ガン検診制度の見直しを!


乳がん、検診で見落とされ…千葉の女性「余命半年」


 乳がんが見つかる人は年3万人を超え、毎年増え続けている。一方、早く治療
すれば、回復の割合が高いのも乳がんの特徴だ。その検診態勢は必ずしも十分では
ない。千葉県に住む山口真理子さん(39)の場合――。 

 県内の郊外の庭付き一戸建て。3人の子供たちに黒いラブラドル犬。そして
優しい夫。山口さんは、欲しいものすべてを手に入れたはずだった。 

 米国の大学を卒業後、外資系製薬会社に就職、留学中に知り合った夫(40)
と結婚した。長女(14)、次女(11)に続き、94年に長男(8)が生まれた。
直後、出産した産婦人科診療所で、気になっていた乳房のしこりについて尋ねた。 

 医師は触診後「乳腺症でしょう」と答えた。 

 5年後の99年夏。しこりが痛みだした。30歳以上を対象とした市の乳がん検診
を受けた。出産した産婦人科が指定医療機関になっていた。 

 「痛みがあるんです」 

 医師は、触診だけでなく超音波(エコー)検査で調べてくれた。 

 「乳がんは痛まない。脂肪の塊です」 

 そのころパソコンインストラクターの仕事を始めた。育児による遅れを取り戻すか
のように夢中で働いた。楽しかった。 

 2年後の01年秋、しこりがはじける感覚が走った。5センチ以上はある。あの
産婦人科医を訪ねた。 

 エコー検査をする医師の顔が一瞬、曇った。そして専門病院での精密検査を勧めた。
数日後、大病院でしこりの組織を調べた。結果が出たのはその日の午後。 

 「悪性でした」 

 それ以外の主治医の言葉は覚えていない。 

 12月、摘出手術。7×5×2・5センチのがんだった。摘出したリンパ節すべて
に転移していた。 

 外国の論文を含め、資料を読みあさった。がんの成長には、長い時間がかかる。
あの時なぜ、産婦人科医は見逃したのか。産婦人科は乳がんの専門科でないという。
では、なぜ検診の指定機関になっているのか。 

 転移を抑える治療が始まった。放射線治療や抗がん剤。髪は抜け落ち、体中が
ギシギシ痛む。一日中、寝ている。何もする気にならない。自殺ばかり考えた。 

 昨夏、夫が歌舞伎に誘ってきた。かつらをかぶって、いやいや出かけた。銀座の
カフェでお茶を飲み、相田みつを美術館に行った。そこで夫が掛け軸を買ってくれた。
 

 「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」 

 無口な夫の、精いっぱいの励ましなのだろう。心がふっきれたような気がした。
帰宅後、職場復帰を申し出るメールを上司に打った。 

 今年6月、主治医のもとでエコー検査をした。その検査結果を夫と一緒に聞きに
行った。肝臓に転移していた。冷静に「余命は?」と尋ねた。 

 「どうしても聞きたいですか?」。主治医の顔はゆがんだ。そして「半年です」と。
 

 夫と一緒に昼食をとった。いつになく饒舌(じょうぜつ)な夫を見ていて、かわい
そうで仕方がなかった。その日夕方、仕事を終えて車に乗ったとき、初めて涙がこみ
あげた。 

 7月。乳腺症と診断した産婦人科医を訪ねた。 

 「先生はエコーに自信があるのですか?」 

 しばらくして医師は答えた。「得意ではないかもしれません」。研修も受けていな
い。だが、医師は続けた。「私は今後も続けます」 

 コピーさせてくれたカルテには、一言だけ「乳腺症か!」との検診結果が記されて
いた。 

 半年。どうやって生きようか。産婦人科医を訴えようか。だが、いやな思いをして
半年を過ごしたくはない。 

 厚生労働省や市役所を訪ね、検診制度見直しを訴えた。動いてくれるかはわからな
い。だが、仕事を続けながら訴え続けようと思う。家族には寂しい思いをさせるが。
 
 「残された時間は短いんで」。山口さんは、少しだけ涙ぐんだ。

 
 (2003/08/24 Asahi.com)



 



身内にも知人にも同様のケースで苦渋の思いに泣いた人がいます。集団検診を始め、特に命にかかわる病の検診は、もっと、もっと、もっと徹底的で愛情ある検診制度にしなければ同様の人が増え続けます。 (H15.8.24) 


山口さんの訴えが届いたのでしょうか、厚生労働省が動いたとの嬉しいニュース!(H15.9.9) 






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