目 次
久々の全退教総会(東京)に岡山から2名参加 |
事務局長 |
山本和弘 |
1 |
全退教総会に参加して |
副会長 |
難波欽子 |
1 |
高退教2023年度定期総会 |
事務局 |
花田千春 |
2 |
ICT・教員不足など、学校の現状を中心に
――午後の学習会 |
事務局 |
和田茂 |
3 |
意欲的な作品が並んだ作品展
異文化交流の場となったワークショップ |
副会長 |
小川澄雄 |
4 |
2023年定期総会 返信ハガキの紹介 |
|
事務局 |
5 |
第1回新自然歴史探訪報告 |
担当幹事 |
西 功 |
14 |
自然歴史探訪の感想 |
旭東支部 |
井上進夫 |
16 |
新自然歴史探訪−石材の島「北木島」を訪ねる−に参加して |
岡山支部 |
仁熊澄江 |
17 |
連載「源氏の会」の10年(2) |
備北支部 |
石井美鶴 |
18 |
連載 出会いとスケッチの旅
ポルトガル編(3) |
備西支部 |
水間正雄 |
20 |
編集後記
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編集部
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23
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久々の全退教総会(東京)に岡山から2名参加
事務局長 山本 和弘

第33回全退教総会が、6月2日〜3日、東京で開かれました。
コロナ禍のもとで、ここ2年ほどはリモート会議でしたが、久しぶりに全国の代表が一堂に会しました。
岡山からは難波副会長と、事務局山本の二人が参加しました。
左の写真は、閉会集会の一コマ。
マイクを握っておられるのは、事務局長退任の挨拶をされている美濃山さんです。いくつもの種類の手術

や治療のため、入退院を繰り返しながらの事務局長のお仕事だったそうです。悲痛な様子をおくびにも出さない楽天的姿勢に、励まされると同時に、

しみじみ頭が下がりました。
総会参加の記念に、同じ会館の別の階に掲げられているこの額を撮影して帰りました。竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」の詩が書かれています。その傍らには、清水寺管主さん揮毫によるこの額も掲げてありました。
「新しい戦前」への動きの中で、改めてこの言葉を噛みしめたことでした。
総会の模様の報告と感想を難波欽子さんが寄せてくださいましたので紹介します。
全退教総会に参加して
副会長 難波 欽子
2023年6月2日〜3日に全国教育文化会館・エデュカス東京ルポール麹町でコロナ禍後に対面で開かれました。岡山からは山本事務局長と難波(女性参加者に経費の支援があるとのことだった)が新幹線で台風に向かって恐る恐る参加しました。酷い風と雨の中を会場にギリギリセーフでした。
102名の、身体は少し高齢者ながら、心意気は高い「心の若者」達で、ムンムンしていました。記念ミニ講演は、「日本を戦争国家にしない、憲法9条の生きる日本をつくるために」で、40歳の美しい女性弁護士さん(白神優理子)の張りのある生きた!全身からほとばしる声に一時間ほど耳を奪われました!!自身が米軍基地近くに生まれ、高校時代に憲法を学び、弁護士を目指して、素晴らしい女性

になられて、学校を回って憲法の大切さを話されているだけあって、惹き付けるパワーが凄かった!男性達はアッパ顔。彼女が全退教の役員をしてくれる流れでも創ろうと企んでいる感じでした。私も著書「日本国憲法は希望」にサインをしてもらいながら、こんな若者が育って欲しいと願っていたけど、岡山はそれが出来ているのだろうか……と。
分散会は立憲野党連合政権を作るために、地域で取り組まれた、高知市や大阪の努力と成果に感心しました。「岡山は私には成果が見えなかった」と言ってしまいました。
会場を変えて、レセプションが18:30〜20:30に来賓21名を迎えて開かれましたが、参加者にお酒が入っているものだから、来賓が挨拶をされていてもそれを聞かないで個人的に振る舞う人が多くてとても残念でした。私は司会者が「挨拶をされている時は静かにして下さい!」とかなんとか、場の雰囲気を変える一言をキッパリ言ってほしいと期待したのですが、この司会者ときたら、あたふたするばかりでどうにもなりません。私が抗議に行っても、ボソボソ言い訳をするくらいで、全体に声掛けをすることができないのです。
私は諦めて会場の外に出るしかなく、そこに流れてくる挨拶をしっかりと聞きました。
多くの参加者の態度には、本当にびっくり!みとっもないったらありゃしない!そもそも、どんなに酒の入ったイベントでも挨拶や余興をいれる間は舞台に注目するのが普通でしょ!こんな人達の一員だと思うと、恥ずかしくてたまりませんでした。
翌日は分散会で、生き生きし楽しい親睦交流活動と会員増やしと世代継承と安定した財政をどう作るのか?について発表が沢山あり、時間不足になってしまいました。閉会は時間通りでした。
新幹線が動き始めたのでやみくもに乗り込み、「1時間27分の遅れ」とは言われましたが、実際はそれ以上。長時間新幹線に揺られ揺られての帰岡となりました。山本さんは、立ち続けで後遺症あり、ですよ。
高退教2023年度定期総会
事務局 花田 千春

梅雨の晴れ間の青空が見えた6月25日、生涯学習センターで高退教第44回定期総会が42名の参加で開かれました。軍拡予算の法案が決められた先の国会情勢をふまえ「私たちも腹を決めないといけない時がくるかもしれない」という、藤原会長の挨拶から始まりました。
議長に土井彰さん(備北)清水親義さん(備西)を選出し、経過報告は小川澄雄副会長、会計報告は田中豊子事務局次長、活動計画は山本和弘事務局長より提案、承認されました。
協議では、菅木一成さんから「教育文化センター」のとりくみと教育署名につ

いて、武田芳紀さんから高校生の「生理革命委員会」の紹介、埼玉在住の武田昭一さんからは戦争体験を語る座談会を開いてはどうかとの提案がなされるなど、発言が相次ぎました。
新役員を選出し、退任する山本美佐緒さん(幹事・美作)河原和子さん(事務局次長・岡山)の挨拶を受け、総会を終えました。その後、藤原洋平さんの指揮のもと、和やかに笑顔で記念撮影を行いました。
総会で選出された新年度役員は次のとおりです。
2023年度役員
会 長 藤原 斌
副会長 小川 澄雄 難波 欽子 村田 秀石(岡山高教組委員長)
事務局長 山本 和弘
事務局次長 藤原 洋平 美甘 晃 田中 豊子 花田 千春 和田 茂(新)
(幹事)
岡山支部 井上 俊清 衣笠 祥子 島田 宏恵 川鍋 暢子(新)
備南支部 綾野 保晴 犬飼 繁
旭東支部 岡田 憲朗 岸本 幹雄
備西支部 清水 親義 西 功
備北支部 土井 彰 逸見 健治
美作支部 森藤 康郎(新) 奧埜 貴之(新)
会計監査 津島 宣夫 杭田 利晃
顧 問 高垣 章二 萱 栄次(新)
ICT・教員不足など、学校の現状を中心に――午後の学習会
事務局 和田 茂

久しぶりの一日日程の総会、午後は学習会が設定され、岡山高教組の村田秀石委員長から教育現場(主に高校)の現状について報告いただきました。 報告は、@ICT(Information Communication Technology)化が一挙にすすむ学校の現状、Aコロナ禍を経て現場の先生が足りない深刻な現状、に焦点をあてたものでした。
ICT化には生徒一台の端末が必要ですが、高校では現在およそ全国半分の県が公費負担、残り半分が原則個人購入(60,000円〜70,000円)。岡山県は小中では貸与、高校では個人購入となっています。小中の貸与はコロナ特例臨時交付金で可能となっているが、4、5年後に必要となる端末買い換え予算について県が国に対して要請したところ、「わかりません」という無責任な対応を国はとっている、また、高校現場では生徒端末で毎日不具合が生じ、それへの対応が教員の負担になっていること、高教組では「情報管理者の教員以外での専任配置」を要求しているが、ICTサポーター(一昨年から配置)予算は毎年削減されている、とのことでした。
現場の先生が足りない現状に関連して、一昨年から高校へも導入された新学習指導要領での新しい評価への対応などいっそうの多忙化、若い講師の方から「悩みを共有できる仲間がいない」という言葉も聞かれるが、ブラックな勤務実態が拡がる中で教育という仕事の魅力が失われつつあること、さらに12年続いた免許更新制によって教員免許をとる大学生が減ったことなどが報告され、結果として教員採用試験を受ける学生減、非常勤講師が見つからないという現状を招いているとのことでした。岡山県ではいまや50代・60代の教員が教員総数の過半数を占めているという実態も報告されました。
参加者の皆さんからは、部活動の地域移行の現状、免許更新制で失効した免許の今後について、勤務評価制度の現状などについての質問が寄せられました。
こうした教育現場の現状の中で退職教員ができることは何か。退職教員免許更新制で失効中の免許を回復させて現場を応援すること、教育予算増(えがお署名)や学級定数改善署名(教育全国署名、教育研究者による署名)などの署名に積極的にとりくむこと、高教組主催の教員採用試験対策講座「てるゼミ」のスタッフとして応援することなど、が浮かび上がってきました。
その後の参加者交流では、倉敷市で進んでいる倉敷市立図書館の民営化反対のとりくみ報告、また、毎週(金)18:00から倉敷駅でとりくんでいる「さようなら原発アクション」への参加呼びかけなどがありました。
意欲的な作品が並んだ作品展
異文化交流の場となったワークショップ
副会長 小川 澄雄

高退教第23回作品展が、岡山県生涯学習センターを会場に、6月20日搬入、6月21日〜25日の日程で開催されました。この作品展には24人(内3人が協賛)が出展し、50数点の作品群が集まりました。
出品された作品数は減りましたが、絵画から写真、

書、木工、漆器、陶磁器、クラフト、服飾・手芸、魚拓まで、様々な分野の意欲作が並べられました。
従来に比べ少ない出品だったため、会場設定の際、藤原洋平氏の判断で間仕切りを一つ減らし、ゆったりと鑑賞できる会場づくりをしました。鑑賞者にはかえってこれが好評でした。
作品展が始まった当時、意欲的に作品を寄せていた人たちの高齢化がすすみ、死亡したり、創作意欲が衰えて作品ができなくな

っています。それに対して、比較的若い層からの作品出展が少ない状態が続いています。作品

展に出品をしてくれる若い人を探す努力が、作品展担当者・事務局・支部幹事には求められます。
来場者については、出品者が声をかけた人が中心ですが、烏城高校の生徒が見学してくれた

り、生涯学習センターでの講座の受講者が講座終了後に立ち寄ってくれたケースもありました。
今回も、作品展3日目に、武田芳紀氏によるワークショップが行なわれました。受講者は受付当番の者だけ、という従来のあり方と違い、国際色豊かなとりくみとなりました。

2日目に来場した女性が、ワークショップ宣伝の看板を見て、「ワークショップはどのくらい時間がかかりますか?」と興味を示していましたが、当日、モロッコの人(アナスバッラフムーンさん)を伴って再来、講師の到着を待っていました。他の人も加わって、武田氏の指導の下、江戸時代の切り絵で紋様づくりを楽しみました。思わず知らず、ワークショップが異文化交流の場となりました。
2023年定期総会 返信ハガキの紹介
総会出欠連絡返信ハガキに添えられたご意見・コメントをご紹介します。
これは総会参加者の皆さんには、当日お配りしましたが、編集者のミスでの誤字や変換ミス、また掲載漏れ(入力した記憶はあるのですが、保存に失敗したのでしょうか?)などがたくさんありました。謹んでお詫びするとともに、訂正したものを全会員の皆さんにお届けいたします。<支部別、あいうえお順>
〈岡山支部〉
赤木 洋子
介護保険施設に通っています。
心身の老化進行予防です。
元気にしています。
大軍拡に反対です。
平和であることを強く求めます
安東 誠
議案に全面的に賛成します。会員の皆さんのご健勝と一層のご活躍を心から願っています。
活動計画で述べられているような重大な情勢ですので、ひきこもっているわけにはいきません。93歳の老身ですが、灘崎9条の会、おしゃべりcafeなどの地域活動に、何とか参加しています。
磯部 作
昨年度に引き続き、放送大学の非常勤講師をしております。海ゴミ問題や、災害問題の調査研究も続けております。
地元町内会顧問もしており、朝市の取り組みなども忙しくしています。
今年は全国の自治体学校を岡山で開催するため、現地実行委員長として走り回っております。
このため、自宅は草だらけですが、庭には梅、柿、キウイを植えており、今年はパパイヤも植えています。
議案では、気候危機と防災についても触れていただければと思います。よろしくお願いいたします。
板津 定邦
農作業と園芸で自然と対話しながら元気をもらっていますが、年相応の体になっています。
最近の国内外の状況を見るにつけ、どうして人間は戦争に肯定的なのか、特に、我が国は、世界に冠たる平和憲法を持ち、その精神を生かして世界をリードすべきなのに。更にまた、誰の言葉でしたか 「人の命は地球よりも重い」の一言が脳裏に残っていますが、最近の無惨な出来事を見ていると末世かなとも思います。盛会を祈念しています。
井上 憲璽
ご盛会、祈念。
井上 俊清
4月:春の交流会で後楽園散策。
5月:新自然歴史探訪で潮風を浴びて北木島へ――高退教の皆さんとわいわいと楽しい時間を過ごすことが出来ました。“集まる”っていいですね。
岩上 隆雄
大勢の人の中では、話が聞こえません。難聴が進んでいます。残念ながら欠席します
植木 五郎
地域外に出ることは少なく、地区内でぼつぼつやっています。
内田 恵子
後楽園の散策はとても楽しかったです。今回は 日程が合わず参加できませんが、これからもよろしくお願いいたします。
内田 都美子
退職後、勤めをしてないので、世間の情報のインプットのみです。(アウトプットのほぼない生活)。
自分でも、判断力の弱体化が気になります。生徒達と「どう思う?」 とか「 こう思う!」 とやりとりしたのが、豊かな時間だったと思っています。
大倉 貴
お世話になります。
小川 澄雄
先日、朝日高校の辰田芳雄先生の講演「加茂別神社文書と岡山の荘園」を聞きました「江戸時代にも荘園が残っている」ことを教えてもらい 、びっくりしました。歴史は 研究の進展により書き変えられるものであることを実感しました。岡山古文書を読む会での学び合いは相変わらずです。宿題の添削係になって 7年目を迎えています。それでも新しい文章を見ると、読めない文字があり、悩ましくもあり、楽しい時間を過ごしています。
河原 和子
最近、非常に年齢を感じるようになりました。何事も思うようにははかどらないので、毎日イライラします。町内会の役員も強制的にやらされていて、大変です。迷惑だけはかけないようにやっています。
河内 郁子
先日81歳になりました。
自分では元気でやっているつもりですが、家族には「もう歳なんだから、無理をしないで―――」といつも言われています。
衣笠 祥子
コロナウイルスはまだまだ思わぬところに潜んでいるようで、用心しなければなりません。
体力、気力、財力(?) がそろっていないと前向きの行動ができません。いつそろうのか…。
島田 宏恵
久しぶりに開催された交流会、自然歴史探訪に参加、懐かしい方に思いがけなく再会して感激です。多くの方と話に花が咲き元気を貰いました。これこそ高退教の原点ですね。
白神 憲一
岡山理科大学で教職課程科目を非常勤で教えています。
末石 範子
人は年取り衰えていくのだという当たり前のことを実感する日々です。
1人暮らしの父との完全実家暮らしに入りました。
“前向きに”と思いながらなかなかそうはなりません。
妹尾 文人
何かとお世話になっています。今後共よろしくお願いいたします。
武井 靖
おかげ様で元気にやっています。
田中 豊子
今年の初めから急に、身体状況の顕著な変化に悩まされています。右足の膝が猛烈に痛みました。それが一段落したと思ったら、帯状疱疹に悩まされて、今も後遺症で、不快感が収まりません。夫の体調も急に深刻になり、治療方針を検討中です。いよいよ、老老介護に突入します。
徳方 宏治
4年前に脳梗塞で字が書けなくなったのが、その後の努力でここまで復活しました。毎日新聞と格闘しています。
中村 清子
この5月に70歳になりました。
一つ階段を上った気分ですが、まわりを見れば先輩ばかりで、相変わらず若輩者です。
「まだ生きています」という存在証明のつもりで、今年も作品展に出品させていただきます。お世話になります。
中山 実典
昨年と同じですが、農作業と時々、山歩きや公民館活動。たまにFBで作文(頭の体操になります)といった日々です。
難波 欽子
真向法体操の指導者として教室 7つを持って、公民館の指導に順じて、苦しい面白くない体操です。
今も大声を出さない、身体接触等も禁止状態ですが、笑顔で心の交流をしながら若返っています。自然体験リーダーズクラブの 活動が、80歳を過ぎても、山を忍者の姿で走り回るのが好きで 「欽子さんとぱあちゃんの観察会 」まで 立ち上げてしまって多忙を極めています。年齢を考えるべきだと常に反省しています。反省は猿でもするそうです。
西村 晴江
今年も昨年と同じく、専門学校で週に1回(4時間)、留学生に日本語を教えています。以前は、中国、ベトナムからの学生が多かったのですが、最近は ネパールからの学生が増えてきました。総会には不参加ですが、ご盛会をお祈りします。
花田 千春
ウクライナの戦火は消えず、平和の名で広島に集い、軍備増強の相談をしている。メディアが真実を伝えきらないもどかしさを、なんとかしたいと思う今日この頃。
馬場 雅洋
昨年度までは、週2日、非常勤講師として現場にお邪魔していましたが、本年度は自宅で静養しています。
状況が落ち着けば高退教の先生方といろいろな活動に参加したいと思っています。
溝邊 直樹
退職後、再任用(フルタイム)で4年目を過ごしています。 帯状疱疹、コロナ、指のケガなど、体に関する数々の試練を受けた1年でした。
次の誕生日まで、慎重に過ごそうと考えているこの頃です。
美甘 晃
何やかやで日々忙しくしています。非常勤で今年も頑張ってますが、コロナの影響もあるのか、これまでと違う感覚で、生徒に底ぬけの明るさというものがないような…。どちらをむいても課題ばかりで、やり甲斐あり?です。
三村 茂
岡山理科大学の非常勤講師も今年8月で終わります。10年間やりました。
これからは一般相対論をわかりやすく説明する楽しみの世界で遊びます。
※p12 W2023年度予算案
一般会計 支出 事業費増減79.320→109.320では?
三村様 ご指摘ありがとうございました。おっしゃるとおり、事務局の記載ミスでした。総会では訂正して提案し、承認していただきました。(事務局より)
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山口 京子
お世話になります。「新しい戦前」という言葉が当たり前のように使用される今の日本。私の生きている間に平和を迎えたい。こんな世の中だけど、朗読、民話の語り、映画サークル、ハイキング等々、楽しむことも忘れずに生きています。
山本 和弘
高退教のほか、相談ネットワーク、年金者組合などで、粗略にはできない役目をいただいています。加えて、今年度は、団地自治会の会計担当理事の実務に悪戦苦闘しています。脳内スイッチの切り替えがうまくいかず、呆れるようなポカの連続です。
老母が一人で住む郷里の実家(片道60km)に、ほぼ週一回通い、買い出しや草刈り、剪定、農作業などをやっているフリをしています。農地は草刈りと耕耘だけはやりますが、作物は、鹿、イノシシ、ハクビシンなどに荒らされますので、土の中の、ジャガイモ、サツマイモやキクイモ、玉ねぎ、ニンニクなどだけを細々と作っています。また、わが家の庭と、近所に住む孫一家の庭で、トマト、キュウリや青野菜の栽培を楽しんでいます。さらに、3q程離れた河川敷の耕作地の一角を、妻の友人の農家さんにお借りし、耕作しています。玉ネギは失敗でしたが、そら豆、ジャガイモ、ズッキーニなどが食卓を賑わしてくれています。現職時代以上にチョー多忙な日々、落ち着いて物事を考えるいとまなく、流されております・・・。
横田 廣太郎
令和5年5月1日に引っ越しをしました。住所が467-2から467-1に変わりましたのでよろしくお願いいたします。
米山 伯治
北木島では、お世話になりました。
ありがとうございます。
和田 茂
昨年夏に母を見送りました。ほぼ毎日施設か病院を訪ねる日々を送りながら、自分の人生の最後もより強く意識するようになりました。母の遺品整理とともに自分の身の回りの整理も始めました。今は使わなくなった多くのものがあり、メルカリを利用し始めました。捨てずにどなたかに利用してもらえるのはホッとして有り難いですね。
〈備南支部〉
石井 淳平
いつも皆様のご支援・会報をいただき、ありがとうございます。夫婦で見ています。
私、4年ほど前より認知症を患い、不安でディケアに通い、86歳を迎えられました。
おかげで体力はあり気分はいつも現役で「学校へ行く?待ってくれてる ○○○がいる。話をちゃんとしないと…(?)今から行く。」 生活の援助を妻に任せ、自由気ままに …エコライフを楽しんでいます。 来宅歓迎。
犬飼 繁
4月から天城高校に週12時間 倉敷ビューティーカレッジに隔週で4時間 授業を担当しています 。忙しい!
鴨川 恵美子
いつもお世話になります。鴨川は今、介護施設に入っています。お便りを読むのも無理な様です。妹より。
萱 栄次
あちらこちらへ ボランティアで出かけています。これが健康の素だと思っています。
正保 宏文
小生、尿管結石で夜も眠れず。車もガタガタで、10月の車検で修理と併せて50万円かかるとか―――。パソコンも風前の灯火。出るはため息ばかりなり。庶民の生活苦をよそに戦争のための増税なんてまっぴらごめんです。
武田 昭一
相変わらず絵描きをやっています。85歳になったけど、田舎のチョー不便なところに住んでいるので、車の免許は断じて返納しないぞ〜〜!!(議案の入った封筒が、ナント13日に来ました、ヤマトに文句言ってください。)
中塚 紀生
県立・私立・私立の違った設置者の高校3校で非常勤として勤務しています。高校生たちと触れ合う(「渡り合う」)楽しさを味わうと共に、理科の奥深さ、面白さを体感しているところです。同時に非常勤講師の不安定さを体験し、常勤の先生方の忙しさを傍らから眺めているというのが現状です。教職員の待遇と定数を改善して、誰もが教科指導や生活指導の面白さ、奥深さを味わうことができる教育現場づくりが必要だと感じています。
平松 芳子
大変お世話になり有難うございます。私こと、お陰様で元気で送日いたしております。
齢を重ね外出もままならず、その上夫の看病に日々忙しく過ごしております。
当日の総会の盛会をお祈りしております。
本田 義武
マイナカードの受取りに行きました。カードの写真を見て愕然としました。あの世のパスポートかと。本人確認ができなくても、そこに顔が写っていればよい、大出鱈目な政治の現実を確認しました。そんな時、対応してくれた市職員の女性が、「児島高校にいた本田先生ですね」と声をかけてくれました 。この上なく嬉しかったです。年ですネ?
三宅 ちはる
足腰が痛くなり病院へ。「坂道のある深山公園のウォーキングはだめよ」と。市の検診結果「アルコールと甘いものはダメよ」と。やめてないけど…
矢谷 延一
6月25日は、東京で全国パーキンソン病友の会の総会があるため、残念ながら出席できません。
私は、現在、倉敷演劇鑑賞会に属し 平和で戦争のない社会を祈って活動しています。
議案には賛成します。
山県 武次郎
元気の出る議案に接し、励まされています。支持・賛成です。盛会を祈念しおります。
竹本源治世代の轍を踏まないように、教育運動や教育活動をしてきたつもりですが… 。毎月2回の「9条守9九」のスタンディングに参加 。若者を「死の商人」の餌食にさせてはなりません。
依田 清
老老介護に明け暮れる毎日です。心身ともに衰えを感じる昨今です。これからも、人の交流の方法として、スマホを介して親交を続けたい。
〈旭東支部〉
荒木 敏和
今年も写真を出品しました。 あと2 or 3年は 頑張りたいと思っています。
池上 貴久雄
毎日、片鉄ロマン街道(和気高校に通学した路線跡)を奥さんとwalkingしています。(8年目になりました)
井上 進夫
先日の北木島への歴史探訪は、爽快、壮観、栄枯を感じる旅でした。
岡田 憲朗
我が家の軒下には ツバメの巣が4つあります。 そのうちの2つで子育てをしています。一つでは雛が大きくなっていて巣立ち直前です。もう一つでは卵を暖めています。小2の子育てに奮闘している娘が、巣を見上げて「人もツバメも子育ては大変なんよ。」と とつぶやいていました。
岡本 耕治
病院への通院が日課のような生活をしています。
岸本 幹雄
今年1月前半に母と義父と相次いで亡くなり、2月に49日法要をしました。3月初めには、長女に第2子が誕生して、3月4月と里帰りと上の孫の保育園(片道25kmの1時間かかる)の送り迎えが続き、バタバタした生活が続きました。今年も玉野高校に週6時間(週2日)の非常勤講師と農作業(ブドウ・野菜)の生活をしています。
鈴木 三重子
郵便事情で14日(水)までに届くかどうか不明です。
竹内 良雄
定期総会の経過報告、活動報告についてはよく理解できます。ご苦労様です。
会費については決算報告の中にしか見当たりませんが、その後の変化があるのか否かについてわからないままです。2500円の振り込みでよろしいのでしょうか。振込用紙はどうしますかね。
中野 正勝
総会当日は、部活動の練習試合のため委任いたします。
三宅 通明
議案賛成いたします。
色々とお世話になります。
吉永 隆光
議案に賛成します。
88歳の半ばを過ぎました。昨年6月、心筋梗塞の治療をし、現在は毎日の薬で予防しています。
昭和16年4月、新しく生まれた国民学校の1年生に、5年生まで徹底した軍国主義教育をすりこまれました。教育の力は大きなものでした。今、岸田政権のもとで、軍備拡張、民主主義教育への圧迫が進んでいます。決して許されないことです。
高退教の活動が大きく進むことを期待しています。
〈備西支部〉
青木 精一
3年前から、交流センターで卓球を再開しました。地域スポーツは楽しめます。
浅野 秀夫
2019年5月28日の“小豆島” 以降“ 北木島探訪”に参加。“北木島の桂林”や 石切の渓谷、展望台から天に向かってそそり立つ断崖絶壁の壮大な景色を堪能できた。
岡本 チヱ
食事の用意、買い物に行く、新聞を読む、散歩、草取り、読書、全部できればいいのですが、日によって優先順位をつけて、できるだけのことをやっています。
菅木 一成
昨年からおかやま教育文化センターの事務局をやってますが、我々が現役の時に比べ 、一層一層一層、教育のソフト面 、つまり教える内容やさらに教え方に至るまで介入・ 画一化が、深く侵行していることを痛感します。
ICTについては業界の 利益と結びついて…。
木村 信行
令和3年度をもって、教員生活から身を引きました。今は週2回、介護で働き・学んでいる外国人への日本語指導をしています。
塩飽 正紀
一日一日を大切に生きています。
健康であることのありがたさは、何でもない時はあたりまえであっても、くずれた時に身にしみて感じます。
清水 親義
Zoomで学習会に参加できることを知りました。無縁のはずの学習会にも参加できるわけです。面白いものもありますね。専門的な内容が理解できているかどうかは別にしてですが。
武田 芳紀
先般 3年ぶりに再開された「自然歴史探訪」は 28名の参加を得て、盛会裡に終了することができました。北木島の石切場(丁場)の迫力、島起こしへの試み独自の経営理念で カキの養殖にとりくむ勇和水産藤井社長の話など、どれも印象的で再スタートへの確かな一歩となったのではないかと思います。「実行委員会」体制で 一緒に取り組んだ方々とも喜びを共有できました。
西 功
コロナ禍にあって合唱団も練習中止などしていましたが、やっと正常な練習ができるようになり、木・土の夜の練習に参加しています。少し耳が遠くなりましたが、元気にやっています。
西牧 利典
議案に賛成します。
水間 正雄
毎回、備南の集いに参加させてもらっています。今年は、私の「ヨーロッパのユースホステル泊のスケッチと出会いの旅」をテーマにスピーチすることになり、慣れない人前での話しに困っていたのですが、後半にそれぞれの方の旅の話もお聞きできて、おいしい弁当もいただき、感謝です。
〈備北支部〉
相木 トシ子
いつもお世話になっています、体調は特に問題なく元気にしております。(ありがたいことです)しばらくガマンしていた食事会などに参加するようになり、久しぶりに会えた友達と良い時間を過ごしています。
石井 正美
GWに大学時代の仲間6人で佐渡へ行きました。海も山もすばらしいところです。しかし、冬の厳しさも話に聞くことが出来ました。今度は佐渡の星空を見てみたいです。
佐渡の冬語る夫婦に風光る
石井 美鶴
おかげさまで元気に過ごしております。
体力知力はめざましく衰えておりますが…。
お世話になります。
大久保 緑子
非常勤2年目です。
娘が二人目を出産後、里帰り中です。 長男三歳児は、イヤイヤ期真っ最中。毎日バトルを繰り広げています。三歳児相手に 大人気ないばあばです。
岡本 忠
倉敷昆虫館の勤務が13年目となりました。現在「倉敷写真文庫2」の編集で忙しくしています。地域では老人クラブ内のペタンクサークルで、毎週、「健康と交流」で楽しんでいます。
事務局への質問 昨年でしたか、長寿祝い、図書券をいただきましたが、4月の機関誌には 1年後輩の方々とともに載って、どんな基準で決まったのか疑問。
岡本様 長寿のお祝いは、その年85歳になられた方に、各支部を通して差し上げています。会員名簿に基づいて該当の方をピックアップしていますが、事務局で掌握している名簿に、必ずしも生年月日が正しく記録できていない場合もあり、若干のズレが生じることがあるかもしれません。あしからずご理解ください。(事務局より)
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難波 達興
2023年3月に完全リタイヤしました。52年間、半世紀を超えて勤めました。関心を寄せているのは、世界同時現象たるポピュリズムです。たくさん読んで、少し書いて、畑と戯れています。土と接点のある生活がいいです。2022年に妻を亡くし「独居」生活です。
難波 誠
北木島(自然歴史探訪)は、有意義でした。お世話になりました。
福本 光子
活動への参加は、難しくなっておりますが、連帯の必要性は強く感じております 議案書から色々学ばせていただきありがとうございます。
逸見 健治
相変わらず畑と山の管理です。
農業資材も値上がりし大変です。
三上 雅弘
高教組専従役員を退職後、岡山県労働組合会議の書記局で、事務局次長として週20時間程度働いています。
山本 浩
当日は寺の行事と重なっており欠席です。
相変わらず緑と太陽に触れる毎日を送っていますが痛い所だらけです。
でも、野菜や果物が実ると喜びも倍加します。大会の盛会を祈ります。
〈美作支部〉
赤座 匡
行事予定表を睨んでいる間に返事が遅れて申し訳ありません。
6月25日昼まで、道楽の行事とダブってしまいました。(作品の搬出には自力で行けます。)
気がついたら 米寿。道楽の間にいくつか組織の活動に参加していますが、行動力、行動範囲が低下、縮小してきました。人生100年 時代、まだ先が長いと言えるような、そうでもないような、変な心境のこの頃です。
安東 玲子
いつの間にか 人生100年になっていました。となると、もう少し長生きしていなければいけません。元気で、世の中の移り変わりに腹を立てています。( 92歳)
宇谷 俊二
お世話になります。都合がつかず、出席できません。今年も、非常勤講師をしながら2つの運動( 1つは スポーツ、もう一つは 平和・労働運動)で忙しい毎日を送っています。野菜作りも一応やっていて、玉ネギ、じゃがいも、大根、白菜は何とか間に合っています。部活指導で高校生とバドミントンをして、若いエネルギーをもらうのが楽しみです。
奥埜 貴之
当日、全教中央委員会に高教組執行委員として出席のため欠席します。
河合 凡
近況 非常勤講師(週に6時間)、高校生就職アドバイザーで、週に4〜8時間、勤めさせていただいています。
陸上競技審判員を務め、かなり日焼けしました。プールでゆったりと泳ぐことも、楽しみのひとつです。当日は予定が入っていて、参加できません。
杭田 利晃
最近、昔のことが頭によみがえってきます。年をとったせいか、前向きの人生を送れなくなっているのでしょうか。
田淵 道夫
6月10日(土)から田植えです。 さすがに準備疲れです。毎年大赤字ですが 勝海舟に学んで 飢饉に備え、毎年作っています。
自給率38%の中、超米価安で廃業農家が全国で増えている現状なので、飢饉もあり得るかも。
垂井 一心
年々体力低下を自覚しています。去年できたことを、今年もできるかなと考えながら、毎日が闘いです。朝起きて、今日もなんとか動いて働けそうだと思うと嬉しくなる。朝涼しいうちに 汗を流し、昼食後は休憩。お茶を飲み、熱中症にならないように気をつけることを重視しています。百姓はきつくなってきた。
友直 久徳
この3月で福祉施設 75歳ということで 退職となりました。少し寂しくなりました。今は日本郵便将棋連盟に引き続き加入し、郵便やメールでの将棋を全国の将友と楽しんでいます。教育の充実と年金の増額を強く望んでいます。総会要項 6月16日夕方に届いたので返信が遅れました
中西 孝
お世話になっています。
何かと忙しくがんばっていますが、歩きが少しずつ難しくなってきて、年を感じている今日この頃です。
春名 公宏
コシヒカリ棚田米の作付けを倍化し、地域おこしを頑張っていますが、買い手未定のまま。玄米10kg4000円で「愛の水」を つけ3口以上 まとまれば県内配達します。
今年から本格的に 農業に従事して日本の食料と未来を考えています。
森藤 康郎
シルバー人材により、グリーンヒルズの公園管理をしております。その他に、剪定、草刈りの仕事をしております。冬はスキーを楽しんでおります。信州・北陸エリアが主戦場です。
山本 宣子
日本が戦争にまきこまれる日がだんだんと近づいてくる感じです。自衛隊の基地は2万3千棟も強靱化するにのに、4兆円ものお金をゼネコンにばらまくようだ、国民の安全のためとは大うそ。
岸田政権には一日も早く、おひまをあげたいと思う今日この頃です。
山本 美佐緒
皆様にお逢いすると元気を頂けます。
※※※※※※※※※※※※※※※※
他 70余名の方からの返信がありました。ありがとうございました。
第1回新自然歴史探訪報告
担当幹事 西 功
コロナ禍にあって4年間中断していた「自然歴史探訪」は、装いも新たに「新自然歴史探訪」として、 5月28日(日) に石材の島「北木島」を訪ねる旅で再出発しました。今回は担当幹事に加え、備西支部の武田芳紀さん、清水親義さんにも計画段階からお世話になりました。再出発を待ち望んでおられた会員さんが多く、28人もの方が参加し下さり成功裏に終わりました。当日の様子をお知らせします。
台風の影響が心配されましたが、風もなくウォーキング日和で一安心。笠岡住吉港から渡船で風を切りながら20分余で北木島豊浦港へ到着しました。港の目の前にある「メビウスの輪」の前で集合写真を撮りました。その後、「畑中平之烝之像」を見学。平之烝は島に露出する花崗岩に着目、私財を投じ、採掘および販路の拡張に力を注ぎ、日本銀行本店等の大事業に豊富な石材供給に成功し、全国的に「北木御影石」の名を高めた北木島の石材採掘販路開拓の祖である、と武田さんから説明を受けました。その後200m先の「海の家」である「K's LABO(ケーズ ラボ)」に到着。そこで2班に分かれ、北木島の新名物「せとうち鯛骨らーめん」を美味しく頂きました。
11時半に、馬越紀久子(北木島光劇場復活友の会)さんのガイドで北木島の観光に出発。
再び「メビウスの輪」や「畑中平之烝之像」を見た後、海風に吹かれながら、海岸沿いに約2km余り歩きました。至る所に石材を切りだした跡が残る山肌や石材の加工場跡が残されていました。
夏蔦や廃れ家続く島の道 八木佐智子
次に到着したのは、中国の桂林のような景色を楽しめる『北木の桂林』と呼ばれる採石場跡でした。採石された山肌と深く掘り下げていった丁場湖と呼ばれる池には青い水が溜まって、桂林に似た絶景を作り出していました。その絶景を多くの人がシャッターを切っていました。
記念写真を撮った後、「北木のベニス」と呼ばれる小さな港を見学しました。この港は、石材加工場から出たいろんな形をした端材を石積みにした港ということでした。馬越さんが、「ボートが係留してあり、船が往き来できる水路はイタリアのベネチアさながら」と言いながら、やや照れた感じで声をひそめる演出も絶妙でありました。本家のベニスに気を遣ったのがありありでした。
その後1qほど歩いた所で、2班に分かれ「石切りの渓谷展望台」と「光劇場」を見学しました。
「石切りの渓谷展望台」は現在も採石が続いている丁場2か所のうちの一つです。鶴田石材がこの場所で採石を始めたのは明治25年で、機械化された昭和30年代以降に大きく掘り進められ、高品質の石を求め地下深くへと掘り進み、その結果、天に向かってそそり立つ高さ100mの断崖絶壁が誕生したということです。高さ約60m展望台から、地底を眺めると立ち眩みをするようでした。中には怖くて地底を見られず展望台まで行けない人もいました。案内の人が石切りの渓谷の説明後、厳しい石切りの現場で歌われた「石切り唄」を歌ってくれて感動しました。一度は見る価値がある場所でした。
石切り唄の響く丁場や朱夏の風 八木佐智子
「光劇場」(昭和42年閉鎖)は、石材産業が盛んだった昭和20年から30年代に北木島に2館あった映画館の一つです。地域の人たちが地域活性化の事業として「光劇場復活友の会」を立ち上げ、2015年から見学ができるようになりました。私も昭和30年代の映画館を思い出し非常に懐かしく感じました。ここでは「北木石に関するドキュメント映画」を鑑賞しました。
新自然歴史探訪の締めくくりは、北木西公民館で、「島おこし」の一つであるカキの養殖の話を勇和水産の藤井社長さんから伺いました。親子孫三代で、岡山県では後発組ながら、カキ養殖をし、県内だけでなく全国に出荷しています。今では、「喜多嬉かき」と命名し、香港やシンガポール等へも輸出しているとのことでした。一年中真牡蠣が生食で食べられるよう、鮮度が落ちない特殊な冷凍技術を採用し、その結果、喜多嬉かきは水揚げしたままの美味しさを一年中楽しめるそうです。また島おこしにも熱心に取り組まれているとのことでした。
藤井社長の熱い思いが伝わる講演を聞いた後、金風呂港から渡船に乗り笠岡住吉港へ無事に帰り4時ごろ解散しました。
久しぶりの自然歴史探訪参加された皆さんの感想をお聞きしていないのですが、無事に終わり幹事連はほっとしたというのが偽らざる感想です。来年の第2回の行きたいところやアドバイスがありましたら高退教の幹事までぜひお願いします。
【お詫び】
2023年4月発行の会報の「第1回新自然歴史探訪のお誘い」の記事の中で、「この自然歴史探訪は、故中田啓司先生の発案から始まった」と記述しましたが、間違いでないかとのご指摘をいただきました。これを受け、「高退教結成40周年記念号」など調べた結果、次のように訂正させていただきます。
(旧)歴史探訪は1994年から2019年まで25年間50回に及ぶ歴史を持っております。
藤野修二事務局長時代の94年の総会で、「明るく楽しく元気の出る新しい行事」をとの提案を受けスタートしました。初期のころは各支部持ち回りで企画や運営を行っていました。当時の各支部の幹事の方々や事務局の片山照恵先生、吉永隆光先生などたくさんの先生方がご尽力くださっていました。その後は中田啓司先生が中心となり、企画から下見、そして資料作りや案内など大変な貢献をしてくださりました。
今後は年1回で、担当幹事だけでなく会員の方などの協力を得ながら、その地の歴史や文化や自然に触れる旅にしたいと思います。
自然歴史探訪の感想
旭東支部 井上進夫
笠岡・住吉港を海上タクシーにて出航。穏やかな海をしぶきを上げて走る船は潮風を受けて実に爽快である。いくつかの島影を見ながら北木島・豊浦港に到着。
さすがに石の島、最初に出迎えてくれたのが「メビウスの輪」。木彫でも難しそうな造形作品を石で彫る作業の大変さがしのばれる作品であった。昼食で食べた「鯛骨ラーメン」のスープは美味だった。「ケーズラボ」という観光施設の周辺をはじめとして島内の各所にいろいろな作者の石彫作品が飾られていた。芸術に興味のある方には時間が足りないぐらいだっただろう。
北木の桂林と名乗っている旧石切り場跡の水深30メートルの池面の青さはきれいだった。上を見上げた次には上から下を見下ろすところへ行った。ここは現在も採石を行っている丁場で地上から60メートルほども掘り下げた現場を俯瞰した。壮観と言っていい。
これらの現場を見た後、旧映画館跡の施設で北木島の歴史を映像を見ながら振り返った。最盛期には127か所の石切り場(丁場)があり人口が1万人を数えたが、現在は2か所の丁場しか営業してなく島民は580人だという。かつての羽振りの良さは当時の石切り唄にも歌われ、映画館や飲み屋街の跡からもうかがえる。栄枯の習いはこの島に限ったことではないが北木島がまた活気に満ちた島になればいいなと思いながらやる気満々の方のお話を聞いて帰途に就いた。
この探訪を企画してくださった役員の皆さまいろいろと細かいところまで準備していただきありがとうございました。
新自然歴史探訪−石材の島「北木島」を訪ねるーに参加して
岡山支部 仁熊澄江

まことに勝手ながら、高退教の様々な催しの中で一番楽しみにしていたのは「自然歴史探訪」でした。中田先生の御尽力もあり、本当にいろいろなところに連れて行っていただきましたが、コロナのために中止となって残念でした。
新シリーズが始まるというお知らせを受け、これは申し込まなければ?と思いました。「ご家族、友人の参加歓迎」とあったので、すぐ友人に声を掛けました。半年ほど前に、この友人から「北木島に行ってみたい、何か情報はあるか、サイクリングが良いらしいが、一緒に行かないか」と誘われたのですが、高退教で真鍋島や飛島に連れて行ってもらったけど北木島は行ったことがないので情報はないし、私は普段自転車に乗らないので断っていたのです。
今回は3キロほど歩くということで、ウォーキングが唯一の楽しみの私にとって最高のプランでした。久しぶりだし、個人では行きにくい島旅だし、きっと希望者も多いだろうからと早速ファクスで申し込みました。あとは当日の天気を気にしていましたが、今回一緒に行くことになった友人二人はどちらも照子さんで、今までこの照照コンビで出かけると良いお天気のことが多いので今回も期待していました。
5月28日は薄曇りの絶好のウォーキング日和で、午後は照照コンビの威力が効き過ぎたのか晴れて少し暑くなりましたが、青空をバックにした素晴らしい眺めが楽しめました。
北木島は石材の島として有名でテレビなどでもたびたび登場するので、実際に自分の目で確かめられるのが楽しみでした。笠岡から海上タクシーで本当にあっという間に豊浦港に到着。港のすぐそばに「メビウスの輪」がありました。思っていたより大きくて不思議な形でした。続いて「K's LABO」に移動し、まだ早い時間でしたがゆっくりおしゃべりを楽しみながら待って、「せとうち鯛骨らーめん」を美味しくいただきました。昼食後はガイドの方の案内で「北木島の桂林」へ。深く掘られた採石場跡にたまった水は美しい濃いグリーンでした。メダカがたくさん泳いでいて、皆歓声を上げました。「元気な顔のうちに」と記念写真を撮ってから、道々家々の花々を眺めながら「光劇場」へ。子供のころには近くに有った映画館を思い出しました。
一番のハイライトは「石切の渓谷展望台」で、高所恐怖症はダメだと言われながら恐る恐る登った断崖絶壁は絶景? 友達がスマホを柵から出して撮影するので、落とさないかとひやひやしました。きびしい労働を紛らわせる石切唄をガイドさんの美声で披露していただき拍手。
最後は公民館で「カキ養殖と島おこしについて」努力されている藤井和平氏の講演を聞きました。北木島のカキの知名度を上げるためにもまだまだ若い人の頑張りが必要なのだとわかりました。こういう講演が組み込まれていることが、単なる観光旅行ではない自然歴史探訪らしさだと感じました。
帰りは近くの金風呂港からまたまたあっという間に笠岡港に帰着。島の絶景、島おこしに努力する人たちにも出会えた素晴らしい旅でした。友人も念願の島に行けて大変喜んで、また誘ってほしいと言ってきました。私も久しぶりに大学の先輩や、新任校でお世話になった先輩とお会いすることができたうれしい旅でした。
お世話くださった方々は本当に大変だったと思いますが、また次回も素晴らしい企画を楽しみにしています。本当にありがとうございました。
連載「源氏の会」の10年(2)
備北支部 石井美鶴
2017年、「源氏の会」でも、「夕顔」の巻を読むことになった。
その少し前、友人が飯村博著『源氏物語のなぞ』(1997)という本を紹介して
くれた。友人は飯村氏の主宰する『源氏物語』の読書会に長年参加していた。飯村氏は物理の先生で、かつては友人の19歳年長の同僚だったという。
読んでみると「なぞ」の筆頭が「夕顔」の話題だった。そこには私の抱いた素朴な疑問と混乱がていねいに解きほぐされ、さらに飯村氏の考察のヒントになった黒須重彦著『夕顔という女』(1975)が紹介されていた。
この2冊を読むと、まさに目から鱗であった。
「夕顔」はいわゆる干瓢のことで、平安貴族からもてはやされるべき「美しい花」などではなかった。むしろ食料である。
干瓢の実ならよく知っている。お寿司には入っているし、子供の頃、輪切りにした干瓢を手回しの台に取り付けて剥(む)いた記憶もある。茶道では炭斗(すみとり)にも使う。形はズングリと大きい。ユーモラスで庶民的だ。お世辞にも美しいとは言えない。
この2冊は、〈紫式部は、登場人物に、夕顔の花は「みすぼらしい垣根に咲く」「不運な」「枝がみっともない」花だ、とはっきり語らせている。こんな情けない花を光源氏の比喩に用いるはずがない。「夕顔の花」とは、逆にこの歌の作者である隣家の女が、自分を卑下して名乗っている言葉だ〉と主張していた。
では「それかとぞ見る」とはだれと見るということなのか、また「白露」とはなにを意味するのか、などについては、「帚木(ははきぎ)」の巻の頭中将(とうのちゆうじよう)の話にまでさかのぼって検討されていた。
頭中将は「雨夜の品定め」で、「自分には女の子までなした彼女がいたが、あるとき突然姿を消した。正妻が脅したからであった。行方を探しているが見つからない」と語って涙を流した。
物語では、扇に歌を書いて贈った隣家の女は、頭中将の逃げた元カノであったということがしだいに明らかになってくる。
煩雑になるので紹介はここまでにしたいが、したがって、この歌は次のような意味だと黒須・飯村氏は言う。
Aそこにいらっしゃっている方は、もしや頭中将さまではありませんか。もしそうなら、このようにむさ苦しい五条あたりに、あなたのように高貴な方においでいただいて(白露の情けをおかけくださって)、いやしき花の咲くこのあたりは光輝くようでございます。私はうれしゅうございます。
@のようにとれば、大胆にも、いや、はしたなくも女の方から美しき光源氏に向かってアタックした歌になる。このように取ることから、夕顔遊女説や夕顔娼婦説(円地文子)も出てくる。
しかしAのように取れば、夕顔は、必死で頭中将の助けを求める「心やさしく、おどおどして、ひかえめで慎み深く従順な女(黒須重彦)」となる。
どちらに取るかで夕顔像は天と地ほども違ってくる。どちらなのか。@はおもしろいが、原文の表現から見れば無理だ。パンチは効かないがAが正しい、と私は思った。
私は黒須・飯村説に深く納得し、興奮した。『源氏物語』は短編の連作ではないんだ。作者はそれとなく伏線を張り、それとなく回収している。長編を、行き当たりばったりでなく、あらかじめ構想して書いている。ぼんやり読めば気づかないだけなんだ、と思った。
しかし両氏の考えは必ずしも多くの賛同を得てはいないらしい。手元の本を当たってもすべて従来の説を踏襲している。もしやと期待して2017年に出たばかりの角田光代新訳も当たってみたが、従来の読み方で訳してあった。がっかりした。
「源氏の会」ではどうしようか、とずいぶん迷ったが、自分の納得できる両氏の考えに従うことにした。
なぜそうしたか。くりかえしになるが、物語の中に、はっきり、夕顔の花はみすぼらしい花だと書いてあるからだ。
もう一つ言うと「源氏の会」で植物に親しんだことが大きい。以前だったら「夕顔」という花が出てきても「きれいな花なのだろう」ぐらいで実物はあまり気に留めなかったと思う。今はとても気になる。だから調べる。記憶もさかのぼる。そうすると原文の表現が身にしみてくる。リアルに迫ってくる。だから「夕顔の花のように美しい光源氏」など考えようにも考えられなくなる。
教員時代の宿題が一つできたような気がした。
飯村先生はもう一つ、光源氏の親友でありライバルであり、結局源氏の引き立て役になっている「頭中将」は、光源氏の正妻・葵の上の兄ではなく弟であるという説を唱えている。「いもうと」とは本来年齢の上下に関係なく、兄弟から見て姉妹をいう言葉だ。現代語の「妹」には限らない。葵の上は光源氏の4歳上だから、もし葵の上の兄なら、頭中将は源氏より少なくも5〜6歳は上になり、そんなに年が離れればライバルというのも不自然である。弟だと思うと源氏と頭中将はほぼ同年齢となり、張り合ったりじゃれたりするのも納得がいく。しかしこれも通説ではない。年の離れたライバル説に違和感を感じていた私は「頭中将弟説」に共感している。そう思って読むと『源氏』の印象はずいぶん違ったものになる。
こんな風に読んできた。
終わりに
この読書会でめざしていることがもう一つある。それは恋、つまり逢瀬がどのように描かれているかを丁寧に読んで味わいたいということだ。学生時代はまったく読み取れなかった。高校の教科書からは恋の話題は巧妙に除いてある。でも経験の豊かな方々とは分かち合うことができる。『源氏物語』は恋バナがメインなのに作者は直接的な書き方を極力しない。しないけれども書いてないわけではない。彼女はエンターテイナーでもある。その微妙なところを「源氏の会」の方々のお知恵を借りながら、できるだけ読み解いていきたい。「須磨」まで読んだだけでも、作者の筆がしだいに伸びやかになってきている。この後どうなるのか楽しみである。
悩みは話が下手だということである。挫けることも多い。でも、それ以上に『源氏』は面白い。読む機会が与えられたことに感謝しながらできるだけ続けていけたらと思う。なにしろ生活の中心になっているのだから。
長くなったので中途半端ですがこの辺で終わりにします。お付き合いくださってありがとうございました。
連載 出会いとスケッチの旅 ポルトガル編(3)
備西支部 水間 正雄
ギマランイス
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会のスケッチを終えた後、ユースホステルで若い2人の女性ホステラーと話をした。彼女たちは自分たちの車で旅を続けており、私が「次のユースホステルを決めていない」と話すと、彼女たちの次のユースホステルに私の予約電話を入れてくれ、さらに、車への同乗までさせてくれた。お二人は女医と社会学者だった。その後は別行動だったがその後二か所の町で再会をした。
ブラガ
ユースホステルでの食事中にギマランイスのノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会のスケッチを見せると、「バックにある建物のこの窓が私の家だ、来たら泊めてあげる…。」と誘われた。彼は「隔週にイベリア半島を西から東へと往復して、バルセロナの大学で非常勤講師をしている」そうで、「格安航空券」についての情報に詳しく、「パソコンと僅かな荷物しか持ち込めないが…。」など、その問題点や利点を説明をしてくれた。
今回は既に通り過ぎた街での出会いだったので、引き返して泊めてもらうことはなかったが、次回に訪れることがあれば大学の授業の事や、街の歴史などについて聞いてみたいと思った。
ブラガの郊外の400mの丘にあるキリスト教の巡礼地ボン・ジェズスを訪れた。
バロック様式の美しい階段には、それぞれに泉がある。このスケッチをしている時、自家用車に同乗させてくれた女医、社会学者の女性と再会した。
ヴィアナ・ド・カスティロ
航海冒険家ジル・エアネスの名の病院船が博物館を備えたユースホステルとして、港に係留されている。
ベッドは床に固定されており、かつては漁場などで傷病した患者が使用したものだろう。
この中世が色濃く残された旧市内で、運よく「嘆きの聖母巡礼祭」に遭遇した。市民が民族衣装を着てダンスやパレードを繰り広げている雑踏の中で、あの女医と社会学者にまた再会した。
ヴィラ・ノヴア・ダ・セルヴェイラ
この教会をスケッチしていると、向かいの肉屋の主人が「絵を売ってくれ」と言う。私自身の記念として描き、日本に持って帰る予定のものなのでどうしたものかと迷ったが、まだ滞在期間が決まっているわけでもないので、「同じ構図の大きな絵を描きましょう」と約束し、次の日に絵はがきを添えて渡した。ご主人は大変喜んでくれ、3日ほどの延泊費とショーケースにあった売り物のお惣菜を包んでくれたので、他のホステラーにおすそ分けし、コミュニケーションにもなってありがたかった。
ミーニョ川を境にしたスペインとの国境の町は強国の侵略に対する城や砦が築かれているが、今はフレンドシップと言う名の橋が架けられパスポートなしで自由に渡れる。
ユースホステルは小学校の校舎を改修した建物で、ここでは多くの出会いがあった。このユースホステルで会った大柄の男性2人がロッククライミングをすると言うので、一緒に付いて行くと、この逞しい2人は、声を掛け合いながら見事に崖を登って見せてくれた。
後日、菜園でとれたミニトマトをたくさん持ってきてくれて、その夜もテラスで夕食を共にした。
ユースホステルの受付女性の妹さんが、「絞首刑場の跡がある」と教えてくれた。山頂にそれらしき遺跡が見えたので、細い道を登り、最後はブッシュを掻き分けてそれを見つけてスケッチした。
後で彼女に見せると、「それは教会跡」だからと、地図を使って道順をきちんと教えてくれた。
行ってみると「首を吊った木の棒」が立てられていた。これが「絞首刑場跡のシンボル」ということだったのだろう。
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◎せっかくの水間正雄さんの絵が、会報では魅力半減となってしまう悔しさを、この編集後記で書いた記憶があります。山本事務局長の手によるネット版はカラー版ですから、その時は元の絵の良さを味わっていただける訳ですが、会報ではぼんやりとした白黒にしかならず、ガッカリ感は拭えませんでした。そんなことを思いつつ、「新聞網目」白黒製版にしたり、濃い目の白黒画像に変換したりと、実験を重ねてきていて、偶然半年ほど前に、「カラーで、しかも白黒印刷にも耐える調整」に辿り着いたのです。前号から画像が変わったことにお気付きの方もおられるかもしれませんが、前号からの画像はそうした処理の上で掲載しております。
◎何人もの方の写真を使わせていだいていますので、特定の方のものを取りあげるのははばかられますが、それでも触れておきたいのが、井上俊清さんの「光劇場」の巨大な映写機の写真です。映写機の前の小窓の中に、新歴史探訪の参加メンバーが映っているのですよ。
◎もう一枚触れておきたい写真が、仁熊澄江さんの表現を借りると「恐る恐る登った断崖絶壁は絶景?」というところの、その絶景の写真。藤原洋平さんも命知らずとお見受けします。迫力満点!
◎今回の会報は、非常に読み応えのあるものに仕上がったと思いますが、見た目が多少読みにくいと感じられた方もおられると思います。それは、28ページ分の原稿を、読み易さを余り損なわない程度に24ページにまとめることにしたからです。印刷枚数が1枚増えることは、そのまま製本時の作業量の増加でもある訳で、かと言って文字を小さくすれば読みにくいとなって、会報係は千々に心が乱れる中でパソコンに向かっている次第です。
◎西功さんの「第一回新歴史探訪報告」の中に八木佐智子さんの句があり、西さんが私こと清水に「俳句や短歌ができる人が本当にうらやましい」と言われたように、中に句が入ったことで、より深みが増した感じなのです。井上進夫さんが、「栄枯の習い」を北木島に見られたように、八木さんの見る「夏蔦」の茂りも、また北木島の何かを偲ばせます。
◎石井美鶴さんの連載が終わります。国語の教師だったくせに勉強不足の私は、夕顔のイメージ一つで味わいがガラッと変わる面白さなんて初めて知りました。今回は「長くなったので終わる」と言われていますので、次回に期待します。
(清水)
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