−知って得する?「尾道裏ネタ」

福善寺墓地に商都尾道を見た!

皆さん、墓地やお墓に、どんなイメージを持っていますか? 先日筆者は、福善寺、大田垣円正ご住職の 案内で1時間程墓地を散策しました。福善寺の古いお墓は江戸時代の商人のものが多く密集しています。 当時の風習として、埋葬する墓は郊外に、お参りする拝み墓は町の墓地にと両墓制であったそうです。 それゆえに、実際に埋葬されていないため、お墓とお墓がひっついているのだそうです。また、当時は 武士や身分の高い宮大工以外は、まだ名字を持っている人は少なく、お墓に職業と名前を彫り込んでいたようです。
油屋定兵衛、こんや吉助、大工屋庄助、煙草屋藤兵衛、石屋籐四郎、塩屋儀助妻同倅徳松、 買地屋忠助、樽屋茂助、塗屋、鋳物師屋、駕篭屋等その昔、潮待ち港として栄えた、商都尾道の まちの賑わいを、垣間見た様な気がしました。
 本堂の裏山の小高い尾根の先端に、その昔、尾道六郎という人物が砦を築いていたそうです。 線路のあたりまで海で長江川と防地川の間は、絶好の船隠しで、かなりの力を持っていたようです。 また、そのあたりに、一際大きなお墓が2つ並んでいるのが目に付きます。丹花城城主持倉父子の 墓とも伝えられる墓は、ちょうど、線路のあたりにあった物を鉄道が通るので、現在の位置まで 担ぎあげたそうです。
 大田垣住職にいろんなお話や説明を伺い、またひとつ私の知らなかった尾道を見つけました。 墓地には人だけでなく歴史や風習も眠っていました。
(写真・文/吉田和正)

← 戻る