塾長若かりし日の九州自転車旅行

1968年3月16日、友人の松尾君と自転車旅行に出かけました。広島を出発。

広大体育会でテントを借りて出かけました。
ところがテントを張るのに適当なところはなかなか見つからず、2週間の旅のうち、2日目の夜しか使えませんでした。

その後のテントの重かったこと。やまなみハイウェーの急な坂を登る時にはほんとうに捨てて行きたい気持ちでした。

宿泊は主に駅の待合室のベンチに寝袋でした。大きな駅ではルンペンと同じ扱いで寝させてもらえず、真夜中に昇降客のない小さな駅まで行って寝ました。ここは島原駅です。

夜明けと共に出発、日が暮れると風呂屋を探して汗を流し、飯屋で夕食の生活でした。

大学の寮にも泊めてもらいました。料金は一泊50円か100円。ここは佐賀大学の寮です。

長崎大学の寮にも泊めてもらいました。

これが、別府阿蘇道路の通行券です。

昭和43年3月21日。この日は朝、由布院を出発、阿蘇山の頂上まで自転車で登り、更に熊本まで降りました。

一日の走行距離は160キロでした。

別府市の九州横断道路入り口です。ここから湯布院まで急な坂が続きました。

自転車は3段切り替えのみ。歩いた方が速いのではないかと思う程でしたが、頑張って自転車をこぎました。

阿蘇山の外輪山を登ったところです。
阿蘇山草千里を行くところです。

更に熊本から天草五橋を渡り、フェリーで島原へ。そこから長崎に入りました。

佐世保の西海橋です。ここから、佐賀、北九州を通って、3月29日に広島にたどり着きました。

財布に残っていたお金はわずか5円でした。

一緒に旅をした松尾君、今は広大教授です。