本文へスキップ

退職後も輝いて!岡山県高校・障害児学校退職教職員の会

会報report

 

岡山高退教会報バックナンバー(ダイジェスト)


165 2021年8月(抄)

 今や、第3次・・・-新しい平和論が必要?-
 会長 萱 栄次

私は今まで、戦争とは「人と人」との争いだと考えていました。ところが、現在は、この解釈に修正・追加が必要ではないかと考えています。

最近のコロナ禍を見ていると、まるで「人とコロナ」の戦争です。世界中すべての国々が巻き込まれ、死者420万人を超え、感染被害者は、2億人以上となっています。第3次世界対戦といっても決して過言ではありません。
ここ30年間で、今までなかった感染症が30種類も発生しているとのこと。 その原因が動物に由来するものの多くは、人間による森林の無制限な伐採によるものだと言われています。
自然環境を守ることが、私たちの生命を守り、今後、コロナなどの新しい感染症との戦争を終結させることになるのです。
そうです。今や私たちは「平和」の概念を変えなくてはなりません。今までは「平和」とは「人と人」との争いをなくする「人と人との共存」と理解していました。これからは「人と自然との共存」を追加して考えることが必要ではないかと思われます。

目次へ

第31回全退教総会(2021.6/3・4)
初のリモート開催

6月3日・4日の2日間、第31回「全退教(全日本退職教職員連絡協議会)」総会が、初めての試みとしてZOOMで開催されました。
岡山高退教としては、高教組会議室をお借りし、また、パソコンやプロジェクターなどの機材も利用させていただく事で、不慣れなZOOM総会に参加することができました。
初日は、萱栄次会長、小川澄雄事務局次長、山本和弘事務局次長が参加、二日目は、さらに、小林軍治副会長、藤原斌事務局長もくわえて5名が参加しました。 
2日目に行われた討論で、岡山は萱会長が2番目の発言者として登場、概要次のような発言を行い、全国の参加者の共感を呼びました。

目次へ

ZOOM総会での萱栄次会長の発言(要旨)
禍転じて福と「なる」-会員との繋がりを大切にした会報の発行


会議二日目に行われた討論での、岡山高退教萱栄次会長の発言要旨をご紹介します。
【発言要旨】
・コロナ禍の中で、県や支部での総会や諸行事ができないので、会報の記事がない状況で各支部の会員の方々の原稿協力で発行が実現できました。
・大会議案への賛否を問う返信はがきの中で、近況報告を受けた方77人分。 その他各支部の方々からの寄稿27人分。計114名の声を 年4回の会報で届けました。
・今年の会報はお互いの様子が分かり読みやすいとの声が相次ぎ、いつも以上に好評でした。
・「禍を転じて福と為す」という言葉がありますが、期せずして「福となった」と言うべきかも知れませんが、コロナ禍の中での「わざわいを福に変えた」報告です。

目次へ


解題 「岡山水道記念館」について
備西支部 武田芳紀


この建物は岡山市の水道記念館です。場所は岡山市三埜(みの)の浄水場(と同じ場所)にあります。ここはまた、岡山市の水道局とも呼ばれて、岡山市の水道を管理している施設が広大な敷地に散在しています。記念館の建物はその中央に位置しています。
ところで、岡山市の水道局は、岡山理科大のすぐ近くにあります(半田山植物園とも近くです)。実は、岡山市の水道局では、毎年夏になると、施設を開放して、大きな科学イベントが開催され、親子連れをはじめ、たくさんの人が集まります。
そして私の勤務している岡山理科大学の「科学ボランティアセンター」の学生スタッフ会がそのイベントに協力して、いろんなブースを出しています。残念ながら、今年(2020年)はコロナ禍の影響でそのイベントも中止になりました。ただ、そのスタッフ会のOGから、今年の7月23日より、水道記念館が改修となり、中に入ることができなくなると言うニュースを聞きました。記念館は岡山市の水道施設の歴史や概要の展示、また水に関するいろいろな実験装置もあり、親子で楽しめるような工夫もされています。(岡山市に水道が敷かれたのは、横浜、函館などに次いで全国で8番目だそうで、当時岡山市にコレラが流行ったことがきっかけとなったことも展示から知りました)
でも何よりも、その外観が素晴らししいのです。
そこで今回、記念館の改修工事で立ち入りができなくなる前にスケッチに行くことにしました。ちょうど、梅雨の雨の切れ目の時で、でもとても暑かった日に出かけていって描きました!途中、頭がボーッとして熱中症のような感じになりながらも何とか書き上げることができました。しばらくこの施設に入ることができないのは残念ですが、このスケッチで素晴らしい外観を楽しんでいただき、やがて改修が終わった後にまた出かけられることをおすすめします!
※この文章は昨年書いたものです。なお記念館の改修は来年(2022年)に終了し、その後公開されるとのことです。

 ・・・・・・・・・・・・
 前号で紹介した「子供の詩(うた)」という作品の作家名ですが、金盛秀は誤りで、正しくは「金盛秀禎(ヒデヨシ)」でした。かつて、岡山県の高校の美術教師もされていたそうです。記してお詫びします。
                          武田芳紀



目次へ


「灘崎九条の会」が憲法学習会
岡山支部 山本 和弘


岡山市南区の旧灘崎町在住の有志で作る「灘崎九条の会」は、毎月9日に、スタンディングアピールなどを中心に「9の日行動」を実施していますが、長崎被爆76年に当たる今年の8月9日、「西七区集会場」で、憲法をテーマとした学習会を行いました。
学習会に先立って、世話役の土佐九二男さんのギター伴奏で、うたごえを楽しみました。曲目は「青い空は」、「あの日の授業~新しい憲法のはなし~」など、よく知られた作品に加えて、世に出たばかりの新曲「旅の道標(みちしるべ)」を合唱。これは、同「9条の会」のメンバーの一人である本田ゆみこさんが最近出版された「読む絵本 旅の道標」に収められた作品で、本田さんの原詩・原曲を音楽家の八木たかしさんが補作したもの。「読む絵本 旅の道標」は、本田さんの詩と、お嬢さんの史さんが描く淡く美しいイラストの数々が優しいハーモニーを奏でる珠玉の詩画集です。



メインの学習会は、地元在住の高退教会員安東誠さんを講師に、「自己責任論と憲法」というテーマで、学習と意見交換を行いました。「新自由主義のキーワード」としての「自己責任論」は「国家による洗脳」の現代版、との指摘は鋭く胸に響き、この論考は、私にとって、子ども・教師・父母たちの苦痛の根源を解き明かす上で、目からウロコでした。
講師の安東さんの了承を得て、講義レジュメを掲載させていただくことにしました。(今号では一部を掲載し、つづきは次号で紹介させていただきます。)

目次へ

自己責任論と憲法(灘崎九条の会学習会レジュメ)
岡山支部 安東 誠


はじめに
国家権力が全国民を巻き込む謀略的な政策を強行しようとするとき 最も有効な手段の一つは国家による洗脳だと思います。
無謀な侵略戦争は 治安維持法(死刑法)の下で皇国史観・大東亜共栄圏論をもとにすべての国民を洗脳(マインドコントロール)することによって遂行されたことは歴史が証明しています。
この国民的洗脳を徹底するために、国家権力が手をつけるのが教育です。 教育勅語を根幹に据えた小学1年生からの軍国主義教育がそれでした。私たち小国民はこの恐ろしい歴史的事実を決して忘れることはできません。そういう立場から、自己責任論の始まりからコロナ禍の深刻化した現在までの事態の経過を見る時、新自由主義の キーワードとしての自己責任論は、「国家による洗脳」の現代版だと考えます。
1自己責任論を教育分野の基本に
日本における新自由主義は1980年代に始まりました。新自由主義の特徴は 簡単に言えば経済のグローバル化、規制緩和、自由選択、受益者負担などによって国家の責任を縮小し、市場原理に任せて失敗も成功も最終的には個人に責任を負わせるところにあります。 この個人の責任の正当性を広範な国民に浸透させることが政策の不可欠の条件であることから、自己責任論を教育の分野の柱の一つに据えたのです。それを教育改革の名のもとに進めたことを 注意したいと思います。
(1) 臨時教育審議会答申自己責任論明記
1985年、日本経済調査協議会 (経済4団体協賛で運営)は「21世紀に向けた教育を考える」 と題する報告書を発表します。提言の形をとりますが 自由主義政策推進のための、財界の教育に対する要求と言ってよいでしょう。
それを受けてと言って良いと思います。1987年、臨時教育審議会は答申を発表しました。
「今次教育改革において最も重要なことは、これまでの我が国の根深い病弊である画一性・硬直性・閉鎖性を打破して個人の尊厳、個性の尊重、自由・自立、自己責任の原則、すなわち「個性重視」の 原則を確立することである。この「個性重視の原則」に照らして、教育の内容、方法、制度、政策など教育の全分野について抜本的に見直していかなければならない。」(下線は筆者)
以上が答申の中心部分ですが、特に注目しなければならないことがあります。
第一に画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自給。自立、自己責任の原則、すなわち地など三つの事柄を「根深い病弊」として全否定したこと。
第二に、ことさらに憲法24条の個人の尊厳を持ち出し、それとかかわらせて「自己責任の原則」を明記したこと。
第三に、第二の 規定を「個性重視の原則」なるものに一くくりにし、教育の抜本的見直しを求めていること。
前述したように新自由主義の推進による最終的責任は個人にあるという論理を、「自己責任の原則」として教育の基本に据えることを求めたものであることが本質です。

(2) 学習指導要領の改定-方針の具体化 -
1989年学習指導要領が改訂されました。方針を具体化し教育現場での実践を義務付けるものです。特に注目されるのは「新しい学力観」という考え方を示したことです。教科学習の評価に「 意欲・関心、態度」を加え、教科内容の知識理解より重要な観点としたことです。

三浦朱門氏の見解(臨教審・教育課程審議会会長)

 出来ん者は出来んままで結構。今まで落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた努力をできるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。100人に1人でいい。やがて、彼らが国を引っ張って行きます。非才・無才にはせめて実直な精神だけを 養ってもらえばいいのです。( ジャーナリスト斎藤貴男氏のインタビューへの談話)


この観点は、分からないのはその子の個性で、自己責任であるとする見解とつながるもので、すべての子どもたちに基礎的学力をという共通の課題だったものを画一性・硬直性として否定し、競争の激化と学力の格差をいっそう拡大する措置です。やがて、「勝ち組」と「負け組」が流行語となり、一握りの「勝ち組」と大多数の「負け組」を生み出すことになります。学習内容だけでなく制度の改変を進めます。「選択の自由」に関わる者の一部だけをあげます。小中高一貫校の設置、学校間格差の承認、 通学区域の自由化などです。なかでも子育ての分野への自己責任論の導入は社会問題になりました。公的保育所の削減、統合・廃止・民間企業の参入・基準緩和など)は、保育からの公的責任を回避し、選択の自由の名によって個人に責任を負わせる制度の強行です。やがて”保育園落ちた、日本死ね”という母親の 痛烈な叫びを生みます。(次号につづく)

目次へ

連載 憲法とともに歩む人生
備南高校時代(前半)-その3-
岡山支部 小林軍治

 はじめに
前々号(163号)では、生徒の現状と授業環境、備南高校存続問題などについて書いた。前号(164号)は、社会問題研究同好会(社研)の結成および活動を中心に述べた。今回は、第一回、及び第二回岡山県定時制高校生交流集会の内容と、定時制の組織化について報告する。
まず、第一回集会開催までの経過を簡単に記述する。1973年6月17日の高校部落研備南地区集会に参加した市立玉島高校・備南高校の生徒・教師が話し合って、定時制同士の交流の必要性を痛感した。9月8・9日の高校部落研第9回岡山県集会に参加した上記二校は、「定時制の全県集会をしよう」と話し合い、まず二校の交流会をすることを決めた。
9月30日、備南高校の生徒・教師が、市立玉島高校の文化祭、体育祭を見学し、その後、部落研展示場で討論を行い、全県集会の打ち合わせをした。
10月6日、高部研総会(教師の組織)に集まった定時制の教師が話し合い、第9回全国集会を成功させるための一環として、10月28日に岡山市立商業高校で定時制の全県集会を開催することを正式に決めた。
第一回岡山県定時制高校生交流集会
この集会は、県下各地から16校80人の生徒・教師が参加し、次の二つのテーマを掲げて開かれた。(1)「働きながら学ぶ高校生の職場、学園での実態や悩み等を出し合い、現代高校教育と青年労働者の持っている問題点を明らかにする。」(2)「自分達の生い立ちや、なぜ定時制で学ぶようになったかということと、部落問題とのかかわりを明らかにする。」
午前中の全体集会では、会場校の教頭、高校部落研事務局の生徒(東岡工)、及び顧問代表(岡工小川先生)のあいさつに続き、備南高校の生徒より経過説明、市立児島高校の生徒より、学校・職場の実態と、全国集会へ向けた校内実行委員会を組織してとりくんだ報告があった。そして、生徒と教師を含めて、非常になごやかなムードの中で、学校単位で自己紹介を行った。
その後、昼食・休憩時間を利用して、備南高校の教師の指導のもと「ふるさとへ帰ろう」「どこまでも幸せを求めて」「青春」の三曲を、大きな声で歌った。参加者が打ち解けて話し合いがやりやすくなった。
午後からは、教師、生徒に分かれて話し合った。
生徒の分科会では“時間”の問題が、多数の発言者から出された。定時制高校生は、昼間仕事をし、夜になってから学校で勉強している。授業が終わると夜も遅くなっており、それから後の部活動はほとんどできない状態である。部活動以外でも、自分のやりたいこともできにくい。定時制高校生は、全員がまさに “時間とのたたかい”のまっただ中にいる。などのことが明らかになった。関連して寮の門限、寮監のこと等、寮のあり方も話された。さらに、学校の施設・設備等が不充分なことも多く出された。
こうして、自分たちのおかれている厳しい状態が多く出されたが、「厳しい状態ばかりいっても仕方がない、もっと考え方を変えて良い面も見よう、気持ち次第で楽しく快く生活できるのではなかろうか」という意見が出た。これに対しては、「気持ちを変えたところで現実にある厳しい状態が解消するわけではない、厳しい状態を出し合った上で、どうしたら解決するのかを考え活動しなければならないのでは」という反論が出て、論議が白熱した。最後に、定時制の交流会、全県規模の集会を今回だけにせず、これからも続けていくことを確認して分科会を終わった。
教師の方は、全国集会へのとりくみと、今後の交流集会の持ち方について話した。全国集会への参加の困難点としては、金・時間及び企業との関係等が出された。また今後の交流については、いずれの学校からもその必要性が強調された。具体的な方法については、高校部落研の中に定時制ブロックという形で位置づけてもらえばということになった。なお、その際にも、定時制の多くは部落研・社研といったクラブのない学校が多いので、あて名は、生徒会とクラブの連名で出して欲しいということになった。
終わりの全体集会では、教師・生徒のそれぞれから話し合いの報告があり、今後もこうした交流会を続けていくことを全員で確認した。最後にみんなで歌を歌ったあと、会場校の教頭から「この集会岡山県の定時制高校にとっては歴史的な集会である」との力強い言葉があり、今後の集まりを楽しみにしながらわかれた。
定時制の組織化
11月2・3・4日、第9回全国集会が、朝日高校・岡山東商高を会場に開催された。この場に定時制から多くの生徒・教師が参加した。市立玉島高校の生徒代表が第2分科会「高校生活と部落問題」で特別報告をした。そこで京都の定時制高校生が司会、レポート提出など集会成功に大きな役割を果たしていることを知り、岡山県での定時制の組織化の必要性を再確認した。
その後11月から12月にかけて開かれた高部研の会議で、定時制の組織化の必要を顧問教師に訴えた。
1974年2月16・17日 の高校部落研岡山県委員会に市立玉島・市立児島・備南高校の生徒・教師が参加し、全県の生徒・教師に定時制の組織化について訴えた。その結果、高校部落研の各地区と同じ位置づけで認められ、事務局として備南高校があたることになった。定時制事務局の担当になった小生は、3月9日の新旧事務局会議、5月4日の拡大事務局会議に参加し、5月19日に開催する定時制ブロック委員会の準備をしていた。
この間、5月3日には松山高校で交流会を行った。備南高校からは生徒と教師それぞれ3人が参加した。松山高校は、福田・馬野先生と、生徒11人(2年生)が参加。それぞれの学校生活、社研部結成に向けた取り組みなどについて話し合った。交流時間がPM 7:00~8:10と限られていたが、楽しく過ごした。
5月19日、第1回定時制ブロック委員会を岡山市立岡山商業高校で開催し、16校から生徒12人教師17人が参加した。 ここでは、6月9日に開催予定の第2回岡山県定時制高校生部落問題研究集会の日程・内容について話し合った。
第2回岡山県定時制高校生部落問題研究集会
1974年6月9日に、第2回岡山県定時制高校生部落問題研究集会が、倉敷市立工業高校で開かれた。この集会は、新しく設けられた定時制ブロック事務局を中心にとりくみ、県下各地から19校128人の生徒・教師が参加して、(1)部落問題の基礎的学習、(2)学校と職場との関わり合い、(3)部落研・社研活動とHR・生徒会活動との関係、という三つの分科会に分けて学習と交流を深めた。
午前中、全体会では、事務局校の校長の開会あいさつの後、備南高校の生徒より経過報告。引き続き、二つの特別発言があった。(1)市立玉島高校の生徒より、紡績労働者の生活 ――「企業は学校に対して無関心であり、夜勤等で毎日の生活が大変苦痛である」ことを訴える。(2)市立児島高校の生徒より、卒業式のとりくみ――「未来は青年のものです。『働くものこそ歴史の主人公』」という言葉を噛みしめて欲しいと思います。」(2年生送る言葉)の報告がスライドと録音テープによって説明された。この報告は、生徒の手で卒業式を成功させることができたということで参加者に深い感動を与えた。
その後、各分科会に分かれ、自己紹介と午後からの討議の柱を立てた。昼食休憩の時間、備南高校の先生の指導のもとに、大声で歌を歌い、参加者が打ち解けて話し合えるようになった。
【第1分科会】“初めてとりくむ人のため”ということで、「部落の歴史および現状」「定時制高校生と部落問題の関わり」の二つの講演を聞き、これをもとに討論する形式をとった。
【第2分科会】「学校と職場のかかわりあい」について、①仕事と学校の両立と時間の問題、②寮生活と男女交際、③欠席遅刻の問題と先生とのかかわりの三つの柱を立てて討議した。残業を頼まれると、学校へ行かせてもらっているという考えが頭にあるのか、断りきれない状態であることが出された。これに対しては、勤労学生の学習権の保障の問題として捉えなければならない、残業の問題は、学校側から会社へ交渉すべきではないかとの意見が出された。また、会社の送迎バスの問題―― 授業終了のチャイムが鳴ると大急ぎでバスに乗り込まねばならないので、先生と話せないことも出された。勉強しようと思うと、睡眠時間を削らなければならず、自由時間はとても考えられないことも話され、定時制高校生の実情が浮き彫りにされた。
【第3分科会】備南高校及び松山高校の社研活動の報告と、全体会で報告された市立児島の卒業式のとりくみを素材に「部落研・社研活動とHR・生徒会活動とのかかわり」について討論した。ある女生徒から、「社研は皆から白い目で見られている。話していっても反発されるだけだから生徒会にはタッチしないのだ」という発言があり、仲間づくりをめぐって話し合った。
市立児島・松山から、クラスノートや班ノートを作ったこと、長欠している友達の所に連日行って誘ったことなどが話された。最後に、社研・部落研活動では“・・・だから仕方がない”と諦めないことが大切だということ、部落問題への取り組みと同時に自分たち自身の問題、身の周りの問題に目を向けていくことの大切を確認して分科会討論を終わった。
最後に、会場校の教頭の閉会あいさつがあり、大きな声で歌を歌って、この集会を終えた。
終わり
備南高校時代 (前半)の1973・74年の2年間は、年齢的には31・2歳で教員生活も10年目を迎えた時期である。若くて元気があり、何事も「前へ前へ」と突き進んでいた。自己顕示欲が強く、年配の先生方への配慮に欠け「生意気」だと批判されたこともあった。
当時、二組の仲人をした。
一組は生徒同士の結婚である。家庭事情が複雑な生徒を励まし結婚にこぎつけた。二組目は先生と生徒の結婚である。学歴の違いを気にする両方の親を、私の経験などを話し説得し、式を挙げることができた。
この2年間は 憲法14条 (法の下の平等)に基づく高校部落研、28条(労働基本権)に依拠した組合活動に全力でとりくんでいた。こうした私の活動が、当時高教組の役員をしていた長岡先生の目に留まり、組合本部に来ないかと声をかけられた。次号から高教組役員時代(1975年4月~ 80年3月まで)を書いて行きたい。


目次へ

編集後記


*コロナ禍のもと、定期総会も作品展も開催できず、従ってその記事が「会報」に載せられないのは、実に編集者泣かせです(涙)。
*ですが、全退教初のZOOM総会での、萱会長の報告のとおり、コロナ禍の中での「わざわいを福に変えた」のは、会員の方々の声の掲載。今号も、総会議案への賛否を問う返信はがきに添えられた皆さんの近況報告やコメントを、会報のメインに据えさせていただきました。(なお、文字の打ち込み作業は、すべて藤原事務局長が担ってくださいました。多謝)
*今号にも、小林軍治さん、武田芳紀さんから、ひきつづき連載記事を寄せていただきました。ありがとうございました。(山本)   




目次へ






目次へ

岡山県高校・障害児学校 退職教職員の会

〒703-8258
岡山市中区西川原255番地 西川原プラザ3f

TEL 086-272-2245