改憲阻止! 憲法学び 憲法いかす共同を
組合員に依拠して組織強化し
住民生活と職場を守ろう

■8月21日〜23日、自治労連第38回定期大会が岡山市で開催されました。

■大会に先立ち20日には、現業評議会や保育部会、社会福祉部会などの事前大会が開催され、広島市職労は各支部協議会からそれぞれ役員が出席しました。

 本大会には、広島市職労から代議員として塩見委員長、天川執行委員の2名と、本部役員として岩田副委員長が参加しました。

■自治労連本部の猿橋委員長は、参議院選挙で全国32の1人区のうち11の選挙区で野党統一候補が勝利したことに触れて、「市民や労働組合の共闘の成果だ」と語り、「引き続き政治を変える共闘づくりに力を注ぐ」と述べました。

■大会には、▽すべての職場で憲法を語れる人をつくり、憲法キャラバンを具体化する▽住民生活を守るため、長時間労働を一掃し、住民本位の予算人員闘争を進め、生計費に基づく賃金闘争をたたかう▽身近な要求から出発して政治的要求に高める▽「あなたの力が必要」と組合員を信頼・激励し、「増やす人を増や」し、すべての単組の増勢をめざす―などの方針案が提案されました。

■討論では、憲法キャラバンや予算人員闘争などの発言が相次ぎました。広島市職労の塩見委員長が、「給食まつりや保育まつりで住民との共同が広がるなか、現業職で正規採用を勝ち取り、公立保育園の民間移管をまだ1園も許していない」と発言しました。

■大会は、組織拡大強化に取り組み、戦争法廃止、改憲阻止に向けて職場から憲法学習を行いながら、住民生活を守ることと一体に、予算人員闘争・賃金闘争を進めることを掲げた運動方針を採択し閉会しました。

豊かな保育で
子どもに平和な未来を

 第48回全国保育団体合同研究集会が8月20〜22日、島根県松江市で開かれ、全国から4336名、広島県から241名が参加しました。

みんなでつくる合研ステージ

 オープニングは島根県実行委員と子どもたちによる「ホーランエンヤ」でした。これは、約370年の歴史がある船神事です。1日目のもう一つの見どころは、特別企画「みんなでつくる合研ステージ」。広島の鳴子踊り、東北の仲間のステージ、全国の若手保育士の群読と歌、合研スペシャル合唱団と参加者全員による合唱が、舞台実演家のただじゅんさんの進行でひとつにまとまりました。

実践を報告し深める

 2日目は、10の講座・フォーラム、30の分科会。広島からは12名が自分の実践を分科会で報告し参加者同士で意見交換したり、世話人から助言をもらって深めました。

平和を守るため何ができるか

 3日目は、朗読劇「平和への誓い〜小さな町から伝えよう 未来ある子どもたちを守るために〜」や、絵本作家の長谷川義史さんの講演「『へいわってすてきだね』絵本で子どもたちに伝えたいこと」を通して、平和の大切さや平和を守るために自分たちに何ができるかを考えあいました。

子どもたちに幸せな日々を

 集会を通じて「保育とは子どもの幸せな日々を作りだす仕事」と改めて感じ、豊かな保育実現の運動と、子どもたちに平和な未来を手渡す活動に、引き続き取り組む決意を固めました。

よりよい保育・療育・医療で
子どもの健やかな成長の保障を

 8月18日、ひろしまの子どもを守る実行委員会は、こども未来局・健康福祉局に統一要求書を提出。項目ごとにその趣旨を述べました。

○子ども療育センターの建て替え

 通所のため駐車場は欠かせない。工事期間中も確保してほしい。

 工事期間中は施設が二つに分かれるため不安が大きい。情報開示と意見交換をしてほしい。

○障害児者の放課後問題

 放課後等デイサービスのガイドラインが定められた。事業所に足を運び内容や実情を知ってほしい。行政は現場の苦労を知って、一緒に質の向上を考えてほしい。

○保育

 待機児童解消には施設の拡充と保育士の確保が欠かせない。保育士確保に努め、生活できる賃金を保障してほしい。

○子どもの医療費

 全国的に子どもの医療費を無料にする動きがある。保護者の所得にかかわらず、子どもたちが平等に必要な医療を受けられるように助成してほしい。


 こども未来局の森川次長は「それぞれの発言内容を受け止め、来年度の予算・人事要求に各部署で取り組んでいく」と話しました。

被爆の実相を訴え続けてA
被爆者は実験台にされた
広島市職労 中央執行委員長 塩見信彦

被爆者をモルモットに

 原爆の人体への影響を調べるとして設置されたABCC(原爆傷害調査委員会)―後の放射線影響研究所は、被爆者をモルモットとして扱いました。市役所本庁舎から東に2キロ、比治山のかまぼこ型の建物です。

 中沢啓治さんが書いた、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画―『はだしのゲン』に放射線影響研究所の前身であるABCCを描いたこんな場面が出てきます。「なにもくれず、まるはだかにされ、白い布をかぶせられ、血を抜かれて、身体をすみずみまで調べられたと言うとった」「アメリカは原爆を落としたあと、放射能で原爆症の病気がでることがわかっていたんじゃのう」「く、くそ、戦争を利用して、わしらを原爆の実験にしやがったのか」とABCCのことに触れています。


データ集めから始まった

 この『はたしのゲン』の作者中沢啓治さんは、4年前TBSの番組「報道特集」のなかで、母、キミヨさんが被爆から21年後に亡くなったこと、そのとき中沢さんが今も脳裏に焼きついて離れない体験をしたことを「ABCCが来てね、オフクロの内蔵をくれというんですよ。棺桶の中にいるオフクロの内蔵をくれって。怒ったんですよ。『帰れ』って。いやあ、あれはもう、広島市を見下ろす比治山の上から、じっとこうやって見ているんだよね。今日は被爆者の誰が死んだ、誰が死んだっていって」と明らかにしています。ここには被爆者を救うはずの原爆医療でさえ、アメリカのABCCのデータ集めから始まってしまった悲劇が現れています。


放置されてきた被爆者

 ABCCの調査対象者は治療もされず、ただ原爆の影響を調べられるだけでした。それは、原爆による直接的影響のみであり、内部被ばくや黒い雨の影響は調査の対象外でした。国は今も原爆症認定などで全く同じ態度を取っています。

 原爆医療法(1957年)、原爆特別措置法(1968年)ができるまで国は被爆者を放置してきました。そこには、「戦争でみんなが被害を受けたんだからそれぞれが我慢すべき」という「受忍論」に基づく国の姿勢があります。


時代を変えてきた原水爆禁止世界大会

 こうした被爆者を放置し、原爆の被害を隠し続けてきた時代を大きく変えてきたのが、原水爆禁止世界大会でした。被爆者を先頭に核兵器の非人道性を訴え続けてきた日本の原水爆禁止運動と世界の反核平和運動の力が、歴史を切り開き、新たな前進を生みだしています。