
猛暑の中の第46回定期総会
旭東支部 岸本幹雄
梅雨明け以降、猛暑が続く7月6日(日)、岡山県生涯学習センター情報創作棟中研修室を会場に、岡山高退教第46回定期総会が参加者42名により開催されました。
開会に先立って、昨年度総会以降に亡くなられた会員4名の方々に対して、全員起立して黙祷を捧げました。
続いて藤原斌会長が、「トランプ関税」を始めとする米トランプ大統領による自国第一主義の異常な政策に世界が振り回されており、日本への、軍事費のGDP比3%要求に追随する石破政権の軍備拡大に懸念を表明しながら開会挨拶。続いて高教組の村田秀石委員長(高退教副会長)が来賓挨拶に立ち、「給特法(教職員給与特別措置法)」の改定案が今国会で成立したが、残業代を支払わない代わりに「教職調整額」4%を2026年1月から1年ごとに1%ずつ引き上げ、31年に10%とするものの、教職員の定数改善には取り組まず、結局は「定額働かせ放題である」点など、問題が山積したままであることを指摘。引き続き連帯の強化を呼びかけました。
議長選出で、犬飼繁さん(備南)、私・岸本幹雄(旭東)が選ばれ、議事進行となりました。
まず、山本和弘事務局長から2024年度経過報告、和田茂事務局次長から2024年度決算報告、津嶋宣夫会計監査から監査報告がありました。その中で、コロナが落ち着いて以降、対面での開催が復活している全退教総会や中九沖ブロ集会への参加費などの支出、クロネコメール便の廃止とあいまって郵便料金の値上げで、会報発送費が予算超過するなどの問題が指摘され、特に高退教会計への発送費の占める割合が増加してきたことが浮き彫りになりました。
その後、議事は協議に移り、2025年度活動計画について山本事務局長から提案。議案書作成以降総会までに世界情勢や国会情勢で様々な情勢の変化もあり、情勢の追加説明(ウクライナ・ガザ情勢の変化、年金制度改正法案の改悪など)も交えて報告がありました。次に2025年度予算案について和田事務局次長から提案があり、前年度と比べて次年度への繰越金が19万円あまり減少し予備費が少ない予算案になっている説明がありました。
質疑応答や参加者からの発言では、岡山盲学校・岡山聾学校校舎等整備についての補足の発言もありました。また、高退教会計への発送費の占める割合が増加してきたことから、会報手渡しの取り組みの必要が改めて指摘されました。さらに、来年2026(R8)年が「丙午の年」であり、1906(M39)年では前年比10%減の出生率、1966(S41)年では前年比27%減の出生率だったが、今回の丙午に注目する旨の発言について、活発な意見交換が行われました。最終的に、2025年度の活動計画、予算案はともに承認されました。
次に、藤原会長から2025年度役員選出について提案。難波欽子副会長の退任と岡山支部幹事への就任、杭田利晃会計監査の退任のほか、現段階では空白となっている副会長1名、事務局次長1名、岡山支部の幹事1名、会計監査1名については、今後相談しながら補充をはかる旨の提案があり、承認されました。
続いて、前回発行の会員名簿作成以降に加入された14名の新会員さんのお名前が書面で紹介され、総会に参加されていた2名(大濱高景さん、北村庸江さん)から自己紹介と挨拶をいただきました。また、難波欽子副会長と杭田利晃会計監査からは退任挨拶がありました。難波副会長は56歳で早期退職されてからすぐに高退教に加入されたそうで以後20年以上も高退教運動に尽力されてきましたが、副会長は退任して、今後は岡山支部の幹事として協力してくださるとのことでした。
最後に議長解任して午前中の日程を終わり、その後は藤原洋平事務局次長の指揮の下で、記念撮影をしてから、昼食休憩になりました。
2025年度役員
会 長 藤原 斌
副 会 長 小川 澄雄 村田 秀石(岡山高教組委員長) ( )
事務局長 山本 和弘
事務局次長 花田 千春 藤原 洋平 美甘 晃 和田 茂 ( )
幹事
岡山支部 井上 俊清 川鍋 暢子 島田 宏恵 田中 豊子 難波 欽子
( )
備南支部 綾野 保晴 犬飼 繁
旭東支部 岡田 憲朗 岸本 幹雄
備西支部 清水 親義 西 功
備北支部 土井 彰 逸見 健治
美作支部 森藤 康郎 奥埜 貴之
会計監査 津嶋 宣夫 ( )
顧 問 萱 栄次 |
定期総会 午後の交流会
岡山支部 美甘 晃
異常な猛暑となった今年度定期総会の午後のプログラムは、まず「健康体操」と「うたごえ」。
最初に、難波欽子さんの指導で、「椅子に座ってできる健康体操」を行いました。体の一部を次々に動かしながら全身をほぐしていきます。耳や足のツボも効率よくマッサージ。15分ほどかけて、体に無理のない心地よい「健康体操」。暑さに参りかけていた身体が少しよみがえる気がしました。この夏の乗り切り方を少し教わった時間となりました。
次に、田中豊子さんのアコーディオン伴奏で元気よく「うたごえ」を楽しみました。「大きなうた」に続いて、参加者のリクエストでなつかしい「青い山脈」、最後に「緑の山河」。声はまだまだおとろえません。体操のあとの「うたごえ」で身体の中からも力が湧いてくるようでした。
参加者の交流では、会員のさまざまな熱い思いが語られました。その一部を紹介すると…
県外から参加のTさんは、「今の時代、改めて平和について考えなければならない。高退教でも今一度、戦争体験や平和への思いを、文章や座談会などで次代へ伝えるようとりくむべきではないか。」と訴えられました。
これに関連して、旭東支部のKさんは「定年後、父のやっていた農業を少し継いでやっているが、周辺の農地にJR(旧国鉄)名義の土地が点々とあるのに気付いた。戦時中農地を半ば強制的に国のために供出した名残ではないかと思っている。今更ながら驚いた。」と述べられました。同じような例は多くの会員も経験したことがあると思われ、今後のとりくみのヒントになりそうです。
平和のとりくみでは、岡山支部のHさんから日本母親大会や岡山母親大会の歴史の紹介や参加の訴えがあったほか、備南支部のSさんからは、岡山AALA主催の「ラオスやベトナム、また今自衛隊基地の強靭化が強まっている南西諸島への平和を求める旅」へのお誘いがありました。
岡山・旭東支部からは「春の支部交流集会」について、高松城址での交流の様子や、作品展にも書道の形で展示された交流会会場での俳句のとりくみが報告されました。おおいに盛り上がった岡山・旭東支部の交流集会の報告に続き、他の支部からも支部交流集会の様子が次々に報告されました。
備西支部の交流集会の運転手を頼まれたOさんは、その勢いで自身の属する備北支部の交流集会にも参加して、そば打ち体験などおおいに楽しんだとか。今後もどんどん参加したいと語られました。
備南支部は児島地域で交流し、作品展でも旅行や名所の様子を絵で発表されるなど活躍されている会員のMさんのお話や温泉の入浴を楽しんだということでした。
美作支部のとりくみを紹介したOさんは、若年退職したものの、県北や県南で非常勤講師をほぼ毎日していたり、津山でバンド活動をしたりと八面六臂の活躍ぶりです。午前の協議でも話題になった前回60年前の「ひのえうま」の生まれだそうですが、このことが話題になることは身近ではほぼなく、来年の「ひのえうま」も出生数に影響はないと思っているとのことでした。
さまざまな話題のでた交流でしたが、最後に山本事務局長が「逝いて還らぬ教え子よ わたしの手は血まみれだ」ではじまる竹本源治さんの詩「戦死せる教へ児よ」をひきあいに、今年も平和のとりくみをさらにすすめていく決意を述べて、今年度の総会を閉じました。
なお、従来の定期総会は午後には教育課題などの学習会をとりくんできましたが、コロナ禍でやむを得ず午前中のみの開催になった年もあり、交流の時間が特に求められているのではないかということで、今回のような開催となりました。交流は充分だったでしょうか。支部の交流会の盛会も報告されました。来年度総会も論議をすすめて、さらに有意義なものにしていきたいものです。
第25回作品展
岡山支部 小川 澄雄
第25回作品展が、7月1日搬入・7月2日~6日の期間、生涯学習センター展示コーナーを会場に開催されました。作品展には19人(前回15人・協賛も含む)が出品し、44の作品群が展示されました。常連出品者の高齢化、出品予定者が直前に入院するなどのアクシデントもあり、残念ながら、出品者が少ない状態は克服できませんでした。
とはいえ、出品された作品は、写真・絵画・書・文芸・アート作品・手芸・クラフト・服飾などから魚拓に及び、会員諸氏が退職後も充実した生活を堪能していることをうかがわせる作品群でした。なかでも、初めて出品された日本画の掛け軸は、見学に訪れた人から「ホーッ」と声が自然に上がるなど、注目を集めました。
また、今回の作品展では、特設のコーナーとして、岡山・旭東両支部の「備中高松城跡と懐かしの歌声」交流会の写真と参加者がその場で作った俳句と短歌、自然歴史探訪「古代の風に吹かれる月の輪古墳と昭和の香り柵原鉱山資料館」の写真と参加者の俳句と短歌が展示されました。この俳句と短歌の披露は、高退教活動の一端を紹介する新たな試みの一つとなりました。
作品目録
【写真】
◆荒木敏和 「京橋朝市」「同上」
◆山本和弘 「田園風景1」「田園風景2」「田園風景3」
◆赤座 匡 「追憶」「夏のことぶれ」「静寂な空間」
◆井上俊清 「『迷人会』の解散」
【絵画】
◆中村清子 「夏の朝」「朝の風」「祈る朝」
◆高崎泰子 「ばら」「額あじさい」
◆武田芳紀 「ヴァイオリンを持つミャンマーの少女」「オフホワイトの衣装をまとう女」「スポーツシューズ」
◆島田宏恵 「緑陰清流」「葡萄棚」「牛窓の町並」
◆水間正雄 「高梁川流域連盟70周年によせて」 ×3
◆藤原洋平 「スケッチⅠ」「スケッチⅡ」
◆美甘晃 「高千穂・2月」
【書】
◆小川澄雄 「推位譲國有虞陶唐弔民伐罪周發殷湯」「坐朝問道垂拱平章愛育黎首臣伏戎羌」
◆大久保緑子 「秋をテーマに一字」「生きる」「百人一首から」
【アート作品】
◆武田芳紀 「イチゴ」
【手芸】
◆島田宏恵 布絵「唐辛子」布絵「ピーマン」
◆内田恵子 ニットのショートコート ビーズのショール 手提げバッグ
●高田睦子 刺繡の作品
◆花田千春 パッチワーク
【クラフト】
◆難波欽子 「シュロで作ったバッタ外」20匹
【服飾】
◆田中豊子 和服のリフォーム「ロングベスト」 和布を用いた「ロングスカート」
【魚拓】
◆岡田憲朗 「魚拓」
【文芸】
◆岡田憲朗 歌集・句集『海と月と星とⅡ』
◆【岡山・旭東支部交流会】
「備中松山城跡と懐かしの歌声」参加者の俳句と短歌 + 写真
◆【自然歴史探訪】
「古代の風に吹かれる月の輪古墳と昭和の香り柵原鉱山資料館」参加者の俳句と短歌
※ 名前の前に◆印がある人は会員、●印のある人は、会員以外の協賛出品です。 |
岡山高退教第3回新自然歴史探訪(通算53回目)の報告
“古代の風に吹かれる月の輪古墳と昭和の香り柵原鉱山資料館”
―美咲町柵原地区を訪ねる―
旭東支部 岡田憲朗
6月1日(日)午前9時、岡山駅西口を予定通り出発しました。参加の申し込みは24名でしたが、お一人欠席、お一人は直接現地へということで22名のバス旅になりました。
10時過ぎに美咲町飯岡(ゆうか)に到着、月の輪古墳収蔵庫に入り、館長の山田さんの話に耳を傾けました。月の輪古墳愛と郷土愛に溢れる熱い話でした。その後、320㍍の大平山の山頂にある古墳に登って説明を聞きながら見学、写真撮影。下山の途中で鹿に出会いました。再度収蔵庫で発掘の映画鑑賞と出土した埴輪の見学をしました。
そして、山荘yanaharaに移動して、昼食、参加者の自己紹介をしました。料理は山の中とは思えないしゃれたもので、おいしくいただくことができました。ここでも山田さんの話の続きを聞くことができました。
午後は、まず柵原鉱山旧中央立坑跡を見学し、柵原鉱山資料館に入りました。昭和の生活と、鉱山の採掘の様子が再現されていました。
3時に帰途に就いて、4時に岡山駅西口到着解散となりました。天候にも恵まれて楽しい時間を共有することができました。当日は、町内の清掃と重なった方が何名かおられました。やはり5月中に実施するのがよいようです。
参加された方の感想を紹介します。
◎大変楽しかったです。<備西支部 木村信行>
◎心より感謝申し上げます。<岡山支部 河本康彦>
◎35年ぶりに月の輪に来て大変懐かしいです。山田さんのお話は新しい研究をふまえて大変面白く、楽しませていただきました。<備西支部 三宅幸良>
◎柵原地区、月の輪古墳を見て、知識が増したようです。これからも史跡の知識が増えるよう頑張りたいと思います。<岡山支部 米山伯治>
◎楽しい旅行ができ、有難うございました。皆様には大変お世話になりました。次回も参加したいと思います。
<岡山支部 岩城宏道>
◎目的地でゆっくり過ごせてよかったです。県内でだいたい分かっていましたが、やはり現地で現物を見学するのは違います。見て聞いて肌で感じて、改めて岡山県の見所だと再認識しました。熱心に説明してくださった資料館の方、地元をこよなく愛し大切にされている思いに打たれました。どちらの場所も歴史の重みを感じた旅になりました。 <岡山支部 島田宏恵>
◎山田さんの熱い解説に心を打たれました。下見の時には資料館に入れなかったのですが、今回、中の様々な資料を見ることができてとてもよかった思いです。<岡山支部 井上俊清>
◎歴史探訪は係の人の下見、資料作り、至れり尽くせりの魅力的で毎回参加させていただき、また他支部の人との交流もあり楽しい会です。ありがたいと感謝しています。年を取り足腰も弱くなり参加したくてもできなくなるのが心配です。<備西支部 森定博美>
◎造山古墳など、吉備の国の広い範囲を埴輪職人達が交流したと知り、昔でも人間の交流が深かったのですね。コースも時間配分も天候も私にピッタリでした。十数年前に訪れた場所も忘れていたので新鮮でした。交流は十分できました。センダン・ヤマボウシ・野イバラ・タニウツギ・シバグリ・タイザンボクの花々に満足しました。<岡山支部 難波欽子>
◎山田さんの月の輪古墳を愛する“郷土愛”がひしひしと伝わってきて、こちらまで胸が熱くなる思いがしました。月の輪・造山・金蔵山の三つの古墳がバラバラに存在するのではなく、それらを行き来する職人集団がいたことに驚きました。また、畿内の新技術の伝達の早さもびっくりしました。月の輪古墳の研究が一部の学者だけのものではなく飯岡の人たちのもの、ひいては日本の、世界のみんなのものだということがよくわかりました。月の輪古墳に来たことにより、学ぶことのたいせつさ、知ることの面白さを再認識することができました。ありがとうございました。<備南支部 正保宏文>
◎とにかく無事終了できたこと、何よりです。企画そのものを立てさせてもらって、どうなるか内心、心配した面もないことはなかったのですが、結果皆様に喜んでもらってよかったです。<備西支部 武田芳紀>
参加者の方から寄せられた俳句と短歌です。
◎郷土愛飯岡の森の月の輪の歴史の扉肩寄せ開く<正保さん>
◎茂り抜け古代の風受く古墳丘
夏木立廃線のおとぎの国めく駅舎かな<恵風さん>
◎風光る古墳の頂鹿の糞
薫風やいにしえ人のさざめくか
この花は紫蘇葉立浪古墳道<山本さん>
◎そそり立つ月の輪古墳シソバタツナミ階段隅で誘導続ける<流月さん>
◎月の輪の古墳の丘に初夏の風
柵原の片上鉄道廃線のレールの錆ににじむ青空
<いっかんさん>
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全退教定期総会に参加して
岡山支部 川鍋暢子
5月30日(金)、31日(土)、全退教総会が、千代田区二番町のエデュカス東京で開催されました。あいにく両日とも雨で寒かったのですが、会場とホテルの移動時は、二日とも雨があがりました。一日目の総会では、全教の檀原毅也氏の講演に続き、15の退教からの発言がありました。
講演は「給特法等改定法案の問題点と私たちのたたかい」がテーマでした。今国会に提出されている改定給特法案の問題点として、次の点がありました。
○教職員定数増などの具体的支援策がないこと。
〇あらたに「主務教諭」を置き教員の階層化・序列化を進めるものであること。
〇教職調整額を6年かけて10%まで引き上げる一方で幼稚園教諭は4%に据え置くこと。学級担任に義務特手当を加算する一方で、特別支援学級、特別支援学校の担任に加算がないこと。
〇特別支援教育に関わる調整額を減額すること。
また、改定給特法案の修正案については、
〇教員一人当たりの担当する授業時数を削減すること。
〇教職員定数の標準を改定すること。
といった重要な案は評価できるものの、修正案協議そのものは密室で行われ、内容も不十分であり、教員の声はほとんどきかれていない、ILO・ユネスコの教員の地位に関する勧告には遠く及ばないとのことです。
そして私たちは要求の正当性に確信を持ち、声を上げ続け、幅広い共同を追求することで、法案廃案に向けて取り組みをしたい、と述べられました。
檀原氏の講演の中でいちばん、心に残ったのは、「長く続けられる職場とは、①ゆとりがあること ②仲間がいること ③自己決定権が持てること。今続いている教育政策はこれらを剥ぎとるもの」という言葉でした。
ゆとりがなくなり、組合の組織率が下がり、教職員の序列化が進み、お互いを気遣う余裕すらなくなってきていると感じます。
続く総会発言では15名の方が登壇されました。中でも重く響いたのは長崎と沖縄です。
長崎高退教からは、「被団協のノーベル賞受賞はうれしいこと、しかしそれ以上に、被団協の方たちが高齢にもかかわらず、少しでも早い非核化・平和を願い日々粉骨砕身されている姿に感服する」と発表されました。発表された先生ご自身もご両親とも爆心地から1キロ以内のお生まれで、家族や親族を多く亡くされているとのことでした。
全沖退教からは、ある小学校で自衛隊・南西航空音楽隊の公演を中止させる闘いをされたことが発表されました。保護者の一部やマスコミ、議員、右翼からの攻撃を受けながら、毅然と闘われたこと、平和を守ることへの強い覚悟を感じました。
また、奈良退教から、奈良教育大学付属小学校での教育介入に反対し、裁判闘争支援を行ったことが発表されました。
この他、会計については、赤字予算が組まれていることを危惧する発言(北海道高退教)もありました。執行部からは、来年度以降、総会を一日開催とする案が出されていますが、それでも赤字が解消するわけではありません。ブロックの活動を保障するため、ブロック補助金は減額せず、幹事会のオンライン活用、ボイスアクションのちらしについてゲラを支部に送付して支部で印刷を行うなどの工夫をしたいとのことです。
二日目の分散会では、各地の退教の活動や悩みを話し合いました。
共通する悩みは会員の高齢化と会員数の減少です。定年延長や定年後も現場で仕事をされる先生が多いのが主な原因です。
大阪や東京などの都市部では、地域ごとの退職教員の組合があり、東京では都退教に入らない人が多い。大阪は、地域の組合が自動的に大阪府の退教に所属することになっているが、そのかわり、組合の特徴も組合費も地域ごとに異なり、府退教の予算は決して楽ではないということでした。
また、埼玉は会議の際の交通費の支給が負担になるので、会議を減らしたり、その分広報誌を出したりしているということでした。
会員を増やす工夫として、「退職して1年以内の人には、会報を4回ぐらい連続で送る」(滋賀)、「退教の会員は高教組の新聞を購入、購入費を会費に上乗せしている」(静岡)、という取り組みが発表され、参考になりました。
天候はいまひとつでしたが、熱気に満ちた二日間でした。
緊急特集 徳方宏治先生を偲ぶ第2弾
徳方先生ありがとうございました。
そして、ふたつの「あかね」・・・
岡山支部 佐藤静雄
偲ぶ会の後に徳方先生への追悼記の依頼があり一気に書きました。が、送信しませんでした。偲ぶ会から一か月たち、また書きだしています。追悼記らしくないかもしれません。
偲ぶ会は会場のまんなかに徳方先生が横になり参加者たちが周りをとり囲むようになっていました。皆さんが徳方先生に語りかけていました。私は、脚の怪我で立っている事が出来ずひとり隅の壁を背にしていました。眼をつぶると徳方先生を囲んでいる人たちが娘さんのタクトで唄い踊っているように感じました。私は、頭のなかで徳方先生の笑顔などで一杯になっていました。そして、音楽が聞こえてくる気がしていました。
帰ってから徳方先生の書かれたものを少しずつ読んでいます。多くの「フリースペースあかね」通信、ニューヨーク、ロンドン、インドなど旅行記、教研レポートなどなど書棚の一画を占める徳方先生の書かれたもののコーナーがあり、ゆっくり開いています。あの穏やかな自筆の文字は気持ちいいものです。やさしい語り口は映像を見るように思えます。印字された文字も私には自筆の文字に見えてしまいます。
あれ、この感じどこかで感じた事がある、と思いつきました。高文研をつくられた梅田正己さんの本を読んだ時と同じだと。本ものは、難しくなく優しい筆致だと分かりました。徳方先生、梅田さんの文章は心地いいものです。かつて、公民館講座で90才を越えた女性の人が、徳方先生の話はよく分かると言われていた事も思い出しました。また「岡山大安寺高校50年誌」に寄稿された文章を見ました。若き時に比較的苦手な地理の授業の折、学校から出て土手の上で生徒たちと歌を唄ったとの記述には笑ってしまいましたが、徳方先生の笑顔が見えるような気がしました。いったいどんな歌だったのでしょうか。私は、戦後音楽喫茶で若者たちが唄った歌かもしれないとも想像します。あの戦後民主主義を目指し明るく唄った歌かもしれない気がします。
私と徳方先生の最初の出会いは、私が新卒で岡山大安寺高校に初出勤した日です。まだ学生気分もぬけず岡山の地理も言葉も分からない私にとって全く未知の世界という不安な中で手を差し伸べていただいたのが徳方先生でした。学校の中で一番若い教師が10歳年上の徳方先生でした。勤務後は、岡山西口の居酒屋によく誘ってもらいました。それから半世紀を超える今までご指導いただいてきました。いつも、若々しく変わらない姿でした。いつも前向きでした。脳梗塞の危険もありながらのオペの後に病院に行ったおり、文字が読めないと言われ驚く私に「リハビリして頑張る」との言葉には私が励まされている思いになったほどでした。徳方先生には学生時代に知り会い結婚された愛妻の和子さんの存在はとても大きいものと思います。あかね通信、旅行記などでも和子さんへの思いも読みました。
ふたつの「あかね」です。その一つのフリースクール「フリースペースあかね」を和子さんらと2001年に開設された事は多く記す必要はない事と思います。今年の2月にNHK広島放送局制作の「コネクト」という番組でフリースクール「育海」の紹介が放映されました。笠岡諸島の飛島にあるフリースクールです。代表は、堂野博之さんです。
その堂野さん、高文研から出版された本<あかね色の空を見たよ>の著者です。本の原作のもと作られた映画が本と同じ名前の<あかね色の空を見たよ>です。この「あかね」がもう一つの「あかね」です。フリースクールの「あかね」とは交差しています。言う必要はないと思いますが、学校に居場所がなく不登校の児童生徒たちの居場所がフリースクールです。本の著者自身不登校を経験されています。その本を読んで映画にしたいと考えた監督が中山節夫という人です。中山監督さんは、ハンセン病問題の映画や<兎の眼>や<ブリキの勲章>など社会問題に眼を向けてこられた監督です。私は、高文研顧問である梅田正己さんには長くお世話になってきました。その梅田さんと中山さんから<あかね色の空を見たよ>を映画化したいと連絡がありました。すぐにお二人で来県され、堂野さん、山陽新聞の知人や西大寺高校の先生に声をかけて岡山駅前で会食しながらお話ししました。初めてお会いした堂野さんは、さわやかで素敵な青年でした。その折、堂野さんは映画化に不安だと話されていました。が、多くの人たちの協力で映画が完成したのは2000年だったと思います。徳方先生は、エキストラで出演されています。
徳方先生からの最後のmailは、3月7日でした。徳方先生は和子さんと「コネクト」を観たとありました。和子さんからは、「堂野さんも素敵だし、飛島の美しい景色にも感動」「今フリースペースあかねは、NPO法人あかねになって若い人達が頑張って発展させてくれています。‥今の代表の力はすごいです。」などありました。徳方先生は公民館講座やら、ぼけ防止の畑仕事などしているなどとありました。まさか、このmailの一か月後に偲ぶ会があったとは信じられない思いです。岡山駅西口でまたお会いしたいと連絡しようと思っていた矢先でした。まだまだお話ししたい事が多くありました。お別れの言葉が見つかりません。
附。高文研顧問の梅田さんから2月「紀元節」の日付でDVDが送られてきました。映画<青春狂詩曲>をDVDにしたものと当時の「月刊・考える高校生」シナリオなどのコピーです。その映画は、73年から74年にかけて製作されています。梅田さん37、8歳、金子さとみさん30歳ごろの時です。DVD化は映画の生徒役で出演された人が中山監督に働きかけ梅田さんも協力してできたとの事です。そのDVDをダビングして希望者の方に観てほしいのですが、私の技術的未熟で困難です。出来る人はご連絡ください。また「コネクト」を録画されている人もご連絡下さい。中山さんに観てもらいたく思っています。
中山さん1938年生まれ、梅田さん1936年生まれ、今も新しい作品作りをされています。中山さんは、熊本の菊池事件を主題にした映画です。梅田さんも新著準備中です。
梅田さんの前作<明治維新の歴史・高文研刊>は、今の日本の問題を歴史的に解明された本です。機会がありましたら、是非お読みください。若い私たちはこれからです。 2025・5・7
児童小説『星空のオーケストラ』
小野信義先生自費出版
旭東支部 岡田憲朗
岡山市文学賞の運営委員を務める小野信義先生が、児童小説『星空のオーケストラ』を自費出版されました。
小野先生については、会報172号(2023.4)の長寿のお祝いの記事と先生ご自身が書かれた『ソフトテニスのおかげ』という文章をご覧ください。高退教のHPから見ることができます。
簡単にご紹介すると
1937年 岡山市生まれ 大学でオーケストラ部(ビオラ) 中学・高校で国語を教える 趣味はソフトテニス・囲碁・音楽
1983年 『二つの真珠』岡山市民の童話 最優秀賞
1986年 『星を二つ持つ少年』出版
1991年 『トンボ』岡山県文学選奨 童話部門 入選
あらすじ
舞台は架空の国「アリタイ」。少年コトクが所属するジュニアオーケストラに、ステロという少年が入ってくる。ステロはケンタウロス座の星からやって来た異星人だが、姿はまったく人間と同じ。彼の星は放射能に汚染された地上を逃れて地下での生活を余儀なくされていた。科学は非常に発達していた。彼は地球に「彼の星にないもの」を求めて派遣されていた。オーケストラの一員となり、ピッコロ紛失事件・スパイ疑惑・コトクとの同居・指揮者の病気離脱・発表会を通して、人間の愛・友情・芸術に触れて成長してゆく。あとがきにもあるように、テーマは反戦と芸術である。挿絵は先生の教え子で画家の林修三さんが担当。
あとがきを含めて175ページ。文芸社刊。本体1200円です。ぜひ一度手に取って読んでみてください。ネット(アマゾン)で注文するのがいいようです。
「ボケ」ない小唄
岡山支部 河本康彦
「ボケ」ない小唄は数年前に学生時代の友人からも動画を送ってくれました。
結構広く知られているのではと思います。
検索をしてみると老人会などでも集まりの時に歌っています。
動画も多く検索できます。
以下は5年前に96歳で死亡した母の遺品の中にあった「お座敷小唄」の
替え歌です。一節でも口ずさんで頂ければ嬉しいです。
「ボケ」ない小唄 作詩 富井チヅ子
1、風邪を引かずに、転ばずに、笑い忘れず、よく喋り、
頭と足腰使う人、筋トレやる人「ボケ」ません。
2、スポーツ、カラオケ、囲碁、将棋、趣味のある人、味がある。
異性に関心持ちながら、色気ある人「ボケ」ません。
3、歳を取っても、白髪でも、皺が増えても、気は若い、
歌を唄って、アンコール!生き甲斐ある人「ボケ」ません。
「ボケ」ます小唄
1、何もしないで、ぼんやりと、テレビばかりを観ていると、
呑気なようでも、歳を取り、いつの間にやら「ボケ」ますよ。
2、仲間がいないで、一人だけ、微笑み忘れている人は、
夢も希望も逃げてゆき、知らず知らずに、「ボケ」ますよ。
3、酒も旅行も苦手です。歌も踊りもやりません。
お金とストレス貯める人、人の二倍も「ボケ」ますよ。 |
連載 随想復刻 祈りの中身
旭東支部 竹内良雄
甥が亡くなってもう四十九日がくる。
こぼれるほどの笑みを湛えた遺影に向かうたびに、爛満の花ばながその狂おしいほどの香気を放つ。そろそろ五十を迎えようとする妹の、二十二年目の春を待たずして逝ってしまった息子へのせめてもの心尽くしである。
骨肉腫と診断され右脚を大腿の付け根から切り落としたのは、三年前の夏のはじめだった。その日は早朝から雷を伴ったどしゃぶりの雨で、一人の青年の不運を天が号泣して嘆いているかの如きであったが、高速に作動するワイバーのむこうに、滝のように襲いかかる水の幕を通して、めらめらと燃え上がる炎を見たときには、天の怒りも頂点に達したかの観があった。狭い谷間に六十有余年を生き永らえてきた洋風の品川開発事務所は、この朝跡形もなく焼け落ちてしまった。
かつて父や母がそうしてきたように、私もいつの間にか仏前に湯茶を上げ香を焚くのがあたりまえの日課となった。「南無大師遍照金剛」と手を合わせた後に、遠く離れて住む二人の娘の無事を祈るのが常であるが、甥の術後の経過とその早い快癒を願うのが新たに加えられるようになった。亡き父や母にその孫たちの動静を知らせるというのが私の朝の仕事になったのだ。
ガン細胞が肺に転移し、数ヵ月後にその切除手術を受けてからも、甥はやや青ざめた顔色ながらいつも生真面目で穏やかな笑顔を溢れさせていた。「身に障害をもっていても、心にまで障害を持っているのではない。」と一度だけ教えた私の言葉を、時に思い付いたように母親に語って聞かせたというが、三年間に及んだ闘病生活のどこを取り出してみても疲れはてくじけはてている彼の表情を見たことはなかった。強い薬液の二十四時間点滴が繰り返し投与されるなかで、のたうちまわるほどの苦しみが彼の五体を貫き続けたことだろう。「あの点滴だけはもうごめんですよ」といいながら、それでもまた巡々として病院のベットにわが身を横たえたのは、どうしても治りたい、なにがなんでもこの手で車のハンドルを握りたいという、社会復帰への切なる願いからだったにちがいない。今年の正月が明けてその自宅安静中を見舞った時には、息を吸い込めきれない苦しさにあえぎながら、それでも、まったく久々に顔を見せた客への必死の気配りだった。それから十日も経たないうちに、「回復の見込みなし。二・三日うちかもしれないし一カ月先かもしれない」との医師の宣告が出たと、電話口の向こうで息をひそめた姉の声が震えた。若いだけに進行も早いという肺の病巣のその摘出手術もすでに三度に及んでいたから、 だれも医師の判断を打ち消す勇気は持ち合わせなかった。
自分の自由にはならなくなってきた身体をベットに投げ出したまま、もういつやってきても仕方のない死の影に全神経を逆立てて向き合っている青年がいる。いくら元気な声で振り払おうとしてもやはりじっと息子の死を見詰めていなければならない母親がいる。医療器具ばかりがその空間を占領している冷たい壁の狭い一室で、二人は今何を語るべきだというのだろう。展望がないということは言葉も失うことなのだ。語ればすべてが嘘になることの空しさを、押し殺してはまた細々と語りかけてゆく。待つものが死であるということの残酷を二人はよく知っている。
祈るしかないというのはこういうことだったのかと気がついた。しかし、祈りの中味の無残さにも驚かされた。奇跡が起こってくれることを願うには時はもう遅すぎる。仏壇の前で家内安全や生きている者の健康を祈らない日はなかったが、最後を指呼の間に迎えている者のそのすみやかな到来を祈ることになったのははじめてである。ガン患者は頭がボケることがないので最期の最期まで苦しみぬくという。「どうかせめて最期だけは安らかに眠らせてやってください」という以外に私の祈りはなかった。伝えられてくる容体の変化や付き添っている妹の様子を仏壇の中の父や母に報告したあと、「どうか安らかに」と手を合わせるばかりである。それにしてもまだ命あるもののことを「どうか安らかに」というのも妙なものだ。妙を通り越して酷である。人間のその時その時の勝手な願いや祈りが仏や神に通じるかどうか知るところではないが、すくなくとも、祈る側がとまどったり抵抗を感じたりしているようなことを祈られたのでは祈られた側もたまるまい。
逝くにはもちろん早すぎた。早すぎたけれども、甥はその生をよく全うした。たしかにその肉体は病んだけれども、決してくじけたり泣いたりの人生ではなかった。前向きの懸命で爽やかな生き方がいかにも青年らしく美しかった。
(1992・4・25)
【タイトル中の「復刻」は、言葉の正しい使い方ではありませんが、竹内良雄先生のご許可のもと、今では手に入りにくくなった先生の随想集の中から、数編を選んで連載させていただくという意味で、編集部の責任において「復刻」としたものです。】
連載 出会いとスケッチの旅
ギリシャ・アテネからトルコへ編(1)
備西支部 水間正雄
アテネ
早朝にアテネ空港に到着した。ユースホステルに着いたのは6時前だったが、私は予約をしていたので、すぐに入室できた。受付は8時からで、予約していない若者たちが玄関前で待っていた。
その中に日本人らしい若者を見つけたので話しかけたのだが、その彼の「東京から来た個人旅行の高校生」という返事には驚かされた。
アテネと言えば、パルテノン神殿。また、古代ギリシャ最大の祭典パナテナイア祭の会場で、近代オリンピックの会場にもなったパナシナイコスタジアム。ここのスタンドは総大理石造りだ。コーナーがヘアピンカーブの、1周330mのトラックを私も走ってみた。そして、マラソンの起源となったマラトンの丘にもバスで行ってスケッチをした。
夜には、アクロポリスの下にある、古代に建設された半円形のディオニソス劇場でのコンサートに出かけた。見上げるとライトアップされたパルテノン神殿が、スケッチのように浮かび上がっていた。
ダフニ修道院
アテネから10㎞にある、黒松に囲まれた美しい修道院だ。
帰りのバスは混んでいて、他の乗客は切符を回収箱に入れて降りていった。私は切符の買い方がわからなかったので、終点で全乗客が降りた後、現金で運転手に支払おうとした。しかし運転手は、「もういらない」とのジェスチャー。
私はとっさに降りてしまったがこれは犯罪か?? What should I do?
エーゲ海の島々
アテネからバスで港町ピレウスに向かい、エーゲ海への旅に出た。
多島海とは言うが、瀬戸内海よりも広いのに島数は少ない。夏は乾燥して高温という地中海性気候のせいなのか、島の緑は少なめだ。
バカンスシーズンだから、舟はそれぞれの島に向かう若者でいっぱいだった。
島々その一 ミコノス島
ミコノス島に着き、街を散策し名物の4連の風車をスケッチした。ホテル代は高いし、満員だったので野宿と決めた。
教会の石のベンチで、深夜までスケッチをしたりして過ごした。
その後、少し歩くと公園があり、交番の前には机と椅子があったので大きなバックを抱きかかえるようにして伏せって眠った。襲われることなく、朝を迎えることができた。
桟橋から出る小舟に乗って、ヌーディストのスーパーパラダイスビーチに向かった。
そこでは男女、年齢を問わずヌードで歩いたり、ビーチで男女が車座になって話し合っている。私も裸になったが、やはり気まずくてすぐに海に入り、海の中からビーチに脱ぎ捨てた衣類や大きなバックを見守りながら、ヌードの男女の有り様を見ていた。このビーチにはゲイが多いエリアがあるようだが、そこにはいかず早々に引き上げた。
ガイドブックには、「最もソフィストケートされた都会的で大人っぽくておしゃれ」と記されていたが、どこがソフィストケートか理解できなかった。私には、あか抜けた印象などは感じられなかった。
島々その二 パロス島
パロスでも、ホテル代が高いので船着場で過ごすことにした。
待合所の建物は、乗船客の前泊所のようで、私と同様の人間が既に寝ていた。外のベンチが空いていたので、私は体を伸ばして寝ることができた。
港でヨットをスケッチしていると、Tシャツの人が「上がっておいで」と招いてくれた。コーヒーをいただきながらスケッチを見せて、ヨット旅の話に花が咲いた。
私も友人のヨットに何度も乗せてもらっていたので、話題には事欠かなかった。
その後ビーチで、ディスコを楽しんでいる人達をぼんやりと眺めていたのだが、その中の一人に目が引きつけられた。動きが周囲と明らかに違っていたからというか、要するに、美しく可愛いい娘に年甲斐もなく暫く見惚れてしまったという次第。
そうこうしながら、ビーチにいたグループの何人かにスケッチを見せたところ、そのグループから他のグループへとスケッチブックが渡っていき、そのお陰でそれぞれのグループとの距離が自然と縮まっていった感じだった。
やがて、ディスコの終わりが近いことに気付いて、バスで船着場まで帰った。
しかし、船着き場に着いたとたんに、スケッチブックを回収するのを忘れていたことに気付いた。船の出発時間まで1時間しかない。
タクシーを見つけて慌てて引き返し、車を待たせてビーチへ走った。幸運にも砂浜には3冊のスケッチブックが残されていた。
片道5キロ以上あったが、料金は思ったよりずっと安かったし、お陰でサントリーニ島行きの船にも間に合い、文字通り胸を撫で下ろした。
島々その三 サントリーニ島
海底火山が爆発して出来たサントリーニ島のカルデラは、海になっている。外輪山になった島は町になっている。
外輪山の内側の急斜面下に船が着くので、小柄なロバに乗り換え、ジグザグに急斜面を登っていくと、崖にへばりつくように立ったホテルや家並みに到着だ。もし、ロバがふらつくと、一気に谷底のエーゲ海に転げ落ちていくはずだ。
ユースホステルの部屋には広い土間に2段のベッドが置いてある。受付の若者は「you」の代わりに「friend」を多用した。
右上の、崖の上のカフェは見晴らしがよく、眼下に船着き場、カルデラの海、その向こうに火山の島が見渡せる。
ここで日本からの若者と知り合った。彼は「元自衛隊員で英語は全く話せない」と言った。自衛隊では昇任試験に毎回落ちるので、退職したとのこと。「英語を全く使わずにここまで来られた」と聞いて、それに驚いた。
もう一人は長身の青年で、「詐欺にあってしまった」と言って悔しがっていた。話を聞くと「筑波大学の学生」と言ったので、「それなら私の後輩だ」と自己紹介し、夕食を共にすることにした。いつも貧乏旅行で「節約重視」の私だが、2人に大盤振る舞いならぬ中盤で振舞った。その後、「夕日が美しい」とガイドブックに載せてある、島の西の先端にあるユースホステルにも行ってみた。小綺麗で泊まりたいほどだった。
次の日、カルデラの中に浮かぶ火山島への船に乗った。着岸前に船からダイビングして泳ぐ客もいた。私は裸足で海に降りたが、温泉のような温かい海だった。島の道も熱かった。火口はないが、火山であることは間違いないと思った。高度な文明を誇っていたのに、ある日突然海に沈んだというアトランチス大陸のことがスッと頭をよぎり、「ここなんだ!」という思いが全身を走った。
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定期総会
返信ハガキの紹介
(HP版では省略)
ここにご紹介した方々をはじめ、150通余りの出欠はがきと、メールなどでの出欠連絡をいただきました。ありがとうございました。(事務局)
編集後記
今回も盛りだくさんの内容となりました。目を覆いたくなるような世情ですが、会報を熟読し、正気を保っていきたいと思います。 (川鍋)