本文へスキップ

退職後も輝いて!岡山県高校・障害児学校退職教職員の会

会報report

 

岡山高退教会報バックナンバー(ダイジェスト)


164 2021年4月(抄)

特集 近況報告―コロナ禍あれどもどっこい元気!

近頃の米作り事情~鏡野で
美作支部 垂井 一新


①季節の暦

 今年に入って1月10日(日)軒下の温度計が-10度を記録した。これまでの最低が2018年2月7日(水)の−11.3℃だったので、これに次ぐ。当日津山の予想最低気温が−6.0℃であったので、津山より4℃低い。
 3月に入り日中が急に暖かくなる日が2、3日続き、気が付くと桜がほころび始め、3月31日満開を迎えた。梅の花も咲き、桜がこれを追い越すように競演している。

②イネの芽出しに挑戦
 さてまもなく田仕事が始まる。今年はイネの芽出しから始めなければならなくなった。例年だと種子籾から発芽寸前(ハト胸状態)までの作業を、お隣に頼んでやってもらっていた所が、お隣の家庭の事情から田植えを休むことになった。なんとか近所の別の人に頼んで去年は切り抜けた。
 というわけで、今年はどうしても自分で芽出し作業をしなければならなくなった。前々からこういうこともあると思って芽出しの道具だけは購入していた(10年以上前)ので、心づもりはあったが、いざとなるとやってみなければ分からないこともいくつか出てくる。これも経験と思って取り組んでいる。

③ご近所の田植え事情にも若干の変化も
 種子籾から発芽まで自分で行う家が今年は私のところ一軒のみ。あと2軒は、今年田植えを休む。他の三軒は何センチかに伸びた苗箱をJAから購入している。
 田植えは自分でするが、苗を作る過程で手間を省く。苗を買う時代へと少し変わってきた。ここ3、4年の間の出来事だ。育苗方法も、プール育苗であったり、籾を直接まく(直播き)方法も広がりつつある。
 農業機械も大型化してきた。薬剤散布もドローンが登場したりで金さえあれば(採算を度外視すれば)農業は面白くなってきた。

④農業収支決算
2月に確定申告に行った。米の生産量による収入76,450円。農業をしていることによる経費薬70万円(今年はトラクター修理・中古管理機購入で約36万円かかった。これも含めて)
 それにしても農業収支は大幅赤字もいいところだ。そこまでしてなぜ農業をするのか?
 自分が食べる米だけでも自分で作る(せいぜい二俵あれば余る)。贅沢だ(道楽、人は趣味とも言う)と思う。
 あと何年体が続くか分からないが、古い機械にしがみついて、格闘していくつもりだ。(2011年4月4日 鏡野にて)
                

目次へ


手帳を見ないと一日が始まらない
             岡山支部 松田喜代子

高校の家庭科教員を退職して13年目を迎えます。最近の私の活動は家庭のことは二の次で、もっぱら出歩くことが多く、手帳を見ないと一日が始まらない状況です。
年のせいかその手帳を見おとすことが多くなりました。
主な活動は市民劇場役員、岡山県母親連絡会事務局長、趣味のサークルは源氏物語朗読、脳トレ麻雀、ビーズアクセサリー作りの会等です。市民劇場事務局へは往復14㌔を天気の良い日は運動を兼ねて自転車で行きます。地球1周約4万㌔を目指しています。
こどもは男女女、孫は長男と二女にいます。こどもがいない長女は犬をこどものように可愛がっていますが、その犬が最近難病に掛かって心配しています。名前はマリア。
夫婦別姓を実践している横浜の二女は「日本は世界で一番遅れている。」と言っています。私も夫も選択的夫婦別姓の実現を応援しています。
牧師の家に生まれ本人も牧師の資格を持つ公務員(退職後は牧師の予定)と結婚した長女も副牧師経験者。私たち夫婦は最後は墓をどうするか話しています。「今ある親の入っている墓に入るか、長女の世話になるか。それなら洗礼が先?」さてどうなりますことやら。
夫は77才になりますが今年度もまだ学校に非常勤で行っています。家でごろごろされるよりは私も助かっています。
コロナ禍で昨年の母親大会は県大会も全国大会も延期になり、今年の予定もまだ決まっていません。名ばかり事務局長の私ですが、実行委員会を計画し、準備をしなければいけないのです。今までは大先輩におんぶにだっこでしたが名ばかりながらもたいへんです。
 最近は父のように「ぴんぴんころり」を目指しているのですが、あちこち痛くなり人生は思うようにはいきません。目はしょぼしょぼかすみ、足腰は弱くなり順調に年を重ねています。皆さんはいかがでしょうか。
さて今日もこれから市民劇場の集まりに出かけます。

目次へ


笑顔のスイッチON
備北支部 大久保緑子


再任用四年目がスタートした。宇治高校に赴任して七年、退職後の年数が上回ってしまった。三年で卒業できる昼間定時制、全校十六名の小さな学校だ。冬には「どっどどどう」と、宮沢賢治の童話さながらに激しい風が吹き抜ける。学校までの山道にも、絵本の中に出てきそうな風景がいくつも登場する。
七年前に新聞で転勤を知った恩師が電話をくださった時のこと、開口一番、「何かあったんか。」
「え? 先生、どういうことですか。私、希望して宇治に行ったんですよ。」
「そうか。それならええけど、」
どうやら宇治高校のイメージは、あまりよくなかったようだ。しかし、その頃私はというと、毎日校内で大口を開けて笑い転げていた。「あれ、私、おなかの底から笑ってる」と、自分でびっくり。毎週水曜日にある「宇治スポ」は格別だ。スポーツと聞いて最初は警戒していた。私は三大オンチ(運動音痴・方向音痴・ただの音痴)なのだ。ところが、
 「大久保先生、いきますよ~。」

生徒が声を掛けてくれると、ゆるやかな弧を描いてバレーボールが飛んでくる。これなら私にもレシーブできる! 相手の名前を呼んで、コートの中から放り上げるサーブ、独自のルールがあるのだ。小学校四年生から不登校だった子。相手との距離感がとれず、体育の授業に参加できなかった子。予測できないことがあると怖くて、母親の車から降りられない子。彼らがコートの中など入ることはできない。たとえ入ることができたとしても、後ろの隅で固まってしまう。でも、宇治高ルールと、先輩達の声かけやサポートで様子が変わってくる。ボールに触ることもできなかった子がレシーブに成功する。すると周りから大きな拍手が起こる。彼らも含めて生徒達とのプレーは、とにかく楽しいし、愉快だ。大真面で一生懸命、でもちょっとおもしろいそのプレーに思わず口もとが緩む。
 文化祭に向けて演劇の練習をするときも同じだ。私はいつも放課後の練習が待ち遠しくて仕方ない。台詞を間違えても、それが大笑いの種になる。笑い通しの二時間だ。人前に出ることが苦手だった生徒が、本番では舞台に立ち、堂々と演じる様を見ることも、私にとっては至福の時間なのだ。
 生徒達を見ていると、まるで今まで、OFFになっていたスイッチがONになったかのよう。
私自身も、生徒達に「笑顔」のスイッチをONにしてもらった気がする。
「ゆっくり、じっくり、何度でも」社会の流れに逆行するこのモットーが、いつまで通用するのか。生徒達の、そして私の「笑顔」がOFFになる日が訪れないことを願いたい。

目次へ


NHK大河ドラマと水彩画展
     備西支部 水間 正雄 
 

 NHK大河ドラマ48作、『天地人』(2009年)、この作品を放映した年から、「大河ドラマの足跡を訪ねて」をテーマに水彩スケッチの個展を開いている。
きっかけはその年の春に、高梁国際ホテルのロビーで、「玉島港開港350年」と称して、玉島の古民家・高梁の備中松山城・高梁キリスト教会、両市を結んだ運河の高瀬通し、周辺の矢掛の本陣・吉備路などを描いた水彩画展をしたところ、山陽新聞の記事を見たNHKが取材に来てくれたことに始まる。私のような素人の発表会をローカルニュースとはいえ、テレビで紹介してくれた。 「柳の下の2匹目の泥鰌を……」と思いついたのが大河ドラマだった。「すでに、日本100名城や名のある城、寺社や風景などは既にスケッチしてあるし、旅の目的意義も深まるし……」と放映した年の大河ドラマのクライマックスに合わせて個展をした。「ローカルニュースで紹介されると見に来ていただいた方々と交流を楽しむ……」というパターンが、昨年の「麒麟がくる。明智光秀の足跡を訪ねて」まで12回続いている。
一昨年は東京オリンピックの前年ということで、日本が初めてオリンピックに参加したときの物語であった。「いだてん(韋駄天‥‥‥よく走る神)」こと金栗四三と、彼の師である東京高等師範学校校長の嘉納治五郎(柔道の創始者)の物語であった。高校3年の時、陸上競技の中国大会400mで優勝したことから、東京オリンピックを目指すようにと、この大学の先輩から誘われて進学した。正に「大先輩の物語」として私は張り切って取り組んだ。(東京高等師範学校は、のちの東京教育大学・現筑波大学)
この「いだてん オリンピック話」をテーマにした水彩画展の一部を紹介したい。
①古代オリンピック会場

競技者はこの通路を通ってスタディオンに入った。競技は全裸で行った。競技者も観客も男子に限られていた。賞品はオリーブの冠だけだったが、町(都市国家)に帰ると大変な報奨金が送られた。




②マラソンの由来のペルシャ戦争の激戦地マラトンの丘にあるアテネ軍兵士の墳墓。

③第1回近代オリンピック(1896年)
会場は古代アテネのパナテナイア祭に使用されていた大理石の競技場で行われた。私も走ってみたが、1周330mで直線が長くカーブが急なので走りにくかった。第28回アテネ大会ではこのパナシナイコスタジアムをマラソンのゴールとしたが、古代の戦場マラトンの丘をスタートし、最初に飛び込んできたのは野口みずき選手だった。

④第17回ローマ大会(1960年)
コンスタンティヌス凱旋門とコロセウム              
ローマ大会のマラソン実況で、「エチオピア遠征で勝利したイタリア軍の兵士が凱旋した古代ローマの凱旋門に、無名のエチオピアの兵士アベベ選手が、正にゴールしようとしています。」のアナウンスに感動した。

⑤第18回東京オリンピック(1964年)
丹下健三設計の代々木体育館・プール
岡山県からは、水泳の木原美知子、五種競技に高橋美由紀、やり投げに金井秀太らの選手が出場した。マラソンの円谷選手がゴール直前にヒートリー選手に抜かれて3位になったシーンと、女子バレーボールの優勝シーンが印象に残っている。

⑥第22回モスクワオリンピック(1980年)

モスクワの聖ワシリイ大聖堂
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国をはじめとする西側諸国がボイコット。日本も不参加を余儀なくされた。次回の23回ロサンゼルス大会は、ソ連をはじめとする東欧圏諸国が報復ボイコットをした。

今年の大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一は、「日本資本主義の父」ともいわれる偉大な人物で、岡山県にも縁があるので、楽しみながら描くのを進めています。

目次へ



コロナ禍での公民館      
旭東支部 岡﨑秀穂


 昨年三月の「公民館まつり」の中止から一年余りが経過した。今年もまつりは中止となったが、各クラブ講座生の方々の作品は三期に分けて展示した。本来公民館でのクラブ活動は、一年一回のまつりには活動成果を発表して、地域の人々に還元する。二年続けて中止では、クラブ生の継続と意欲に大きく影響する。現に料理講座などいまだに再開されないし、昨年三月から五月末までに解散したクラブもいくつかある。何年も同じ日に活動していたリズムが崩れ、高齢化も伴って解散の方向に行ってしまった。生涯学習をめざし取り組んでいたものが、コロナによって大きな影響を受けたのだ。六月からどうしたら続けられるか模索し、検温とマスク着用、換気や距離を十分とって多くのクラブが再開した。今回の展示は、それらのクラブの意欲的な成果発表であり、より多くの方々に来ていただきたかった。
 主催講座もコロナの影響を受けたことは言うまでもないが、講演会などは人数制限しての実施を続けた。恒例の一日研修旅行は、バスガイドさんによる仮想旅行として、多くの公民館で実施した。車窓の景色や名所をバス旅行しているかのように表現してくれる。「地域の伝統メニュー“ふなめし”」もいつもと違う雰囲気だが、初めて食べる小学生も、中高年の方々も、おいしさに元気をもらった。コロナ対策をしっかりとってあきらめず行事を実行することも新たな時代に大切なことで、冷静に状況を確認し、やれると思えたら少しだけ積極的に実行すべきだと思っている。
 今年に入り、実演と映像を併用し地域の歴史を再現した「沖新田物語」や、真ん中を透明シートで分けた「上南ウインズ」の演奏会も、「中・高校生が歩いて感じた地域課題」のワークショップもやってよかった。
こうして、公民館の存在と意義を問いながら、多くの制約の中新年度を迎えた。地域が公民館に求めるものはなにか、そのことがコロナ禍であるからこそよりはっきりしてくる。期待を持ちたい。(岡山市立上南公民館会計年度館長)  

目次へ


 

「私は、わ、た、し」
              備南支部 三宅ちはる


定年退職して2年が経ちました。教員が向いていなかったという以前の問題で、グータラな私は仕事するということがあまり得意ではなく、退職の日が待ち遠しくて待ち遠しくて。能力が低いため、同僚の先生方や家族に支えられて何とか続けられた教員生活でしたが、やっと解放されました。私が「わ、た、し」になれたような気がします。
退職することが夢だった私は、これといって退職後にやりたいことがあったわけではなく、ささやかな夢の実現に幸せを感じて過ごしています。
一つは、吉野の山桜を見ること。現役では桜のシーズンは新学期の大忙しの時期で無理。やっと吉野の一目千本桜を目にしたときは長年の夢がかない、その風景とともに仕事をしない自由な身に感激でした。その後、高遠、夜桜の松本城、春の雪の上田城を巡りました。
(昨春はコロナのおかげで?県内の桜の名所を楽しみました。)







それと、もう一つは孫と一緒に着物を着てお茶会に行くこと。私は元家庭科の教員でして一応裁縫はするので縫った着物を着せて毎月お抹茶をいただいていたのですが、コロナでお茶会も中止。残念です。(で、今は孫と深山公園を歩くのを楽しみにしています。)
退職後1年目は近所の小学校などでボランティアを、2年目は学校支援員としてお手伝いを少し、そして今年度は二度とやらないと決めていた教員を、高教組女性部で親しくさせていただきお世話になった先生に頼まれ断り切れず、非常勤講師もすることになりました。
家族は夫の両親(二人とも90歳)の介護がますます大変になってきそうな気配です。世話になったのだからしっかり恩返しをしなくてはと自分に言い聞かせる毎日ですが・・・・・
ということで、高退教のお手伝いはこれでお終いにさせてください。一年間お世話になりました。勝手を申しましてすみません。「私は、わ、た、し」で生きていきたいと思います。

目次へ


雑草に泣いた去年、泣かない今年
備西支部 清水親義


森文忠さん宅の菜園で、フト違和感を覚えるものを目にしました。「防草シート」です。黒マルチのような使われ方をしている「防草シート」で、隙間から大きな野菜が顔をのぞかせていました。


▽防草シートなら何年も使える
メリットをお聞きすると、「何年も繰り返し使える」「草そのものが減る」という嬉しいご回答でした。
大量のゴミと化す「黒マルチ」の使用はさすがに気が引けて、「草マルチ派」を気取っていた私ですが、夏場の草取り・草マルチに対し、既に絶望的な気分を強くしていただけに、心はすぐに揺らぎ始めました。
昨年の夏、私は来る日も来る日も草取りと草マルチに明け暮れておりました。ジャガイモとサツマイモの作付け(と言えるほど大げさではありませんが)を増やしたことから、「当面の草取り・草マルチを全部済ませた!」と思った時には、最初にやったところから「再度の」草取り・草マルチを開始することとなっていたのです。
表題では「雑草に泣いた去年」としていますが、正確には「雑草に泣いた去年半ばまで」が正しく、昨年9月からのジャガイモは「防草シート栽培」に切り替え、「草取り無し」を体験できているのです。
結果は予想以上のものでした。まず、何列もの畝作りは必要なく、1メートル幅で土を盛り上げて、その上に、図1のような加工を施した、1メートル幅で長さ2.2メートルの「防草シート」を連続して敷いて、栽培を開始しました。両端の10㎝は、シート同士を重ねる部分です。

▽鋏を入れるのと草取りとどっちが楽?
シート一枚に付き、ジャガイモ用として横に4、縦に6、計24箇所鋏を入れるのは面倒でしたが、「何年も使える!」のだし、「あの草取りとどっちが楽か?」を自分に言い聞かせて、乗り切りました。(そして今年は既に、気楽にそのシートをジャガイモ栽培に使っている訳です。)
芽かきが済んだ頃に、株元に少し土を盛って、太陽光を遮りました。後は放置です。以前のように草取りに泣かされることはありませんでした。収穫も楽で、シートを剥いで拾う感じです。
現在は、防草シートで「タマネギ、ジャガイモ」を栽培しています。早生のタマネギは既に大きくなって、防草シートの袴を穿いているような感じです(タマネギ用は横7×縦10。それぞれに十字鋏、中央に小さい四角穴。別角度からさらに十字鋏。)晩生はまだ玉は目立ちませんが、すくすくと育っています。株元に籾殻を入れてあり、草はありません。

ジャガイモは、少し植えるのが遅くなって、今芽が少し伸び始めた状態です。(芽の後ろに見えるのはネギ。連作しているので、ネギの力を借りている訳です。)

▽防草シートは不織布タイプが楽
鋏を入れてもほつれない「不織布タイプ」が楽でした。「平織りタイプ」はどうしても切断部分がほつれてしまうので、ほつれないように熱で固めて使っていますが、少し面倒です。何年も使えるので、高くても全部「不織布タイプ」が良かったな!とは今の感想です。

目次へ


*******************************************

憲法とともに歩む人生―備南高校時代(前半)―その2
岡山支部 小林軍治


〈はじめに〉
 前号(163号)では、転勤して驚いたことや備南高校存続問題などについて書いた。今回は、社会問題研究同好会(社研)の結成および活動を中心に報告する。
 岡山県高校生部落問題研究会(高校部落研)は、1970年11月に起きた天満屋就職差別事件へのとりくみを通して活気づいていた。特に第2回確認会(12月22日)で、教育長から「部落研活動は育成する。民主教育の推進に圧力を加えるようなことはしない」という発言を引き出したことは、高校部落研を指導している顧問教師を大いに励ました。
 1973年1月の顧問会議、3月の県委員会で第9回全国集会を岡山で開催することを決定した。また、備中地区を備南と備北に分割し、さらに中央事務局を別に設ける、事務局強化案が承認された。事務局が3校から5校に増えた。
 新年度に入り、全国集会に向けてリーダー(司会者、レポーター)の養成をする講習会の実施や高校部落研の組織化と育成について、各校に訴えと要請をするなど新たなとりくみが提起された。
 私が備南高校に転勤した1973年は、岡山県の高校部落研活動が大きく前進する年であった。
〈社会問題研究同好会の結成〉
 6月4日に、社会問題研究同好会が誕生した。二か月という短期間で結成することができた。その理由を4点あげてみたい。
 第一は、夜間部を主とする部活動は、演劇部とバレー部しかなかったので「仕事の悩み、友情や恋愛などみんなでワイワイと話したり、歌を歌ったりする」交流の場を生徒たちが求めていたこと。
 第二は、小川先生(社会)、井上先生(国語)が人権や平和についての学習を、教科を通して実践し、社会問題に関心のある生徒を把握しやすかったこと。
 第三は、前述の教育長発言や全国集会に向けてのとりくみなどから、教職員の理解が得やすかったこと。
 第四は、勝山高校で社研を結成し、高校部落研活動に参加していた私が加わったことなどがあげられる。
〈社研部結成から第9回全国集会まで〉
 6月17日、備南地区集会に向けて、部員の獲得と集会参加を呼びかけるポスターを作成した。集会では部長が顧問の協力の下、備南高校の実態(前号で紹介した生徒の状況と授業環境)と自分の生い立ちを発表した。
 7月20日から9月1日にかけて夏休み学習会を行った。内容は、テキスト『みんなの部落問題』の読み合わせと討議、自分の生い立ちを語る自己紹介、部落問題を扱ったマンガ「カムイ伝」を読むなどである。
 9月2日、第1回玉野市内三校交流集会を玉野商業高校で開き、学校に対する要望や放課後の過ごし方等について討論した。
9月8日・9日、大安寺高校、児童会館を会場に第9回岡山県集会が開催され、69校428人が参加した。各校の実情報告や、高校生と部落問題について話し合った。事務局の総括会議で、困難な条件の定時制から多数の参加があったと評価された。
集会の最後に、全国集会は県内で2000人以上の参加者で成功させようと力強い集会アピールを採択した。
なお、集会の場で市立玉島高校と、「定時制の全県集会をしよう」と話し合い、まず2校で交流会をすることを決めた。
9月30日に市立玉島高校の文化祭、体育祭を見学し、展示物について討論し、歌を楽しく歌うなど交流を深めた。
10月7日、第2回玉野市内三校交流会を玉野高校で開き、各校の活動報告をもとに交流した。顧問は、全国集会参加に必要な経費の一部を玉野市教委に援助をお願いすることなど全国集会へのとりくみについて話し合った。19日には、備南地区事務局顧問の大森先生と一緒に市教委を訪れ要請した。
10月28日、全国集会のとりくみの一環として、第1回の県定時制高校生交流集会が、岡山市立商業高校を会場に開催された。県下各地から16校80人の生徒・教師が参加した。備南高校の生徒が集会開催までの経過説明をした。(なお、集会内容の詳細については次号で報告する)
11月2日・3日・4日に朝日高校を会場に「青年の未来と部落問題について学習と交流を深めよう」をテーマに第9回全国集会が開催された。沖縄県を含む全国の17都府県378校、5075人、県内は106校から約3000人が参加し、初めての文化交流祭典も含む三日間の集会として大きな成果を収めた。
備南高校は、10月上旬から社研を中心に校内実行委員会を結成し、集会参加の呼びかけを行ってきた。集会には、生徒18人、教師7人が参加した。
〈全国集会後の校内外のとりくみ〉
 11月25日、校内の文芸祭に本校の実態を写真等で展示した。また、12月2日には、図書館で全国集会の報告会を開き、生徒13人、教師3人が参加した。
 12月4日、民主教育講演会が、本校の教師・生徒を対象に行われた。講師は、私の勝山高校時代の教え子で、部落解放運動団体の青年部役員のMさん。「結婚差別を克服して」と題して約1時間熱く語った。内容は、「部落出身の自分との結婚に、彼女の両親や親戚の反対にあいながらも、くじけずに二人で粘り強く説得し、多くの仲間の支えで結婚できた」というものであった。その中でMさんは、自分たちを支えてきたのは、➀お互いの愛情、➁未来に対する確信、➂仲間の援助であったと強調した。
 当時の校長は、仕事と勉強で疲れている生徒が居眠りをしないか心配していた。しかし、結婚というテーマで、年代も近い人の体験談で、しかも深刻な内容を時に笑いを誘いながら明るく話してくれたので、生徒もよく聞いてくれたと喜んでいた。
 12月16日、私の家で社研忘年会を開き、楽しく歌い話した。
 1974年2月16日・17日、児童会館で高校部落研委員会が開かれ、私は「高校部落研活動の歴史と意義」と題して講演した。これまでのとりくみを整理し部落研活動の意義として、次の三点を挙げた。
➀自分の生い立ち、父母、祖父母の歩んだ道を振り返り、自分の現実の生活をより深く見つめる。(真実を見る目=力を身につけることを大切にしてきた)
➁自分の将来の進路すなわち生き方をさぐること。(将来の生き方について、展望を持つことを大切にしてきた)
③仲間を知り、仲間を増やし、仲間の団結を大切にする。(仲間を作り、仲間とともに生きることの大切さを学んできた)
 県委員会では、私学・定時制の問題を全ての高校生の問題として考えていくことを確認した。そして、新年度から私学(高梁日新)・定時制(備南)に事務局を設けることにした。
3月3日、井上先生宅で四年生を送る会を開いた。
〈1973年度の成果と課題〉
 30日・31日には、私の家で73年度社研総括会議を開いた。成果と課題および74年度の方針は次の通りである。

【成果】具体的になにができたのか
➀社研が結成された。
➁玉野市内の三高校の交流会ができた。
➂全県の定時制の組織化ができた。そのために一定の役割を果たした。事務局を担当することになった。
➃全国集会の報告書を作り、報告集会ができた。
➄生徒会執行部のなかに社研部員が進出した。
➅各種の集会に参加して仲間ができた。
【課題】
➀さまざまな集会に参加したが、その記録(まとめ)が十分なされたとはいえない。分担の確認が不十分だった。
➁クラスや生徒会に影響を与える活動をしてこなかった。社研の名は知られてはいるが、活動内容は十分知られていない。
➂多くの行事はこなしたが、基礎的な学習が不足している。
【1974年度の方針】
➀HR・生徒会活動を活発にする。
 ・クラスでの役割を積極的に果たしていく。
 ・生徒会規約の学習をする。
 ・遅刻や欠席をしない。
 ・積極的に意見を出していく。
 ・友達と一緒に行動し、仲間をふやす。
➁多数の部員を獲得する。
➂学習に力を入れる。
次号では、定時制の組織化と第1回・2回岡山県定時制高校集会の内容を詳しく報告したい。

目次へ



「子供の詩(うた)」、解題
2020玉島平和美術展出品作品 その2
備西支部 武田芳紀


西日本豪雨災害で真備町が被災してから2年※が経ちました。6日の今日は、真備町辻田にある「災害支援センター、 ガーベラハウス」で、「メモリアルの集い」が行われます。
それに向けて昨日、「 マービーふれあいセンター」という建物の前に据えられている、「子供の詩(うた)」と言うタイトルの彫刻を私はスケッチしました(その後ろにあるこの建物の表示をした門も)。
この辺りは2年前、小田川の氾濫ですっかり浸水をしたところです。被災の後は、建物の横に、大量の瓦礫が積み上げられていました。さらに反対側の広場には、復興商店街のプレハブの建物が設置されています。
私はガーベラハウスの開所日(毎週月曜日)に通っている時、この場所を通るたびに、子供たちを描いたこの彫刻のことが気になっていました。
この彫刻は浸水のときにはすっかり水につかり、現在もその時の濁った水の汚れもまだ残っています。でも、この子供たちは、ずっと真備の被災から後の復興の様子を見守ってくれているとも言えるでしょう。
そこでこの機会にスケッチをしておこうと思って昨日スケッチをしてきたわけです。そして、この彫刻のタイトルが「子供の詩」と言うものであり、作者は金盛秀という岡山県出身の彫刻家であることを知りました。この作家は、子供たちや女性への優しい眼差しに満ちた作品が多いとホームページでは紹介されていました。
この彫刻がこの場所に設置されたのは1996年のことですから、今から25年ほど前設置されたことになります。今回スケッチをしてみて、子供たちがいろんな表情やいろんな仕草をしていて、いかにも「みんな違ってみんないい」という雰囲気が伝わってきます。

 ※この文章は昨年書いたものです。本年は3周年を迎えます。なお、この作品、昨年の7月6日の「メモリアルの集い」の日からガーベラハウスに飾らせてもらっています。絵の背景に「倉敷市立真備図書館」(「ふれあいセンター」の横にある)の表示もありますが、今年の1月30日に被災2年半の後、開館にこぎつけました)

目次へ



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

*急遽の原稿依頼に応えていただき、感謝です。本来なら「春の交流集会特集」のはずの四月号だったのです。
*カラー版でないので、水間さんの水彩画の魅力がほとんど伝わりません、極めて残念!
*原稿不足で困っていたところに武田芳紀さんの助け船が。しかし、それでも埋まらず、結局自分で書くことに。埋め合わせ原稿ではありますが、草との戦いが嘘のように消えた面白い体験ではあります。                 (清水)       

目次へ


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

目次へ


岡山県高校・障害児学校 退職教職員の会

〒703-8258
岡山市中区西川原255番地 西川原プラザ3f

TEL 086-272-2245