会報掲載の写真やカットは省略していますが、PDF版にアクセスいただくとご覧になれます。

第 47 回定期総会報告  備西支部 清水親義

梅雨明け以降、猛暑が続く7 月12 日(日)、岡山県生涯学習センター情報創作棟4 階中研 修室にて、参加者 38 名の出席のもと「岡山高 退教 第47 回定期総会」が開催されました。
開会に先立ち、昨年度総会以降に逝去され た会員の方々に対し、全員で起立し黙祷を捧 げました。
続いて小川副会長より開会の挨拶があり、 今期岡山高退教において会長と事務局長の 交代を余儀なくされた事情が説明されました。挨拶では「高市政権の異常な姿と、議会制民主主義の行方」に対する強い危機感 が訴えられ、「その中で自分に何ができるか」という重い問いかけがなされました。
続いて、来賓である高教組の村田秀石委員長(高退教副会長)からご挨拶をいただ きました。同志社国際高校の辺野古沖での事故に乗じた文科省による不当な平和教育 への介入の実態や、特定の高校に 62 億円もの巨費を投じる「ネクストハイスクール 事業」の現状について報告がありました。
議長選出では、土井彰さん(備北)と私・清水親義(備西)が選出され、議事に入りました。
まず、年度途中で急遽事務局長を引き継いだ美甘晃 さんより、2025 年度経過報告が行われました。「交流・ 平和・教育・生活支援を柱に、高退教らしい活動を着実 に広げた 1 年間」として、多岐にわたる経過が報告さ れました。
続いて和田茂事務局次長より、2025 年度決算報告が 行われました。年度後半に会議室費が必要となった件 や、クロネコ DM 便の廃止に伴う会報送料の値上げによる影響などが報告されました。
その後、協議に移り、2026 年度活動計画案が提案されました。
が示され、特に 2027 年度に「中九沖縄ブロック 学習交流集会」が岡山で開催されることを見据え た活動の重要性が強調されました。
次に、2026 年度予算案が提案され、運営安定資 金から 18 万円を繰り入れざるを得ない厳しい財 政状況が説明されました。
質疑応答および参加者発言では、以下のような 多角的な意見が出されました。

「交流を広げ、憲法 を守り、教育と生活を支える高退教らしい行動を強める 1 年」に向けた各種取り組み○教育署名の取り組みが実を結び、岡山市議会で生理用品の常置とトイレの洋式化が 全会一致で採択されたこと(生理用品常置の署名活動は後楽館高校から始まったもの)
○皇室典範をめぐる議論に触れ、歴史教育の重要性を再認識したこと
○丙午(ひのえうま)の迷信による産み控えは確認できなかったこと
○会報のデジタル配信化など、受け取り方法の再検討が必要なこと
慎重な審議の結果、2026 年度活動計画案および予算案はともに満場一致で承認さ れました。
最後に、2026 年度役員選出案が提案・承認され、午前中の日程を終了して議長を降 壇しました。その後は藤原洋平事務局次長の進行のもと、全員で記念撮影を行い、昼 食休憩に入りました

定期総会 午後の交流&学習

交流(健康体操とうたごえ)と 学習「アメリカ時代の終わり」なのか 旭東支部 岸本幹雄

昼食休憩の後、「健康体操」と「うたごえ」 で交流しました。最初に、難波欽子さんの指導 で 10 分程度、「椅子に座ってできる健康体操」 として手足や身体の一部を次々に動かしなが ら行いました。次の「うたごえ」は、田中豊子 さんのアコーディオン演奏で 10 分程度、「大き なうた」と「青い空は」の 2 曲を歌いました。
「思いっきり声を出すことがこんなに気持ち いいことなのかと、歌いながら何度も思った! とても楽しい時間だったし、もう少し歌いたか
解すれば良いのか?「不穏」の内容は、従来の 国際秩序や民主主義のあり方が絡んでいる。 その何れにも「トランプ 2.0」のアメリカがか かわっている。「トランプ 2.0」をもって、「ア メリカ時代の終わり」と見るかどうか?→ベ トナム戦争の敗北以降の 1970 年代~、「アメ リカの衰退」が唱えられてきたが、21 世紀の 今日の事態は、加速する「衰退」局面なのか、 世界史的な転換点(=「終焉」)なのか?
まず、アメリカ膨張主義の伝統は「西部開拓」 - 2 -
った!」という参加者からの感想もありました。短時間でしたが、「健康体操」と 「うたごえ」で、昼食後の眠気を覚ますのに一役買った感じと私も思いました。 交流の後の学習は、難波達興さんの講演「『アメリカ時代の終わり』なのか」を 90
分ほど聴きました。内容は非常に難しいもので、講演レジメの抜粋と私の頭に残っ ていることを紹介して報告に代えたいと思います。
はじめに、今、世界・日本で起こっているさまざまな「不穏な」動きを、どう理- 3 -
「フロンティア精神」と美化する必要はなく、ヨーロッパ列強の海外への植民地主 義と同質の過程と指摘されました。また、トランプの「ドンロー主義」は 1823 年 の「モンロー主義」の系譜であり、キーワードは「西半球」支配で、その具体例は 参加者へ投げかけられて、アラスカ、グリーンランド、ベネズエラ、キューバ、カ ナダ、ニカラグア、チリなど、次々と参加者から応答がありました。
次に、建国のはじめからアメリカは「宗教国家」→国教は存在しないが「市民宗 教」的とのこと。トランプの岩盤支持層である「福音派」は、全米に浸透し、政治 にコミットし、立法・司法に影響を及ぼし、単なる宗教運動でなく、公共空間に浸 透することによって、アメリカの主流文化になりつつあるそうだ。
最後に、「昨年は『戦後 80 年』だったが、『戦後』概念の賞味期限はいつまでなの か?」「これまでの戦後を規定した対米従属=安保体制が続く限り、『戦後』は終わ らない」「『アメリカ時代の終わり』は日米関係の根本的な再構築を抜きにしては語 れない」「『わたしには国際法など存在しない』と嘯くトランプの傍若無人な振る舞 いは、もはや『ファシズム』概念を用いて分析・評価すべき段階にあるのではない か」「軍事・経済的にいかに強大に見えようとも、イスラエルとともに国際社会から 見放され、孤立した国家を『ヘゲモニー国家』と見なすことはできない。私たちは、 『トランプ 2.0』に『パックス・アメリカーナ』時代の終焉を見ているし、行く手 をあやまらないように、私たちも日本で微力を尽くすべきである」と指摘されまし た。
幅広い読書と長年培われた世界史を見る眼によってまとめられた講演は聞き応 えのあるものでした。いま米国が引き起こしている現実を見る視点をさらに深める と同時に、対米従属にしか見えない日本のあり方を日本人は再考すべきだと思いま した。
【以下は参加者の講演の感想】
○トランプに媚びる現高市政権の姿勢がいかに愚かで危険なものであるかを今回 の講演でさらに深く理解することができました。今後の高退教のとりくみにも生か していかなければならないと思いました。(美甘 晃)
○元英語教師の頭の中には今でもどこかに「アメリカ」が陣取っている。米国が「自 由」と「民主主義」の国とは思っていないが、先端科学を誇る米国でなぜ「福音派」 が 24%も占めるのか、興味をそそられるテーマでした。(和田 茂)


2026 年度岡山高退教役員
会長 小川 澄雄
副会長 島田 宏恵
〃花田 千春
〃村田 秀石(岡山高教組 委員長)
事務局長 美甘 晃
事務局次長 藤原 洋平
〃 和田 茂
〃 岸本 幹雄



幹事
岡山支部 井上 俊清
〃 川鍋 暢子
〃 田中 豊子
〃 北村 庸江
〃 難波 欽子
備北支部 土井 彰
〃 逸見 健治
備南支部 綾野 保晴
〃 犬飼 繁
旭東支部 岡田 憲朗
〃 岸本 幹雄
美作支部 森藤 康郎
〃 奥埜 貴之
備西支部 清水 親義
〃 西 功
顧問 藤原 斌
会計監査 津嶋 宣夫 三上 雅弘

退職後の心豊かな生活示す作品群 ~生涯学習センターで第 26 回作品展開かれる~  岡山支部 小川澄雄

岡山高退教第 26 回作品展が、7 月 7 日搬入・翌 8 日~12 日の間、岡山県生涯学習セン ター展示コーナーを会場に開催されました。
出品常連者に事故や病気で活動できない 方々もあり、当初、出品申込が非常に少ない 状態でしたが、支部幹事による声掛けが広く 行われ、28 人(前回 19 人)の方々から 58 作 品(前回 44 作品)が寄せられました。会員だ けでなく、会員の連れ合いやお孫さんなどからも作品が寄せられました。
写真、絵画、書、絵手紙・クラフト、手芸・服飾、木工、漆器、詩集・歌集・ 句集、魚拓など退職後の趣味を活かした作品群が並びました。作品はどれも、 退職後も心豊かに暮らしている様子が窺えるものばかりです。また、前回と同 様、岡山・旭東・備北三支部合同交流会の参加者による短歌・俳句、自然歴史 探訪での短歌・俳句のコーナーも設けられました。
今回の作品展でユニークだったのは、水間正雄さんの「クイズで進める保健 の授業」と題する作品。壁一面のほぼ全体を使い、酒やタバコの害を生徒に訴 えたもので、来場者の注目を集めていました。難波欽子さんのバッタ・カタツムリに関心を示す若者もありました。 例年と同様、来場者は限られているものの、来られた方々は一つひとつの作品をじ っくり鑑賞してくださっていました。
なお、今回初めて出品してくださった西 村毅さんの写真「永遠に残したい風景」が、 壁面から落下して、額が壊れてしまいました。申し訳ありませんでした。今後は、展示に細心の注意をしていく必要がありま す。

〈作品展への出品作品〉
【写真】
赤座 匡 会員 「夢空間」「陽春」「地球家族」
荒木敏和 会員 「秋たけなわ」「JIVE」
木村徳子 会員 「我が家の庭で育てた花」
西村 毅 会員 「永遠に残したい風景」 3 点
【絵画】
島田宏恵 会員 「下津井干しダコ」「バラ」「卓上の果物」 - 4 -高崎泰子 会員 「つるバラ」「カサブランカ」「おひなさま」 武田昭一 会員 「麦秋」1「麦秋」2
武田芳紀 会員 「ジーンズの似合う S 嬢」「赤いショールと黒いド レス」「倉敷市立美術館」「シンビジウム」
中村清子 会員 「花 A」「花 B」「花 C」
花田 蒼 協賛 「夏空」
美甘 晃 会員 「兵庫の寺へ」
水間正雄 会員 「クイズで進める保健の授業」
三宅茂子 協賛 「ルリビタキ」「コウノトリ」
三宅通明 会員 「牛窓の風景」「シクラメン」
【書】
大久保緑子 会員 「私の好きな芭蕉の俳句」3 点
岡田憲朗 会員 色紙に俳句
小川澄雄 会員 「綺廻漢恵説感武丁」「霊文爛煌々嚥服十二環奄見 仙人房」
横田廣太郎 会員 「般若心経」「漢詩一行軸」良寛の詩「調和体」三 好達治の詩
【絵手紙】
花田千春 会員 「絵手紙俳句」
北村庸江 会員 「旅の俳句 富山・北海道」
【クラフト】
武田芳紀 会員 「民芸調の筒の万華鏡」
難波欽子 会員 「自然からの贈り物」
【手芸・服飾】
内田恵子 会員 「刺し子のクロス」
神谷泰子 協賛 「編み込みセーター」
田中豊子 会員 「肩かけスマホ袋」「自転車用ハンドルカバー」 花田美海 協賛 「ひよこポシェット」
【木工】
島田保弘 協賛 「デザイン椅子」(ケヤキ・トチ)「筆入れ」(屋久 杉)「一輪挿し」(カバザクラ)
【漆器】
木村徳子 会員 「卵殻を使った銘々皿」2 点 【詩集・歌集・句集】
岡田憲朗 会員 『海と月と星とⅢ』『芥子山Ⅱ』 曽田康載 会員 『花になろう』
【魚拓】
岡田憲朗 会員 「メバル」

『美作支部 春の交流会』報告
美作支部 森藤康郎

世情の混乱をよそに、山々に咲き誇った桜はいつの間にかツツジと藤に入
れ替わり、様々な花々に彩られる季節となりました。美作支部の春の交流会は、 【花の寺 普門寺】への旅を企画しました。【普門寺】は、旧落合町田原山上 にある古刹で、田原山上という場所は、かつて僻地中の僻地として知られてい ました。今は大きな道も通り、ふもとの国道から 20 分ほどで楽々いけます。
4 月 18 日土曜日、道の駅【醍醐の里】に 10 時に集合したのは私を入れて 4 名です。例年は 10 名以上の参加を得ていたので、だいぶん寂しい感じ。企画 が悪かったのか、時期が悪かったのか、それとも申し込みはがきを用意出来な かったのがよくなかったのか、反省しきり。気を取り直して、1 台の車に乗り 合わせて出発。山道をぐんぐん登っていき、20 分ほどで目的地到着。現地は、 丁度『春の花祭り』の初日ということで、大変な賑わい。イベント開催時のみ 営業される『スイーツ店』・『手打ちそば店』・『草餅店』などが店開きして おり、他には木工品を販売するテントと、ワラビや産物・工芸品を販売するテ ントなど、地元の人々が何とか祭りを盛り上げようとしている意気込みにあ ふれていた。お寺の参道下の特設ステージでは、フラダンスや地元バンドの演 奏会も用意されていた。なによりも驚いたのは、一帯が花々に覆われていて、 八重桜・ツツジ・ドウダンツツジ・シャクナゲ・ゆうすげ、などの花が咲き誇 っていたこと。特にシャクナゲは見事で、あれほどのシャクナゲの大木は、な かなか見られない。その大木が何本もあり、それぞれに色鮮やかな花を咲かせ ている見事さに、圧倒された。なお、この寺には【四季桜】と呼ばれる桜があ り、秋にも見事な花を咲かせるという。秋の紅葉と重ねて、ぜひ鑑賞していた だきたい。お寺の境内は、1 年前の下見の時に比べて、かなり修復されていて、 見事に整備されていて落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
さて、境内を一巡して、下の茶店のベンチで一休みしていると、ランチの予 約時間が迫ってきた。どうしてもフラダンスのショーを見たいという組合員 さんを促して、ランチ会場の【森のカフェ】さんへ移動してもらう。お寺の隣 が、旧【上田小学校】跡地で、そこに【森のカフェ】さんや美容室・宿泊施設 などが置かれている。なお広い校庭には、遊具などが残されており、イベント 開催時には駐車場となる。旧上田小学校は、お洒落なメルヘンチックな建物で、 可愛らしいほのぼのとした雰囲気を醸している。その中の旧職員室であった 場所が、喫茶・食堂になっており、そこでランチを頂く。ランチは、1 食 1,500 円、各自でお支払いいただく。田舎料理を、こじゃれた感じで可愛らしく盛り 付けしてあり、テンションが上がる。食べてみると、意外にボリュームがあり、 みなさん苦戦なさった様子。最後に、コーヒーや紅茶を頂き、濃密に歓談をす る。
ランチを終え、再び茶店のベンチで一息入れて、お土産などの買い物を済ま せ、帰路につく。道の駅【醍醐の里】に帰ってきたのは 13 時過ぎで、ここで 行事終了、解散となった。時間がまだ早いので、皆さん物足りなさそうで、他に行くようなところはないのかといわれる方もおられましたが、今回はこれ で勘弁いただく。また来年の再会を約して、散会した。皆さん、帰られて農作業の続きをされるそうで、恐れいりました。来年度は、大勢のご参加をお待ちしております。

第 4 回新自然歴史探訪(通算 54 回)の報告
備西支部 西 功

 5月24日(日)9時に参加者が岡山駅西口に集合し、定刻に出発しました。出発してしばらくして、今回の企画の中心を担っていただいた武田さんより訪問先の説明がありました。バスは新緑の山や畑のあいだを縫うようにして進み、最初の訪問地である那岐山中腹にある菩提寺に出発からおよそ1時間半で到着しました。

菩提寺と大銀杏
菩提寺は、浄土宗の開祖・法然が9歳から13歳まで修行した寺院と伝えられています。各自で菩提寺にお参りしたあと、境内の東にそびえ立つ大銀杏に目を向けると、その900年の風雪に耐えた姿に、皆さん思わず釘付けになりました。樹高はおよそ40〜45メートル、幹回りは12〜13メートルほど。推定樹齢900年といわれ、「新日本名木100選」にも選ばれています。伝承によると、幼いころの法然は、生家のあった久米南町の誕生寺からこの菩提寺まで歩いて登ったといいます。そのとき、麓の阿弥陀堂で銀杏の枝を折り、杖代わりにして山道を登り、菩提寺に着くと「学成れば根付けよ」と願いを込めて、その杖を境内の土に挿したのだとか。やがて杖は芽吹き、長い歳月を重ねて、いま目の前に立っているこの大銀杏になったと伝えられています。学問成就の願いを宿したその姿を見上げていると、自分の旅路までも静かに励まされているように感じられました。参加者はスマホやカメラで、大銀杏を夢中で?写真に撮っていました。
大銀杏九百年の初夏の風            (岡田いっかん)
大銀杏九百年の風雪に痛々しくも神々しくも   (岡田いっかん)
弥陀の名を唱えつ仰ぐ大銀杏青々として九百年生く(小川澄雄)

那岐山麓 山の駅で昼食
菩提寺の見学の後、又バスに乗り数分、那岐山麓 山の駅へ到着しました。ここは標高400m、アルプスの民家をイメージした山の駅です。特産品ショップ、レストランをはじめ様々な体験・研修施設が整っています。ここで、11時過ぎに昼食をとりました。予定より早く着いたためか昼食までの時間があり、各自の自己紹介を含めて談笑をしました。昼食はおいしいハンバ―グをいただきました。食後お土産などを買い求めました。

片山潜記念館で戦いの生涯を偲ぶ
午後1時ごろ山の駅を出発し、揺れる車窓から棚田や集落を眺めながら約1時間。山あいの小さな集落、久米南町里方の片山潜記念館に着きました。記念館の周囲にはなだらかな里山の風景が広がり、静かな空気の中を歩いていると、片山潜が幼少期を過ごしたころの暮らしぶりがふと胸に浮かびました。生家の南には、生誕百年を記念した「生誕百年・片山潜」の碑が建ち、道路を挟んだ向かい側に素朴な佇まいの記念館が建っています。館内では、政広幹夫町議が案内役を務めてくださいました。説明を聞きながら展示室を巡ると、写真や手紙、遺品などから、農家の家に生まれた1人の若者が苦学の末に渡米し、やがて日本初の隣保館「キングスレー館」を設立したり、労働運動や社会主義思想にめざめ、日本共産党創立への関わりなど、歴史の教科書でしか知らなかった名前が、ぐっと身近な存在に感じられました。片山潜記念館は、派手さこそないが、当時の生活空間を通して彼の原点に静かにふれられる場所でした。里山の穏やかな風景と素朴な展示が溶け合い、社会運動の歴史について考えさせられるひと時となりました。

誕生寺と大銀杏
記念館を出発して、約10分久米南町にある誕生寺に着きました。誕生寺は、浄土宗の開祖・法然上人が誕生した地に建てられた寺院で、創建は建久4年(1193年)。『平家物語』にも登場し平敦盛を討った武将として知られる熊谷直実が、法然の教えに深く帰依して出家し、この地に寺を建立したとされています。境内には産湯の井戸や稚児堂など、法然上人の足跡を今に伝える史跡が残っています。寺は南北朝時代に兵火で焼失したが、江戸時代に再興され、現在の伽藍はその後の整備によって整えられたものだという。特に印象深いのは、通誉上人が江戸で本尊や秘仏を開帳した際に、八百屋お七の遺族から託された振袖が、今も大切に保管されているという話でした。境内に入ると、法然が植えたと伝わる大銀杏が迎えてくれました。樹齢は850年以上になるそうです。今回は菩提寺と誕生寺、法然に因む二つの大銀杏に出会うことができ、どちらもその存在感に圧倒され感激しました。その後は、各自で御影堂にお参りしたり、宝物館などを見て回りました。
午後3時過ぎに誕生寺を出発し、解散場所の岡山駅へ向かいました。天候にも恵まれた今回の自然歴史探訪は、こうして無事に終わりを迎えました。
のんびりと和気藹々とした楽しい探訪でしたが、ただ一つ残念なことは参加者が例年に比べ少なかったことです。来年はぜひ大勢の参加で楽しい探訪としたいと思います。よろしくお願いします。

第4回新自然歴史探訪に参加して(一口感想)

〇下見の時(4月4日)の銀杏は裸木でしたが、今日は若葉が出て一層堂々としていました。感動!!
片山潜記念館で政広氏の話を聞くことができたのがよかった。(岡田憲朗)
〇本当にありがとうございました。この行事がなければ奈義町、久米南町は全く知らなかったでしょう。皆さんに会えるし、視野が広がるしありがとうございました。(青木精一)
〇巨大な銀杏の感想を大学時代の友人に送ったら、「お前が感動しているのが嬉しい」とのメールが!(清水親義)
〇女性二人で楽しい旅でした。いつも楽しく勉強になりました。先生方の苦労は大きかっただろうと思いますが、参加の私たちは感謝でした。(森定博美・小幡キク子)
〇全体的に充実し楽しい一日であった。大銀杏には樹齢と大きさに驚いた。片山潜記念館は議員の方の説明が良かったです。(三宅幸良)
〇片山潜記念館では詳しい説明をいただいてありがたかった。帰って資料をしっかり読んで心に止めたいと思います。(井上俊清)
〇備西支部の仲間が2/3を占めていたのは驚きでした。気心しれた仲間がいるのは心強いのですが、今回参加者が減った分新規開拓もして行かないといけませんね。今は菩提寺の大銀杏を見てきたところですが、皆さんがとても喜んだり感心してくれたのは嬉しいです。(武田芳紀)

2026年第36回全退教定期総会の報告
事務局 美甘 晃

5月29日、東京全教会館で開催された今年度全退教定期総会に参加しました。昨年までは一泊二日の大会でしたが、今年度は初めて11時~16時の日帰り開催となり、岡山を含め全国47退教66人が参加しました。
 前半の総会では、「戦争をする国づくり」につきすすむ高市政権や、同志社国際高校の辺野古での痛恨の事故への文科省の教基法違反断定への怒り・警戒が開会挨拶などで述べられ、それにつづく討論では、豊かな高退教活動をめざす各退教のとりくみが報告されました。
 どの発言も、今の情勢を反映して、戦争反対・改憲反対のとりくみやその重要性を強調するもので、他の教育関係団体と共同して駅頭でボイスアクションにとりくんだり、「教職員平和大集会」やダニー・ネフセタイさんを招いての平和講演会など、さまざまなチャレンジが報告されました。仲間ふやしでも、アポなし戸別訪問にとりくんだり、事務局に「仲間ふやしプロジェクト」を設置したりして、対話を重視した仲間ふやしがさまざまに語られました。
 今総会の大きな目的のひとつは、今後の全退教総会のあり方を提起し論議を深めることでした。来年度は一泊二日の総会をひらくものの、それ以後は「隔年」の一泊開催とし、会員数に応じた代議員制にすることや、その際の旅費・宿泊費は代議員人数分を補償することなどが提起され、今後一年間論議をすすめて来年度の総会で決定することになりました。ただ、参加者の発言では、今の情勢も踏まえ毎年の開催を望む声が複数ありました。
 総会の後半では、地域別ブロック会議と、ランダムにグループ分けした分散会がおこなわれ、仲間ふやしなどについてそれぞれの現状を報告しながら交流しました。
中・九・沖ブロックでの会議では、幹事の長崎退教・鍛冶さんが3月に急逝され、急きょの対応ではありましたが、各退教の現状など文字どおり膝をまじえて交流しました。今年度のブロック学習交流集会は島根開催で、準備が若干遅れてはいますが10月6~7日、松江を会場に、朝ドラ「ばけばけ」のモデル小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主なテーマに講演やフィールドワーク・交流を行うということでした。
総会は、「退職教職員のみんなに声をかけ、楽しく豊かな退教活動を創り出そう!『教え子を再び戦場に送らない』旗を高く掲げて、憲法改正を阻止しよう!」という宣言を採択して閉会となりました。
なお、2027年度の中・九・沖ブロックの学習交流集会は岡山開催となっています。全退教のツアーが11月に行われるため、ブロック集会は10月の上旬あたりが最適だということです。となれば、来年10月初旬あたりで宿泊場所を早めに予約し、学習やフィールドワークの内容・テーマを早急に検討・準備しなければなりません。来年度の全退教総会(5月下旬)に開催要項を報告することになります。今年の島根の交流会への参加も含め、岡山高退教会員のみなさんのご協力・ご参加をよろしくお願いしたいと思います。

自室のベッド上で自然歴史探訪を追う 岡山支部 山本和弘

近況報告に代えて
昨年9月、思いもかけない交通事故で九死に一生を得て、半年に及ぶ入院の後、3月末に退院。自宅療養と通所リハビリの日々を送っています。「要介護4」の認定には我ながら驚くばかりで、何かにつけて、身体の不自由さとそれに倍する精神の衰退が嘆かれます。
今回の奈義町・久米南町方面への自然歴史探訪の企画には、いつにも増して心惹かれるものがあったのですが、あいにく身心の不如意から、参加がかないませんでした。代わりに、ベッド上で思うがままに行程をたどり、沸いては消えるあれこれの連想をネタに、近況報告代わりの一文とさせていただきます。

二八と聞いて敦盛を打ちかねる   (「俳風柳多留」)
「江戸川柳で読む平家物語」(文春新書)にこんな句が紹介されています。
二八は、二八蕎麦。蕎麦粉八割、つなぎ二割の割合。蕎麦粉の含有率が高いほど蕎麦打ちの難度が上がります。「敦盛」は、「熱盛り」と掛けていて、「打つ」は「蕎麦」の縁語です。九九で、二八は十六。16歳の少年と聞いて敦盛を討ちかねた、という表の意味の裏に、二八蕎麦の熱盛りを打つのが難しいという洒落を隠した言葉遊びの句です。
国語古典教材のおなじみの名場面のひとつに「敦盛最期」(『平家物語』)があります。
一の谷の合戦のさなか、手柄を求めて勇む源氏方の武将熊谷次郎直実は、舟へ逃げようとする平家の武者を呼び止めます。引き返してきた相手を組み伏せ、首を掻こうと兜を押しのけると、息子の小次郎と同年代と見える美貌の少年でした。不憫に思って、とっさに逃がそうとするも、背後には源氏の大軍。他の者の手にかけるより、せめて自分で討ち取り、後の供養をしようと、みずからその首を取ったのでした。やがて、わずか16歳の平家の公達敦盛であることが知れ、戦場に愛笛「青葉」(または「小枝」とも)を携えていた優美さも、人々の涙を誘わずにはいませんでした。
後に直実は、殺生を性(さが)とする武士の身を厭い、世の無常を嘆いて出家し、浄土宗の開祖・法然上人の弟子になり、蓮生と名乗ります。彼が法然の出生地、久米南町に建立したのが「誕生寺」です。

孫殿の誕生待つや誕生寺
この誕生寺を最初に訪れたのは、高校時代、文芸部の「自主遠足」の機会でしたか。ディテール(細部)はすっかり薄らいでいますが、逆さ銀杏の巨木と「片目川」の伝承などについて、おぼろに幽かな記憶が残っています。
後に、高教組教研国語部会の企画で、今は亡き畏友細川公之さんを中心に催されていた一連の文学史跡巡り(誰言うとなく「眉唾ツアー」と呼称)のひとつとして、真夏の誕生寺を訪問したことがありました。宝物館で「八百屋お七」の振り袖を見て、数奇な縁(えにし)に感嘆したものでした。細川さんは、ついでに、宝物館に展示されている涅槃図を前に、独特の流麗な口調で、釈迦入滅にまつわる蘊蓄を語ってくれたことを、今更のように思い出します。
私的に親交のある同郷・同窓の齢近い知己数人で、思い立って、この地への気まぐれ遠足を楽しんだこともありました(2013年秋)。同行のKさんご夫妻には、近くお孫さん誕生の予定があり、タイミングが重なるとキャンセルの可能性もあるし、あまり遠い場所は避けたいということで、当初候補に挙がっていたいくつかの場所は避けて、ここを選定したのでした。
「今年一番の冷え込み」と伝えられる中、道中は澄み切った青空に明るい日射しがあたたかく、「いい天気だねえ」「絶好の日和だねえ」と思わず口に出る快適ドライブを堪能したことでした。
Kさんご夫妻は、深夜、めでたく男のお孫さんを得られたそうです。まことに、「誕生寺」参詣の甲斐があったのでございましょう。
そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり
翌年の秋には、同様の「故旧」のメンバーで、菩提寺をはじめ奈義町を訪ねました。その時、菩提寺の境内にそびえる大イチョウを見上げて、啄木風を真似た戯れ歌を作ってみたのがこれです。
私は高校一年の頃、夏休み中の自由参加の学校行事で、ここにテントを張ってキャンプをした記憶があります。それを話すと、同行の「故旧」の面々は、年代は違うものの、そんな行事の記憶はないとおっしゃるので、自己の記憶への自信がすっかり揺らいでしまいました。でも、ひたすら汗を流し、へとへとになった登山、冷水に浸された炭酸飲料のうまさ、突然の激しい雨水と格闘したテントの夜の非日常性などなど、「十五の夏」の体験がありありと思い出されるのです。その時、確かに真夏の陽射しの中に、輝く緑の葉を茂らせていたこの大イチョウの姿が、今も目に浮かぶ気がします。
写真は、2014年秋に撮影した色づき始めの大イチョウです。今年の大イチョウはいかがだったでしょうか?
【追記】今年の自然歴史探訪の行程は、2018年10月たどったコースとも一部重なっており、その概要は、当時拙ブログ「ナードサークの独り言」の過去記事に掲載したことがありました。(https://kazgsan1.blog.fc2.com/blog-entry-5496.html参照)それらの2番煎じ、3番煎じとなりましたことをお断りしておきます。

知っていますか? 郷土の偉人―岸田吟香
美作支部 草地浩典

岸田吟香(きしだぎんこう)(1833~1903)は美咲町栃原に生まれ、自ら唱えていた「大魚は小池に遊ばず」の大海に漕ぎ出す大きな希望を抱いて津山で5年学んだあと、19歳で江戸に向かい研鑽を重ねていました。30歳の時眼病を患い失明の危機になりましたが、アメリカの宣教師(医師)ヘボンの治療を受け奇跡的に回復しました。ヘボンとの出会いは吟香が大成する大きな転機となりました。以後二人のかかわりでいろいろな成果を生み出しました。『和英語林集成』(ヘボン式ローマ字による辞書)の編纂、液体目薬(精錡水)の製造販売、民間邦字新聞創刊、従軍記者、盲啞学校の創設、アヘン撲滅運動など大業をなしとげた実業家でジャーナリスト、慈善家、教育者として文明開化期に活躍した、美咲町が生んだ郷里の偉人です。
吟香の4男岸田劉生は日本近代美術史上屈指の洋画家として麗子像などで知られ、5男辰彌は宝塚歌劇団の演出家で「モン・パリ」(日本初のラインダンスが有名)を制作しました。

岸田吟香は「卵かけご飯」で知られていますが、それだけでなく吟香を全国にひろめたいとの強い願いから2020年「岸田吟香を語り継ぐ会」を結成して活動しています。
定例会を行い、他の研究会との交流や講演会の開催、研修活動など、おかげで知名度も高まりつつあります。

「卵かけご飯」は大変な人気で「食堂かめっち」で食べられます。お代わり自由、年間7~8万人訪れます。
吟香は目薬精錡水で莫大な財を成しましたがすべて福祉活動などで使い果たし、死後大きな借金が重なりました。それを親友の清水卯三郎がすべてを引き受けました。朝ドラ「風、薫る」の清水卯三郎です。
つたない内容で文言が不統一ですがご容赦ください。よろしくお願いします。
何かありましたらご連絡ください。岸田吟香記念館は美咲町西川の多世代交流拠点『あさひなた』にあります。記念館には吟香のすべてが詰まっています。

梅田正己さんの新著『天皇制国家は、いかにして創られたか』と高文研と私   岡山支部 佐藤静雄

 高市政権になってから、激しい右翼化の波にさらされている。政権与党の中の元大臣の議員からも国家翼賛体制との発言が聞こえる日々である。私は、いら立ちのもと4月岡山駅前のペンライトデモに行った。あの戦争法案反対の2015.8.30国会前12万デモを思いだしていた。ペンライトデモも8.30デモでも私は組織に寄らず一人で参加している。戦争法案から11年、加速度的に日本は戦争する国家になりつつある。日本は戦艦、ミサイルを売る国になってしまいつつある。
 さらに、皇位継承問題がにわかに政治問題化している。女性天皇だとか男系天皇だとかマスコミあげて話題にしている。天皇の娘さんの配偶者問題も話題が尽きない。旧皇族を養子にするなど、話題にこと欠かない。天皇の娘さんは、愛子内親王殿下というらしい。彼女の配偶者を本人ではない者が選ぶというような報道は、人権無視そのものと思う。上皇の、美智子さんとの恋愛を忘れたごとくである。日本の男系天皇が続いてきたという神話作りの延長に、愛子さんは巻き込まれている。一人の女性としてあまりにも可哀そうにみえる。
 そんな中で『天皇制国家はいかにして創られたか』という梅田正己さんの書かれた本がこの5月に出版された。私は、本屋に並ぶ前に手にした。私は、一読して理解出来るほど賢くない。何度か読んでやっと少しばかり理解できる。しかし、梅田さんの著作は文体がやさしく映像が見えるようで分かった気持ちになる。昨年の徳方先生の追悼記でも少しふれた。梅田さんは意識的に記述されていると思うが、長く高校生、教師のための本などを編集されてきたゆえかと思う。
 この天皇制国家の形成過程については、先の著書『明治維新の歴史』でもよく分かるのだが、新著では天皇の動きと政治的な動きが重なってよく分かる。「はじめに」の記述から少しまとめておく。
江戸時代までの前近代の天皇制と、明治維新後の天皇制とは、政治的・社会的・文化的にまったく異質な存在なのである。その異質性をひとことで言えば、今では国民のだれもが天皇の存在を知っているが、江戸時代まではごく一部の知識層を除いて、武士層含め一般人民はだれも天皇の存在を知らなかったということがある。・・・もう一つ、前近代と近代の天皇制の異質性を言えば、徳川幕府による天皇に対する拘束という問題がある。…幕末の1863年…まで237年もの間、天皇は御所から外に出ることが出来ない・・・軟禁状態におかれていたのである。
以下、天皇制国家は政治的に作られてゆく。天皇の存在を国民に知らしめることになったのは地方への数度の巡幸である。列車やバスのない時代に多くの人を従えての長き日数の巡幸である。若き天皇にとっても大変な旅であったと思う。馬車などの行列は、岩倉、木戸など含め総勢230名からなる大行列である。東北・北海道巡幸の折の帰りは船であった。激しい揺れで苦難の旅の様子が詳しく書かれている。その明治丸が横浜港に帰ってきたのが7月20日である。その7月20日が1995年(平成7)に国民の祝日となった。私は、海の日がなぜ7月20日なのか知らないでいた。今の祝日が多くは天皇制が起原にあることを調べると良い。勤労感謝の日など調べてみて欲しいものである。梅田さんの本には、尊王思想の形成から帝国憲法の制定まで近代天皇制国家の形成過程が記されている。それは、少々誇張していえば、「無(天皇不在の状態)」から「有(近代天皇制)」を生み出したとの記述がある。しかし、歴史だけで近代天皇制をとらえると、総体としての近代天皇制を見誤るとの記述もある。それは、まだ植民地を持たなかった小国がその後40年余りで広大なる植民地を持つ大帝国に変貌を遂げることを見る必要があるとする。その大日本帝国は「天皇の国(皇国)」であり日本軍は「天皇の軍(皇軍)」の歴史である。そのことから帝国憲法制定後の軌跡も最後に述べられている。本書の構成を次に記しておく。
1章 「尊王思想」の形成と維新の変革
2章 近代統一国家を目指しての模索と反動
3章 自由民権運動の高揚と暗転
4章 天皇制国家の体制確立へ向かって
5章 不平等条約の改定と帝国憲法の制定
*明治維新史研究の“盲点”
高文研について少し記す。梅田さん(90才)は大学を出てから三省堂に就職し、PR誌『学生通信』の編集を担当し、宣伝は広告欄にとどめ、未成年の性や学生の自治、非行問題など、教科書ではあまり扱わないテーマを取り上げた。適切な筆者が見つからないと、自ら取材、執筆もしたとのこと。この通信は、会社の都合で72年に廃刊した。しかし、各地に「ファン」の教師が育っていた。そこで、退社し「金子さとみさん」と自ら出版社「高校生文化研究会」(今の「高文研」)を設立し『月刊 考える高校生』を発刊した。私が、岡山で教職についたのが73年、まさに梅田さんらの出版社とパラレルの時代を過ごしてゆく。梅田さんは、高校時代に受験勉強に没頭した反動で大学時代は授業もそこそこに読書にふけった。就職先での仕事も受験勉強の反動が反映されたという。高校時代という思春期は人生に大きな影響を与える。私も決して実を結ばなかった受験勉強の経験をした。私は、教師という仕事をしながら、あの思春期に通過儀礼として、受験勉強は意味のあることだろうかと今も思っている。在職時代の受験指導には悩んだ。頭が柔らかい年齢の時詰め込んだ方がいいという人もいるが。
本筋と離れるが、私と高校の同じクラスで卒業した人で、アジアプレスでパレスチナを取材し、福島で「飯舘村の母ちゃんたち、土とともに」という映画を製作し、今もガザなどパレスチナのことを精力的に発信している女性が「古居みずえさん」であることを数年前に知った。彼女は、『インティファーダの女たち』(彩流社刊)の長い前書きで高校の受験体制に対しての屈折を記している。ジャーナリストを目指したのは、病気のことも影響があるとしているが、前書きの最初に受験体制の高校時代の重い思いをあえて記してあることで、私も同じ空間にいた自分を思いだしている。受験勉強ばかりし、大学でも官僚になるべく勉強ばかりしていただろう日本の中枢にいる人は、ほんとうに学力があるのだろうか。受験学力はほんとうの学力だろうか。
 再び梅田さんのことを記す。『考える高校生』『ジュパンス』は、決して受験勉強についての記事は書かない。高校生たちの悩みや文化的な活動の紹介、教師版でも決して受験勉強については記事にしなかった。「3年B組金八先生」の小説版や教育問題、社会問題などについての本を多く出版した。私自身の関わることでも『考える高校生』や『ジュパンス』の巻頭に紹介されたこともあった。『文化祭企画読本』でも最初の本に、『続』に『続々』にと、私のクラスの企画が紹介された。時に、偽名などを使ったこともある。ほんとうに高文研に育ててもらった。今は、『ジュパンス』はない。高校生の活動や教師の交流が出来た月刊『高校生』、月刊『HR』も廃刊して久しい。今、生徒たち、教師たちの思いや文化的な交流実践誌は皆無に近い。あるのは、大学紹介やハウツー本だけである。若い教師の学ぶ本は少ない。今、岡山の私立高校は少子化のもと建学の理念どころか大学受験指導の競争での生徒集めでいっぱいである。県立高校は、中高一貫高校や少数の受験校に受験指導が集約されつつある。山間部にあって素晴らしい実践をした高校は閉校してしまった。もう『考える高校生』の隙間はなさそうだ。しかし、現場の先生には頑張ってほしい。考える高校生を育ててほしい。教育は国家の物ではなく国民、人々のためにある。「高文研」の新しい皆さん、頑張ってほしい。国家主義の嵐が吹き、とうとう「スパイ防止法」の論議も始まってきた。かつて、出版人も巻き込まれるとして「国家機密法反対」の事務局を高文研に置いた。梅田さんはまだまだ休むことが出来ない日々だ。
 *梅田さんについては、東京新聞(2024.5.6)の紹介記事を参考にした。
 *高文研の本は、代金に加え送料手数料400円送るとダイレクトに届きます。
  詳しくはHPをご覧ください。               2026.6.1


出会いとスケッチの旅 ブルガリア編(2)
備西支部 水間正雄

ヴァルナのオペラハウス
この建物は「ストヤン・バチュヴァロフ劇場」の名で親しまれ、19世紀末から20世紀初頭にかけてのバロック様式とルネサンス様式が融合した、ヴァルナで最も美しい建築の一つに数えられている。特に印象的なのは、青空に映える鮮やかな朱色の外壁と、窓周りを彩る純白の浮き彫り細工のコントラストだ。港町の潮風を感じる広場に建つその姿は、まるで街の宝石箱のような気品を漂わせていた。
眩しい太陽の光に照らされた円柱や装飾の数々は、白く輝いてはくっきりとした影を作り、その立体感は思わず筆を走らせたくなるほどの造形美だった。内部は2階席が美しい弧を描く伝統的な西洋式の構造だというが、私は、この完璧な左右対称の建物の姿を紙の上に留めたいと、広場を歩く人々の喧騒を遠くに感じながら、ただただ夢中でスケッチを続けた。

ヴェリコ・タルノヴォのユースホステル
このユースホステルで8日間過ごした。夜は若い経営者がラム酒とコーラとコーヒーをブレンドした怪しげなペットボトルを出してくれ、夜遅くまで話した。ギターを持ったフランス人のグループが来たときには、歌の好きな私は先頭になってはしゃいだ。リクエストして歌って踊ったのだ。
これは余談だが、私の描いた若い経営者の似顔絵と玉島の絵はがきをこのユースホステルの受付に貼ってくれていたので、それを見てくれた人もいたのだろう。
後日ルーマニアで会った旅人から、「あなたの絵をヴェリコ・タルノヴォで見た」と言われ、驚いたことがある。
このユースホステルで、日本語の村上春樹の『海辺のカフカ』の上巻を見て、初めて村上作品を読み始めた。その後、出会った日本人の旅人が読んでいたり、何人かの外国人も村上春樹が好きだと言ったりするのを聞いて、私も村上春樹を強く意識するようになった。
下巻は、ルーマニアで出会った日本の若者からもらって読んだ。

ヴェリコ・タルノヴォの城塞
蛇行する川と切り立った崖で守られた城塞も、オスマン朝との戦いで破壊され、今は廃墟となっている。しかし夜になると、見晴らしの良いユースホステルから、この城塞を舞台にした「光のショー」を夜10時から楽しむことができた。
街では歌舞伎公演が済んだところで、民族舞踊フェスティバルが開かれており、国際大学祭も行われていた。早朝ひとりで散歩していると、5人の若い美女グループに出会った。
「大学祭に参加していて…」と言って説明してくれたので、出身国を尋ねると「ユークライン」と答えた。耳慣れない言葉に何度か聞き直したが、ピンとこない。仕方なく「首都は?」と聞くと「キーウ」だという。それでもまだ分からず、何度も繰り返すうちに、ようやく「ウクライナ」のことだと気づくまでに相当な時間がかかってしまった。今ではニュースで毎日耳にする「キーウ」だが、20年ほど前のエピソードなので、私の頭の中の「首都はキエフ」という知識が邪魔をした訳だ。
この街のレストランで私の絵はがきを渡すと「この店を描いて欲しい…!」と依頼された。「スケッチ程度ならば…」と言って次の日に絵を渡すと「謝礼代わりに…!」と昼食をワイン付きで出してくれた。

ルセの宿
説明板を見ると、そこには「オスマン帝国の圧政からの独立を目指して戦い、処刑されたステファン・カラージャの街」と書かれていた。その一文を目にした瞬間、学生時代に仲間と新宿の歌声喫茶で歌ったロシア民謡──「ここは遠きブルガリア、ドナウの彼方…」「ペルシャの姫なり…」「ステンカ・ラージンの船…」──の光景がふっとよみがえった。
この宿の後側はドナウ川で、その向こうはルーマニアだ。宿のすぐ横には、子供達を革命家に育て、女性達を組織し、自らも武器を取って戦ったババ・トンガの家もあった。
私はテラスのある2階の部屋に泊まった。
翌朝、近くの公園を散歩していると、犬を連れた若者が話しかけてきた。彼は「自分は裁判官で…」と言い、夕刻家族と住むアパートに招かれた。彼の部屋には零戦や日本の軍艦の模型や本があり、当時の日本の歴史にも詳しく、山本五十六や東條英機を尊敬しており、「日米海戦は選択肢の一つだ」と言った。オスマントルコの圧政の歴史からトルコを嫌っており、コミュニズム時代の問題点を色々と聞いたが、ブッシュのアメリカも嫌っていた。俳句・連歌の著書もある友人も紹介されたが、皆親日家であった。

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◎ 熊本地震の被害の大きさに戦慄しつつ、災害級の酷暑、何十年も変わらない避難所の様子を見聞きし、重苦しい日が続いています。大きな災害に何度も襲われているのに、いつも被災者は置き去りで、現場の職員が自らも被災しながら不眠不休で対応しています。そもそもこの酷暑の原因はどこにあるのか、この期に及んで滞っ ている水道復旧の責任は誰にあるのかと考えた時、国の政治に行き着くはずです。 にもかかわらず内閣支持率は下げ止まったという人もいて、私たちは滅びたがっ ているのかとすら思います。しかし 3 割以上の不支持は結構な数です。絶望はし ません。会報 185 号は、定期総会、作品展、春の交流会(美作)、自然探訪、全国 退教総会の報告、連載・スケッチの旅、会員の皆様の近況を載せています。さらに 寄稿を 3 本頂戴しています。いずれも力作で、目が開かれる思いがします。じっ くりとご堪能ください。(川鍋)
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