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退職後も輝いて!岡山県高校・障害児学校退職教職員の会

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高退教会報バックナンバー

161 2020年8月(抄)


コロナに教えられたもの
「新しい生活様式」あれこれ  会長 萱 栄次

 現在、新型コロナの問題が連日マスコミで報道されています。新聞にも各県の感染者数が掲載され、不安な気持ちが増幅されるばかりです。  もちろんこれは日本だけでなく地球規模の状況であり、その対策が世界各国の最大の課題となっています。  
そして、「 新しい生活様式」なるものが 、私たちの日常生活での常識となりつつあります。「マスク」に「手洗い」、人の集まる施設には、入り口のところに必ず「消毒液」が置かれています。私は、手指だけでなく腕まで消毒をするのですが、これは時々見た人に笑われてしまいます。  こうした「新しい生活様式」は感染防止対策として大変重要であることは認めますが、私はさらに、別の要素を重視した「新しい生活様式」が必要ではないかと思っています。  
この30年間で、少なくとも30の感染症が新しく発生したと言われています。今回のコロナ問題もそうですが、動物に由来する感染症の主な要因は、森林破壊により生じた「新たな病原体との接触」や「自然との調和を欠いた農業や畜産の拡大」、「病原体を媒介拡散させる野生動物の取引」などが指摘されています。  
この自然環境と人間生活との関係は 極めて重要だと考えられます。私たちは人との共同生活とともに、自然との共同生活をしているのです。  
残念ではありますが、今の社会生活の中の中核的基準は「利潤追求」そのものです。そして、その利潤追求のためには、生態系の破壊さえためらわないというのが私たちの今の生活にほかなりません。  
現在、地球温暖化対策の重要性が叫ばれるようになりましたが、これも利潤追求が招いたものに相違ありません。地球温暖化が既に危険領域に達していることは誰の目にも明らかで、私たちの学生時代には 夏休み中に30°を超える日は数日しかありませんでしたが、今は毎日です。命の危機を感じさせるレベルなのです。命の危機を感じさせるものは、コロナだけではないということです。  
したがって、今後私たちに求められるのは、こうした生活基準の変革につながるものになるのではないでしょうか。  
どんな「新しい生活様式」になるのかは、まだ明確にはなりませんが、今政府が推奨しているようなものとは次元の違うものにならなければ、本質的な危機の回避にはつながらないのです。新型コロナが私たちに教えてくれているものは実はこういうことではないかと思う次第です。
 人類がコロナ問題を克服することを確信し、コロナ後の世界の変革を予感しつつ筆をおきます。

憲法とともに歩む人生(その1補遺)前編
岡山支部 小林軍治

 2020年7月発行の岡山高退教結成40周年記念号に「憲法とともに歩む人生(その1)亅と題して、「誕生から勝山高校時代まで亅を書いたが、そこで書き残したこと三点を追加する。
  「 9・30」実力行使に参加  
1969年(昭和44年)6月10日、岡山県教育委員会は校長・教頭の一号アップを現場に下ろした。これを知った組合員は”前代未聞の差別昇給”として、怒りに燃え、いわゆる「9・30」実力行使を敢行した。この間、差別昇給を撤回し全教職員の一号アップを求めて、延べ40回に及ぶ大動員、旭川河川敷を埋め尽くした一万人集会、デモ行進による県民へのアピールなど多彩な行動を展開した。  
高教組は9月20日に臨時大会を開き「9月30日には早朝30分(最低20分)勤務時間に食い込む校外での集会を行うこと」を決めた。9月29日から30日にかけての徹夜交渉でも満足な回答が得られず、ついに午前3時30分に決裂した。全県下では16分会212人が実力行使に参加し、戒告・減給処分を受けた。  
勝山高校分会でも、放課後数回にわたって討議した。時には夜8時を過ぎることもあった。「要求は理解できるが、ストはどうも。」「生徒に民主教育で差別はいけないと言ってきた。行動で示したい。」など様々な意見が出た。結論としては「できるだけ校外の集会に参加する。勤務時間に食い込む人、食い込まない人、いずれも分会の行動として認める。」と決めた。私を含む四人が戒告処分を受けた。  
この行動は、憲法28条の「勤労者の団結権(資料1)」で認められたもので、なんら処分されるべきことではない。  
当時の私は、「差別昇給は許せない」と怒り心頭に発し、ストに参加して「ヤッタ」という気持ちであった。今思えば、もっと多くの分会員に行動の正当性を訴え、共に行動できる人々を増やす努力をすべきであったし、自分の気持ちを満足させることに傾きすぎていたのではないかという反省がある。  
いずれにせよこの戦いは1967年の「10・26」とともに、岡山高教組が真に自らの生活と生きる権利を守る労働組合へと変化する契機となった。
座った卒業式  
この件は、勝山高校新聞74号(1970年の7月18日発行)の一部抜粋をまじえて紹介する。  
この日は朝から吹雪に見舞われた。当日、三年生の有志が「我々は戦争は嫌だ。軍国主義を復活させる君が代をうたうまい。うたう時は着席しよう。座るのは君だけではない。仲間がいる。」などと書かれたビラをまいた。  
式の参加者は、三年生とその保護者、在校生はクラス代表5〜6人、自由参加の生徒少数であった。起立に続いて君が代斉唱のとき、会場の所々で、約50人の生徒・先生2人・保護者1人が着席した。  一般生徒の反応は、「分かる気がする。」という生徒もいたが、多くは「一旦決めたことなら歌うべきだ 。やるにも方法があった。クラスでもっと討議するとか。それでないと式を乱すものとしか考えられない。」などであった。  
新聞部の見解では、
✳✳✳✳  
卒業式は、私達が人間として、高校を卒業し社会に出るけじめを与えられる、それを受け入れ、感謝や喜びの気持ちか、心から湧き上がってくるものである。  今回の事態の原因として次の二点をあげられる。  
一つは、祝辞、送辞、答辞が美辞麗句で心に残らない。  
二つは、日頃の生活において、生徒と先生の心の触れ合い、対話、互いの信頼が欠けていた。  
最後に、本来の卒業式は、「生徒と先生が、共に盛り上げてゆくものであって、生徒が式を創造することを重視するような形を考えては。
✳✳✳
と述べられている。  
私は「座った先生」の一人であるが、事前に三年生有志と話し合いながら、職員会議では、君が代の歴史的な経緯や役割など資料を用意して十分な議論をしていなかった。たいへんな覚悟で座った生徒の気持をもっと考えるべきであった。この行動は君が代の問題点を多くの生徒に知らせる契機にはなったが、「式を乱した」との指摘は、胸に刺さった。  その後の君が代への対応については、備南高校時代の項で述べる。【つづく】

元気いただきました!! ~祝 岡山高退教結成40周年記念号刊行~ 旭東支部 岡﨑秀穂

新型コロナウイルスにふりまわされ、予定も行動も制限されマスク着用しての日々が続いている。そんな7月の夕方、ポストに届いた一冊を一気に読み終え、藤原洋平先生の携帯にかけた。読みながら飲んだビールの勢いもあったが、感動を伝えたかった。
岡山高退教の歩みにはじまり、職場をともにしたなつかしい先生方の近況や、現職時代の取り組み・回想が綴られて、読んでいるうちに心が元気になったのだ。
何度か参加させていただいた「自然歴史探訪」も事前の調査に始まり当日の細かい配慮。計画と実際の事前調査が大切なことを再確認した。「岡山高退教作品展」も何回か訪れ、先生方の絵や写真などの取り組み継続に驚かされた。第二章岡山高退教40周年に寄せてでは高教組を牽引された吉永先生高垣先生田中博先生のご苦労やフリースペースあかねにつながる取り組みが書かれていた。続いて難波欽子先生のお孫さんの成長。垂井先生の県北の暮らし報告。小林軍治先生の教師生活に納得し、今もご自分の生き方を継続されている姿に頭が下がる思いであった。
公民館勤務の私は、小林先生をはじめ徳方先生や磯部先生や青木先生など先輩や同年代の方々によく講師をお願いする。みなさんご自分の思いをしっかりと伝えてくださる。ありがたいことである。また、新採用の頃新見でご一緒した山本浩先生の「山本農園」の名刺はいただいていたものの、重機や太陽光発電で農園を続けながら、私と同じ前立腺癌になっていたとは知らなかった。私も同じ前立腺癌で骨やリンパに癌が転移していたらとの恐怖はしばらくの間死と向き合うことになった。まあ今でも生きているので山本先生のポジティブに前向きな毎日を送っていることはよかったと心底思う。
第3章は、みなさん本当に『論語』の中にたびたび出る「仁」のように、自分本位ではなく他者のことを考え行動されていることを知った。あかねも資金不足、余裕ができれば少額でもお届けするつもりだ。なにしろ徳方先生は高校の恩師であり、同じ学校に勤務する縁にも恵まれ、今も気にかけていただいている。あかねも次の世代に受け継がれているが、お金は現実を左右するので、あったほうがいいと今頃気が付いている残念な自分がいるので、納得のいく支援をしたい。もちろん私ひとりではどうにもならないことも重々承知。世の中には必要なことなのに行政が支援しないという現実が、あちこちにあることもやっとわかりだした。みんなでどうにかしなければと気づく、七十歳に今少しで届く私である。
これから納得のいく生き方をしていきたいと思うが、まずは中西孝先生の書かれている「お互いに健康に留意しながら、新しい平和で暮らしやすい社会の実現をめざして、手を取り合って歩んでいきましょう」に同意しつつ、コロナ収束を願うのである。ともあれみなさんの真摯な生き方にとても元気をいただいた。  (岡山市立上南公民館勤務)

2019年秋、チベット・ネパールで思った
ことを忘れないうちに…(前編)   岡山支部 佐藤静雄


中国建国70周年、チベット蜂起60周年の2019年秋に旅した時に思った事を少し書き残してみる事にする。山以外の事を。
 関空からフライトし上海浦東国際空港に着き、30年前にお世話になったAさんに会う事が出来た。上海は何度か来ているが、かつての虹橋空港で下りた時代が懐かしい。空港近くのトイレは、大便の折壁がなく隣の人の顔を見ながらであった。空港の売店で買い物しようと店員の人に話かけるも昼休みとて全くとりあってもくれない事もあった。いろいろ、びっくりする事も多かったが、そう嫌な思いはない。しかし、今回の旅では何か違う気持ちも。なぜだろうか。Aさんは、この30年日本の留学を経て上海で仕事に就いた。西寧までのフライトの間少し話す事が出来た。彼は、香港の状況を知っているのだろうか。深圳の遠くからやって来た農民工の実態を知っているのだろうか。そして、ウイグルの人達の事も。会話は、もっぱらお互いの家庭、仕事、お互いの知人の話で終始した。気にし過ぎかもしれないかもしれないが、どこから会話が聞かれているのかもしれないと。すでに、私の顔認証に両手すべての指紋は当局の管理下にある。十数億人の中から私の動向を見つける事も可能である。凄い管理社会。こうした、管理は犯罪が少なくなったとする中国人も多いと聞くが。中国の将来を語るAさんの会話の端々、顔に何か自国に対して不信と諦めが見えたのは私の思い過ごしだったろうか。新疆産の干し葡萄を持たせてくれた。美味しく芳香たる葡萄であった。
 西寧へのフライト便は、なぜか説明もなく遅延した。搭乗予定の後便はフライトしても、なかなか乗れない。結局フライトしたのは、日が変わる前であった。ゆえ、西寧着いたのは、3時半頃であった。西寧では、未明2時から5時まで観光バスを動かす事が出来ないとの事である。他の都市も同様かは分からないのであるが。ガイドさんが、なんとかリムジンバスを手配してくれホテルに移動。移動の道路に車少ない。安全のための法律であるとの事であるが、不思議な国である。ホテル寝るまでもなく朝食であった。朝からチベット医学博物館である蔵医薬文化博物院に行く。なんで、製薬会社が大きな博物館を作るのか疑問。チベットの薬草は儲かるのだろう。中には、618mにも及ぶタンカがある。タンカとは、チベットの歴史、チベット仏教の歴史を極彩色の絵で表したものである。設計に23年間、作画にチベット・蒙古・漢・士族の師匠が4年も費やしたとの事。あまりにも長く途中から疲れてしまう。観光シーズンでないのか中国人ほとんどいない。タンカは、パンチェン・ラマ11世、ダライ・ラマ13世で終わる。私は、隅のほうでチベット人らしき若者に尋ねた。なぜ、ダライ・ラマ14世は描かれてないのかと。無論、カメラに見えないところで。彼は、私と壁の隅でそれは微妙な事と話してくれた。今の中国ではダライ・ラマの写真を持っているだけで問題視される事は知っている。微妙という言葉にチベット人の思いが見えた。私には、彼の顔が寂しそうに見えたのであるが。
 西寧は青海省の省都で人口205万人の大都市である。漢族、回族、チベット族、モンゴル族など民族混交の都である。高層ビル多く、旧市街の外で以前農地であったと思われる所に、蒲鉾板を立てたような高層住居が並ぶ。コンクリートの林立ビルでどんな思いで暮らしているのだろうか。一部屋100㎡が100万元もするとの事。西寧から郊外26㎞離れたタール寺に行く。チベット仏教のゲルク派の僧院である。広大な敷地を持つ寺院に驚く。寺の前、中に五体投地する人を多く見かける。若い女性も多い。すごく美しく見えた。いったいどこから来たのだろうか。生活の中の宗教があるのだろう。上海、北京では見る事が出来ない。回教・イスラム教の寺院の東関清真大寺にも行った。左右二つのミナレットのある総面積1・7haの大きな寺院である。礼拝日には、一万人以上集まるとの事。チベット仏教の寺そしてイスラム寺院と生活の中に宗教があると再確認する。
 西寧から青蔵鉄道で拉薩(ラサ)に向う。総延長1956㎞、約21時間の列車旅。出発19時30分発。
 列車は、一部屋左右二段のベッドの軟臥で808元。飛行機と同じようなチェックがある。朝食は、部屋で食べるが、昼食は食堂車でホテル並みのご馳走が出る。世界で最も高い標高である5072mのタングラ峠を越える。ゆえ、車内は空調管理され酸素ボンベが積まれている。自然保護区のココシリ、チャンタン高原を通る。朝目覚めると窓外は雪の山々、凍てついた高原が広がる。線路の平均海抜は、約4500m海抜4000m以上の部分が960㎞もあり、凍土地帯が550㎞もある。こうした厳しい高原に突然駅が現れる。アムド駅は4504mにある。コンクリート造りの新しい町である。しかし、山裾には昔の村落も見える。酸素濃度が50%ぐらいの土地である。線路近くまで放牧の羊も見える。この凍土地帯に高速道路の工事が延々と続く。私の住む岡山市の環状道路の数キロ工事が十年越えても遅々として進まないのに、このチベットの工事は拉薩までの長い工事が同じように続く。この費用はいったい、どこからでているのだろうか。いくら多くの国民がいるにしても、莫大な建設費用の出どころはどこだろうか。鉄道は、カトマンズまで伸びる予定である。世界各地に大きなプロジェクトするお金はどこから出てくるのだろうか。税体系を知りたくなる。
凍土地帯では、地面に直接線路を敷設するのではなくその上に土手を築くか橋梁、高架で造るかである。窓外の道路工事も同様である。凍土ゆえ、温度により不安定になるのを防ぐために熱棒という温度調節用のポールを打ち込む。大気の冷気を地中に入れ地中の熱を放出する仕組みらしい。世界で見た事もない仕組みである。私は、このポールを見て福島第一原発の汚染水防止のための凍土層工事を思った。福島では、凍らなかったらしいが。
16時45分拉薩駅に着く。駅の外で駅舎を含め撮影禁止であった。駅前には、警察公安らしき三種類の人が見える。機動隊の様な人も。カメラを出す事も怖い。拉薩は、チベット語で神の地を意味ヤルンツァンポ河の支流であるキチュ河の北岸にある標高3650万人のチベット自治区の首府である。ホテルは、旧市街の中程にあった。多くの商店が連なる北京東路にある。夜も人通りが多い。路には、建国を祝うためか赤い旗でいっぱいである。食事の後、大きなマーケットがあると聞き、ガイドさんともども出かけた。私は、すっかりイスラム圏に多くあるバザールとイメージしていたが、立派なビルでデパートとスーパーマーケットの複合であるモール街のようであった。動く歩道状のエスカレーター、ガラスで外が見えるエレベーターという近代的設備がある。無論スマートホン決済である。綺麗な店内に多くの商品が並ぶ。
ところが、商品を見ている間にガイドさんとはぐれてしまった。ホテルまで1キロかもう少しあるのか記憶をたどりながらテレビ塔の方向を頼りにひとり歩いた。持っているものは、ホテルのカードキーのみ。カードにホテル名が書いてあったので、個人商店の人に聞きながらたどり着いた。なんとか帰りついたのであるが、キー持っていなかったら大変であった。なにせホテルの名前すら覚えていなかったのだから。
 チベットに入るには入境許可証が必要になる。規定には、事前に全旅程を旅行会社相談して決めガイド同伴の上、手配した車で移動する事になっている。管理された旅になる。今、私の手元には鴨井信政というかつての同僚の親族が記した「チベット・エベレスト・ネパール」という本がある。彼は、私より一歳上で京大山岳会らしい。1983年から87年にかけチベットなどの旅をしている。チベットは、多くはバス、ヒッチハイクで移動している。同じルートも歩いている。そしてヒマラヤをザンムーから越えている。今は、チベット地震以後不通である。この本の記述は素敵である。しかし、彼の旅の時間の多くは私にとって仕事で一杯の時、著者の鴨井氏は帰国して日本社会とどう折り合いを付けたのだろうか。このような旅と現実の社会の乖離はあまりにも多い。【つづく】

編集後記
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*新型コロナで、なにもかもが狂ってしまったゆえに、「新型コロナ特集」の様相を呈してしまいましたが、仕方がありませんね。
*いただいた原稿は、丁度24ページ分でしたので、「簡単に編集できました」と事務局長に報告したら、「16ページにしてほしい」とのこと。24ページは確かに作業量が通常の1.5倍。「やはり、コロナ禍中の作業量増大は避けたいところ」と勝手に納得して16ページ化に取りかかったものの、思った以上に難航し、「20ページなら出来ますが?」と途中で打診する始末。しかし、色よい返事はなく、そこから右往左往を繰り返し、やっと16ページにたどり着きました。ただ、小林・佐藤両氏の原稿を前編・後編に分けなければならなかったのは残念ですし、「前編をここで切る?」と思われるのも必定、ご寛恕を請います。
*返信ハガキの部分をすべて入れながら16ページにするには、文字サイズを下げなければならない計算になり、「でも、それだけは避けたい」と文字数・行数・段組数を色々試しているうちに、文字サイズを下げなくても収まることとなって、ホッと一息。しかし段組をすると、ページ番号が狂い、また新しい迷路に迷い込んで苦闘に次ぐ苦闘。
*結成40周年記念号の感想「元気いただきました!!」をいただき、感謝です。この記念号は、ここまでの紆余曲折を考えれば、完成即奇跡の感さえあります。責任者を務められた山本和弘氏の、誠実さと底力のなせるわざ、ただただ敬服です。
  なお、表紙は武田昭一氏の絵です。好評で「どこの風景?」という質問も多く寄せられました。牛窓の風景だと本人からお返事をいただきました。  (清水親義)  ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


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