高退教会報バックナンバー

157 2019年4月(抄)

 春の学習交流集会 【報告】
音楽と絵画と私 ——歴史をこの目、この足で——   ……… 備南支部 綾野保晴  
新見美術館、まなび広場にいみとダムカレーの昼食会  ……… 備北支部 逸見健治 
高齢者の健康・医療・介護       ……… 美作支部 田渕道夫  
伝統工芸見学から勇崎干拓を巡り、黒媛伝説の里、勤王の志士邸を訪ねる      ……… 備西支部 清水親義   
狂言ワークショップと歌声     ……… 岡山支部 和田 茂  
追悼 小川洋先生 ……… 岡山支部 德方宏治
「岡山県九条の会」活動再開    ……… 高退教副会長 小林軍治 
無謀な世界一人旅 (連載第5回)   ……… 備南支部 正保宏文   13

備南支部春の学習交流集

「音楽と絵画と私」—— 歴史をこの目、この足で ——

                   備南支部 綾野保晴

 スクリーンに映し出された、朝霧に浮かぶ幻想的なモンサンミッシェルをバックに会食。備南支部21回目の「春の交流会」が始まった。参加者は15名。突然の春の嵐にも負けず集った面々を前に、稲田裕彦さんの「音楽と絵画と私」のお話が始まる。昨年10月、約3週間のフランス美術の旅を趣味のフルートの生演奏を入れながらお話していただくという、ぜいたくな試み。

冒頭に、フランスの作曲家エリック・サティの小品「ジムノペディ」の演奏。サティはフランス音楽の異端児とも言われ、フランス印象主義の作曲家として知られるが、この後の旅が「モネ」や印象派の画家の探訪に多くを費やされたことと結びついてくる。

 稲田さんの旅は、教員時代の授業研究から始まり、現在、大原美術館で携わっているボランティア活動(案内、研修サポート)の中で生まれた好奇心「本物をこの目で」という思いに動かされているようだ。大原美術館にあるモネの絵の現場を探したり、印象派の画家たちが題材にしたノルマンディー地方を、1日に1便か2便しかない交通機関を使って訪れ、その後は、第2次世界大戦の大転換点となった上陸作戦地域に足を向けたりという、臨床学的な旅の方法がおもしろい。また地図を手に墓地探訪も欠かさない。「死んでいるからこそ会える」という名言を発せられたが、歴史上の人物の墓のたたずまいもまたその人を知る大きな術になるという。これらのお話の要所要所で「シェルブールの雨傘」「パリの空の下」「愛の賛歌」などの名曲が披露された。また1昨年訪れたベネルックス三国の旅、「アンネフランクの家」「フェルメールの生誕地」への旅など、お話は重層的に進み、まるで音楽のロンドを思わせる。ヨーロッパの芸術文化を追体験する楽しい1日となった。

 

備北支部春の学習交流集会

新見美術館、まなび広場にいみとダムカレーの昼食会

 備北支部 逸見 健治

 備北支部は総社地区、新見地区の幹事で企画実施をしています。今回は新見地区幹事の私の担当でお世話させていただきました。幹事になって初めての企画で何をしたらよいのかさっぱりわかりませんでしたので、昨年の美術館めぐりの延長で、おいでになった方々が多いと思いましたが新見美術館の企画展の鑑賞に落ち着きました。

3月30日()参加メンバーは8名で総社地区から土井、中田、藤原の各先生方、高梁地区から宮田先生とご友人の小澤さん、新見地区からは山本、三輪の各先生方と私の総勢8名が新見美術館下の駐車場に集合しました。

 その後高齢者にはきつく急な階段を上りようやく入り口にたどり着きました。今回の企画展は『華麗なる新見美術館コレクション2018/2019』「鉄斎・大観・栖鳳・玉堂・関雪 五大巨匠展」で新見美術館が所蔵する富岡鉄斎、横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、橋本関雪らの明治から昭和にかけ活躍した五大巨匠の素晴らしい日本画作品をゆっくりと鑑賞しました。

 その後、特集展示として、新見市ゆかりの洋画家・藤井哲氏(2009年没)の素描の数々や常設展示の備中新見庄を鑑賞した後、美術館玄関にて記念写真を撮りました。写真を撮り始める頃から空模様が急に悪くなり黒雲が現れ雨粒がポツポツと落ちだしたので急いで駐車場に戻りましたが車に乗る頃には雷鳴とどろき雨と風の暴風雨になりまなび広場にいみまでの道中は雹が降る嵐でした。まなび広場に着いて今日の昼食をいただく「カフェまなびの森」へは雨のため新見中央図書館の中を観察しながら通り抜け入店しました。

 本日の昼食であるグリーンダムカレーを注文し、できあがるまでの間、今後の高退教の行事予定などについて藤原先生からお話があり、その後情報交換を含め歓談しました。

ちょっとここで「にいみダムカレー」の話。

新見は市内に6カ所ものダムを持つ全国的にも珍しい「ダムのまち」でもあります。そんな「ダムのまち」としての新見を、地元のA級食材を用いた、新見にしかないダムカレーでPRするために企画されました。

現在は市内の12店舗で提供されて店舗の入り口に「新見ダムカレー」ののぼりがたててあります。一部の店舗は予約が必要です。今回は予約なしで食べられるうちの1店舗です。さて、カレーの色はほうれん草を使ったグリーン、肉は地元の森林どりをソテーしたもので辛さ控えめなマイルドカレーです。各人感想を述べながら美味しくいただきました。新見を通られる際には是非一度ご賞味下さい。歓談中このような交流会はウイークデイに出来れば開催してほしいとの意見が一部会員より出ましたので次回参考にして企画したいと思います。食事が終わり有意義な歓談の時間も終わる頃には天候も回復し次回の再会を約し散会ました。会員の皆様是非一度新見美術館においで下さい。そしてダムカレーをご賞味下さい。

今回の企画にご参加の皆様大変有り難うございました。

 

美作支部春の学習交流集会

高齢者の健康・医療・介護

美作支部 田渕 道夫

3月10日(日)、高退教会員・家族・友人等、23名の参加で美作支部学習交流集会が、「高齢者の健康・医療・介護について」をテーマとして、津山市平福の津山医療生協「ふれ愛ホール」で行われました。

講師は津山医療生協平福診療所所長の垣内顕治先生と元ケアマネジャーの三戸陽子さんでした。お二人とも私と同じ中島町内に居を構えておられます。

垣内先生からは「現在の医療問題」を政治問題や社会問題として現状やその問題点を話していただきました。と同時になぜ医師になったのかを含め、世界のあちこちの医療機関に行かれた体験を含めて、健康問題だけでなく楽しい旅行のことも交えてお話いただき、ともすれば気分的にはめいりがちなテーマでしたが明るい雰囲気でとてもよかったです。

 

つづいて三戸さんからケアマネとしての豊富な体験や研究をもとに、現在の「少子高齢化社会」の問題を中心に現在の医療福祉制度がどのような仕組みであり、どんな利用状況か、どのように利用したらいいのか、どのような課題があるのか、川柳なども交えお話いただきました。

 

お二人のお話を通して、健康問題や医療福祉の問題は「2025年問題」や「2045年問題」もあり、高退教のメンバーやその家族や地域(若者も含めて)にとってあらためて真剣に、またある意味「明るく、前向きに」考えていくべき問題だと思いました。参加者全員の記念写真撮影をして午前の学習会は閉会となりました。

 

昼食をはさんで午後から美作支部総会・交流会を行い、各人の現状報告のあと、平和の問題、年金の問題、高退教の会員をいかに確保してゆくか、など約2時間の討論ののち散会しました。

 

 

備西支部春の学習交流集会

伝統工芸見学から勇崎干拓を巡り、

黒媛伝説の里、勤王の志士邸を訪ねる

備西支部 清水親義

 3月27日木曜日、備西

支部交流会が開催され

 ました。

 岡山支部の河本康彦さん・河原和子さんのご参加を得て、18名の交流会となりました。

 「それにしても、今年もまた晴れたなあ!」

  備西支部の交流会が、ずっと天候に恵まれていることの喜びを語る言葉があちこちから聞かれました。

 今年のテーマは「伝統工芸見学から勇崎干拓を巡り、黒媛伝説の里、勤王の志士邸を訪ねる」でした。

 今年も、武田芳紀さんの全面的なご協力をいただき、「4年連続の玉島地区開催」となりました。

 「春の交流会は、色々勉強させてもらえるからええなあ!」この言葉も、今回あちこちから聞かれた言葉です。

 最初に訪れたのが、テレビの「和風総本家」で「日本一の樽屋」と紹介された立花容器株式会社玉島工場です。現在は時代のニーズに合わせ、立花容器株式会社全体では、ペットボトル商品などの製造も行っているということでしたが、玉島工場では今もなお、創業当時からの伝統技術を受け継いだ木製樽、桶の製造販売を行っているということです。

 今回はその玉島工場で、手作り寿司桶の製造現場を見学させていただきました。

 それぞれの工程で説明を受け、「フーン、ヘーッ!」という声を漏らしながら、 皆さん少しずつ歩を進めます。

 最初は細長い板にしか見えなかったものが、段々と立体的になり、最後には写真のような寿司桶へと姿を変えるのです。

 その様子を一言で表せば、「機械と手仕事の融合」と言えるでしょう。機械で出来る基本的なことは機械で済ませますが、やはり人の手でしか出来ない所があり、そこは一種手品を見せられる感覚なのです。機械と人の手が融合しながら、桶が組み立てられていく様子を見ていると、思わず溜息が漏れてしまいます。

 

 手作りの匠の業や次々と木の香漂ふ(たる)(おけ)の歌        岡田 潤

  江戸時代初期(1600年頃)まで、現在の玉島は海でしたから、もし干拓事業がなかったら、現在の玉島はそもそも存在しません。

 その干拓事業の一つである「勇崎干拓」を見下ろせるのが宝亀山庚申堂(観音堂)で、立花容器の次はこの観音堂を訪れました。           

 その後、観音堂から見下ろした海沿いの堤防(=宝亀[ほうぎ]の土手)を進みながら、平成16年にこの地を襲った台風に思いを馳せました。干拓地であったが故の悲劇であったことはやはり否定できないのです。

 

 「案内人がおらんかったら、そもそもここに来れんかったなあ!」

 黒媛(くろひめ)伝説ゆかりの黒瀬神社を訪れて、誰かが思わず口にしたこの言葉は、恐らく参加者に共通する思いだったに違いありません。

 そう言われなければ見過ごされても仕方がない、大きいとは言えない神社なのです。仁徳天皇の歌「山縣(やまがた)()ける(あを)()も吉備人と共にし採めば楽しくもあるか(古事記)」に詠まれた「吉備人」こそ吉備(きびの)海部値女(あまのあたいのむすめ)、つまり美しい黒媛というわけですが、「黒媛伝説は、この地だけでなく何カ所かに残されています」という説明に、やや納得顔になった人がいたのも、やや仕方がなかったことかも知れません。

 その後、桜の堤を経由して赤松秋錦邸へ。

 秋錦は儒学者を志しましたが、更に医学を修めるため長崎、大坂など苦学精励し医師(蘭法医)となります。長州の吉田松陰、水戸の児島伝蔵をはじめ、100をこえる尊皇攘夷の人々を茶室にかくまい援助しました。そのため幕府に追われ、一時期円通寺の僧の援助で福山の寺に匿われたといいます。画家であり、詩書を能くし、和歌を嗜む人であったと言われます。(明治25年4月4日没。77歳。)

 秋錦邸は残念ながら中に入ることは出来ませんでした。

 締めくくりは、例年通りの良寛荘。

  今年の交流会では、県内の文化財の保護に著しく貢献したとして、平成29年度岡山県文化財保護協会賞受けられた藤澤雅さんと、おかやま人権研究センターから「迷信と科学」を出版された武田芳紀さんをお祝いして、花束贈呈を行いました。

 「お酒・ビール・ノンアルコールビール・ウーロン茶・暖かいお茶」のどれかを各自選びながら、今年も美味しい良寛荘のお弁当をいただきました。

 今年も、大病快癒のこと、仏教のこと、ご家族のこと、日頃思っていること等々の「近況報告」で盛り上がりながら、楽しい一日を終えました。

 

 

岡山・旭東支部春の学習交流集会

狂言ワークショップと歌声 

                     岡山支部 和田 茂

3/23()10:0015:15おかやま西川原プラザで2018年度の高退教の岡山支部・旭東支部合同での春の交流会が開催されました。午前は,「狂言のヒミツ」と題した「田辺大蔵氏によるワークショップ」,お弁当での昼食会,田中豊子さん伴奏での「歌声コーナー」,近況報告を兼ねた「参加者交流」という内容でした。

県立高校での教職のかたわら,30年にわたって狂言にとりくまれてこられた田辺先生のワークショップは,ふだん能や狂言などに縁遠い人にとってはいろんな意味で目を啓かれるものでした。能(ミュージカル),狂言(コント),歌舞伎(ストリートパフォーマンス)とは何かに始まり,舞台上の鏡板,橋掛かり,音響効果を高める仕掛けなどの様々な工夫,演者の装束の違いなど,表現を豊かにする知恵が様々に配されていることに驚きました。また,「構え」「運び」など狂言の演者の実際の動きを紹介いただき,私たちもその独特の動きを体験することができました。さらに「アム,アム,アム」(酒を飲むとき)「コカ,コカ,コカ」(烏の鳴き声)などの擬態語や擬音語の表現も体験しました。舞台,装束,動き,音の様式の中に表現にかかわる600年の先人たちの様々な蓄積があるのだと改めて感じ入りました。2時間程度の短い時間でしたが,狂言について大いに理解・興味が深まる貴重な時間となりました。

昼食弁当と歓談のあとは,「歌声コーナー」でした。まず「若者たち」に始まり,用意された歌集からリクエストで「リムジンガン」「見上げてごらん夜の星を」「私の子どもたちへ」などを歌い,田中先生から「ひとつの灯」を教えていただき,最後は「青い山脈」「大きな歌」「タンポポ」で締めくくりました。気分がゆったりしたところで,続けて参加者交流となりました。退職後の生活,社会との関わり,趣味のこと,家族のこと,病気からの復帰,健康づくりなど6080代にわたる参加者の皆さんの近況報告は,それぞれが個性的でした。健康に配慮されながら,さらに人生を充実させようとされる姿が共通していました。高退教では青年部,初参加の筆者としては大変参考になりました。

この高退教支部交流会のような退職同世代が大勢集まる機会は多くはないと思います。次回はさらに大勢の皆さんと一緒に参加したいと思いました。

 

参加者感想(抄)                                

狂言はどうでしたか。

▼とても有意義でした。スクリーンでの説明がわかりやすくて,よかった。

その上に,実技指導をしていただいたので,「狂言」とは,すばらしい芸

術なのだ!と,認識し直しました。チャンスがあれば,後楽園の能舞台

の本物を見たいと思います。

▼田辺先生のお話,実演とても勉強になりました。家でも思い出しながら

 やってみます。

▼構え・運びは日常的に健康のために実行してみようと思いました。擬音

 も楽しく多くのことを知ることができました。

▼すばらしい声と所作でした。今日1回かぎりにするのはもったいない気

 がします。また機会があればぜひお願いしたい。

歌声・近況交流は?

▼昔よく歌った歌を懐かしく思い出しながら歌いました。来年の40周年

 に参加したいと思います。

▼歌は苦手だけど,みんなの歌声が聞けるのはうれしい。心がほのぼのし

 ました。

▼新しい歌「ひとつの灯」を覚えることができてよかったです。田中先生

 ありがとうございました。参加者一人一人の充実した生活ぶりに刺激を

 受け,学ぶことが多かったようです。体力,気力,それぞれなので,無

理をしないで自分らしく過ごしていけたら幸いです。年一回の交流会で

すが,元気な姿で来年もお会いしたいです。

 

 

 

追悼 小川洋先生 

小川先生は私にとっては恩師であるとともに教師として同僚でもありました。

私は昭和30年から33年まで福渡高校の生徒でした。当時の福高は小学区制が維持されていて、周辺各地の中学校から多様な若者が集まり、いわば「福高ルネサンス」とでもいうような活気に満ちた時代でした。文化祭では生徒たちがオペラを上演し、啄木祭といった催しを行い、昼休みには音楽室で歌声が鳴り響いていました。

こうじた文化活動をリードしていたのが当時の若い先生、難波一夫、高階重和、小川洋といった方々でした。小川先生はいかにも哲学青年といった風貌で、あのぎょろりとした目で相手をまっすぐに見据えて論破するかと思えば、笑うといっぺんにかわいい顔になる。「永遠の青年」と評されていました。

先生はのちには英語教育に力を入れ、新英研(新英語教育研究会)のリーダーとして、県下だけでなく全国レベルで活躍されることになるのですが、私たちの時代には世界史を教えていらっしゃいました。先生の話は大変ドラマティックで面白く、フランス革命などは1カ月ほどかけて刻々と成り行きを物語ってくれるので、その時間が来るのを楽しみにしていました。

高校3年になり、大学受験が近づいてきたころ、私は「何のために大学に行くのか」とひどく悩んでいました。大学には行きたい、しかし何を目的に行くのか、がわからなくなっていたのです。大学で何を勉強すればいいかわからない、それでは高校時代に一番面白かった教科はなにか、と考えると、世界史でした。どうせ行くのなら、好きな教科の勉強をしようかな、と思って、大学の西洋史学科を受験しました。

私は教師となって世界史を教え、退職後も市民を相手に世界史の話をしています。自分の学んだ教科で、現在も市民と交流できることは幸せなことだと思っていますが、小川先生との出会いがなければ、私の人生は少し違った方向に進んでいったかもしれません。

小川先生は教師として、世界史や英語を、さらには大学でドイツ語をも教えられるという博識の方であるとともに、部落研を育成し、組合運動のリーダーでもありました。ある人は先生のことを「実践哲学者」と形容しましたが、私もこの形容は先生に最もふさわしく思います。つまり、教壇で上から哲学を講義するのではなく、実践の中で自らの哲学を鍛え、深められていかれた方でしたから。

もうひとつ、先生はサークル協(岡山県民間教育サークル連絡協議会)のリーダーでもありました。先生は新英研、私は世界史研究会の世話をしながら、全盛期のサークル協を一緒に支えた頃をなつかしく思いだします。

これからの学校で小川先生のようなユニークな方が存在するかどうかわかりませんが、先生のような方が活躍できないような学校は「つまらない」と言うことは断言できるでしょう。

先生のご冥福をお祈りいたします。             (徳方宏冶)

 

 

「岡山県九条の会」活動再開                             

~5・3憲法のつどいを成功させよう!~

岡山高退教副会長 小林軍治

2月20日(水)、岡山市の民主会館3階特別会議室で、県内各地9条の会の代表者会議を開き、県九条の会の活動再開について話し合った。出席者は26人新しい世話人、事務局を選出した。                      

県九条の会は、2014年10月5日()に岡山衛生会館三木記念ホールで「結成10周年記念の集い」を開催して以後、諸事情で全県の集まりや交流ができていなかった。

再開までの経緯

この間、岡山市内各地の「九条の会」は、2014年7月1日の安倍内閣による「集団的自衛権の行使を容認する」閣議決定に危機感を持ち、「何かしなければ」との思いを強くした。何回か有志で集まり、2015年8月1日、岡山医療生協コムコム会館で「岡山市内九条の会連絡会」の結成総会を、地域、職場、分野別から21組織30人が参加して開催した。

この会の第4回総会(2018年8月11日)で、今後の取り組みの「岡山市以外の9条の会との連携を強め、岡山県九条の会の活動再開に向けて努力する。」と決めた。この総会には、県憲法共同センターの伊原事務局長(当時)も参加していて、今後活動再開に向けて話し合うことを確認した。

2018年12月21日に、岡山市九条の会事務局メンバー2人が、県九条の会事務局を担当していた石井先生宅を訪問し、これまでの経過を説明し、活動再開に向けての協力をお願いした。

2019年1月19日、石井先生夫妻を含む12人が活動再開に向けて打ち合わせをし、「安倍首相の狙う9条改憲を阻止する組織と運動を再構築するために」全県活動者会議を開くことを決めた。

草の根から改憲ストップを

新事務局長に選出された伊原氏(前県憲法共同センター事務局長)は、「以前から県9条の会のみなさんとは共同進めてきた。今年の通常国会が改憲をめぐる闘いの正念場となる。草の根から9条改憲阻止の世論を広げるために対話と署名を進めていこう。」と呼びかけた。最後に今後について次の3点を確認した。

第1点は、各9条の会の組織実態や連絡先などを集約して、一覧表を作成する。

第2点は、5月3日の午前中(10時~12時)に、全県の交流会を岡山医療生協コムコム会館で開催し、午後は「5・3憲法のつどい」に参加する。

第3点は、地域や街頭での署名・宣伝活動を強化する。

第1回憲法集会の思い出

憲法記念日の5月3日()、今年も「憲法施行72周年記念 5・3憲法記念日 岡山県民のつどい/輝け日本国憲法!集会」を開催する。

この「つどい」は、1977年に「憲法施行30周年」を記念して始まった。岡山高教組は、第1回から今回まで「実行委員会」の事務局を担当している。

当時30代の私は高教組教文部長として、岡山大学の山口先生と相談しながら、第1回集会の準備に携わった。講演は奥平康弘東大教授にお願いした。岡山大学法文学部20番教室で開かれた第1回集会には、約330人が参加し、成功させることができた。

高教組からは「高校生の憲法意識調査」が報告された。この内容はマスコミにも大きく取り上げられた。この「集会」の歩みは、私の憲法人生の重要位置を占めるとともに、誇りでもある。

5・3集会を成功させ、安倍9条改憲を阻止しよう!

 

 

無謀な世界一人旅(第5回) 

                   備南支部 正保宏文

今日も天使に会った!!

今日はプラド美術館へ行った。少し道に迷いながらも軌道修正して、徒歩にて到着。地図とコンパスさえあれば、何とかなるといつも思う。

 さてプラド美術館であるが、日航のマドリード社長の安本氏の指摘のように、ムリーリョの絵は、本当に素晴らしく、館内全体を展観した後、もう一回、ムリーリョに会おうと思った。とりわけ、“無原罪のお宿り”は、マリアの女性として、母親としての表情が何とも優しくも美しかった。またマリアの回りに描かれた天使たちのあどけない天真爛漫な表情は、何にもかえがたいと思った。ムリーリョの絵が本日の天使の第一である。ムリーリョの描く女性たちは、どの女性も、どの女性も目を見張るほど美しく、男なら抱きしめたいと思うほどであった。ルーベンスとティティアーノの「アダムとイブ」の作品も見た。これは、ルーベンスがティティアーノの作品を模写したものだが、小生の目には、ルーベンスの方が上手に思えた。笑顔の赤ちゃん(悪魔)がイブにリンゴを渡す所で、アダムが“やめたら”という仕草をしているのだが、イブがリンゴをもらってしまう。ティティアーノの絵は、悪魔が笑っていない。そこが大きく異なる。好みの問題だが、ルーベンスはすごいと思った。

右側の建物がプラド美術館

 倉敷の大原美術館にあるエル・グレコの受胎告知を8倍位大きくした絵があり、これにも感動した。ゴヤの有名な絵が何点もあり、心が躍った。基本的には、ゴヤは庶民の味方だった。あの1808年5月3日の銃口に両手を広げた男の絵が如実に物語っていた。以前から写真でよく見ていたこの絵に会えたことでプラド美術館に来た甲斐が充分あると思った。その他、ベラスケスのキリスト磔刑図は言語に絶するほどリアルで、見事という他なかった。

 帰ろうと思って、荷物預所へ行った。ポケットに手をつっこむと荷物のかわりにもらったプラスチックの札がないではないか。札をすられて、誰かにリュックをもっていかれたとしたら、こりゃあ、困ったことになったと思った。しかし、運のいいことに、小生のリュックは目の前の棚の上にあった。小生は預けたリュックの中身を思い出して、ソニー製のカメラやグレーのメッシュの帽子が入っていると英語で言ったのだが、相手に全然通じない。係の女性はスペイン語しかわからないらしい。すったもんだでやっていると、小生の後ろに長い長い列ができだした。小生が困り果てていると、そこへ、この日、第二の天使がやってきた。韓国とベトナムの血を引いた20代の本当に美しい女性だった。彼女の骨折りで、小生は、氏名、住所、パスポートナンバーをカードに記入するだけで、リュックを受けとることができた。うれしかった。もうなんといっていいかわからないほどうれしかった。

 小生は、その女性に心からお礼を言った。色々話をしてみると、彼女はスペインへ滞在して2年目だという。その前は1年間日本にも滞在していたとのこと。そして、将来は韓国人のガイドをスペインでしたい旨のことを話してくれた。小生は、チャーミングな彼女を夕食に誘うべきか否か、とても迷ったが、結局、迷惑になるといけないと思い、誘わなかった。後の後悔先に立たずで、今、後悔することしきりである。一期一会なのだから、お礼の夕食に誘うべきであった。ダメもとで誘うべきであったのだ。残念。断腸の思いである。せめて記念の写真を撮らせてもらえばよかった・・・。

 

ムリーリョの 天使に見とれ 見とれして

札をなくして 救いの天使

 

さわやかなスペインの太陽

 旅は歩かなくてはおもしろさが半減する。多少道に迷おうとも、それを楽しみながら、目的地を目指す。地図とコンパス片手に少なくとも30分以内の目的地ならば、歩いてみるべきだ。昨日も道に迷って、行きも帰りも通る予定のないSOL駅を通過して、内心不安だらけであった。夕方のSOL駅は、若いカップルを中心に道路に人がいっぱいあふれていた。スペインの不況はどこ吹く風といった感じで、恋の花が咲いていた。

マドリードの街角で

 朝の太陽の光をどう表現したらよいのだろうか。スペインの太陽は、日本の太陽と違って、肌に直接あたってくる感じがする。日本では、直接ではなく、太陽と肌の間にもやもや(水蒸気など)があって届く。スペインの太陽はまぶしくきつい感じなのだが、何故かわからないが、太陽にさわやかさがあるのだ。冷たい太陽というか、心地よい太陽であった。ヨーロッパでは、肌を焼くということが、しばしば行われるが、うなずけるような気がする。日本の太陽の暑さは、肌に大変刺激的なのだが、スペインの太陽は、刺激的でなく何となく優しいのだ。太陽がごちそうに思えるのだ。緯度の違いからくるのか、偏西風のためなのか、それとも空気がきれいなのか、うだるような日本の暑さと全然違うのだ。スーパーで買ったリンゴが甘酸っぱく、みずみずしく歯切れもよくとってもおいしかったが、太陽のおかげかもしれないと思った。スペインの澄み切った青空と太陽は、一度は味わってみる価値があるように思う。(つづく)

*小川洋先生が、去る2月27日、享年93歳で永眠されました。教え子

でもいらっしゃった德方さん(私の恩師)に追悼文を寄せていただきま

した。

*正保宏文さんの連載「無謀な世界一人旅」は、まだまだ続きます。 

(居郷 毅)