ここに述べていることは、自然医学会会長の森下敬一医学博士の著書「ガン消去法」から抜粋させていただいた文章を部分的に短くしたものです。最後まできちっと読んでいただければ、ガンを始めとするほとんどの病気の原因がなにであるか、またその対処の仕方などがはっきりとわかってきます。現代医学が見落としていたことや、排除してきた考え方、まったく思いもつかなかった考え方で、病気を根本から治し、同時に本来の健康体にもどす自然医学理論の真髄の一部がここにあります。


ガンは恐くない
自然医学の立場からズバリと結論を言えば、ガンはほかでもなく、「血液の汚れ」から生まれるもので、ガンだけでなく、ほかのすべての 病気も、この血液の汚れによって引き起こされ、その血液がどんな汚れかたをしているかということと、それぞれのひとの体が、どんな 反応のしかたをするのか、ということによって、いろいろと違った種類の病気になるだけのことなのです。

ガンというと、何かほかの病気とは全然違う恐ろしい病気のように考える人がほとんどでしょうが、同じ人間の体の組織の中に生まれる 病的な変化が、そんなにひどくほかのものとかけ離れたものになるなどというのは、おかしいのではないでしょうか? 血液の汚れからほとんどの病気が起こるのですから、血液を浄化し、体質改善すれば、ガンはもとより全ての病気が快方に向かい、徹底的に実践すれば必ず治るのです。つまり、浄血療法が、ガンを根本から治す方法だということをちゃんと理解し、それをちゃんと実践すれば ガンをまちがいなく治してしまえるのですから、「ガンは恐くない」というわけなのです。

現代医学も、診療法・治療技術の進歩により、早期発見・早期治療をすれば治るからガンは恐くないと言い始めましたが、しかし、これでは「看板にイツワリあり」だと思います。現代医学では、ガンの正体はいったい何なのか、ということが全然つかめていません、これでは 正しい予防や正しい治療ができるわけがありません。現代医学の立場でやるガン治療法によってガンがちゃんと治ったというケースは、 ここ数十年、まずゼロだというのが実状なのです。実際、現代医学のガン研究者や歴代のガン・センターの所長などが、のきなみガンで死んでいるのが現状です。


「細胞観」のまちがいが根本原因

現在、現代医学は自分を成り立たせるための論理にひどい混乱を起こしていて、どうにもならない自己矛盾の泥沼にはまりこんでしまっています。そのそもそもの原因は現代の医学や生物学の「細胞観」の間違いにあります。

現代医学の基礎となっている考え方は、「細胞は、必ず細胞分裂によって、細胞から生まれる。」というもので、つまり「あるものは、他のものになり得ない。」ということで、有名なメンデル、モルガンといった遺伝学者の説もこの細胞不変説に立っています。
つまり、細胞は細胞以外の物にならず、一番始めにどうしたわけか細胞があって、それがどこまでも細胞として存続し続けるわけです。 しかし、この理論だけでは、この地球上にこんなに多くのさまざまな種類の生物ができたことが説明できません。そこで、「突然変異」説がうまれ、ある日突然、違った種類の種族が奇跡的に出現し、そしてその中で環境に適したものだけが生き残り新しい種を作り、それがまたずっと続いていくというのですが、これも結局「細胞は変わらない」という考え方の延長線上に立てられた説です。

この考え方は、まさに固定観念で、原因とか結果というものを考えることができません。もともと科学は、因果関係を追及する学問ですから、この考え方では科学は成り立ちません。つまり、細胞のもとは?−−突然変異の原因は?−−なぜ細胞は細胞以外のものになり得ないのか?−−

現代医学では、ガンは「何らかの原因によって、正常な細胞が突然変異を起こして、それが無制限に分裂増殖を始めたもの」だと定義されていますが、この定義には、いくつもの問題があります。まず、「何らかの原因」では困ります。なにか現象が起こっている限り、そこには、はっきりとした原因なり理由があるはずです。

また「正常な細胞が突然変異を起こし」というのもへんです。この自然界に「突然変異」などありっこないのです。ものごとの変化にはすべて原因があります。つまりあらゆる変異は「必然変異」なのです。ガン細胞だって、突然、だしぬけになにかが変ってできるなどということはありません。その必然的な変化の原因と結果のプロセスを追求するのが科学です。「突然変異」という言葉は、科学的な用語ではありません。

それから、ガン細胞が「無制限に分裂増殖を始める」というのもおかしなことです。自然界には、無制限、無限といったものはありません。すべて有限なもので、私達の生命にも限りがあり、その生命とのかかわりあいのうえで姿を現すガンが、どうして無制限でありえましょうか。無制限に増え続けていくものであれば、ガン患者の体は、すべてガン細胞で埋め尽くされるでしょう。
しかしそんなケースは絶対にありません。ガン細胞の増殖は一定の段階で必ず自然に停止するものです。


ガンは細胞分裂で増えるのではない

さらに、ここで根本的に重要なことがあります。
それは、「ガン細胞は細胞分裂によって増殖してゆくのではない」ということです。たしかに、試験管のなかではそういうしかたで 分裂増殖していくガン細胞もありますが、しかし、それはそういう性質をもった、むしろ奇形的なガン細胞なので、これを私達の体内におけるふつうのガン細胞ありかただと考えてはいけません。

私達の体のなかでのガン細胞の増殖のしかたは、そうした試験管内のものとはちがって、分裂して増えていくのではなくて、赤血球や白血球がいくつか寄り集まって、それらが融合してひとつのものとなり、それがガン細胞に発展していくという方法なのです。
つまり、ガン細胞は「細胞は細胞から」のあの定律に従わず、細胞でないものが寄り集まってできるわけです。
実際ガン細胞を顕微鏡で見ると千差万別の姿をしており、似ているものより、違った格好のもののほうがずっと多いのです。
ガン細胞が本当に細胞分裂で増殖しているのであれば、お互いが同じか、似ているのが当然なのに実際にはこうなのです。
これは、ガン細胞が赤血球の融合でできるからなのです。その証拠に、ガン細胞のなかにはよく白血球や赤血球などがそのまま存在しているのが認められます。

要するに、試験管のなかと、人間の体内では、状況がまったく異なり、事情が違うので、でてくる結論も違います。


生命は変化し細胞は変わる
さて、今までは、「細胞は変わらない、細胞は細胞から」という考えで、ずっとガンという病気を見てきた現代医学の間違いを指摘してきました。これから、このことを、さらにくわしくのべてみます。

イギリスの有名なチャールズダーウィンは、その著書「種の起源」のなかで、生命は環境に適応しながらどんどん変っていくと説きました。つまり、この地球上に何百万種もの生物が存在するのは、原始的な生物がそれぞれの環境に適応しながら「変って」きたからです。これが、ダーウィンの進化論の骨子となる考え方です。

また、ソ連の生科学者オパーリンは、その著書「生命の起源論」で、生命のない無機物から生命が生み出されるプロセスについて画期的な説を唱えました。
それによりますと、原子の地球には生命は存在しなかったが、そこにあった何種類かの元素が変化に変化を重ねて有機化合物になり、それがさらに変化を続けて蛋白質になり、ここに生命が生み出されたというのです。
つまり、生命のない無機物質がしだいに変って複雑な有機物質になり、それがまた変化して生命になった、生命は物質が発展してできたのだ、というのがオパーリンの考え方です。

以上は、いずれも、生命は変化する、細胞は変わる、という理念に立って、生命の動きを見ている考え方です。
これはまさしく因果関係の世界で、最初から最後までどこまでも追求し続けようとする科学的なものの見方といえます。

「細胞は変わらない」という不毛の土壌から、「細胞は変わる」という実に肥沃な土地で、私達は、いくらでも豊かな実りを生み出すことができるでしょう。


赤血球は腸の壁でつくられる

「生命は変化し、細胞は変わる」という考え方によって、「ガン細胞は変化する」ことになります。そうすると、「何が、どのようにしてガン細胞になったのか、では、どうすればガン細胞をガン細胞でないものにすることができるのか」と考えていくことができます。

この立場に立った研究の結果、
「私達が食物として体内にとりこみ、消化した有機物は、まず幼稚な生命体(赤血球)に作り変えられ、ついで、それが、より高等な生命体である体細胞に変わる。こうした非常にダイナミックな働きが、消化管(腸の壁)で行われている。」という収穫がありました。

つまり、赤血球は腸の壁で食物を材料としてつくられており、それが全身の血液のなかを循環して、すべての細胞に接触して、体のいろいろな組織の細胞に変っていくのです。すなわち、体の細胞は「細胞からできる」のではなく、赤血球が姿を変えることによってできあがるのです。

腸の壁の絨毛(こまかい毛状のひだ)の表面の粘膜組織は、アミーバという池や沼にいるごく微少な単細胞原生動物の活動と非常に良く似たことをしています。つまり食物を細胞のなかにまるごと取り入れて消化し、それを自分の体の一部にします。

食べ物は、口や胃などを通って消化されていきますが、それは消化の予備段階で、本当の消化はその後で腸壁のなかでおこなわれます。 消化管のなかで消化作用をうけた食べ物の小さなかたまりは少しずつ、少しずつ、腸の粘膜のなかにとりこまれていきます。これは、アミーバーが食べ物を体内に取り込むのととてもよく似ています。このように腸壁に取り込まれた食べ物は同化され、腸壁とみわけがつかなくなります。つまり、食物は腸の粘膜の固有の細胞に変ってしまうのです。

この腸粘膜の固有細胞は、さらに変化し続けていき、それが赤血球母細胞というものにまでなります。これは、細胞のなかに数十個の赤血球をもった細胞です。ついで、その赤血球が血管のなかに放出されていきます。

このようにして、食物は私達の腸の粘膜で私達の体に同化され、赤血球に変わるのです。つまり、こうして腸で造血がおこなわれるわけです。


赤血球が体細胞に変わる

このようにダイナミックなプロセスを経て生まれてきた赤血球は、一つ一つが原始的な生命体です。新生したばかりの、原始性に富んだ、フレッシュでバイタリティーあふれる細胞なのです。

現代生理学では、赤血球のおもな働きは「ガス運搬」だと教えています。つまり、酸素を体じゅうの細胞に運び、そこから炭酸ガスを持ち帰るというわけです。赤血球はもちろんそういう働きもしており、それはそれでたいへん重要なことですが、赤血球の働きの本命はそんなに単純なものではないのです。

固定観念にもとずいた先入観にとらわれず「細胞は変わる」という立場で注意深く観察してみますと、この赤血球が体細胞に変っていくことがわかります。すなわち、いくつかの赤血球が寄り集まって、一つの体細胞(固定組織細胞)になるのです。
この過程は、幾度も実験観察を重ね、映画にも撮影されています。

試験管のなかのような不自然な状態のもとでは、体細胞が分裂して増えていくこともありますが、生体のなかではそんなことは決しておこりません。かならず赤血球が寄り集まって体細胞になっていきます。体のすべての細胞は、血液により、赤血球によってつくられているのです。



「食は血になり、血は肉になる」

「腸造血」のメカニズムでつくり出される赤血球のルーツをつきつめていきますと、結局は食物だということがわかります。そして、腸での造血によって新生した赤血球は、私達の体のなかをすみずみまで循環していって、すべての細胞に変っていくのです。
つまり、食物が赤血球になり、その赤血球が体細胞になるのですから、「食は血になり、血は肉に変わる」といってよいでしょう。


ガンの正体

一般には、ガンというと、ガン腫になったところだけがガンだとおもわれています。しかし、これはまちがいで、ガン腫というオデキは、 いわば、結果としてできたもので、ほんとうに「ガン」と呼ばなくてはならないのは、そのオデキをつくらせたものです。そのオデキをつくらせた蔭の悪魔はなんでしょうか? それは「血の汚れ」なのです。

わたしたちの体内で行われている、消化という作用は一般的に、食物を分解し、吸収する働きと考えられていますが、「腸造血」の観点から見ますと、これは。むしろ、「合成」の働きと考えられます。
腸の粘膜では、アミーバと同じように食物を取り込んで同化していると、お話しましたが、食物を同化するということは、食物のなかに含まれている素材をいろいろとうまく関連付けて、自分自身の体をこしらえあげることです。これは、つまり「合成」です。
この合成こそが、消化機能の真髄なのです。

人間の体は、この「合成」のはたらきによって、植物性の食物だけで、人間の体を作る必要十分な材料を得ることができるのです。
蛋白質もビタミンも人間の体内で組み立てられてしまうのです。生理学の新しい研究によって、このことはどんどん裏付けられています。

私達の体をつくっている蛋白質は、植物性の炭水化物のなかから必要な素材を取り出し、それを組み合わせてつくられます。牛や豚の蛋白質がそのまま人間の蛋白質になるようなことは決してありません。それらは、腸内の酵素の働きで炭水化物に変わります。人間に必要な蛋白質は腸壁で炭水化物から合成されるのです。

人間の本来の食性は、穀物菜食でありますので、穀物菜食をしていますと、内臓に負担なく老廃物も少なく体に必要な素材も過不足なく取れ、順調に人間本来の体内活動が行われ、丈夫で、弾力のある赤血球がつくられます。
しかし、本来の食性に合わない、肉・牛乳・卵・などを食べますと、こうした動物性蛋白質は、腸内の酵素の働きで炭水化物に変わるのですが、腸内にその酵素が十分ない場合、炭水化物に転化されないので、腸の壁のなかに入っていけず、そのまま腸のなかで腐敗してしまい、体に非常に害のあるものに分解されてしまうのです。このように、消化されない老廃物や、消化の過程でできる毒素によって、腸内に住み着いている腸内菌のバランスが崩れ、それによって、人間に害のある菌が多くなるとますます有害な毒素が製造されていきます。
その毒素が血液中にも入り、血液が汚れてきます。すると、それが、体内のいろいろなところに炎症を起こさせてしまいます。そして、こうした汚れた血液のなかの赤血球が寄り集まってガン細胞ができあがるのです。 動物性蛋白食をして、極度に血液を汚すと、(健康な赤血球であれば、寄り集まって健康な体細胞になるところが、血液の汚れによって性状が狂いだし、寄り集まって病的な細胞を作ってしまうのです。)発ガンといった強度の病的な変化を生み出しやすいわけです。

だから、肉食をさけ、腸内菌を健全にして血液をきれいにすることが、ガンを予防する重要なポイントです。発ガンするかどうかの分かれ道は、あなたの腸内の細菌の性状にかかっているのです。


ガンは浄血装置

ガン腫というのは、血液が汚れて、その人の体のいちばん敏感なウィークポイントにできた炎症、つまり、オデキなのです。
ガンの正体が「血の汚れ」だとしますと、このガン腫というオデキは、いったい何なのでしょうか?
ガン腫は、実は体がつくりだした「浄血装置」なのです。つまり、血液が汚れに汚れてしまって、このままでは命もあぶなくなるというときに、このガン腫ができて血液をきれいにしてくれる働きをするのです。

最近、フランスの学者がガンのオデキのなかで抗毒素ができて、それが血液中に分泌されていることを発見しました。
ガン腫は悪魔の創造物だから、切り取るとか、放射線で焼き尽くすとかしてやっつけなければならないとばかり思っていたものが、抗毒素を血液中に送り込み、病気の毒素を中和してくれていることがわかったのです。
だから、ガンになった、ガン腫ができたということは、むしろ喜んでよいものです。もし、体のほうでガン腫をつくってくれなかったら、人間は汚れた血液のまま、急転直下、死んでしまわなければなりません。ガン腫ができるおかげで、生き延びることができるのです。


ガンは「感謝すべきもの」

以前には、敗血症という病気で死ぬ人がたくさんいました。これはいわば血が腐る病気です。この病気は、まず腸のなかで異常発酵がおこって、毒素や老廃物がたくさんでき、それが血液のなかにはいると、血液中に細菌が大繁殖して、血液は、どんどん腐ってしまうのです。 こんな状態になった人は、だいたい二日か三日で死んでしまいます。
この病気が不思議なことに、いまではバッタリ姿を消してしまったのです。なぜでしょうか。
それは、人間の体がガン腫という浄血装置をつくって、それに対処することをおぼえたからだと思うのです。敗血症では、ニ三日であの世行きとなる人が、ガンというオデキが体内にできたおかげで二三年は生き延びられるようになったわけですから、ガンにたいして感謝しなければバチがあたるというものでしょう。
たとえてみれば、いますぐ死刑になるところを、数年間の執行猶予が与えられたのです。この間に、心をいれかえて、血の汚れを治すために積極的に努力し、生活改善をはかれば、死刑はもう執行されず、ガンは治ってしまい、ガン腫はお役御免になり、自然に消えていってしまいます。

ですから、ガン腫は「赤信号」であり、「安全弁」であり、「血液浄化装置」なのですから、本質的によいものなのです。それなのに、現代医学では、そのガン腫をしゃにむにたたきつぶせと、放射線をぶちこんだり、抗がん剤を注射したりする治療(!?)しかやっていないのですから、ガンが本当に治るわけがありません。いくらガン腫を切り取ったところで、その人の血液が汚れているかぎり、たの場所にこの浄化装置(ガン腫瘍)ができてきます。
ガンになっても、なにもせずにほうっておけば二三年生きれるのですが、ガンセンターなどにはいると、みんな申し合わせたように半年くらいでバタバタ死んでしまうのは、ただもうガン腫をやっつけるために、大量の制癌剤をあたえたり、放射線をかけたり、手術をしたりしているので、、患者の体がもたないのです。
恐ろしいのは、ガンではなく、ガン腫さえやっつけてしまえば、万事解決だと安易に考えている現代医学の愚かしさのほうではないでしょうか。


最後に

いままで述べてきたことは、自然医学理論のガンについての大まかな、わかりやすく述べられた概論です。 この他に、腸内細菌、胆汁酸、酵素、内呼吸、ガンビールス、などの項目で詳細にガン発生のプロセスを説明していますが、ここでは、割愛させていただきます。
このように、自然医学理論では、ガンも他の病気と同じように、その原因は「血の汚れ」だとはっきり解明し、臨床、実験などそれを裏付けるデータもそろっており、ただ単なる、卓上の空論とか、夢想ではなく、実際に病院(現代医学)からみはなされたガンをはじめとする多くの重症患者さんが、自然医学理論に基づく自然食の食事指導と民間療法で治っています。
最近出版された放射線科の医師が出した「患者よガンを恐れるな」という本のなかで、現代の医療では、ガンを治すことはできない、手術や抗がん剤は百害あって一利なしというような表現をしておりました。手術をしてもしなくても5年生きれるガン患者は5年しか生きれないということでした。手術をうけたほうがそのショックで死期を早めるということでした。
そして、この本に対してもうれつな抗議が出たそうですが、ただ単なる感情論であって、彼のその本で述べていることを正面から論破できた意見はなかったそうです。


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