盤上英雄伝説


第2巻

雌伏編


 
 第1図はT氏が△8六飛とぶつけてきた局面である。▲8七歩と打とうとした私の指が凍り付いた。これでは負けると私は思った。何といってもT氏は私より強い。従来通りの無難な指し手では勝ち目はない。第1図で考えられるのは▲8七歩の他は、▲8六同飛、▲8七金ぐらいである。
 仮に▲8六同飛とすれば△同角▲8九飛。ここで△8二飛なら▲6五歩ぐらいで飛車先交換を逆用したことになるから十分。従って△4二角と引いて▲8一飛成△1九飛▲2八玉△9九飛成。これは居飛穴ペースである。
 残るは▲8七金だが、大した手ではない。

第1図

後手:T氏

後手の持駒:歩

先手:藤田

先手の持駒:歩


第1図以下の指し手

▲8六同飛△同 角 ▲8九飛 △4二角
▲8二歩!△9三桂 ▲8一歩成△9二香 
▲9一と △8五桂 ▲同 桂 △8六飛
▲同 飛 △同 角 ▲8九飛 △5九飛

 そのとき突如、天啓が訪れた。▲8六同飛△同角▲8九飛△4二角▲8二歩!。思った通りT氏の目が点のようになった。
 ▲8二歩以下△8六飛▲同飛△同角▲8九飛△8三飛には▲8一飛成△同飛▲9八桂で良しである。T氏は長考の末△5九飛の勝負手を放ってきたがこれはさすがに無理で、以下、多少もつれるところもあったが、私の快勝譜となった。

 私は、その後一年半ほど将棋から離れていたが、この局面が脳裏から去ることはなかった。
 居飛車穴熊に対しては飛車交換は暴挙であるはずだった。自陣飛車を打っての8二歩?自分でやった手ではあったが何故こんな手が成立し得るのか???
 不思議だが、どうにも先手が指せているようにしか思えなかった。

 大学に入って半年ほどしたある日のことである。将棋中毒と同じくらい活字中毒である私はあるSF小説を読み返していた。偶然か必然か、私はその中にこの謎を解く鍵を見出したのであった。

 「銀河英雄伝説」(田中芳樹著)こそがその題名である。当時はまだマイナーな小説であったが、ゲーム化や映画化されたのを始め、全130巻に渡るビデオアニメシリーズが作成途上であるから、現在ではかなりメジャーとなっている。約千六百年後の未来をさらなる超未来の視点から描いたスペースオペラで、未来版の三国志といった感じのストーリーである。
 舞台背景は次のようになっている。

 人類は銀河系の五分の一にまで広がっており、強大な銀河帝国、民主共和制の理想を掲げる自由惑星同盟、貿易国家フェザーン自治領の三つの勢力に分裂している。帝国と同盟は百数十年にわたって抗争を続けているのだが、帝国は腐敗し、同盟は同盟で建国当初の理想を喪失しつつあり、対立抗争も惰性的になってきている。こうした中で、主人公の帝国軍上級大将ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵と、副主人公の同盟軍准将ヤン・ウェンリーが登場する。

 この銀河英雄伝説(略して銀英伝)は、作者の歴史、政治的見解、魅力的なキャラクターなどが面白いのであるが、私がこのとき興味を持ったのは、数万隻の大艦隊が激突する際の戦術戦略論である。私はこれが将棋に応用でき、そして第1図の謎を解く鍵となることに気付いたのである。


次回予告

 深遠な謎の解明、それは藤田の飛躍をも意味したのであった。


解説

 T氏は高校時代の親友にしてライバルにして師匠であった。この一戦を勝ったことは私にとって言葉では言い尽くせないほど大きな出来事であったのである。
 だが、この謎を解いて後に再び出会ったとき、すでにT氏は私の敵ではなくなっていた。



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