目  次
新しい年をむかえて ········································ 会 長 藤 原 斌
2024 年度全退教中国・九州・沖縄ブロック
学習交流集会 in 山口に参加して ··············· 副 会 長 難波欽子

岡山支部の長寿をお祝いする会 ··················岡山支部島田宏恵
旭東支部の長寿をお祝いする会· ················· 旭東支部 岡田憲朗
2 年ぶりに退職予定者のつどいを開催 ····· 事務局次長 美 甘 晃
連載 随想復刻 最後の授業····························· 旭東支部 竹内良雄
連載 出会いとスケッチの旅
アメリカ「留学」編(2) ········································ 備西支部 水間正雄

各支部の 2025 年「春の交流会」のご案内 ············各 支 部
編集後記


新しい年をむかえて
会 長 藤原 斌


撮影 藤原洋平

穏やかな新年を迎えましたが、昨年の元旦には能登半島で大地震、津波があり、その惨状をテレビで見るにつけ、正月気分になれなかったなあ、とまず能登のことを思いました。
昨年、被団協がノーベル平和賞を受賞したことは大きなニュースになりました。しかし、日本政府は 4 年前に国連で採択された核兵器禁止条約には署名も批准もしていません。今年の会議にも政府としてのオブザーバー参加はしないと言っています。「覇権主義的な動きを強める中国や、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮など、日本をとりまく安全保障環境は厳しい。」と、アメリカの核の傘のもとでの核抑止の必要性を強調し、唯一の被爆国でありながら核禁止条約には背を向けています。アメリカを中心とする「同盟国」との軍事協力、日本の軍事力の強化を図ろうとしています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」という憲法を持つ国です。
「国際紛争を解決する手段」として、日本政府は、自国の軍事力強化や、同盟国との軍事協力を強めるという「威嚇」ではなく、戦争をしない国という誇りをもって、誠実な平和外交の努力をするのが日本の役割だと思っています。その役割を果たすために首相や外務大臣がアメリカや諸外国を飛び回るのであれば大賛成です。
アメリカではトランプ氏が再び大統領になりました。アメリカファーストと言っています。地球の温暖化など意に介さないです。石破内閣は所信表明で、日米の同盟強化を図るためにアメリカ大統領と会談すると述べています。私の願いとは違うようです。
ヨーロッパでも排他的、右傾化が進み、政情が不安定なようです。昨年の衆議院選挙では裏金問題への国民の批判が高まり、自民党が議席を減らし、自公政権が少数与党になったという変化はありました。しかし、根本的な政策である軍事費の大幅増、憲法改悪などという方向は変わってはいません。
今年も政治の状況がまず気になりました。
岡山高退教は、新しい会員が増えないという課題を抱えています。定年退職後もほとんどの人が再任用として働き、さらに常勤や非常勤として働く人もいて、いつ入会を誘えばいいのかその機会がつかめないという状態です。会員の皆様が、同僚だった人に個々に声掛けをして誘うのが一番の策ではないかと話しています。ぜひ心当たりの人を誘って仲間に加わってもらってください。
各支部の交流会は幹事を中心に楽しい企画を立てています。自然歴史探訪も昨年から再開しました。作品展も今年は 25 回を迎えます。ぜひふるって作品をお寄せください。一方で平和、教育、暮らしなどの課題にも、高退教としてできることに取り組んでいきたいと思っています。ご協力をよろしくお願いします。

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2024 年度全退教中国・九州・沖縄ブロック学習交流集会 in 山口に参加して
副会長 難波欽子


この集会は、11 月 20・21 日に下関市の国民宿舎「海峡ビューしものせき」で開催されました。山本事務局長と私の 2 名参加でしたが、実は締め切りを過ぎてしまってからという危ない参加申し込みでした。

海峡ビューしものせき
20 日の 13 時、「海峡ビューしものせき」に集合。ここは「源平壇ノ浦の合戦・明治維新」と、常に歴史の舞台となった関門海峡を眼下に望む「日本一船が近く見える宿」です。
13 時 30 分に学習交流会が始まりました。最初に、県単位で各 3 分が割り当てられ、お互いの自己紹介を行いました。
続いて下関市立大学教授関野秀明氏による講演「インフレ不況と改憲政治に
対抗する新しい平和福祉国家をめざす」がありました。
先生の講演は、大きく見え易い画面を使った、学生たちに話すような丁寧で熱のこもった講演でした。
私は、「政治や経済が大の苦手な私にはよく分からないかも知れない」と不安とともに聞き始めたのですが、目新しい切り口で項目ごとに話してくださり、私にも納得できる内容で、大いに勉強になりました。貧困をもたらす経済政策からの転換の道を探る話なのですから、本気で聞かないわけにはいきません。
まずは実態。一見ややこしく見えるグラフを目で追って行くと、私たちが置かれて来た状況が見えて来るのです。
インフレの危機。食料、エネルギー価格上昇。実質賃金低下。
アベノミクス下の推移が 2012 年を 1.00 として 2024 年までグングン上がる食料やエネルギー価格に対して、ズルズルと下がっていく実質賃金。
とまあ、この調子で全ての項目を取りあげると、講演内容だけで紙面がつぶれてしまうのでここで止めます。(後は、先生の著書「インフレ不況と『資本論』-新しい福祉国家という出口戦略-」を読んで下さい。)

講演 関野秀明先生
14 時 45 分からは、各県退教からの報告と意見交流が行われました。
初めに、中国・九州・沖縄ブロック幹事の佐賀高退教坂本景氏から全退教幹事会報告が、その後はそれぞれの県の、日ごろの活動が分かるプリントやチラシを使った報告が続き
ました。
山口県退教の岡本正和氏からは、宇部大空襲犠牲者の追悼碑建立を、たった一人からの平和活動で宇部市に働きかけて、ついに実現まで漕ぎ着けたというその経緯を、えんぴつ画とともにまとめた著書「標柱物語」が紹介されました。
我が岡山は、私のムダ話のせいで活動状況がアピールできないことになってしまい、まことに申し訳ないことをしてしまいました。
16:20 からの代表者会議は山本事務局長のみ出席で、私は部屋割りで定められた部屋に移り、沖縄で日常的に街頭平和活動をしている元小学校教員の若々しい女性と同室となって、楽しく有意義な時間を堪能しました。
18 時からの懇親会では、豪華な「至福の宴」で度肝を抜かれました!
高価なので何年間も食べることのなかったフグ🐡料理だけでなく、鯨、鮑、ロブスターなどが、「数人で食べるのかな?」と思う程の量で出てきたのですから。
その後の余興は、余りお金は掛けずに、準備して下さった方々の時間と手間と工夫を尽くしたもので、誰もが楽しめる素晴らしいものでした。特に、景品の種類と量は驚くほどで、山口県退教の方々は日々景品のことばかり考えていたのかと思わせるほどでした。
締めくくりは歌声の時間。リーダーの抜群の力量のお陰で、手にした歌詞プリントを目で追いながらどんどん引き込まれ、大変な盛り上がりとなりました。参加者は 31 名。
11 月 21 日は、沖縄の方々が飛行機✈を利用されるので予定を早めて、8 時 40分のバスに 29 名が時間厳守で乗り込みました。
9 時 30 分、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムに到着。

楽しく分かりやすい展示と館長さん直々の噛み砕いた解説との相乗効果で、私の頭の中にも、今まで知らなかったことがガンガン飛び込んで来ました。
その中で、遠い昔の弥生時代のことなんだからと受け流すのではなく、未来の日本人のことを考えて、今をしっかり見つめ直しながら生活すべきであるということを教えられたというか、骨身にしみて分からされたという感覚を初めて味わいました。
11 時に角島、12 時には道の駅「ほうこく」。この中で、文化遺産の角島灯台とエメラルドグリーの海と白い砂浜は評判通りの格別なものでした。
13 時には、新下関駅で十人程下車しました。又の再会を約束した後、景品で
貰った「モグラよけのカラカラ鳴る背丈程のプラスチック製の派手な風車」を持って新幹線に乗り込み、数年後に控えた岡山集会では、「これまで以上の行き届いたおもてなしがしたいものだ」と思いながら、一路岡山へと向かいました。
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岡山支部の長寿をお祝いする会
岡山支部 島田宏恵

岡山支部では、11 月 19 日に赤木洋子さ ん、河原和子さん、徳方宏治さんの長寿をお祝いする会を開きました。 赤木さんは退院後の体調がまだ十分でなくメッセージを送ってくださいました。河原さんは当日ご都合が悪く、出席は徳方さんお一人になりましたが、支部役員 6 名が加わり和やかに会が進められました。小川副会長からお祝いの挨拶、記念品の贈呈、その後徳方さんに近況や思いを語っていただきました。

「2 日前、朝日新聞の『声』欄に私の投稿文が掲載された。

 日米の選挙 不完全な民主主義
元高校教員 徳方宏冶
(岡山県 84 歳)
米カリフォルニア在住の娘に大統領選について聞くと、アフリカ系米国人でミュージシャンの夫は、緑の党のジル・スタイン氏に投票したそうです。共和、民主の二大政党制のもとでは当選につながらないとわかっていても、投じるのだそうです。
トランプ氏もハリス氏もイスラエルを支持する中で、それに抗議し、ガザ地区の人々を助けたいと思う人々。スタイン氏はそのような有権者らの受け皿となり、70 万票以上を獲得しました。それでも、ガザでの殺戮に反対する人々の意思は、米国の政策にはなかなか反映されません。
今の大統領選の在り方は、戦後日本が手本にした米国民主主義といえるのでしょうか。日本の衆院選は投票した有権者の多くの意向が必ずしも結果に反映されない小選挙区制を続けています。民主主義とは選挙で自分の意思を国政に届けること。日米ともに、少数でも重要な意見が反映されるような改革を望みます。 【朝日新聞の『声』欄から】

実は 5 年前心臓の手術中、血栓が脳に飛び脳梗塞になった。そのせいで文字が全く読めない、理解できない状態になった。妻に支えられ『いろは』から覚えていき、日常生活に支障がないところまで回復した」淡々と語られましたが、失意のどん底から血のにじむようなリハビリを続けてこられた努力や投稿にみられる前向きな姿勢に心を打たれました。
「父が満州鉄道に勤めていたので私は旧満州で生まれた。その父が病気になり 2 歳の時一家で故郷の久米南町に引き揚げた。あのままいたら残留孤児になっていたかも。
生活は貧しかったが戦禍を受けることなく、終戦の年に小学校に入学。2 年で初めて教科書を手にした喜びは今でも忘れられない。中学卒業後福渡高校に進学、難波一夫先生や小川洋先生など若くて元気のいい先生が多く活気のある高校だった。」戦中から戦後の幼少年期の体験が、その後の教育活動や平和運動の原点になっているように思いました。
後輩へのメッセージとして「まず健康が一番、そして何かやることを見つけ継続すること。今回の兵庫知事選で強く感じたことは、元知事再選の背景にSNSを駆使したネット戦略があり、特に若者中心に支持が広がった。世論の誘導に利用されるSNS、SNSの根拠のない情報に流されない若者、高校生を育てるのも大人の責務だと思う。」選挙や民主主義のあり方を考えさせられるお言葉でした。
貴重なお話をありがとうございました。

 

近況と思うこと 赤木洋子

「長寿を祝う会」へのご招待ありがとうございました。欠席の失礼をお許しください。
この春、脳梗塞で国立病院へ緊急搬送され 1 ヶ月の入院治療リハビリ、引
き続き岡山中央病院で 2 ヶ月リハビリ入院。心臓病、パーキンソン病の持病
もあり 3 ヶ月の入院となりました。当初右半身が不自由で立つことも歩くこ
ともできませんでしたが、退院時には 1 本杖で少しなら歩けるようになりました。退院を控え、病院、介護、建築それぞれの関係者による家屋調査があり、寝室を 1 階に、床はバリアフリーに、出入りしやすい入り口に、家中手摺りだらけにと、まるでよその家のようでした。
退院翌日から訪問介護と介護施設への通所が始まりました。ここでは入浴とリハビリをします。体の機能が不自由な人や認知症の人などいろんな人がいて、愚痴や家族のことなど気の向くままに話し交流します。
掃除は夫が、洗濯は二人で分担、食事は生協の宅配や冷凍食品、総菜なども利用して栄養バランスを考えながら作っています。包丁は夫の出番です。こうして子供たちにも助けられながら二人で暮らしています。
入院中も今もウクライナ、ガザなどの戦争は続いています。たくさんの子供たちが亡くなっています。破壊し、生きとし生ける者を殺しつくす戦争には絶対反対です。戦争を知る最後の年代になりました。人間が人間として本当に大切にされる世の中を願ってやみません。元気で長生きしましょう。出来ることはしましょう。生きていることこそが「希望」です。皆さんの健康と多幸を祈念しつつ。ありがとうございました。

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旭東支部の長寿をお祝いする会
旭東支部 岡田憲朗

今年度、旭東支部で長寿のお祝いの対象の方は、栄繁男先生と山本嘉子先生のお二人でした。栄先生については、10 月 17 日に岡山市内のある居酒屋で、藤原会長からの挨拶文と図書券、それと旭東支部からのお祝いの品をお渡ししました。栄先生はかつての同じ職場の先輩で、さらにその職場の OB で月に一度親睦の会を開いています。ですから毎月顔を合わせているわけで、その場を借りて長寿のお祝いをさせていただきました。20 年以上続いている会で、多い時は 10 名を超えていましたが、徐々に減ってきて当日の参加者は7 名でした。参加者全員でお祝いをして大いに盛り上がりました。この会では毎回話に花が咲いて、楽しい時間を過ごしています。栄先生は野菜作りに精を出しておられるとのことで、いろいろ教えていただいています。まだまだお元気です。これからも健康にすごされることをお祈りします。
山本先生については、ご都合がつかなくて、岸本先生から、藤原会長の挨拶文と図書券を郵送させていただきました。

 「長寿のお祝い」の対象となる期間の変更について
これまでは、高退教の会計年度(つまり 7 月初めの総会から次の年度の 7
月初めの総会まで)に 85 歳を迎えた方が「長寿のお祝い」の対象でした。しかし、この場合、4 月~6 月生まれの方と 7 月~3 月生まれの方では学年が同じでも、長寿のお祝いの年が違っていました。
そこで、幹事会での議論を経て、今年度(2025 年度)から、4 月~3 月生まれの方(つまり、学年が同じ方)を長寿のお祝いの対象者とすることにしました。たまたま前年度の長寿のお祝いの対象者に 4 月~6 月生まれの方がいらっしゃらなかったので、矛盾が生じていないこともあり、今回の措置に移行することになりました。

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2 年ぶりに退職予定者のつどいを開催
事務局次長 美甘 晃

12 月 14 日(土)、高退教と高教組共催の 2024 年度退職予定者のつどいが、岡山市の西川原プラザ内会議室で開催されました。公務員の定年延長が昨年度から始まり、2023 年度と 2024 年度は 61 歳での定年となったため、2 年ぶりの開催となりました。会には 13 名の今年度定年の先生方の参加がありました。高退教からは 8 名が参加しました。
冒頭、高教組村田委員長、高退教山本事務局長のあいさつにはじまり、参加者全員の自己紹介を経て、全教共済や高退教の入会を高教組委員長、高退教事務局長が訴えました。
先輩会員のお話しということで、今回は大久保緑子さんと武田芳紀さんにお願いしました。
大久保さんは高梁市立宇治高校で定年、その後同校での再任用教諭を 4 年、
非常勤講師として 2 年勤め、この 3 月で完全に学校現場を離れられました。その間、義理のお母さまの介護も抱えながら、文化祭での演劇活動を途切れなく実践されていた様子を生き生きと語られました。小規模定時制高校の生徒たちの成長するさまが、報告から強く伝わってきて心動かされました。親の介護の問題にも触れながら、「人生のさまざまな選択は、(誰かのために誰かが犠牲なるのでなく)関わる人みんなが幸せじゃないといけん」という思いを基準にと、貴重な助言もいただきました。
数年ぶりに再度お話しいただいた武田さんは、あい変わらずの活躍ぶりでした。ピアニカによるシャンソン「パリの空の下」の演奏からはじまり、「退職以後は黄金の 10 年間だ。退職後も楽しく挑戦できることはさまざまあり、地域の文化講座などもその一例だ。」と言われました。「スポーツや音楽が大の苦手の私がこんなことをやっています。」と「大人の鍵盤ハーモニカ講座」を紹介、憲法カフェなどの市民運動、地域の歴史研究、ボランティア活動、絵画などのとりくみに、また新たな分野が加わっています。「退職から新たな自己実現の旅がはじまる」「学力とは出会いをものにする力」「今しかチャンスはない」という言葉に参加者もおおいに触発されたでしょう。参加者のうち 2 名がここで退職、あとの方々は来年度以降フルタイムの再任用として勤務とのことでした。まだ小さなお子さんや学生の子どもさんを抱えている方もいらっしゃるとのことで、会の最後に、退職金や社会保険、年金などの福利厚生にかかわる資料も参考に、参加者、高退教会員、高教組代表が、定年後の生活設計について懇談しました。
そして最後に、藤原高退教会長のあいさつで会を閉じました。
次回のつどいも 2 年後になります。来年度は開催されないということで、高退教加入をすすめるとりくみをさらに検討する必要があります。
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随想復刻 最後の授業
旭東支部 竹内良雄

平成 13 年 2 月 21 日、最終考査前の 6 時間目が教職人生最後の授業になっ た。それほどの感慨もなかったから特別の構えもなしに臨んだ 2 年生 D 組の教室は、いつものとおりの寒気に晒されていた。女の子たちが腰に巻き付けた小ぶりの毛布ばかりが教場には不似合いな華やぎをみせており、その傍らで男たちは細い肩をいっそう丸めて震えていた。
漢文の授業だった。1 年前に編纂し全校生徒の副読本に採用された 「論語百章」の 1 ページから、いかにもそれらしいのを選んで高邁な倫理哲学を論ずるのがこの場には最も相応しかったのだろう。こちらにとっては教職最後の授業だからと言っても、生徒にとっては特別の意味がある訳ではない。何時の場合でもとかくのもったいぶった言い方を自分は好まないし、寒さの中でうずくまっている生徒にそれ以上の苦痛を強いるのは酷である。それに 37 年間を総括してみたところで語るほどの何物も持ちはしない。生徒一人ひとりに漢文の 3、4 行を指定して朗読させるというやりかたは、最後の授業としてはいかにも軽いものになった。だからまた、順番がきた一人ひとりの緊張のほかには緩やかな空気が教室を占領し始めた。教卓の前に立ったついでに可愛げに語りかけてくる女の子もいる。「先生、いよいよ最後じゃなあ」「何年間教師してきたん」「そりゃあまあ、お疲れさまでした」と。中には「私たちと別れるのが辛いじゃろう」「私のことを忘れたら許さんよ」と意味深な言い方までが交錯したりする。男たちはいたって現金なもので、「今度ラーメン屋で会ったら奢ってください」やら、「ぼくらが同窓会を開く時は会費免除で呼んであげます」やら、むこうの方から「それまで先生が生きとったらのことじゃけどな」と強烈なヤジまで飛んでくる。
一人ひとりは確かに教卓の前の朗読を専らにしているというのに、教室の中の賑わいは次第にオクターブを引き上げていった。いつもとは違った興奮が彼らを占領し始めている。順番の最後の一人を聞き終わった時、ちょうど終礼の チャイムが鳴った。これが最後のチャイムかとやっとちょっとした感慨を覚えながら起立の姿勢をとったその瞬間、教室は言いようのない静寂を出現させた。それはまた譬えようのない切なさを一気に込み上がらせた。自分は初めて彼ら の演出の中身を知った。そしてその心憎さに動揺した。動揺はその一瞬に緩んだ口元に現れたに違いなかったが、後頭部に突き上げてきた熱いものには気づ かれないで済んだ。
中央付近に一群れの女の子たちが動いた。花束が前に進んでくる。バラの赤が鮮やかだ。拍手が沸く。自分は素直に嬉しいと思った。思いながら動きや表情のぎこちなさも自覚された。ホームルーム委員が 1 枚の紙片を読み上げ始めた。こちらへの労いの言葉に続けて、「熱く釜を燃やし続けてきた機関車もやっと終着駅にたどり着いたのです」と言い出したものだから、「いつまでも元気に汽笛を鳴らし続けてください」と結ばざるを得なかった。そうか自分は蒸気機関車だったのか、その譬えのいくぶん気張った叙情味にクスリと白い歯を見せたら、教室中がまた泣きじゃくり気味の笑いに包まれた。
丁寧に綺麗に書き寄せられた 2 枚の色紙が渡された。自分は花束と 2 枚を高く捧げてみんなの思いにやっと応えた。教職一筋を歩んできた老教師の最後の最後の授業に、生徒の方が緊張を秘めながら臨んでくれていたのだ。自分は自分を意味付けないまま最後に臨み、その不用意を生徒の方が埋めてくれた形になった。朗読中のひとことふたことはすぐ後にくる緊張の場面に対応できるようにと、こちらのボルテージを高めてくれるための前段準備だったということになる。驚きと喜びと、下手をすると眼から滑り落ちそうになるものをやっとの思いでくい止めながら、 自分は教壇をついに降りた。教室の戸は生徒の手で開けられ、教場を去ろうとする自分に前後して彼らも外に溢れ出た。後ろの戸口も先が急がれた。
自分はその光景をまるで予測しなかった。開放廊下は午後になってもまるで緩まない寒気を晒して、そのまま灰色の空を後ろに控えさせている筈だった。4 教室をまたぐ廊下一杯に制服姿が列をなしている。A 組から C組の授業を終えたばかりの全員とその教科担任が、いよいよ最後の教場を去って行くひとりの老教師の花道を築いてくれているのである。「さようなら」「元気でね」などの声に交じって、「頼むから進級させてんよ」「最後頼むよ」と冗談めかした叫びもある。それこそ最後まで手を焼かせた連中の照れ隠し気味の表情が妙に輝いて見えもする。キャアーとかワーッとか拍手とかの中を通り抜けると、そこにカメラを構えた学年主任の顔があって、すべては学年団の教員の組み立てたものであることを初めて知った。その好意がありがたかった。それにしてもまあ自分はよくも埒外にいたものだ。
自分は最後の授業らしい授業を用意しなかったが、学年団の教員と生徒たちは見事に「最後の授業」を演出した。それはまたなによりもの教育的意味を持った。赤茶けたままの芝生の中庭、寒々とした開放廊下の教室の並び、制服姿の消え失せた後に曇天の虚空はいっそうの寂しさを増した。春なお浅い金剛の地がこうして最後の別れの舞台になったことが自分にはこよなくいとおしい。(2001 年 3 月 4 日)
【タイトル中の「復刻」は、言葉の正しい使い方ではありませんが、竹内良雄先生のご許可のもと、今では手に入りにくくなった先生の随想集の中から、数編を選んで連載させていただくという意味で、編集部の責任において「復刻」としたものです。】
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出会いとスケッチの旅 アメリカ「留学」編(2)
備西支部 水間正雄

タコマ日本人会
全く予想していなかった招待があった。「PLU に日本人留学生がいると聞いたのでね」と、タコマ日本人会の会長さんという方が、我々全員を招待して、手作りの料理でもてなしてくれたのだ。会長さんは戦時中の強制収容所での過酷な体験を話した上で、「しかしそれでも今補償なんかは要らない。日本人は皆立派に立ち直っているし、市長や州議会議員や国会議員も多くいる『優秀で勤勉な民族』だからね」と。
公園で開かれた日本人会の運動会にも留学生全員が招かれた。2 世から 3 世もいる時代になっており、アジア系の顔の人もいれば、全くの白人にしか見えない子供もいた。パン食い競争のような、もう日本では行われなくなった競技もあって面白かった。
座敷で開かれる日本人会にも招待された。戦争直後に在日米兵と結ばれて渡米した、いわゆる『戦争花嫁』と呼ばれた方達だろうか、参加者の多くが女性で、出してくれた料理のほとんどが和食だった。私達への「オモテナシ」だから和食だったのか、平素の家庭料理も和食で、その延長線上で和食だったのか、などということが思い浮かんだが、口には出さなかった。
参加者の中に、特に笑顔の可愛い女性がいた。都立の有名な女学校を出た後、吉田茂首相邸の女中として働いていたのだという。彼女の話は面白く、皆が引き込まれるもので、内容を要約すれば、「国内外の来客が、女中に気軽に話しかけた言葉や態度には、本当の人柄が表れる」という話だった。一つのエピソードが終わって、また新しいエピソードが始まると、皆が身を乗り出して聞き入った。
私は、全部の話を聞き終わっても余韻が冷めやらず、「『家政婦は見た、戦後史の新事実』を出版されてはどうか」と、本気で勧めてしまった。

「小型バス提供」という PLU 格別の配慮
PLU の、我々日本人留学生に対する配慮には、並々ならぬものがあった。移動手段を持たない我々のために、度々小型バスを提供してくれたのだ。 シアトル大学へ向かった時も、小型バスでの送迎があった。車の揺れにもう飽きかけた頃、目の前に突如巨大な木のドームが現れたのだが、それが合図のように、「これを過ぎるといよいよシアトル大学」との声が上がって、目的地が近いことを知った。
仲間の多くは、キャンパスに向かったが、私は別行動を取ることにして、大学周辺でジョギングし、気に入った題材があったらスケッチすることにした。池の近くをジョギングしている時、そこに水上飛行機が浮かんでいるのが目に入った。

キャンピングカー
この辺りは高級住宅地らしく、住宅の庭にはTOYOTAのトラックキャンピングカーが並んでいた。週末には多くの家族が郊外で過ごすのだろう。
キャンピングカーがあちこちに見えるだけでも驚いたのに、水上飛行機を繋留している家まであることには、文字通り度肝を抜かれてしまった。
こうした小型バスの送迎は、日本人会に招待された時にも提供され、我々の行動の幅を大きく広げてくれた。

ロバート家の果樹園
学生として知り合ったロバートの家に行った。ロッキー山脈を超え、車で丸1 日かけて、ダムで砂漠を緑化した町ヤキマに着いた。ここにはメキシコからの労働
者が多く住んでいる。彼の親は教員で、1 キロ四方ほどの土地に休暇ごとに苗木を植えて、果樹園にしていた。庭にはプールが掘ってあり、妹さんの友達とも水遊びをした。8 月下旬には新学期が始まっていて、お母さんの学校を訪問すると、娘さんも教室で手伝っていた。児童には「遠いようでも太平洋を挟んだ隣の国から来ました」と自己紹介し、一緒に遊んだ。
後にロバートが私の家に滞在したときには、青陵高校に来てもらった。バスケットの授業で大柄な彼がダンクシュートをすると、生徒は拍手喝采して喜んだ。
次の日、彼を近くの山にある知人の果樹園に案内した。彼に、日本の果樹園とアメリカの果樹園の規模の違いを知ってほしかったからだ。
彼の家の果樹園は、1キロ四方の「小さな果樹園」と言うが、それでも日本の果樹園から見ると、あり得ない広さの果樹園であるということを実感してほしいという気があった。
以前、テニスで知り合った井上君が、農場でのアルバイト体験で「幅の広い耕運器具を取り付けた巨大なトラクターの助手席と運転席に友達と2人で乗り込んで、地平線目がけてひたすら進み、向こうで弁当を食べてUターン。元のところにたどり着いて、ご苦労さまとなったのは、なんと夕方だった。それほどこの農場は広大だった」と話してくれたことを思い出して、それをロバートに話した。「それに対して、日本の農園はこんなにも狭い!」
こんな時間を作ったのは、彼に当時問題となっていた大農場のカリフォルニア産オレンジとの貿易摩擦について考えてもらいたかったからだ。

各支部の 2025 年「春の交流会」のご案内

(各支部からの行事報告を、次号に掲載しますので、この記事は割愛します)

編集後記

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▼2025 年になりました。今年はハガキが 85 円に値上がりし たこともあり、今年で年賀状は最後にしますという年賀状や欠礼ハガキが多くありました。▼今年は阪神・淡路大震災から30 年、能登半島地震から1年が経ちました。また、昨年8月8日の宮崎地震以降、南海トラフ地震の可能性を取り沙汰されることが増えています。数年前の親戚の法事のとき、1946 年12月21日の昭和南海地震のことが話題になったことがあり、岡山市東区九蟠の親戚の家の辺りで液状化現象があって大変難儀だったことを話していた年配の方の顔を思い出しました。▼藤原会長の巻頭言にあるように、昨年の被団協のノーベル平和賞受賞は大きなニュースでした。憲法9条に集約される平和憲法を守る「非暴力の戦い」が一段と重要です。▼全退教中国・九州・沖縄ブロック学習交流集会が山口県の下関市で開催され、難波副会長と山本事務局長のお二人が参加されました。2025年(広島)、2026年(島根)の次の2027年は岡山開催とのことです。▼2024年度の長寿をお祝いする会は岡山支部と旭東支部で開催されました。美作支部は対象の中西孝先生がご多忙で日程が取れず、記念品などの郵送でした。また、備西支部は「春の交流会」のときに一緒に行います。2025 年度からは4月~3月生まれの同学年の85歳の方の長寿をお祝いすることになりました。▼昨年度から段階的に定年延長がスタートした関係で、2 年ぶりに「退職予定者のつどい」が開催されました。「61歳での定年退職」の退職予定者の多くの方は再任用でもうしばらく学校に勤務される状況になっています。そのため、60歳前半で高退教に入会される方が減少してきています。今後は65歳前後で加入の呼びかけのとりくみが求められています。▼連載記事として、竹内先生の「随想復刻」が始まりました。竹内先生は私の備前東高校時代に大変お世話になった方であり、2025年度の長寿を祝う会の対象者でもあります。▼もう一つの連載記事は、水間先生「出会いとスケッチの旅」です。今回は「アメリカ『留学』編(2)」です。▼今年も春の交流会の季節がやってきました。6つの支部全部で実施の予定です。ふるってご参加ください。▼また、6月1日(日)には第3回新自然歴史探訪(通算53回)が開催される予定です。詳しい案内は次回の会報 180 号の発送のときになります。▼会報 176 号以来 2 回目の担当で、前回は一太郎での編集、今回はワードでの編集でした。▼藤原洋平先生から20枚近くの写真を送ってもらいましたが、紙面の都合で実際に使用したのは2枚となり申し訳なかったです。この場を借りて感謝とお詫びをしたいと思います。(岸本)
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