いたこともなく,指先が震えて,間違ってばかりだったことをよく覚えています。母は,小学生の二人の妹を連れてこの「ピアノのおひろ目会」にも来てくれました。
水田さんは,この独唱が縁となったのだろうか,苫高卒業後,奥津町役場に勤め,地元の民謡などを作られた由。後年,新聞のお悔やみ欄に70歳での訃報,夫人も苫高の卒業生で,お供えを送ったところ,「今年はお餅を買いんちゃんなよ」と,お餅や野菜が詰まった大きな箱が送られてきました。夫人は婦人会のリーダーとして活躍されていることでしょう。
県南育ちの私には,県北の寒さはとても厳しく,住居として用意くださった炊事場の隣の八畳の間には,ふろ上がりに吊るしたタオルが見る見るうちに凍りついて驚きました。ピアノを練習するには指がかじかんだのですが,「われら苫高」の校歌,男子寮「ふるさと担いて」女子寮「春待つ乙女ら」など,水田さんとは文通で意見を交わし,ピアノが役立ちました。初めての卒業式には,近くの中学校からリヤカーでオルガンを借りてきたのも,このピアノで解消されたのです。「苫田ダム」建設問題は,まだ話題にもなっていませんでした。

二人の結婚

出会いから二年半後,結婚。会費制,実行委員会形式,会費は一人300円,私たちは二人600円を負担しただけ,身内からの参加はなく,仲間に祝ってもらった私たちの門出でした。挨拶状は手書き,ガリ版刷り,署名は二人別々の住所と名前。現在政治課題の一つになっている「選択的夫婦別姓」など,二人で話し合ったこともないごく自然な成り行きの署名だったようです。北と南に離れての八カ月の別居生活は,私の倉敷商業高校への転勤で解消しました。
俊作の母は,私たちとの同居生活を味わうこともなく亡くなっていました。俊作が土間の片隅で号泣していた姿は,私の見た生涯ただ一度の場面で,鮮明に焼き付いています。こじれていた私の母とは,ある年末,私のお手製のお節料理を届けたことをきっかけに,程なく和解。身を粉にして働きづめに働いて,76歳で亡くなりましたが,「私は子どもを食べさせて大きくはしたが,人間を育てることはできなかった」としみじみ述懐し,「あんたらが,一番しあわせかもしれんなあ」と,私たち二人の生活をよく理解してくれました。
新しい職場の倉商は,学校の規模も大きく,校務分掌も整い,商業科は多忙のようでしたが,普通科は余裕がありました。勤務後は帰りに,今度の貸しピアノは一時間いくらのチケット制だったので,その家に寄り,練習していました。夫の帰りは遅いので,何食わぬ顔をして帰宅していました。

念願のピアノ購入

その頃,ヤマハ楽器がピアノの「予約制月賦販売」をするとの情報を得て,早速申し込みました。月額4千円,40回払いでした。私の初任給は1万円を少し切っていて,月額4千円はきつい出費でしたが,念願のピアノを自分の力で手にするのだと,三年余り払い続けました。同居後も二人の財布は別々でしたが,いつの間にか私がわが家の大蔵省になっていたのもよかったのです。念願かなって一台のマホガニー,えんじ色のアップライトピアノがわが家に収まった時の興奮は,今は思い出せません。だんだん仕事が忙しくなり,練習ができなくなり,ピアノどころではなかったのでしょう。
玉島高校へ転勤
7年間の倉商勤務の後,玉島高校へ転勤。校長もあの植田重先生が同時着任。「あなたは,演劇部顧問です」と。倉女時代に2年次の担任で,文学青年の植田先生が演劇部顧問,ぞろぞろと演劇部へ入部していたことを覚えておられたのでしょう。以後,退職まで29年間,学校は変わっても演劇部顧問として,あり続けました。校内の文化祭,地区の大会,年一回は福山市の「近県演劇コンクール」にも出場,劇中歌を作ったこともありました。玉島高校は,民主的で,私の教員として「教育開眼」の時期でした。職員室での隣の席は,音楽担当の浅原茂子先生。十歳年上,数少ない女性教員の同僚として一番気の合う方でした。現在の教育現場では考えられないことですが,授業時間の二人の空き時間を合わせて,こっそりと音楽準備室へ行き,ピアノの基礎を教えていただきました。今でも,ピアノの練習で肩が凝らないのは,先生が両腕をゆすって教え込んでくださった,「力を抜くこと」を体得できたおかげだと思っています。

倉敷青陵高校へ

1980年,玉島高校での16年の勤務を経て,私には母校である倉敷青陵高校へ転任,ピアノの指導者探しに骨が折れました。その内の一人,現姓Mさん,我が家へレッスンに来て,テキパキと指導してくれました。高校時代の同級生で手広く縁談の世話をする友人がいて,私にも紹介を頼まれました。
「ちょっと背が高くないのだけれど,誰かいい人はいないかしら」と。そのピアノの先生に話を持ちかけました。彼女は一言,「私は,父が背が低かったので,背の高さは問題ありません」と。ハードルを一つ越えたのです。見合い写真は私が撮りました。その後トントン拍子に話は進み,結婚式にも招待されました。私は貴重なピアノの先生を失ってしまいました。今では,息子さんが岡山で,三代続くM建設事務所を経営され,私も退職後,我が家建築の折り,いろいろと助言をいただきました。
1985年,過疎化で生徒数が減少,県中北部高校の再編成が行われました。その一つ,津山東高校苫田分校が閉校になりました。私の初任校です。閉校式後,閉校記念誌と懇切な手紙が,副校長,加藤廣先生から届いたのです。「……作曲された校歌は,分校となっても歌い継がれ,今回の閉校式にも声高く歌われ,参列者に深い感銘を与えました。……昨秋,修学旅行で富士山に登りましたが,下界の雲海に向かって思い出が鮮やかです」と。(続く)

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連載 出会いとスケッチの旅 イタリア編(1) 備西支部 水間 正雄

ローマ トレビの泉

ローマと言えばトレビの泉なので,当然のようにスケッチしたが,記憶に残っているのは,ムッソリーニ政権下のファシスト建築の町フォロ・イタリコを見に行った時のことだ。
その帰りに,道を尋ねた人が中学の教員で,学校へ帰るというので,私は教室までついて行った。生徒たちは日本人の私が珍しいのか飴や駄菓子をポケットから差し出して歓迎してくれた。その後「バレーボール大会があるので」と誘われ,貸切バスで会場に行きゲームを観戦した。
バレーボールの強い日本の体育の教員ということでゲームの感想や作戦を尋ねられたりした。何も答えることはできなかったのだが,ゲームは3つ勝ち進んで優勝。帰りのバスはおかげで歌も弾んで盛り上がった。
その後,その先生がトレーナーをしている終着駅の近くのYMCAスポーツ教室に誘われて,筋力トレーニングをしたが,そこで会った40歳過ぎの男性が10歳も若い現役選手の私より力が強くて驚いたし,美人の娘さんと組んで柔軟体操したときにはドキドキが止まらなかった。

とんがり帽子の町アルベロベッロのレストラン

とんがり帽子屋根の町アルベロベッロは飛騨の高山との都市縁組姉妹都市ということもあってか,日本人である私には愛想が良かった。
とんがり帽子のレストランをスケッチしていると,オーナーが見に来て「終わったら入っておいで」と言われた。
仕上がりが遅れて,レストランに行けたのは,ランチタイム後の閉店時間帯だった。ドアを開けると,遅いランチを食べている従業員の姿が見えた。オーナーにスケッチを見せると,オーナーはケーキとコーヒーを出すように言ってくれた。倹約ばかりを考える貧乏旅を続けているせいか,そのとき,「もう少し早かったらランチを出してくれたかな」と図々しい考えが頭をよぎった。


ミラノの大聖堂  

 ミラノと言えば,大聖堂と「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会なのだが,私の記憶の中では,別の思い出がほろ苦い。
「最後の晩餐見学」の帰りに寄ったレストランで,留学中の日本人学生と同席になった。
話が弾んで,彼の食事代を私が払い,その代わりに彼のところに泊めてもらうことになったのだが,その彼の部屋でもしこたま飲んで,その次の朝に言われたのが,「あなたのイビキで全く眠れなかった!」
そういえば「人の3倍食べて5倍飲む」と豪語していた頃の私なので,彼の5倍は飲んだはずで「イビキのヒビキ」も凄かったに違いない。何とも恥ずかしい思い出である。

ヴェローナの古代円形劇場

 ヴェローナの古代円形劇場にオペラの鑑賞に行った。この時は,次女と,この旅で知り合った愛称でルッタンと呼ばれる若い女性と一緒だった。
その夜の出し物はアイーダで,中央の板床の椅子席にはワインコーナーもあり,正装の男女でいっぱいだった。石段観客席の私たちはギュウギュウ詰め。
ライトが消されて真っ暗闇になり,各自に渡された蝋燭を灯すと,光の渦となる。そしてシンボルの壁面がライトアップされると前奏曲が始まる。
アイーダの凱旋行進曲は有名だが,三人ともにストーリーを知らないし歌詞も理解できない。しかし,戦いに敗れてエチオピアから連行される捕虜や奪った宝物の行列,男女のダンスやパフォーマンスは華麗で見事だった。
終演後,「ハッピーエンドの終りにしては,あまりにも物悲しいデュエットやアリアが続いたのは何故だろう」と感想を話し合った。
翌朝,駅で日本から見に来たという母娘にストーリーを尋ねると,逆に「物語を知らずに感じた物語が聞きたい」と言われた。(続く)

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「高退教岡山」前号(第167号)の感想  備西支部 武田芳紀

前号は,特に興味深い記事が多く,丁寧に読ませてもらいました。
特に,次の2つの記事が印象深いです。鴨川恵美子「私のピアノ物語」鴨川氏は私の高校時代の恩師です。その恩師のピアノとのかかわりを通しての人格形成,内面の歩みをたどることができた(今後もできる!)のは楽しみです。私は,鴨川先生から「長編小説を読め」というメッセージを受け取り……確か,学校新聞に,「ジャン・クリストフ」「チボー家の人々」などを例としてあげておられていて,大学生になった後,前者を4年間かけて読んだ覚えがあります。他にも授業での思い出もいろいろあるのですが,そのメッセージは私には今も大切な財産になっています。
小林軍治「憲法とともに歩む人生」前々号から始まった連載を興味深く読んでいます。というのは,私が高校の教師となり,岡山高教組に加入し,いわゆる「活動家」となる前の高教組(それはとりもなおさず日高教)の方針が,どのように形成されてきていたのかを知れることによります。特に日高教の秋田大会で大きく路線が見直され,広く国民に支持される教職員組合運動(私風に要約すれば)の方針が確立され,私が組合に加入したころ,しきりに保護者や地域の方々をまきこんでの「教育を語る会」が開催され,若い私は,そこで保護者の教育に寄せる思いを深く知ることができたように思うのです。さらに,前号の「備前高校入学辞退勧奨事件」問題は,小林氏が本部の常執として,運営にも携わられた岡山高教組の大会での全員協議会(名称は不正確)に参加し,先輩教師の方々の熱心な討論を感激しながら聞いていました。そして,「よし,この会にはこれからも毎年絶対に参加するぞ!」と心に誓ったのを覚えています。それは私が岡山高教組への深い信頼を培った瞬間でもありました!

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編集後記

*目下,世界の最大の関心は,ロシア・プーチン政権によるウクライナ軍事侵略と野蛮なジェノサイドの強行に向けられています。歴史を何十年も,いや百年以上も後戻りさせるこの暴挙に対して,何としても国際世論の包囲によってその手を縛ることが切に望まれる今,タイムリーに「ロシアのウクライナ侵攻と核共有の危険性」(犬飼繁さん),「『玉島の怒れる市民の会』が,駅頭抗議行動」(武田芳紀さん)の記事を寄せていただきました。あわせて「灘崎九条の会」によるスタンディングアピール行動の報告を山本が書き,「#ウクライナに平和を」特集としました。
*コロナ禍のもと,各種恒例行事も開催困難な状況が続き,正直なところ「会報」編集に苦慮する現状があります。今号では,「年一度だけの高退教・健康体操の報告」(難波欽子さん)のみが,本来の高退教らしい行事の記事となりました。が,コロナの初年,いみじくも萱会長が,「禍転じて福と“なる”」と指摘されたとおり,会員の皆さんから近況報告やさまざまの話題提供をお寄せいただくことで,「会報」の内容が豊かになり,より親しみがわくという「好循環」が生まれていることは,望外の喜びです。今号に向けても,支部幹事さんの求めに応じて,快く珠玉の原稿をお寄せ下さった井上進夫さん(「A君へのたより」),赤座匡さん(「あたらしい憲法の話」),大変ありがとうございました。今後とも,会員の皆様のさらなるご協力をお願いします。
*改憲策動が新段階を迎える中,知的刺激に満ちた憲法関連記事を多彩に寄せていただいたことも,今号の特徴と言えます。前述の「あたらしい憲法のはなし」(赤座匡さん),に加えて,「憲法の新たな危機 総選挙との関わりで 」(安東誠さん),連載「憲法と共に歩む人生」(小林軍治さん)が揃い,第二特集とも言える充実を得ることができました。
*好評をいただいている「私のピアノものがたり(2)」(鴨川恵美子さん),「出会いとスケッチの旅 イタリア編(1)」(水間正雄さん),そして前述の「憲法と共に歩む人生」(小林軍治さん)の「連載三部作」を今回もお届けすることができました。いずれも,さらに次号に続きます。ご期待下さい。
*武田芳紀さんが,ウクライナ関連記事のほかに,「『高退教岡山』前号(第167号)の感想」を投稿して下さいました。編集係にとっては,大変励みになります。ありがとうございました。どうか,さらに多くの会員・読者の皆様が,忌憚のないご意見,ご感想,ご要望をお気軽にお寄せくださいますように。
*本号編集にあたっては,執筆者の皆さんをはじめ,入力作業及び入念な校正にご協力いただいた編集委員の清水義親さん・岡田憲朗さんと藤原斌事務局長に,改めて感謝申し上げます。
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