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![]() 亀石 (岩国山)
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岩国と名石 きょうわ くがぐんし 亨和2年(1802)に記された『玖珂郡志』によると、岩国という地名は 『三つの名石』の存在に由来するとあります。 しろやま しらいし かめいわ 『三つの名石』とは、城山にある『白石』、岩国山の『亀石』、尾津 ながはま べにいし 長浜(現、尾津町2丁目)のにある『紅石』といわれます。また、異説で しらいし たていし かめいわ は城山の『白石』と浦ヶ浜の『堅石』と岩国山の『亀石』ともあり、更 しらいし きんじょうばし に城山の『白石』の代わりに、錦城橋の少し上流の今はほとんど埋もれ びょうぶいわ てしまった『屏風岩』を入れる説もあります。 けいちょう しらいし 慶長8年(1603)岩国城築城の際に、『白石』のそばの平坦部に家臣の つねたか こんりゅう まつ 今田経高が3間四方の観音堂を建立し、岩国山に祀られていた観音菩薩 ひろのり 像をここに安置しました。その後1691年には4代藩主吉川広紀が再興 きゅうこう しらいしかんのん し、明治時代には吸江の上の山に移されたという白石観音に今もその名を とどめています。 かめいし かめ お ずいきさん 岩国山の『亀石』は、その石のある尾根を亀の尾といい、瑞亀山とも ちゅうこ はしふしん や い いいました。「中古、橋普請の節、箭(くさび)を入れたるところ血が流 くがぐんし きょうほ れ、今に血の流れたる跡あり」と『玖珂郡志』に記されてあり、亨保7年 たたり 2月には、この石を掘り出して、ひどい祟りがあったので、すぐ埋め戻し かめいし ふもと いわや たともあります。これらの伝説によって現在では、『亀石』の麓に岩屋観 れいりょく たた 音堂が建てられ、『亀石』の霊力を讃えています。 ながはま べにいし あぜ そび 尾津長浜の『紅石』は江戸時代には、田の畦に聳えていたらしいのです しげ が、今では国道188号線のそばの小さな繁みの中に隠れるように立って おり、その存在さえ知る人は少ないようです。 いつくしま さいじん いちきしまひめのみこと べに その昔、厳島神社の祭神である市杵島姫命がこの地を訪れたとき、紅を 付けたのがこの石と言い伝えられています。 うら たていし おうこ かいじゃ しんれい 浦ヶ浜の『堅石』は、往古、怪蛇が海中より上がりこの石に入って神霊と れいけん なったものとの伝説があり、霊験あらたかで、そのその根元に堅石大明神が まつ 祀られ、参詣人が絶えなかったといわれます。 このように、形や文様・色などに、何らかの特徴を持つ大きく目立つ石は、 神霊のこもる石とされることが多く、岩国のどの村にも『名石』はあった うしのや うしいわ ろくろし かがみだい ようです。例えば、牛野谷町の牛岩、六呂師バス停留所そばの鏡台、室の木 ながれお あしあと はしらの くいな おうむ しも 町側岩国山の流尾の足跡石、柱野の観音岩や四つ岩、杭名の鸚鵡石、下(北河 きつねいし めおと びょうぷ えぼし 内)の狐石など多くあり、更に夫婦岩や屏風岩や烏帽子岩などは、あちこちに あります。 【岩国徴古館】 |
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この文章は、徴古館作成です。
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