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退職後も輝いて!岡山県高校・障害児学校退職教職員の会

会報report

 

岡山高退教会報バックナンバー(ダイジェスト)


159 2020年2月(抄)


新年に思う 不思議な平和論
会長萱栄次


私は物を考える時には最も単純な見方をすることを心がけています。 今年はこの視点で「平和」 について考えてみました。
「平和」それは「戦争」とは全く無縁なものです。
と ころが世の中には変なこ とをいう人々がいるものです。 「戦争」 するための道具を持つことが、「平和」 の実現には重要だというのです。 あたかも犯罪者が多くいることが、 社会の秩序維持には大切であると言っているようなものです。
核抑止論 (核兵器を持つことにより、 敵が攻めてこなくなり戦争を抑止できる) がまさにこれです。
こんな矛盾した論理が今の政治家の中にまだ多くあることは、 残念といわねばなりません。
すなおに単純に考えれば、すぐ分かります。人を殺す道具(武器)を持たなければ人を殺す戦争は起こりません。人を殺さない闘いは戦争とはいいません。それは単なる論争・対立に過ぎないのです。これこそが「平和」なのです。人類が優れているのならば、 必ずや実現できる道なのです。
インドのマハトマ・ガンジーの訴えた「非暴力」、昨年、来日したパウロ教皇の「.兵器を生産することは犯罪」 との言葉は、 まさに人類の英知の結晶といえます。
この点では憲法第九条をはじめ、 非核三原則、 さらには殺人をする道具の所持を禁じた銃刀法を持つ日本の法制度は世界最高の平和先進国といえます。
ただ問題なのは、それを破壊しようとする政治家が存在することです。一日も早く、 真の平和な国となるよう頑張りたいと思います。


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改憲発議に反対する全国緊急署名」 に取り組もう
なぜ『緊急』署名なのか    副会長 小林軍治


昨年12月l7日「安倍9条改憲N0!全国市民アクション」は、2020年l月1日から標記の新しい署名を開始することを決め、 全国に呼びかけた。
この新署名の請願事項は、 次の二点である。
一、 安倍首相らが進める憲法9条などの改憲発議に反対します。
二、憲法を生かし、平和・人権・民主主義、生活の向上が実現する社会を求めます。
 なぜこの時期に、 緊急署名なのか。 それは、 安倍首相が1月 20 日からの通常国会、 秋に予定される臨時国会で改憲論議を加速させ、 改憲発議をしたいと、 異常な執念を燃やしているからである。
昨年7月の参議院選後から今日までの安倍首相の動向を見てみよう。
安倍首相は、参院選で改憲勢力が国会発議に必要な3 分の2の議席を割っにもかかわらず、 「改憲について議論すべきという民意が示された」 と表明し、 内閣改造と党役員人事で改憲発議強行の布陣を敷いた。
昨年末の臨時国会終了後の記者会見で「必ず私の手で成し遂げたい」 と発言した。
2020年1月に入ってからも、年頭の所感・記者会見、12月のNHK「日曜討論」の党首インタビューでも同様の発言を繰り返している。 また1月7日の自民党の仕事始めでは、 「改憲は自民党の歴史的使命」 と檄を飛ばしている。
自民党は昨年からこうした首相の意向を受けて、 二階幹事長の地元の和歌山県での大規模な改憲集会を皮切りに全国各地で改憲をテーマにした集会を開いている。
また自民党広報本部は「憲法改正の主役は、 あなたです」 など2種類の改憲ポス ターを発表し、 草の根からの改憲世論づく りに党を挙げて取り組んでいる。
私たちはこうした動きに、負けるわけにはいかない。
2017年5月 3 日の憲法記念日に、 安倍首相は突然、 「新たに意法9条に自衛隊の存在を書き込む」 「2020年に新憲法の施行を目指す」 と述べた。
私たちはこの発言を受けて、 「日本が再び海外で 『戦争する国』 になるのはゴメンだ」と、 「安倍9条改憲N0!憲法を生かす全国統一署名(3000万人署名)」を、全国各地の「九条の会」を中心に全力で取り組んだ。最近の各種世論調査では「安倍政権下での憲法改正には反対する」の方が、 「賛成する」を上回つている。しかし相手は安倍さんだ。数を頼んで何をするかわからない。こうした危惧を昨年11月の革新懇全国交流集会で、 憲法学者小林節さんが次のように指摘されている。
「9条改憲は突然やってくる。その準備を自民党は今している」 「世論調査で、 『国民投票で改憲賛成が51%いる』と踏んだら、 あっという間にやってくる。」
私たちは、 小林節さんの指摘を正面から受け止めて、 気を引き締め、 油断してはならない。今回提起された「改憲発議に反対する全国緊急署名」 を高退教としても、全力で取り組みたい。

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中国 ・ 九州 ・ 沖縄ブ口ツク交流集会報告
幕末の佐資は近代化の先頭に 岡山支部 小川澄雄


全退教の中国・九州・沖縄ブロツク学習交流集会が、佐賀高退教の担当で20l9年1l月12日 (火)~l3日 (水) に開催され、岡山からは萱会長と小川の二人が参加しました (全体では35人)。
1日目の11月12日は、午後1時半から開会行事。荒巻佐賀高退教会長の開会あいさつの後、 佐賀高教組副委員長 (委員長が専従でないため) が歓迎のあいさつ。
続いてブロツク幹事の坂本景氏が報告を行いました。 報告の中で坂本氏は 「再来年の全退教ツアーは中国・九州・沖縄ブロックの担当」 「ブロックとして準備を行うが、 中心となる県を2月に山口で行うブロック代表者会議で決定し、協力体制を組む」と述べました。 開会行事に続く学習は、 講演 「鍋島直正と幕末佐賀藩~その時佐賀は世界を見ていた」でした。講師は佐賀城本丸歴史館学芸員の藤井祐介氏。耳で聞くだけでなく、パワーポイントを駆 使し目にも訴える講演でした。
鍋島直正が主導した佐賀藩の近代化は、当時の日本の先頭を走るものだったことを丁寧に紹介。 日本初の反射炉建造、鉄製大砲の鋳造、日本初の実用蒸気船 「凌風丸」 の建造、 1867年パリ万博参加など…。 長崎警備の任に当たっていたため、 長崎から入ってくる西洋の科学技術を比較的容易に取り入れることができたことが、 その背景として考えられると説明しました。
藤井氏は、 明治維新を推進したのは薩長土肥と言われるが、 N H Kの大河ドラマで薩長土肥は何度もとりあげられているが、 肥前佐賀が忘れられていると悔しさを滲ませて講演を締めくくりました。
この日の最後は、 夕食をとりながらの各県交流。 沖縄退教の代表と同じテーブルになり、 沖縄のたたかいを少しだけ聞きました。 岡山は例によって萱先生がヨーデルを披露。
2日目の11月13日は、フイールドワーク。
午前9時過ぎにグランデはがくれをバスで出発し佐賀空港へ 江戸期に有明海を干拓した平野をバスで走りました'が、 岡山市藤田と同じような印象を持ちました。 佐賀空港の屋上からオスプレイ配備予定地を眺め説明を聞きましたが、 マイクの調子が良くなく、今一つ呑み込めませんでした(オスプレイ配備は許せませんが・・・)。
三重津海罩跡では、造船所や伝習所を疑似体験、まるで目の前に本当に色々な建造物があるような体験をしました。
佐賀城跡では、本丸御殿に入り説明を聞きましたが、あまりにも時間が短く一つひとつのものをしっかり味わうことができませんでした。やや不満が残り、 佐賀城を再訪したいと思つています。

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旭東支部 長寿を祝う会    旭東支部 岡田憲朗


赤トンボ野仏拝むように舞い
IO月I8日(金)吉永隆光先生の長寿を祝う会を開きました。三宅通明氏、額田哲夫氏と、幹事の岸本、岡田の4名で吉永先生のご自宅へお伺いしました。
先生の、幼少期から現在に至るまでの話をお聞きしました。I941(昭和I6)年に小学校から国民学校と名前を変えた最初の1年主と して入学し、教育勅語を始めとした軍国主義教育をたたき速まれ、5年生の時に終戦を迎えたそうです。卒業後は中学校が義務 制になったために入試なしで入学し、その後西大寺高校を経て岡山大学に入られたそうです。大学では卓球部に所属し、中国選手権では、個人戦で準決勝まで進み、中国地区のランキングが10位になったそうです。卒業の時は就職難で教員採用試験も最初の年だったそうです。1957 (昭和32)年に興陽再校に赴任され、その後有漢高校6年、和気関谷高校10年、瀬戸高校2O年の教員生活を送られました。その間、民主教育・高校部落研活動の活動に励み県民放の幹事も
務められました。
I9 8 2 (昭和5 7)年から4年間は岡山高教組の執行委員長を務められました。民主教育の同和教育への名称変更問題が持ち上がった時期だったそうです。
退職後は城東高校で1年間常勤講師として勤め、野球部の応援で甲子園に3度行かれたそうです。
1996 (平成8)年に高退教の事務局次長になられ、1998 (平成10) 年から事務局長として活動を引っ張ってこられました。1999 (平成9) 年に高退教として中国へ行かれたそうです。2000 (平成10)年には、創立2 0 周年の記念式典を開き、同時に記念誌を発行されたということです。いろいろな苦労があったそうです。
退職後、川柳を始められ、岡山の川柳史の研究をされているということです。
代表作として冒頭の「赤トンボ野仏拝むように舞い」という短冊を見せていただきました。現在は奥様とお二人での生活で、足と耳が思うに任せない様子でしたが,まだまだお元気で、1時間くらいの予定でしたが、気が付くと2時間近くになってしまいました。最後に軍国主義教育の体験を元に平和を守る活動の大切さを訴えられました。

お祝いの花束を携えて 備西支部 西・清水

9戸9日の昼下がりに、お祝いの花束を持って備西支部幹事である我々二人で枝木泰朗先生のお宅にお伺いしました。先生は非常にお元気で、主に農業に精を出さ れているとのことでした。
西にとっては、水島工業高校時代の恩師であり、卒業以来50数年ぶりにお会いすることとなりました。先生には、体育を2年間教えていただいています。
水工創立期の、体育館もない頃の思い出話や、当時お世話になった先生方の話などであっという間に時間がたってしまいました。
途中からは、美味しい果物とお菓子をお持ち下さった奥様を交えて、多方面の話に花が咲き、楽しい一時を過ごさせていただきました。
その後、備西支部の春の交流会にご招待して正式なお祝いの会を行いたい旨のお願いをして、お暇しました。(以上、西)
「第一印象は、強靭な肉体、お元気」ですと、こんなことばかり言う私清水に先生が苦笑されて、闘病生活の話を切り出された時は、その意外さに驚きました。お話を聞きながら再度ご様子を拝見しても、弱々しさなど微塵も感じられません。
帰りの車の中で、ハッと気付いたことがあります。
「先生はあの枝木先生のご子息だった!」。
「あの枝木先生」とは、私の笠岡高校時代の恩師のこと。私は枝木先生のお父上に教わっていたのです。
以前枝木泰朗先生と同じ高校にお勤めの方に、先生の印象をお話ししたところ、 「確かに『俗に言う体育教師』らしからぬ、もの静かな先生でしたね。一言で言えば、『あの先生の言われることならば』と周囲から思われる先生。」と。(以上 清水)

無謀な世界一人旅  (第7回)

ホテルからモンマルトル、凱旋門・ぐるっと回って13km 備南支部 正保 宏文


今日は、あえて地下鉄を使わず、健康のために歩きぬいた。まず、オペラ座の周りをまわって、空港行きのRossiy Busの乗り場を確認。 これで迷うことなくI5 分もあれば、バス乗り場まで行ける。モンマルトルに向かう途中、へたり込んでいるホームレスに出会った。その中には、犬を連れた女性もいた。華やかなパリの一角で見た格差と貧困の現実。日本と同じようなことが垣間見えてくるのだ。フランスの自由・平等・博愛の精神は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。それともフランスでも、貧困は自己責任ということで、政府は目をつむって終わりなのだろうか。
今朝は、モンマルトルのサクレ・クール寺院のバジリカ大聖堂で日曜礼拝を受けた。11:00頃から礼拝は始まった。シスターの美しい歌声とパイプオルガンが、教会内に響き渡り、魅惑的であった。あのサウンド・オブ・ミュージックのジュリー・アンドリュースを思い出させた。神父の言葉は、全く理解できなかったが、由緒ある教会で皆さんと9O分間を共有できたことは望外の幸せであった。シスターがリードする讃美歌は、甘く切なく心休まり、心が清らかになる歌声で、いつまでも聞いていたいと秘かに思った。すべての区切りがついた時、回りの人につられて3~4人の人と握手をした。握手によって、神の前で幸せの交換をしたのだと思った。同じ時を共有した者のぬくもりがそこにあった。
教会から凱旋門まで4kmほどあったが、気にせずに歩いた。途中、若いスペイン女性が、金色の指輪を小生とのすれ違いざまに落とした。小生には何のことかわからず、無現して行こうとすると、その女性が後ろから声をかけて、金色の指輪をプレゼントすると言い出した。25歳で今日が誕生日だという。指輪を手にすると、 それはおもちゃで、全く駄目なものであった。少し歩き始めると、先の女性がさらに声をかけてきて、コーラをおごれという。小生は指輪を返して、歩き始めた。女性は二度と声をかけてこなかった。しばらく行くと、いかがわしい店の前で昼間からポン引きが声をかけてきた。モンマルトルにほど近いところにこんなものがあるのかと一人変に納得、もちろん相手にすることなく凱旋門に向かった。けばけばしい看板の店が、数軒あるのが、目についた。ほっとしたのもつかの間、今度はトイレに行きたくなった。公衆便所の看板が見えたので入ろうとしたら、タッチの差で中年の男性に先を越されてしまった。その男性、トイレの使い方がわからなかったらしく、ウンチの山を流すことなく出て行った。小生、何とかなるさと小便をしな がらボタンを押すと、便器が倒立し、おまけに警報機が鳴って、ビックリ仰天。途中でトイレの外へ出ると、次の女性客、笑ってどこかへ行ってしまった。ペットボ トルの水で何とか手を洗うことができて、一息ついた。フランスの公衆便所恐るべし‥。
昼食は、凱旋門東の会園でとり、帰りは、シヤンゼリーゼ通りを歩いてみた。歩道は人、人、人であふれかえり、まっすぐに歩けないほどであった。小生は、凱旋門を背にして、左側の通りを歩いたのだが、高級店が多く、お客はあまり入っていないように思えた。チュルリー公園を歩いているとフランスの軍人が向こうをまわ れと言ってきた。言葉の意味は分からなかったが、何とかなるものである。
今日はしこたま歩いたので、フランスの歩き方は、だいぶ理解できたように思う。細い道を通るのではなく、幹線道路をできるだけ利用すれば、道が比較的ストレートなので目標にたどり着きやすい。近道をしようと細い道を使うと、袋小路があったり、曲がり角が多かったりで、初心者には、歩くことが難しい。痛風の痛みも取れ、I3kmも歩くことができたのは、うれしい限りである。NYのドラッグストアーのお姉さんや、苦労をしてフランスまで薬を届けてくれた家族に感謝したい。
ちなみに薬の送料は、速達で45O0円かかったと、日本に帰ってから聞いた。

シテ島巡りとループル美術館再訪

シテ島内をゆっくり回っても、さほど時間を要しない。
"中世の建物をいくつか見て、足をゴシックの最高建築と言われているノートルダム大聖堂に向けた。II63年の創立というから、850年の歴史を持つ。堂々とした建物と彫刻群が見る者の心を奪う。正面からシヤッターを押そう とすると建物が立派すぎて、なかなかカメラの中に納まり きらなかった。そのため、建物の西側に階段状のステージが設けられていた。数枚写真を撮って、聖堂内に入った。 オーディオガイドを借りて、宝物館に人ったが、頭の中に何も残らず、850年前の建物ということだけが残った。昨日行ったモンマルトルのサクレ・クール寺院のバジリカ大聖堂と比べて、中がだいぶ暗かった。そのことが神秘的に思え、建物の重厚さと威厳を増大させているのかもしれないと思った。一通り見終わって、午後の予定がなかったので、今一度ル-ブルへ行くとにした。
ルーブルヘ着くや否や運の悪いことに雨が降り出した。入場券を買おうとピラミ ッドの方を見ると約2OOメートルの長蛇の列。雨脚が強くなる。仕方なく、見知らぬ4人組の後ろに並ぶ。雨がさらに強まる。前の4人組は傘を持っていない。小生は傘を持っていたので、どうぞとばかり小生の前の20代の女性に傘を差しだした。若い女性がにっこり笑って、相合傘と相成った。その女性は、コロンビアからきているという。家族ぐるみで来ている風だった。東京にも来たことがあるという。
2日後、ベニスヘ行くらしい。20分くらい雨にぬれ、列の真ん中あたりに来た時、車椅子の老婦人が現れた。女性のおばあさんだという。ルーブル美術館では、車椅 子の人とその関係者は、優先的に中に入れるらしい。小生にも一緒に行こうと声を かけてくれ、家族の一員にしてもらった。雨の降りしきる中、2O分ほど時間を節約できた。幸運と思う半面、列に並んでいる人に申し訳ないと思った。コロンビア 人の優しさに触れることができ、若い女性に傘を差しだして本当によかったと思った。長い列をしり目に、チケットを貰った。家族の中の父親にあたると思われる人は、ルーブル美術館の日本語のパンフレットをもらってきてくれた。ありがとうの 握手をして、コロンビア人の家族とさよならをした。心が温まった瞬間だった。何気ないほんのちょっとした触れ合いが、小生を幸せにしてくれた。この幸せこそが、 旅の持つ醍醐味の一つかもしれないと思った。
ルーブル美術館では、フェルメールの2点を含め、一昨日見ていなかったところを中心に展観。ラ・トゥールの5点、ダ・ヴインチの5点、中でも特にムリーリョの作品に感動。これで、ルーブルの旅は終わった。ナポレオン3世のゴージヤスな遺品とみすぼらしいホームレスの好対照。雨の中、ホームレスの人々は、いかに雨 露をしのいでいるのだろうか。一人ぼっちになると、なぜかしら経済格差のことが、頭をよぎった。ありがたいことに小生は、貧しいながらもタ食をとり、ワインも飲んだ。体調は、すこぶる好調だ。

「2019退職予定者のつどい」報告
岡山支部 美甘 晃

I2月7日(土)高退教・高教組共催で2019年度の 「退職予定者のつどい」を開催。公共差会議室に16名の退職予定者の参加をいただき「全教共済」「高教組共済すくらむ」の解説、高退教の紹介、高退教会員2人の方からの体験談などをもとに、定年後の今後の生活についての期待や不安について交流・懇談しました。高退教 事務局からは5名が参加しました。
三上高教組委員長・萱高退教会長の開会挨拶では、今年度の賃金確定交渉の現状や展望、高退教の活動の紹介・加入の訴えなどがありました。特に来年度、新たに "会計年度職賢 として位置づけが変わる非常勤講師の待遇について、今年度中に 決定がされるはずで、留意になります。
その後の参加者の自己紹介では、今年度退職者の年金支給開始が64歳からということもあり、ほとんどの参加者から、とりあえずフルタイムの再任用で勤務を つづけるものの、いつまで続けられるかが不安だという共通した不安が述べられま した。
定年後の体験談は、中塚紀生さん、中村清子さんから報告されました。
フルタイムの再任用勤務が今年で最後だという中塚さんからは、お子さんがまだ大学生ということもあり、定年退職したという観念はまったく持ち合わせず、健康 に留意しながら、現職のつもりで頑張ってきたこと、しかし、現行の賃金・ボーナ スなどの待遇はそれに見合うものになっていない理不尽さがあり、高教組に再任用 部を創設することなどを通して、それらを改善するとりくみをすすめることが重要 だということが訴えられました。来年以降は非常勤講師などでなお教育にかかわっ ていきたいという熱意も語られました。
現職時代は熱意のあまりオーバーワークが過ぎたかもしれないという中村さんからは、夫の定年を機に若干与期に退職し、生活リズムの夫とのすり合わせや、家族 介護など経て、毎日を意欲的に過ごされていることが報告されました。非常勤講 も一時期されたそうですが、生徒とのかかわりを深く持てないという違和感から 続は断念、現在は、地域活動、ウォーキング、海外旅行、絵画などで充実した日々を送られいることが伝わってきました。日々の生活に工夫や努力を続けていくことの大切さを訴えられました。高退教の次期作品展への出品も楽しみです。
最後の交流では、やはり退職金や生活貸金の連用、保険などに対する不安や疑問 が出されました。経験者からは、疑問や不安が多く大変だが、根気よく学習してエ夫し、経験を積んでいくことが重要ではないかという発言や、組合としても退職者 けにさまざまな情報を発信していくことが今後さらに重要になるのではないかと う意見などがありました。また、今後の高教組活動を平き,珪化させるためにも、再 任用者を中心としたべテラン教員の十分といえない待遇の改善を重視すべきだ、そ して、年金支給開始以前の退職者の交流をすすめることが重要だという意見も出さ れました。
高退教の今後のとりくみについても、これら情勢の変化ヒを踏まえて、さまざまな 角度から再検討をする必要がありそうです。若干の課題も残しながら、今年度のつ どいを終えました。

編集後記

いつも ながら、 表紙を入れて4 の倍数 ぺ-ジ (0 ~1 I) にする のに苦労 し ます。 今回は表紙の こ と を忘れたため O ~ I 2 ぺージ と な り 、 天を仰 ぎま した。
が、 なん と かおさ ま り ま し た。 (清水親義)
     

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