岩国市科学センター

  岩国市科学センターのホームページ

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    岩国市科学センターと私

     私たちの町には【科学センター】と言う組織があります。私にとっては、通っていた麻里布小学校に仮設(S34年)以来のお付き合いです。その半年後に岩国市役所の7階に正式オープン後は、理科少年の私は足しげく通った物です。

     展示してある岩石標本などは相当な物で、その量と質は今でも中国地方随一の物と聞いています。開設当時の市の意気込みは相当な物だったと、想像に難くありません。当時、まだまだ、日本社会全体の経済力も低く、私たちはアメリカの援助の脱脂粉乳やコッペパンで育った世代ですから、・・・
     将来の日本のために理科教育の充実が必要なこと、そして、その設備や教員の質はまだまだ十分とはいかない時代です。そのような中で、科学都市岩国が目を付けたのが科学センターの設置だったのです。

     なぜ、私が科学都市という言い方をするのかと言いますと、岩国には錦帯橋があるから・・・。この錦帯橋は単に古人の作った珍奇な橋では無いのです。

     錦帯橋の架かっている錦川(岩国川)は、2級河川(同一県内のみを流域としているため)ですが、河川の長さは中国地方で1,2を競う川で、水量の増減が激しく、当時どんな橋を架けても流されてしまう困った川でした。
     当時の藩主吉川  公の発案で、流されない橋を架ける事になり、集められる限りの資料を集め、模型を作り橋を架けましたが、物の見事に翌年には流されてしまいます。その原因を徹底的に調査し得られたのが、橋そのものでは無く、橋脚が流されたこと、その対策として、橋脚を流線型にすること、橋脚が流されないために橋脚の前後の川底を石垣さながらに舗装する事でした。以後、300年間、錦帯橋はその美しい姿と流されない橋を与えてくれただけでは無く、私たち岩国市民に、科学の力を教えてくれました。何年後かに掛け替えが必要な錦帯橋のため岩国市民は費用を出し合って檜を育てています。

     そんな風土にできた科学センターは当初は、その目的にかなう活動を続けてきたことと思いますが、やがて市内の小中学校の設備や教員の充実とともに、いつしか市職員の定年までの姥捨て山になってしまっています。それには、市民の無関心が最大の原因だった事もあるでしょう。私もその市民の一人でしたが、ニフティの科学フォーラム(FSCI)内で「理科教育の危機」の話題から、いつしか、科学センターの活動に協力するようになっていました。

     さて、今回、岸村館長の呼びかけで、科学センターで目を輝かしていたかっての少年達をはじめ多くの市民が参集して【大人の科学クラブ】が誕生しました。あまりの反響の大きさに、2班に分かれての出発です。

     岩国市科学センターが建て替えられる事になりました。せっかく先人が作られた全国でも珍しい組織です。これを姥捨て山にしておくのは税金の無駄遣いそのそものです。他の市町村にあるすべてを私たちは希望しません、錦帯橋と同じように世界に誇れる物がひとつ、今、誕生しようとしています。いずれ、新生の科学センターから発信される情報で、世界をリードする科学者が育つことでしょう。岩国の文化が世界に発信される時代が来ようとしています。

     科学センター誕生の時、そして、再出発と2度の機会に巡り会う奇遇を得て、かっての理科少年は再び、少年に戻ってワクワクしています。