玖珂郡志
以下、「玖珂郡志」より抜粋
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此岩国号起元、左ニ
一 横山ニ白石、一名白華厳ト云。観音堂ノ下ニ在。
事載ニ横山ノ条下ニ 『陰徳太平記』ニ曰、此沖ヲ岩国灘ト云。暗夜海霧江雲塩路ニ
迷ヒ候折シモ心 中ニ此奇石ヲ念ゼバ、此石ヨリ忽チ灯明見ヘ、其ノ光リ二三十里ガ間ノ海上ニ
照リ渡リ、明ナルコト白日ノ如ク、神妙不測ノ名石也。
二 岩国山ニ亀石トテ、岩ガ奥ニアリ。峰尾ヲ亀ノ尾ト云。瑞亀山ト云。
又、亀ケ本ト称スル処モアリ。岩下ヨリ赤亀出ト云。『本朝通記』ニ曰。
天武天皇十年、自周防国献赤亀。中古、端普請ノ節、矢ヲ入レシカバ、 血出タリトテ、今ニ血ノ流タル跡有之。
中村某モ、此ノ石ニ触レテ、祟リアリシコトモアリ。 (後補) 『岩国年代記』曰、享保七年二月二日、岩国山山北ノ名石ヘ当タリ不申候様ニトノ義、被仰出候。
一 門前村ノ内、尾津長浜ニ、紅石トテ田畦ニアリ、
『厳島行幸記』ニ曰、 推古天皇卅二年甲申一二月一三日、市杵島姫命、播州鞍職御供ニテ、
暫ク門前南浦ニ行宮ヲシツラヒ、御座アリシ時、紅ヲツケ玉フ石也ト、云云。
夜更、雨夜ナドニハ人音シテ、此辺通路成リ難シトナリ。
以上三ツノ名石ヲ以、岩国ト称ス。
一 岩国三石異説ニ、
白石御城山堅石浦ケ浜亀石岩国山白石ヲ除キ、屏風岩ヲ入。
一 『巌邑志』ニ曰、岩国ト云字義ヲ按ズルニ、其由ル所ヲ考不。
仰、此庄、 山岳相接シテ磐石多キ故カ。ハタ、荀子ニ謂所、
磐石如ノ義カ。即今封地ノ 惣目トスレバ、祝シテ名クル吾ガ
国風ノ例ニマカセ、荀子ノ説、可擲可ニモ非ルベシ。
一 『延喜式』曰、石国。
一 『和名鈔』曰、石国。
一 『万葉集』曰、磐国。
一 唐人ノ詩ニ巌邑。
一 『東鏡』曰、岩国
一 郷俗皆、巌国ヲ用フ。
以上、『玖珂郡志』の最初の方に記載してある岩国の地名の由来です。現代語訳はココをクリック
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「玖珂郡志」(新版)巻頭言より
玖珂郡志の刊行について
先年「防長風土注進案」が山口文書館から出版されたとき、ついで岩国藩の「玖珂郡志」を
という話もあったが、ついに実現しなかった。そのとき出版に至らなかったが、「玖珂郡志」が岩国領の代表的地誌であることは、すでに識者の間では認められていたのである。
このたび、松村勇氏が本書の刊行を発起し原書が岩国徴古館所蔵であることから、岩国市に「玖珂郡志編集委員会」が設けられて、ようやくその実現を図ることになった。それというのも、本書
の価値を認めたからであり、本書を刊行して一般の人々に読んでもらうことが、地方文化の向上に
役立つと確信したからである。
『玖珂郡志』は、今から著者は、岩国藩士で国学者の広瀬喜運(1761〜1833)で、ある。この書は
喜運が藩の編集になる「享保増補村記」について、記事は正確であるが広博でないのを遺憾として、
さらに旧記を探り、古希や里人に問うて補綴したものと伝えられている。しかし、これには多少の
誤解がある。すなわち、本書は「享保増補村記」を増補したものではなく、広瀬氏自身の著「岩国若干集」を増補したものである。同人にはさのほかに「神社追遠記」「仏閣縁起帳」「岩国事跡考」
「岩邑郡録記」「岩国怪談録」「近辺古跡之記」「周防名所和歌」などがあり、それらを総合改定
したものが「玖珂郡志」である。そして、著者の目的が、「享保増補村記」は官撰で、民間の人々
が自由に閲覧できないため「玖珂郡志」を著述したのである。
このたびの本書刊行も、その意志を協賛して刊行するものである。
昭和五十年八月玖珂郡志編集委員会
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なお、詳しくは岩国市立図書館、山口県立図書館、各学校所蔵の「玖珂郡志」をご覧ください。
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